nagajisの日不定記。
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あゝ、私のぱらいそはこんなところにあつたのだ。阿弥陀町南池にて。
K1。
K4。
K5。
K6。大正煉瓦の「大」もある。
K7。
(推)山陽窯業「山」。副印「エ」つき。
初見の「H」。原田か。原田なのか。播磨煉瓦でも可。
「ワ」田煉瓦。
そしてこれも初見の刻印。カネマル。実は山陽伊保駅近くの民家で見た直後の二個目であった。どちらも機械整形に押されていたのが意味深。
他にもよくわからぬ刻印が一つあった気がする。それが関野▲であったような気が今頃になってしている。
あった!えらいぞおれ! 大正10年に関野与平が商標取得したさんカッケー。
阿弥陀と曽根の煉瓦工場がほぼ全揃ってるのは衝撃だ。それに加えて9割以上が焼損煉瓦なのが興味を深くする。阿弥陀にはもう一箇所焼損煉瓦を敷き詰めた庭がある(こちらには伊藤窯業の「イ」がある)。各工場から焼損煉瓦ばかり買い集めて売っていた店でもあったのか、それとも焼損煉瓦を集めて使う流行が阿弥陀にはあったのか。
以上に播州煉瓦合同の「ヲ」がないことに注目せねばならない。山陽窯業はT14まで。和田煉瓦はT8から。 Hは播磨(T6〜S3)。関野の商標はT10。仮にこれが一時に作られたとしたら、T8〜T14の間ということになる。となるとKnもその範囲になってしまう。樫野の出資で播煉ができるよりも前からKnがあったとしたら、仮説はどうなる?
カネマルはもう少し東のほうか。加古川煉瓦とか土山煉瓦とか。このエリアで唯一原動機を導入していたのは土山煉瓦。短命に終わっているが。