nagajisの日不定記。
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図書館が快感した、もとい開館したと聞きつけたので早速行ってみたのだが、書庫の本は出してくれないしデジタル部屋は閉鎖しているし、おまけに社史コーナーの開架だけ閲覧不可になっていて、まさしく開店休業状態であった。うむ。ちゃんと調べてから行けば良かった。何しに行ったのかわからん。
ここで図書館職員氏に不満をぶつけたらどうなるんだろうと思ってみたりしたが、気弱な私がそんなことできるわけがないのだった。
そのまま帰ってはまさしく無駄足になってしまうので鉾流橋に寄ることにした。今号記事を書きながら、この橋のたもとからの眺めを撮った写真がないことに気づき、そこのところをうやむやにしたまま終わらせてしまった。その心残りを晴らすことができただけでもよしとしよう。
橋ギリギリに寄って側面を見た時、さほど違和感はなく、ゲルバー桁には稀有な「破綻のないシェイプ」だと改めて思えたのだけれど、手前の突桁の部分には若干の違和を感じた。この部分は直角三角形的な開いたシェイプのはずなのだけれど、たもとから見ればまるで普通の矩形ガーダーのように見えてしまう。遠近法で遠くのものが小さく見えてしまうその割合と桁の開いていく角度とがちょうど相殺されているらしい。このように見えるようにわざと設計したのであればすごいことだと思う。ただそれが美的に成功しているかどうかはなんとも言えぬ。並行直線に見える桁と吊り桁のアーチと対岸の明確な収縮という取り合わせは若干の違和感がある。類似の構造を見慣れていないことに起因する違和感である。ピカソの絵だって当初は非難囂々だったというし、初めて出会う宇宙人を一目見て美しいと思うことはたぶんないだろう。
あと、この角度から橋を見た時、橋全体を視野に収めることが難しく---奥行きがあるので橋のいずれかの部分に焦点を置いて見てしまわざるを得ないのだと思う---、その場合にたいてい吊り桁の辺りを見ていることが多いようだ。鉾流橋のその部分のシェイプに破綻がないせいで「納得」してしまうのかも知れない。引いて撮った写真を見ると先述の並行感が発生して納得を弱めてしまう。
そうそう、鉾流橋の欄干デザインと中之島公会堂の階段手すりのデザインは一緒だった。改修前からそうだったように記憶する。大阪市の橋梁写真集にもこの欄干の写真があったような気がする。
ついでに西天満の煉瓦壁にも寄っていった。以前訪れた時はその前に建つ建物のひとつが取り壊されていたせいで比較的広い範囲を観察することができたが、今はその歯抜けに新店舗ができたようで、同じものを見ることができず。そのかわりブロック端近くの駐車場で半分に断たれた煉瓦壁を見ることができ、そこに日本煉瓦と岸和田煉瓦の刻印を確認することができた。岸和田煉瓦は機械成形、米式切断機によるもので、刻印は飾磨港の工場壁に見られるアレと同じ線状の十字であった。