nagajisの日不定記。
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船坂トンネルが思いの外長くなっている。起をスカスカにぶっ飛ばして、三石に着いた所からを書き始めて3/5くらい行った所で30000に達する勢い。それで船坂トンネル内部にも至っていないんだ。諦めて前編後編にするか……(一気に書き上げる気力がないというより書いておかなければならないことが多すぎて途方に暮れている。ここで無理に書き上げたらそれこそスカスカなのになってしまうと思う)。
工学会誌と隧道工事編の解説、 山陽鉄道のこと、日本土木会社、三石と耐火煉瓦。現時点でまともに進んでいるのは最後の一つだけ。バックグラウンドに力を入れても……と思わないでもないけれど、今回の探索は重箱の隅を突くような瑣末事なので書いとかないと伝わらないという強迫観念じみたものがある。紀行文だから沿道描写だけでいいというわけじゃないのは司馬さんの「街道をゆく」が例証してくれているから悪く真似てみよう。あんだけ自由に書けたらどんなに気持ちいいだろうといつも思う。
日本土木会社については最新の研究成果があるようなので今度取りに行くつもりでいる。この会社のことはもっと追求されていいと思うんだけど大成建設の社史に書かれていることくらいしか知られていない。しかも結構不十分らしいし、一覧にない「作品」も多数ある。亀の瀬の辺りとか、対馬要塞とか。京都鉄道の保津峡区間も手がけようとしてたりしたらしいが着工前に解散している。船坂トンネルは山陽鉄道のところに混ぜ込まれてあるかも知れないが、単体工事としては珍しく詳しくわかっている例で貴重かも知れない。
鉄道構造物の個性は、それを計画した鉄道会社によるのか、それとも請け負った会社(組)によるのか、わかりそうでよくわからない。例えば初代船坂のポータルと旧長野隧道のはよく似ているが多分無関係。京都鉄道のトンネルは冠山トンネルと全然違う。同じ鹿島組の系統なのに。山陽鉄道で山陽型が採用された理由の根源が、日本土木から引き抜いた技術者によるものなのか南清・速水太郎ラインなのか、それとも会社とは無関係で、そんな煉瓦を製造し売り込んだ会社があったのか。とにかく一筋縄ではいかない。わかったらかなり面白いと思うんだけどなあ。