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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-04-26 この日を編集

[陸幼日記]四月二十六日 土曜日 晴

今日は寝室掃除なりし為、勅諭まで恒より動作を早目に行い、寝室を帚〔手偏追記〕き、而る後床を拭く。一時限目の漢文の際、思いがけなくも考査あり。十三時より、十五時まで、整頓棚・机上・剣の手入を行い、而〔然〕る後、之〔此〕の検査あり。以後十六時まで随意な力。随意運動は脚痛かりき〔し〕為、行はなか〔ざ〕りき。そして〔其の代り〕洗濯を行う。夕食後は直に集会所に行きて本を読む。而して二十時十五分帰る。中々面白かりき。


1942-04-26 この日を編集

[陸幼日記]四月二十六日 日曜日 晴

鍛錬の一日なりき。即ち、

 五時半起床す。九時半当地を出達す。  大津着十二時前→大津にては日吉神社参拝し、つゝじを見学す。
 十四時四十五分発にて帰る。龍田口より徒歩にて十六時十五分帰校す。
 宮田・西井さんは大津より自転車にて毛布を積み帰られたり。
 何と愉快なる露営なるか。再び企図せん。

自習時間は疲れ・睡〔朱訂正〕眠不足にて意識濛朧として何も不明なりき。


1943-04-26 この日を編集

[陸幼日記]四月二十六日 月 快晴

非常に暑くなり是より寒くならざるを思う。午前の学科は実にぼんやりしていたり。陽気なる故か眼が疲れてとじんとし、全身だるく、何を習うも一つも頭に残らざる日なりき。代数考査あり。術科は相当緊張し特に柔道はかかる時に傷つくものなれば万全の注意の下に行いたり。体操は三八銃にて発進・停止を行う。今日は特に体操を行うを許されて、初に鉄棒をなしついで三年四人対一年二十人にて籠球を行い汗だらけになりたり。然し乍ら終日を考うるに捲〔倦〕怠なる故何も出来得ず良好なる日ならず。


2007-04-26 [ToDo]遅延報告。。。 この日を編集

[ToDo] アンケート

 お、王様は出来てるんだ...アルゴリズムも今日出来た...あとは内容の確認...本当だ...信じてくれ...

[ToDo] 協賛リンク

もやらなきゃならねえ...本当だ...信じてくれ...

[ToDo] サイトの刷新

もやりてえんだ...本当だ...信じてくれ...

[独言]

という煮詰まった状況を楽しんでいるだけじゃないのかと小一時間。証拠もないのに誰が信じるものか。真面目にやれ>nagajis

アンケートを少しでも面白くしたいと思うのは毎回聞くことがワンパターンになっている現状、回答する方にちょっとでも楽しんでもらいからなのだが。決して遊んでいる訳じゃないのです。発行直後にアンケートを実施しても回答数にほとんど差がなかった過去もあるし。聞くことをワンパターンにしなければいいのではあるけれど、それもありきたりだからな。

すべての声に答えることは不可能。なのに出来ないことを聞いても回答者の答え損なんじゃあるまいかといつも思う。もしかしてそれは逃げなのか。すべての声に答えれば良い、が答えか。

などと、書くとどうしても言い訳がましくなってしまうアンケート。もうしばらくお待ちくだせぇ。あと、必ずしも王様が出て来るとは限らないです。nagajisが勝手に盛り上がってるだけなので。残り間は明日、明日には仕上げるッ!

[ORJ] 次号の原稿

スクリプトに触れられない時間帯には原稿をしこしこ書き溜めている(何かやらしいな)。次号、自分の原稿については

  • 近世以前土木構造物調査について(まとめ)
  • 旧橋寄稿×2
  • TRDB(恐らく拙サイトで報告済みのものを焼き直したもの)
  • 喪われた〜
  • 明治隧道project@大阪府

がテキストupあるいは着手済み(TRDBはネタさえあればの世界)。「喪われた〜」のために取っておいたコピーが見当たらない...また神戸市立図書館に行かなあかんかも知らん。無駄が多いぜ...

それから次号は寄稿が一つあるかも。先日メールをいただいて「ぜひお送りください」メールを送ったのだがその返事が...俺が送り間違えたのかなあ...催促するのも何だか気が引けるし...何かメール始めたてのおじいちゃんみたようなこと言ってるな>おれ

廃道を読むは相変わらずネタ未決。廃道の法的位置付けのこと、廃道(登山道)における事故のことなどやってみたいとは思っているけれども、バックグラウンドとなる知識が絶対的に不足している。最近自分のなかで再燃しつつある村田鶴のことなども同様。そもそもなくていい企画になって久しいしな。第一生半可な知識で知ったようなことを書くことが辛くなってきた。本当に正しいことを書いているのか、いつも半信半疑で書いているこの頃。で、毎回毎回冒頭に言い訳が入るんだよなあ。見苦しいこと限り無し。

もう一つ書いていて嫌になるのは、廃道を読む用に書いた原稿を縦書きにするとさらに読みにくくなるということ。自分の書いた原稿を流し読みすることすらできなかったほどで、流し込んだあとに散々手を入れてあれなのであり、元はもっとひどいのです。無駄な装飾を省いてきちんと5W1Hを抑えて書かないと、とは思うけどそれじゃあ新聞になっちゃうしな。段組のせいにするのは卑怯だろう。

ん。近代以前土木遺産の件を「廃道を読む」でやるっていう手もあるな。第一回みたいに。

[近世以前土木] 最古の道標?

 先日図書館で見つけた本に「現存する紀年銘入りの道標は三重県鳥羽市朝熊山の麓にある寛文ナントカ年の道標」といったことが書かれていた。その出典まではわからない(うえにココもうろ覚えで書いている)が、確かに今作っているリストでも江戸時代のものがせいぜい。その辺りまでしか遡れないことがちょっと意外だった。もう少し古いものがあっても不思議じゃないような・・・。ただし町石については能勢に応永18(1411)年の銘のあるものが残っているし、高野山にも鎌倉時代頃の古いものが残っていたはず。

 

[奇妙なポテンシャル] #4

「揚げ足取り」という言葉がある。舌足らずな説明や言い間違いをあげつらうこと(あげつらう、というのがうまく軟化できないな...力不足)。ネットではよく見られる(あるいは見られるように感じてしまう)事象。コミュニケーションの媒体を文字という固定されたものに頼らなければならないネットの宿命だろうと思うし、かくいう私も揚げ足を取られないよう戦々恐々としている毎日である。

しかしよく考えてみれば、挙げたほうの足を取られてもそう困らないのではないか。むしろ足を挙げるためにふん張っているほうの足をすくわれる方が危険なのではないのか。ならば厳密には「揚げてない足取り」とでも言うべきではないのか。

「揚げ足取り」という言葉は相撲から来たものだろうか、とも思う。確かに土俵を背にしたほうが負けなルールの相撲では挙げた足を取られることは致命的だ。しかしダメージの大きさから言えば揚げてない足取りのほうがはるかに大きい。何しろセルフブレーンバスター状態だ。下手をすれば死に至る。殺伐たるwebの世界では、従って、「揚げてない足取り」のほうが相応しく感じるのだがいかがだろう。

とはいえ、ひょっとしたら「たらい廻しにされる」の成句と同様に、実は挙げていないほうの足をすくうことを「揚げ足取り」と言うのかも知れない。「たらい廻しにされる」の「たらい廻し」とはあおむけになった足の上でたらいを廻す曲芸を指すという。足でたらいをくるくる廻す座敷芸だ。だから「たらい廻し『に』される」というのは厳密ではなく、限りなく厳に言えば「たらい廻しされる」もしくは「たらい廻しのたらいにされる」あるいは「たらいにされる」と言うべき所。しかし一般通念としては「たらい廻しにされる」という言葉によって窓口・係を点点とさせられるあの状況を指すし誰もがそれを理解する。これと同様に「揚げ足取り」に揚げていない足取り的意味が込められているのかも知れない。実は暗黙の了解が潜んでいるかも知れない言葉・揚げ足取り。文化的な言葉である。


2008-04-26 作業報告 この日を編集

[独言] 半独言

昨晩報告を書いたあと全く眠れなくなり、かといって文書を書くほど頭が冴えないので、ダウンロードページ作成ツールを改良した。恩恵を受けるのは全くnagajis一人だけなので申し訳ないのだが、これ以上ないという位に徹底的に改良することに成功した。

いちばん大きいのはDLページのindex.php、表示させるメーッセージの差し換え機能。お知らせ表示方法を変えるとなると過去号全部を差し換えなければならないわけだが、そうするといちいちFTP接続してディレクトリたどってUPして戻ってしなければならず、これが結構面倒だ。なのでスクリプトで一発コピーできるようにした。これで緊急時にも速攻で対応できる。

かなり負荷をかけていたはずのMD5作成もスマートなものに。実は毎書き込みごとにサム作成してた。慌てて突っ込んだからなー前回。

ダウンロードページの基礎データからアンケート基礎データを作成することにも成功。ただしモジュール版phpなので100%自動化とはいかない。作っておいてDLしてUPし直して、みたいなことをしなければならない。それでも発行前の貴重な時間が30分から1時間位は節約できることだろう。

[ORJ] 真の作業報告

プチ濃の初校up。マジ書き地図まで終わらせる。デザインがいまいちなので何とかしないと。特に章扉。

[奇妙なポテンシャル] #45

奇妙なポテンシャルについての考察というよりも青春時代の追憶といったほうがいい。かつて大阪にはメタル食品のインドカレーというカレーメーカー及びブランドが存在した。食品メーカーの名前とは思えないようなメーカー名ではあるが大阪にお住まいの諸兄にはよく知られた名前であろうと思われる。事実メタル食品はカレールー製造の濫觴でありその前身となる企業は大正年間に創業したという話も聞き及んでいる。ともかくもそのカレールーメーカーのルーにまつわる話をしたい。

私とメタル食品のカレーとの出会いははかれこれ12年も前に遡る。私が2回生の時の新歓ラン、多田のダイエーでの買い出しにおいて何気なく手にしたのがその始まりであった。いわゆる新人歓迎サイクリングの、その日の夕食のための買い出しであって、まあこの新歓ランの異常な夕食についても激しく書き及びたいところではあるのだが、かなり煩雑になるため今回は割愛する。ともかくこの日は誰言うともなくカレーを作ることになって、いつのまにか買い出し担当になってしまった私は、カレーコーナーに居並ぶ有象無象のカレーの中から、メタル食品のインドカレーを選んでしまったのだった。

パッケージは大変シンプルであった。茶色と白のストライプの箱に、カレーの写真と、ひときわ太い黄色のゴシック体で「インドカレー」。これだけだ。たった41文字、約物込み46文字で描写し尽くせてしまえる、そんなパッケージ。購買意欲なり食欲なりをそそるようなデザインでは決してない。(これが当時のパッケージのはず。ネットの力侮り難し)

にもかかわらず、私はこのカレールーに引き付けられた。うまそうとか価格が安いとかいう低次元かつ原始的な共鳴によるものではない。そのパッケージに「何かが足りない」ことが気になって仕方なかったのだ。

「デザインはいかに無駄を削り落とすかだ」と誰かに教わったように思うのだが、そうやって削り落とされた結果の、完成型としての簡素なデザインパッケージだとは到底思えなかった。むしろそれが明後日の方向へ迷走していて、何かを足さなければ商品デザインとして成立し得ないのではないかと思わせるような、別の言葉で言い表わせば「隙」のようなものがこのカレールーのパッケージにはある。駝足(ダソク)だからといって駝鳥から足を取ってしまったようなもので、確かにそれは駝鳥には違いないのだろうが、そうだと認めさせる大事な何かが欠けているような気がする。

しかも嫌らしいことに、その隙を埋める「何か」がすぐにはわからない。何かを付け加えなければ落ち着かないのは解っているのだが、その加えるべき何かとは何か、が浮かんで来ないのだ。この箱をデザインしたデザイナー氏もその「何か」がわからず途中で放棄してしまったのではないかと思わせるほどに「『何か』が足りない」。ロシア語で言う所のчтоを見つけるか、それとも1から作り直すか、そんな二者択一を見る者に迫るパッケージ。

一体何が足りないのだろう。一班の夕食賄いという大儀を忘れ、私は考え続けた。気がついた時には私はそのルーを手にしてしげしげと眺めていた。あとで思い返せばこれほど尋常ならざる商品は世の中に存在しないだろうと思う。何しろ彼は「買ってくれ」とは一言も言っていないに関わらず、私はそれを手にしてしまったのだから。

そこへたまたま、主将のイワッキー氏が通りかかった。冷静にして頭脳明晰、しかも洒落が解る男。故にわが部の主将たり得たのであろうと思うが、それはともかく彼もまた、このカレールーに興味を示したようだった。そうしてパッケージを一瞥し、悔しいかな、その明晰なる頭脳をもってして一発でその「何か」を言い当ててしまったのだった。

「なあんか足りんと思ったらインド人の顔がないんや」

(続く)


2011-04-26 体調不良 この日を編集

なぜか体の節々が痛い.上腕筋が3時間煮込んだ胸肉のようになっている.動かすたびに軋んでアルペジオを奏でている.そして頭蓋の内側でバルサンを炊いたかのようなもやもや感.その煙が脂になって脳裏にべったり張り付いていて,全ての思考が白黒斑になっている.

兆候は昨晩からあった.咳がゴホゴホ出るのでヤな感じだなと思っていたが,それが寝ることによって改善されることはなく,かえって悪化してしまったという,いつものパターン.しかし熱があるようでもない.額に当てた掌はまるで死体を弄んでいるかのような冷たさだ.

心当たりがないわけではない.先日からほぼ一日中安治川をやっている.2.2/10に達したが脳みそを使い過ぎだ.昨夕は昨夕で298えんピザにアディッショナルチーズをかけて食ったが,これが腐っていた.ピザに載せたところで青カビが生えているのに気づいてしまったのだ.慌てて黴チーズを取り払ったが何とも言えぬ腐敗臭が抜けなかった.生体の排泄物か腐敗臭に近い,鼻腔に張り付いて離れない類の悪臭だ.その匂いもよくなかっただろうしそもそもいくつか黴チーズを食ったのかも知れない.こういう黴系にnagajisは弱い.

抗生物質が効かないのと関係あるのかも知れない.

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_ あきら@大阪 [強度のアルコールで消毒してみなよ。 勿論「呑む」ヤツですが・・・w]


2012-04-26 この日を編集

[独言] あんまり進まんかった

そのくせM44の工場一覧に手をつけてたことを思い出して続きをやってみたりなどしている.汎用性を持たせた設計にしておいてよかった.

安堵町,川西町,上牧町の辺りが非常に手薄,国中のほうがかえってよくわからない.旧添上郡の辺りとか.

てか次の自分の原稿どうするのかね.これといったアテがないままだ.

コピーを補完.土木百年の必要部分を5円コピーしようとしたら同一人物×2に占有されて1時間ほどコピーできなかった.こちらも量が多いので根気強く開くのを待っていた(といっても40枚くらいだったが).数が少ない時はコンビニで済ませたほうが精神衛生的にもよいようだ.

[絵葉書] 道:神奈川 戸塚大正間複線道路

画像の説明

表題のようなキャプションがついているが,馴染みがない場所なのでピンと来ない.わざわざ複線道路と書いてあるのも若干戸惑う.大きさの比較対象にできるものが写っていないのでとても狭い道に見える.何だか簡易舗装の林道のように思えてしまう.側溝幅はたぶん一尺だろう.とすると駒止の高さが50cm前後で,その三倍くらいが人の背丈と考えると,二車線ギリギリといったところだろうか.真ん中が黒く煤けているから二車線対向ではなくみんな真ん中を走っていったのだろう.

二車線舗装なんて今時珍しくもなんともなく,なんでこんな絵葉書を?と思ってしまうが,これが作られた当時は珍しく,絵葉書にしたら土産物になるだろうと思った人があったからこうして存在しているわけで,立派な道を有難がって写真に残しさえしたという「道に対する態度」がわかって面白い.

道そのものを題材にした絵葉書ってあんまり見ない.新道が新道だった頃に物珍しさも手伝ってそういう絵葉書が作られることがあったくらい.上の絵葉書もそうだろう(矢の川の絵葉書だって眺めがいいから絵葉書にしたんだろうし.道は二の次だ).もしくは街並みや名勝旧跡明媚な風光の一部として写っている程度.そちらのほうはあまり興味がない.

そういえば三重の赤岩隧道ってやつ売れちゃってたな.三重ではなく福井のはずと思っていたのだけれど.

[絵葉書] 雑:落書き

画像の説明

画像の説明

表はよく見かけるタイプの永代・清洲・吾妻橋の組み写真.それよりも表面の落書きが気になって採取しておいた.喫茶店で暇つぶしに書いたのだろうか,あまり熱が篭ってない雑な出来だ.「杯」が「材」になっていたり,角砂糖の近くに「¥10.00」と書いてあるので角砂糖1個10円かと思ってしまったりする(小数点下二桁というのが当世風か).

表に写っている橋々は大正末期から昭和初期にかけて作られたもの(永代橋大正15,清洲橋昭和3,吾妻橋昭和6).それからすると絵葉書も昭和一桁後半か10年代のものと思われるのだが,となるとコーヒー一杯10円というのはちょっと高すぎる.この頃コーヒー一杯は十数銭だった(「値段の明治大正昭和風俗史」上).もう少し遅くて戦後すぐくらいの落書きかも知れない.

裏面のスタンプは「日本青年館 □□記念」と読める.不明文字の一つはウ冠,二文字目は人偏の何かのよう.完成かと思ったがそうではないらしい.日本青年館(初代)は大正10年竣工というから,絵葉書の内容とも落書きともそぐわない.

あと,表面に「MADE IN WAKAYAMA」とあるのも気になる.隅田川の橋の絵葉書なのに和歌山で作られたのだろうか.切手を貼るスペースに「MANUFACTURED BY TAISHO」とあって,商標らしい鳩の絵も描かれている(どっかで見た気がするんだが…忘れた).軽くぐぐってみると日光や函館のとかのも作っているみたいで,各地の絵葉書を手がけた印刷業者だったのかも知れない.

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [へえ,国道1号かも知れないのですか.俄然興味が増してきました<現金]

_ さがの [これは、現在も残っています。松並木の横に新たに新道の下り線を作り、上下を別線にしたわけで、国道1号の現道です。現在は片側二車線に拡幅済みです。]

_ さがの [http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/htm/16-02.html 詳細は、「道路の改良」16-2 の、国道一号の戸塚部分をご参照ください。]


2016-04-26 この日を編集

[橋梁] 和歌山県統計書

昭和12年統計書

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1460684/304

特13号国道 延長1899m 橋梁長14m

大正10年 同様(間表記)

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/972927/250

奈良県の統計書は特別なんだな。ユカ橋の件を調べた時、橋梁数とか素材とか載ってて有りがたかったんだけど、和歌山県統計書には橋梁の素材どころか橋の数さえのってねえ。橋の延長がわかってもあんま嬉しくない。

[橋梁] 阿振川橋問題

教育委員会にTEL。一向に興味を持ってくれないのに苛立って文句を言ってしまった。あとで考えたらコレ以上迷惑な話はねえなあ。四日市軌道のあんしと同じや。かといって「私のかわりに調べちゃくれませんかねえ」とも言われへんしな。自分関わらなかったらおもんないやん。

こういう問い合わせは空振りに終わることが多い。そもそも「問い合わせ」の体を装った何か別のものになってしまう。こんなん見つけたんやで、すごいやろ、あんたら節穴眼やろと詰ってるようなもんだからな。その気分をきれいさっぱり取り除けて情報提供に専念するとかじゃないと話が妙な方向へ言ってしまう。正直申し訳ないと思う>受けてくださった方。だいいち最古のC橋梁と確定したわけでもねえんだ今の段階では。

和歌山県道路課。デジタル化されている現行の橋梁台帳では上部工下部工とも昭和42年となっているとのこと(え?42年?銘板は45年3月だったぜ?)。いずれにしても現行台帳に旧橋の竣工年とか載ってないだろうとは思う。由良の軍道の橋梁もS9とかS18とかになっているらしいし。前者は明らかに県道移管の年。それを考えると、和歌山県の道路台帳(旧)でも早くて大正9年の特13号指定以降か大正14年に除籍→移管までしか遡れないだろう。

古い台帳の行方について技術職の方に訪ねてくれることになっているが現時点では返事がない。望み薄。

画像の説明

Cアーチなのに橋台が石積みってのは意外と怪しいことなんぢゃないか。普通だったら橋台まで全部コンクリートでつくるんじゃね。道路課の方も橋台が石積みだといっていた。

あれ、大正9年に特13号国道になってるのに何で大正14年に県道移管・除籍申請しなきゃいかんかったんやろ、と思ってよく読んだら「国道路線トシテ国防地管理換ノ件ニテスミ」という付箋がついてたようだ。


2017-04-26 この日を編集

[] 鷹部屋福平「橋の美学」

改めてしっかり読んでみると、力学的な美と環境調和の美が橋の美のキモなのだと言いたいのだということがわかった。すでに言い古されていることだし昭和17年以前からもそう言われていたことだから特に目新しい感じはない。逆にそういう思想がこの頃定着してたということであって、それがわかったので満足した。

それよりも細部のことばが勉強になった。水平が弱く垂直が強い。ゴシックがゴシックたり得る理由があるわけだ。橋は基本的に水平だからそのままでは弱い。その弱さを補うために垂直を入れてもよし、弱さを繊細に転じて景観に溶け込ませるのもよし。三好橋には力強さではなく繊細さが優先されているようだ。

[] 屋名池誠著「横書き登場-日本語表記の近代-」

縦書メインの日本語にどうして横書きが現れたのか。右から左に向かって書く右書きとその逆の左書きとが存在するのはなぜか。そのへんを文献資料から丁寧に読み解いていく。

帯に「・右横書きとは、1行1字の縦書にすぎない(略)これらはいずれも正確なものではない」とあったのに刺激されて読み始めたのだが、右横書きが1行1字の縦書きとして始まったことは確かなようで、ただし「に過ぎない」わけではなく、そこが正確でないのだと知り、ちょっとほっとした。扁額のことで何度そう書いたかわからんからな。

p.22で要約されているように「横書きは---右横書きも、左横書きも---横書きする外国語の文字との関わりから生じたもの」であった。そうだろうとうすうす感じていたことだけれども種々証拠をあげて解説してくられているので説得力がある。幕末の異国趣味の文脈のなかで横書きが流行し一般庶民の間に広まっていったこと。医学書や理工学書の翻訳で英字と日本語を併記するようになり左横書きが生まれたこと。それが縦書の右から左に読む流れと反するので、一般庶民向けにはわざわざ右から左に書いたこと(切符とか紙幣とか)。後半はちと読み急いでしまったので頭に入ってない。どうして左書きが優勢になったのかはそのへんに書かれてあった。

縦書本文に横書きを交えること。ORJを作っていてキャプションの扱いに悩んだ時期があったことを思い出した。本文が縦書ならキャプションも縦書に揃えるべきかも知れないが、写真は横イチが多いから、そこに縦書を添えるとさらに横長くなってしまい体裁が悪い。本文縦書とキャプションの縦書が重なることにも違和感があった。フォントを変えたりQ数下げたりしてもやっぱり縦つながりが並ぶのは違和感がある。結局、文と写真+キャプションは別のもの扱いのつもりで横書きに統一した。だいいちキャプで長々書いたってしゃあないのだ。

画像の説明関連して思い出すのは「道路の改良」の古い号(写真は大正12年12月号)。本文縦書で写真キャプションは右横書きだ。安倍川橋架橋の記事に関東大震災の被害を伝える写真を挿し込んだもので、実は本文とは全く関係ない。初めて見た時には違和感バリバリだったけれども、縦書きの行移りの方向に合わせているのだとか、記事とは関係のない写真+キャプションなのだとか、雑誌の性格だとかを考えれば納得がいく。縦書きに左横書きを併用するスタイルは大正時代に生まれたものだそうで(それ以前は縦書きと右横書きの併用オンリー)、この例は置いて行かれようとする古いスタイルの残滓であったようだ。んで大正15-昭和11年ころは両者が混じって使われた混迷期に当たるという。同じ雑誌の中でも縦+右と縦+左が混在していた。「道路の改良」該当号では横書きはすべて右横書きだ。
画像の説明

[橋梁] 浜田青陵著『橋と塔』(岩波書店 大正15年)

土木学会図書館のデジタルアーカイブでもう一つ見つけた。

 鉄橋の発生は同時に橋梁の形式に一大変化を与えた。かの鉄造の構桁橋に見るが如き、複雑なる曲線と直線との結合になる一種の骸骨は、我々が従来未だ曾て想像しなかった、非常の重力に堪ふるものとなり、一見繊弱な感を与える外観と其の実際の性質とは全く矛盾するものとなった。鉄橋に対する審[ToDo][ph]美上の批評は主として此の方面の幻覚から起ったのであるが、我々は今や百年に近い経験からして、漸次此の矛盾の感から脱却して、一の新しい橋梁の形式を、其れ自身の成敗から批評し得るようになったと云うことが出来る。
 私自身は或る種の鉄造構桁橋や吊橋に於いて、新しい橋梁の美観を感得し、其の曲線と直線との結合の間に一種の「リズム」を発見し得ると信ずる。堅実重厚なる石造の拱橋などに於いて、若しも男性的の美を認めることが出来るならば軽快奔放なる鉄造橋に於いて女性的の美が現れ得るのである。彼を以て地上の美と賛するならば、是は或は空中の美と称するに足るかも知れない。又かの巴里のエッフェル塔(The Eiffel)に於いて、レナック(Reinach)氏が新しい「ゴシック」建築の精神を認めることが出来ると云った如く、私は鉄橋に於いて新しい「ゴシック」式の橋を見、或は第二十世紀に於いて完成せらるべき鉄材建築の新様式の美が此処にも其の一部を現していると云い得ると思う。(pp.52-54)

この時代にはまだ鉄の橋は華奢なものという印象があった。前段で石造・煉瓦造の拱橋を述べているから、その力強さに比すれば確かに「骸骨」と見得たかも知れぬ。

この次の節では景観との調和を説いている。著者にとってはそれが最大の審美点であったようだ。加えて河川路上での橋の調和も要[ToDo]とした。隅田川なら隅田川で、ある程度の統一感を守りつつ個々橋には変化を加えて架するのが良いと。ある橋の不調和で他の橋の価値を貶めるようことがあってはならないとも。隅田川の復興橋梁はその形式を統一するか否かで学会誌上でも論争になった。結局は鋼製という点のみ共通で形式は種々様々な橋が架けられる。その是非は築90年以上も現役で使われていることが答えを出しているだろう。大川の橋もよく持ってはいるが満身創痍だしなー。

我々の最も恐るる橋は、所謂「科学的の遊戯」によって作られた橋と、費用を節約した安物の橋である。」(p.59)

[独言] 美ってなんだ

高部屋は「均斉あるものの知覚によって生じる快感」と書いている。確かにそういうものかも知れぬが、対象に均斉を感じること、均斉と感じる形状?素性?は人間の勝手な判断に因るものでありはしないかと思ったりもする。黄金比が美しいのではなくて人間の身体が黄金比に近いから、人間が人間の身体を好ましく思うから美と感じているだけかも知らん。浜田も男性的な美、女性的な美という言葉を使った。

もし1:2:3の直方体の無機生命体がいたとしたら、その生命体にとっての美は1:2:3かそれに類似の四角であるかも知れぬ。不定形生物バチルスにはぐにゃぐにゃした渾沌が美かも知れぬ。自然の中に黄金比を見出しフィボナッチ数列を見出したとしてもその調和を調和と思わないかも知れぬ。自然と人間の身体に共通点があると発見した辺りからギリシア文明の美学が始まったのではなかったっけか。

力学的な美はちょっと毛色が違うかな。万物にあてはまる(あてはめることができる)法則なのだから万物に斉しく秩序を与える。雪にしなる竹は力学法則に従っているから美しいという。その視点には人間は介在しない。かといって竹にとっちゃ美でもなんでもないだろうけど。人間が勝手に美しい好ましいと思っているだけで。人間が快に思うことと不快に思うことの線引きだって人それぞれだ。最小の公約数を有難がっているばかり。疑おうと思えばいくらでも疑えそうで、しかし芯柱としての美はやっぱり普遍であり続けるのだった。


2018-04-26 この日を編集

[きたく][煉瓦][煉瓦工場] ふろむ まいばら

お馬が土器はボーナスタイム。まさかここで勢陽組に遭遇するとはお釈迦様でも知らぬ仏のお富さんえっさおー元気だな。(逢魔ケ時くらい一発変換してほしいぞ>スマホのGIM) 画像の説明

中川煉瓦で大変重要な情報を手に入れた。手整形煉瓦の裏に筋がある理由を教わったのだ。聞けば教えてもらえることだったのに、アホなほど遠回りしながら近寄っていって、あと一歩という所まで迫っていながら辿り着けなかったのは正直悔しい気持ちもあるけれども、聞かなきゃラストワンマイルは永久に埋まらなかっただろう。

教わったことが真実かどうかは確定し得ていないがかなり信憑性が高いように思うし検証のしようもある。なによりそうだとすれば「すべて」が一繋がりに繋がっていく(しかもそれが全て今年に入って気づいたこと!他の方のささやかなヒトコトがきっかけで判明したこと!)。近代とそれ以前、土木と建築と産業が、同じ感性のもとで同じ意図を以てして展開していたことに気付かされる。

そうなんだ。こういう失われた不文律を知りたいがために、煉瓦がどーたら裏筋がうんたらと時間を費やしてきたのだ。

機会を与えてくださったTさんSさん、中川さんにあらぬ方角から感謝を。 画像の説明

えっと「あらぬ方角」というのは本来の用件以外のところで収穫大だったことを指し示していてですね、なんだかこの機会を超私用に使ってしまった気がしてならないんですよええ。はたして自分、本来用途の用を果たしてきただろうか??? 言いたいことべらべら喋って帰ってきただけのような気もしないでもない。

5/1追記:後日電話で再取材を試みた結果、↑の件は自分の早とちりであったことが判明した。まったく困ったものである。恥を晒すために消さずに残しておく。まったく、あの感動を返せってんだ>nagajis。

[煉瓦刻印] 意外と難題の耐火煉瓦

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かわらミュージアムの近くの民家の庭に見かけた耐火煉瓦。一見品川白煉瓦の旧品かと思い、次にSHIRAKAWAと読んで品川白煉瓦の白河工場?と誤認し、いまやっと「ŌMISAKURAKAWA」と読めた。現東近江市に近江鉄道の桜川駅があり佐久良川がある(どちらも今はSAKURAGAWAみたいだけど)。この辺りには戦後に織田煉瓦製造(株)や八日市窯業特別共同作業所があった。織田煉瓦製造は品目が「赤レンガ」、後者は「煉瓦粘土瓦」となっているので後者がこの耐火煉瓦を作ったのかも知れない。だとするとこれも気になっていた工場の消息だったのだなあ。


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