nagajisの日不定記。
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八時三十分服製検査すみ、二年の宮田さんと共に外出を為す。徒歩にて行き、先ず武徳殿に行きて剣術の試合を見学す。それより階行社へ行きてパンを食い、ソーダ水と「ハヤシライス」をも食う。十一時三十分より、ニュース館にて「美の祭典」を見る。あまり面白か〔ら〕ざりき。復りは電車にて復る。それからは〔其後〕集会所にて本を読む。夕食後軍歌演習を行う。 〔nagajis:階行社→偕行社〕
昨日歩きて驚きたる事は、道路は幹〔乾〕燥しきっているに、どぶ川は満々として流れていることなりき。早く雨降りて塵よなくなれと思っていたり。然るに今日の雨亦幸ならずや。疲れ未だ治らずぼう然とす。独乙語は変更あるを知らざりし故自習となる。
午後は剣術・自習・柔道あり。柔道の際はもゝをひどく打ち痛む。
夜に雨降りたる模様なり。午前及び十五時頃までは既に30°を越し風だになかりき。後雲起りて涼しさを増す。午前頗る倦怠なりき。坐るにも困しき時なりき。午後は工作にて分解・組立を行う。愛校作業→台上服装検査場所 涼しくなりより元気も生じ明日よりは元気に課業に臨めることを思いたり。元気然して努力を望む。暑さに負けるなとの御注意あり。
仕事が遅すぎ。メール数通とCD発送×4(CD-R8枚)と掲載誌発送に10時間もかけんなボケナス>nagajis。そうして肝心の作業は終わっていない。
TUKA氏の過去記事に追加写真。ちょっと取り掛かるのが遅すぎたかも知れない。飯坂は本日公開。あ、MD5修正しとかないと。50号の煽りも入れてみた。稟議中。
追記:やっぱり3カ月オーバーは反応が辛いな。しかしここでメゲていたら更新の余地がなくなる。買って下さっていた方も大事にしたいが、今後の購入者により詳しい情報を提供する事、執筆者の要望に沿うこともひとつの役目と思う。修正対象は大きな間違いというわけではない。「日本近代の架空索道」で中野白土索道と湯野電気索道の詳細がわかったので追記しようというもの(索道の廃止時期に昭和→大正の訂正があるが)だ。
だいいち修正ページを自由にDLできるようにするんじゃなかったっけか>nagajis(手順を忘れてるなあ・・・)。近日中に対処します。購読期限過ぎてる方はしばしお待ちいただきたい、と個人的に書いておく。いまMLに投げたばかりで部の承諾をもらってないもの。
詳細は明日追って。5/2に宮川ダム側から本線にアプローチ、翌日不動谷支線、5/3生きていれば周辺を、といった感じになる。考えてみればこの間ほぼ大杉谷に入りっぱなしで、携帯があっても連絡がつかないかも知れない・・・。あと、かなりハードになりそう。
質感や宛名面の書式から外国の絵葉書と察せられる.鉄道もしくは道路の建設現場らしい.山を削って道を通している.その下に暗渠のようなものを作っている.煉瓦数枚巻+切石のいかにも頑丈そうな暗渠だ.
暗渠の前にセントルが転がしてある.これがいちばん興味深い.セントルという言葉はcenterから来たもので,近代技術とともに日本にもたらされたものだが,その構造が日本で普及したものと異なっている.
日本の場合はかまぼこ状の木枠(これを特にセントルという)の上に角材(上木)を渡すだけで固定はしない.煉瓦や石を積み終えたらバラバラに外して移動させる(セントルの下に楔が挿してあって,これを抜くと下にずれるので,迫りの力が解放されてバラバラにすることができる).絵葉書に写っているのはすべて一体となったセグメントタイプ.こちらのほうが丈夫だし,セントルが倒れるような事故も起こらないだろうが,狭い空間の中で作業することを考えると取り扱いが面倒なようにも思える.
日本に来てから独自の発展をしたのかも知れない.外国から輸入された技術なのに「下げ猫」なんていう純和風な名前のついた部材があることだし.あれを「猫」と呼ぶ感覚は,一輪の手押し車をネコと呼ぶのにも通じる味わい深さがある.
なかなか器用な構造の木橋.中央の長いスパンを支えるためにワイヤーで張り上げてある.逆吊り橋とでも言えばいいのか.こういう発想の橋はなかったわけではなく,例えば生野の鋳鉄橋と同時期・同路線に似たような構造のアーチ橋があったらしい.短いアーチ橋の下がT字型になっていて,それをワイヤーで引っ張りあげて補強したものがあったという.
どうやって作ったのか想像すると面白い.岸側の大きな構造はこれだけで自立してそうだから,ここを作ってからワイヤーを渡して,別の場所で作った中央スパン(T字の骨格だけ)を引っ張ってきて載せたんだろうか.実は蝶番みたいなのがついていて,桁を渡したあとにぱたんと立てたとか.
後から補強してこうなったのではないんじゃないかと思う.T字の縦棒に相当する部材を後から取り付けるのは難しそうだ.いや,この縦棒全体を作っておいて,川辺から持ち上げていけばできるか.
あゝ、私のぱらいそはこんなところにあつたのだ。阿弥陀町南池にて。
K1。
K4。
K5。
K6。大正煉瓦の「大」もある。
K7。
(推)山陽窯業「山」。副印「エ」つき。
初見の「H」。原田か。原田なのか。播磨煉瓦でも可。
「ワ」田煉瓦。
そしてこれも初見の刻印。カネマル。実は山陽伊保駅近くの民家で見た直後の二個目であった。どちらも機械整形に押されていたのが意味深。
他にもよくわからぬ刻印が一つあった気がする。それが関野▲であったような気が今頃になってしている。
あった!えらいぞおれ! 大正10年に関野与平が商標取得したさんカッケー。
阿弥陀と曽根の煉瓦工場がほぼ全揃ってるのは衝撃だ。それに加えて9割以上が焼損煉瓦なのが興味を深くする。阿弥陀にはもう一箇所焼損煉瓦を敷き詰めた庭がある(こちらには伊藤窯業の「イ」がある)。各工場から焼損煉瓦ばかり買い集めて売っていた店でもあったのか、それとも焼損煉瓦を集めて使う流行が阿弥陀にはあったのか。
以上に播州煉瓦合同の「ヲ」がないことに注目せねばならない。山陽窯業はT14まで。和田煉瓦はT8から。 Hは播磨(T6〜S3)。関野の商標はT10。仮にこれが一時に作られたとしたら、T8〜T14の間ということになる。となるとKnもその範囲になってしまう。樫野の出資で播煉ができるよりも前からKnがあったとしたら、仮説はどうなる?
カネマルはもう少し東のほうか。加古川煉瓦とか土山煉瓦とか。このエリアで唯一原動機を導入していたのは土山煉瓦。短命に終わっているが。
案の定電話はかかってこなかった。つつくか・・・
↑多分もういちどTELしてほしいと思っていることに気づいてないんじゃないか。最初のTELでは台帳上の竣工年を尋ねただけで、その折り返しTELにも一つ質問を乗っけたからなぁ。
そうして鳴門要塞にも触手を伸ばし始める今頃。ある程度確認してから注文できるようになったのは有り難いな。
旧橋の原稿を書き始めていたのに固まって再起動を余儀なくされた。鞍馬寺を嗤った罰であろうか。
ボトルシップ展示じゃあ机がいるだろうが。何も全部持っていかなくても。
以上2件の腹いせに下記を書く。
昭和11年に行なった8ヶ月におよぶ欧米視察の結果を日本土木学会第75回講演会で発表したもの。
パリ。セーヌ川の橋梁は古い形式のものが多く、自分たち近代の橋梁技術者の参考になるものはなかったけれども、重厚な石アーチ、過度にも見える装飾がいかにも環境に合致していて相応しく感じた。それが地方的な特色。川と橋と街との総合的の美観を問題にしなければならないと痛切に感じ、もし掛け替えるなら、橋が実用的な構造物である以上、古い物の持っている欠点を取り除き、近代の合理的取扱の元にこの街の風格に調和した橋を架けねばならないと。
イギリスの橋は「まだ少し洗練さが足りない様に見受け」られた。1932年にでき、地元技術者が自慢したランベス橋も「垢抜けのした感じは得られなかった」。1928年竣工のジョージ五世橋、鉄筋コンクリートの連続桁橋も、架構に苦心の跡が見られたけれども外観からは「全く不格好な石のアーチという感じしか受けなかった」。曲線は美しいという、迷信的な概念に捉われた古い昔の臭みが謂われなく主張されているのではないか、という風を英国ではどこでも受けた。
ドイツ、アメリカでは目を見晴らされるものに出会った。「”簡単”にものを取扱って行く、殊に力の働く工合を構造の上にはっきり現わすように努めている」ようだった。構造を非常に簡明にして合理的に取扱っていく。アーリントンメモリアル橋などはダブルリーフのバスキュールスパンがアプローチのコンクリートアーチのスパンと似せて作られていて、しかも不愉快な印象を与えないことに感心した。
そこで私は最後の結論と致しまして、最近に於ける欧米の橋梁に現れて居る傾向、古い物の残り滓ではなく、新しく之から発展して行こうという風な性質を一言にして申しますと、非常に洗練された単純さというものを覘(ねら)って居るのではないかと思われたのであります。此の事柄は橋梁の形態の取扱のみならず、近頃色々の方面、建築は勿論でありますが、他の色々のデザインの方面に向っても同じ事柄が割合に広く主張されて居るように思われるのであります。橋梁は勿論実用的の構造物であります。其の生命とするところは之に要求されて居る機能を満足に発揮しなければならぬ、そして之を最も明快にして適切な形態で以て、而も最も経済的に之を処理しなければならぬということが最も肝腎な態度ではなかろうかと考えて居るのでありますが、其の明快にして適切な形態とう事柄を言葉を換えて申せば、合理的に取扱われ、或は合目的々に取扱うということになって現れては参りますが、そういう事柄も要は非常に洗練された単純さを覘って居るところにあるのではないかと思うのであります。橋梁の美観と申しますと少し大袈裟でありますが、よく問題になるのが外観であります。英国で見たように古い概念に捉われて構造物の性質を偽る或は隠すというようなことは間違であって、どうしても合理的な形が或る与えられた条件から創造せられるという時に、昔から有り来りの概念に依って創造すべき形を真似なければならぬという風なことは、最早今日真面目な意味に於て橋梁としての美観が云々せられるときには、当然そういう概念は退却しなあければならぬということになるのではないかと思うのであります。勿論美観と申しますと人々に依って結論が違って来るのでありますが、合理的なものを真面目に整然と整頓して行こうというところから茲に新しい美が創造せられるというふうに考えて行きたいと思うのであります。英国では先程申上げましたように、折角技術の発展から創作的な所をやらなければならぬという場合に於いても古い概念に依って引込み思案になって居るという感じを深く感ぜさせられる実例に遭遇したのでありますが、今日の独逸或は亜米利加の一部に於ては全然そういうことなしに、全く明快適切に構造物の持って居る性質を少しも偽らず隠さずに、気持好く整頓して行くというような傾向が多分に見受けられたのであります。此の洗練された単純さという言葉をもう少し説明させて戴きたいのでありますが、私勝手の意見でありますが、洗練と申しますと、必要のエッセンスが非常に巧妙なる整頓に置かれて居る、一つの構造系に向ってどこかに重心がある、重心が失われていない、そして整然たる調和統制のあることである。之を私は洗練と考えて居るのであります。そうすれば自ら其の構造物には一貫した或る品格が出て来るのではないかと考えるのであります。此の一貫した一つの品格というものが真面目な意味に於て本当の実用的な橋梁という構造物に対する美観ではなかろうかと思うのであります。そういう風に考えて居る私の目にドイツのアウトバーンなどに使われて居りましたああいう橋を見た時に実に心嬉しく感ぜられたのであります。此の洗練された単純さというものは決して橋梁の形を取扱うということばかりでなしに、色々ものの取扱方或は考え方に於て肝腎な主張ではないかと考えて居ります。之は昔から主張されて来たような法則的、形式的な考えではなく、あらゆる方面に向っても最も適切な本当に生きた主張ではないかと思うのであります。
ここでも力学的な均整的な話が出てくる。加えてシンプルであることと、構造・素材のあるべき姿?との一致と。単純・明快・軽快が最先端の橋梁の美と。
都市計画事業橋梁でも堀はその方向を向いていたらしい。大江橋とか土佐堀橋とかどう見てたんだろうなぁ。難波橋が先にあったこととか周辺建物との調和を優先したんだろうか。しかしそうした周辺建物は次々となくなって単明軽な現代建築に囲まれるようになり、かえって浮いた存在になりつつある(完全に浮ききってないとことろが非凡かも知れぬ。難波橋はいろいろと問題噴出したので及第点すら覚束ない)。天満橋の直線形であったり天神橋の軽快な鉄骨アーチのほうがかえって似つかわしい都市になっている。結果的には堀に先見の明があったといえそうな気がする。それとも都市がこれほど急激に変化するのだと見抜けというほうが酷だろうか。
久しぶりに堀威夫「世界の橋」を見て、やっぱりシビれるなと再確認。こういう写真を撮りたいもんだ。