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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-06-05 この日を編集

[陸幼日記]六月五日 木曜日 雨

代日(六月一日)休暇なりき。朝は特に忙がしく、午前中は野営中の訓育正手簿のまとめをなす。一週間授業を受けぬと全く忘るゝ事を知る。常日に於ても一日をなまけると人より下となる事を知ると共に、野営前の勉強法を一変し亦だらヾしたる動作をも一変して機敏なる行動に移ろうと思う。


1942-06-05 マダガスカル島・豪シドニー港戦況 この日を編集

[陸幼日記]六月五日 金曜日 晴

天気当に日本晴なり。診断十五時三十分より劇動級となる。術科・剣術・教練なりき。夕食後台上の切磋会を行う場所に棒を中心に半径五米の円を画きたる芝植をなす。
戦況ニュース
我が特殊潜航艇は五月三十一日未明阿弗利加の印度洋にあるマダガスカル島タマタヴ〔朱消線〕湾内に潜入、英戦艦クゥインエリザベス(三万一千トン)及び乙巡一隻撃沈〔破〕す。
同時〔日夜〕シドニー港に於て英戦〔軍〕艦一隻撃沈したり。


1943-06-05 山本五十六国葬 この日を編集

[陸幼日記]六月五日 土 曇

故山本五十六元帥国薨〔葬〕なり。十時四十五分一億国民揃って遥拝・黙頭をなし元帥を偲びたり。故元帥は東郷元帥のそれにも優る立派なる方にして特に航空に意を用いられ第一線の南洋に散られたり。誠に武人の最大栄誉となすところなり。然〔而〕して山本精神は永久に海軍魂として歴史に輝くことと思う。 七時半服装検査、代数考査あり。長き一週間に感ぜらる。午後狭窄射撃にして依〔托〕なりき。前回丙なる故がんばり甲となりぬ。流石嬉しかりき。二回共的より下に行く癖ありたり。夕食後は無為。不可なり。やるべし。健康状態最も良好なり。


2006-06-05 メモ この日を編集

Windows用ポストスクリプトプリンタドライバ

http://www.adobe.com/support/downloads/product.jsp?product=44&platform=Windows

PDFCreator with AFPL Ghostscript

http://prdownloads.sourceforge.net/pdfcreator/PDFCreator-0_9_1_AFPLGhostscript.exe?download

Scribus 1.3.3.2

http://prdownloads.sourceforge.net/scribus/scribus-1.3.3.2-win32-install.exe?download

AFPL Ghostscript 8.53

http://ghostscript.com/doc/AFPL/index.htm


2009-06-05 絶賛逃避中 この日を編集

[pdb] 泣きながら修正

要らんっちゃ要らんのだろうがroute.phpをねじ込んで公開することにした。泣きながら修正している。

tdbではroute.phpで作成>conf.phpで反映という手筈にしていたがこれを一体化した。ら、v=2.94では妙なエラーが出てpolyline描写ができない。泣く泣く2.50に戻した。

あと2、3大修正しなければならんのだが・・・こんなことしている時間があったら他のことをしろとお叱りを受けそうだ。

[Web] こっちもせにゃ

県別リスト作成。相当量の画像を読み込むから重いかも知れぬ。転送量は間違いなく増える。

すべてのフォルダにあるリストを読み込んでsplitしてgetimagesizeして都道府県分の配列作ってしているのはスマートじゃない。一覧リストを作る方向にしようかと思ったもののあまり変わらないような気もする。

クリッカブルマップにする案は・・・断念。香川県とか東京都とかクリックできないのよね(泣

[ORJ][web] 37号をクロール対象にする

販促の意味もこめて37号をクロールにかかるようにした(してみた)。実際にうまくいくかどうかは不明。Googleの場合は30MBまでならpdfを読んでくれるらしい。

ダウンロードページのタイトルと解説だけではなかなか上位に行かない。このページに他からリンクされていないのだから当然と言えば当然だ。もちっとORJの宣伝をしないことには廃道本の宣伝にもならないのじゃよぅ。

[pdb] とりあえず実装

edit.phpを読者専用にする実装だけしてコメントアウトした。効果がないことに気づいたからだ(爆

正直にいうとpdbをORJの宣伝に使おうという魂胆でいる。廃道⊆峠だから検索でかかる可能性としては峠の話題のほうが高いはずなのだよね。よってnagajisにしては珍しくmetaタグいっしょうけんめいつくってたりする。で、読者登録すると編集機能だとか設定だとかコメントだとかかが使えるとか、上のほうの邪魔〜ンな広告(ORJの広告)が消えるとか何とかしようかと目論んでおったわけだが、実際にやろうとしたら何だか無駄なことのように思えてきた。するんなら「コメント1投稿につきxポチント」「400ポチント溜まったら1号無料」とかしたほうがなんぼか役に立つ。誤字に深い意味はない。従って広告バナー一個入れるだけにした。

こんなところでじたばたしても仕方ないのよ。nagajisは要らない子なんだからッ。とかいいながらあとでこっそりアンコメントするかも知れぬが。

pdb/route.phpは予定の修正をほっぽりだして仕組み変更に時間を費やした。マップを動かすことでラインを引くのは一見直感的だが無駄に時間がかかる。ではなくてクリックでポチポチ線を引けるようにした。といってもmoveendをclickに変えただけなのだけど。あれ、こんなに汎用性を持たせて作ってたっけか。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ multi [いやーん、越後です、ウチ。]

_ nagajis [げ、また間違えてますね。修正しました・・・ (連休前にタグ打ったからなあ)]

_ iso [県別の一覧、いいですね。 「○○県方面に行こう…なにがあったっけな」と思ったときに便利そうです。 こうして見ると、すべて読んでるはずなのに、、、という記事があります。 そんだけの膨大な量があるとい..]


2010-06-05 この日を編集

[独言] よんだ!

時間が無いのでt/o。いつもすみません>かみさま

[独言] 過去号

何年も前の過去号を見ていると何だか哀しくなるな。哀しくなるようなものを作るな、という叱咤は甘んじて受ける。


2011-06-05 この日を編集

[独言][] 安治川隧道フォーエバー もしくは エンドレスアジトン

喉に刺さった小骨が取れたような思い、という比喩で書きだそうと思ったが最近そういうことも少なくなったようで今いちピンと来なかった。むしろ鼻毛の手入れをしたら長いやつが抜けたとか発行直後に1MB/sでORJがDLできたとかゆう比喩のほうがわかりやすいかも知れない。どちらも自分は味わったことのないスッキリだが。

画像の説明

安治川河底隧道の開通記念式のようすを写した写真があることは知っていて、あちこちで利用しもしていたが、その大元の出典が何なのかよくわかっていなかった。それがやっと判明した。朝日新聞昭和19年9月16日3面の記事だ。開通日がはっきりしてるんだから真っ先に当たってて然るべきだったろうが他用に紛れてて忘れてた。いろんな意味で順当な発見といえる。

記事文面。いくつかの示唆を含んでいる。

晴れの開通式挙行
竣工した安治川隧道

全国最初の河底隧道としてわが国土木工学界注目を集めていた大阪市第二次都市計画事業“安治川隧道”は十ヶ年の歳月と総経費六百余万円を投じてこのほど竣工、十五日午前九時から晴れの開通式を挙げた

坂間市長、中井、森下両助役以下関係局長、工事関係者ら百五十余名参列、斎主茨住吉北村社司によって修祓式が挙げられ、式後隧道北入口から此花区西九条校南入口から西区九条北、同中三校の男女学童五百名がニコゝゝ顔で通り初めをすれば、坂間市長も南岸から車輌用昇降機で自動車に乗ったまゝ初の通り抜けを行い

かくて長年の“源兵衛渡船”に代って北大阪と西大阪の工場地帯を八十メートルの河底で結ぶ同隧道は同日午後四時から重要な交通路として一般の利用が許された

〔朝日新聞昭和19年9月16日号 旧漢字かなを新字に変更、強調筆者〕

まず総経費。戦後の資料では工費約230万円とあるばかりで、土地代等も含む総費はわかっていなかった。それが600万円という膨大な額に上ったことがこの記事から知れる。戦前の600万円という額の目安を探してみると排水量5000トンの給油艦一隻がそれ位だったようだ(昭和14年)。もう一つ参考になるかよくわらない数字を掲げて煙に巻いておくと、昭和10年頃から工事が始められ、結局完成することのなかった新淀川橋(長690m・幅38m・南岸230mは3径間の自碇式吊橋(東京の清洲橋に似た構造)、その他はゲルバー式鋼鈑桁)の総工費が390万円と見積もられていた。淀川を渡る大橋よりも¥がかかったのだ。安治川隧道は。

学校児童が通り初めをしたというのも地味に見逃せない。橋や隧道の開通式では親子三代渡り初めのような“慣習”があったことはご存知の方も多いと思う。その旧慣を大阪市内の橋で初めて破り、大勢の児童が両たもとから渡り合うという新方式を採用したのは、昭和2年に開通した堂島大橋だったとされる(創元社『大阪の橋』)。して、堂島大橋を設計したのは堀威夫技師。後の橋梁課長、安治川河底隧道計画にも深く関与した人物である。

その式は長い慣習となっていた老人三組の渡初式を廃して、一滴の酒も用いず、小学校児童・幼稚園園児の代表として、中之島から五五〇人、上福島から六〇〇人の児童によって、市歌を唱え国旗を振りながら簡単に質素な渡初式を行い、渡り初めに一新機軸出した

〔『中之嶋誌』 文面は創元社『大阪の橋』より孫引き〕

前途茫洋の子供たちに渡り初めをさせて祝うという発想、しかも軍国主義に因って起こったものではないそれは、単に新機軸だという以上にヒューマニスティックで尊いもののように思える。それを安治川隧道でも踏襲したということ。なるほど確かに写真にはいがぐり頭の子供たちの姿が目立つ。その光景には確かな理由があったのだ。

画像の説明関連して思い出されるのが『工事書類綴』に綴じられていた葉書の件である。工事たけなわの昭和12年12月9日、工事現場付近で遊んでいた子供が倒壊した櫓の下敷きになって大怪我をした。そのことを難詰する投書−−−半ば脅迫まがいの−−−が書類に綴じられていた。局内で回覧した形跡さえあり、もちろん堀の印も押されていた。他の行政書類にあるよりも力のこもった鮮明な印影であったような記憶がある。上の渡り初め式のことを重ねてみれば「さもありなん」が見えて来やしないか。渡り初めの主役にするほど大事に思う子供が工事現場で怪我をしたのだ。いろんな思いが印に力を込めさせたのではないか。台紙の罫紙にではなく、葉書に直接押されていたのも意味のあることではなかったか。

毎日新聞にも開通式の記事があったが一段だけの小さな扱い。またそれぞれに開通式を行う旨の事前報がある。いわゆる大本営発表一色の紙面のなかでそこだけがほのかに希望の光を放っているように見えた。この時期にインフラ整備の話が載っているのは意外な気もするが、同日の記事に鉄道開通・復旧の報もあったりするので、昭和19年秋時点ではさほど喧しくなかったということなのかも知れない。実際安治川隧道は爆撃対象にはならず(工業地帯の空襲のとばっちりは受けたが)、キモの車載エレベーターは無傷のままで終戦を迎えた。

[奇妙なポテンシャル] #235

画像の説明

つまるところ不発に終わった探索の不発弾処理レポのようなもの。街で見かけたシロアリ駆除看板。ストーリー性があるものは珍しいのではないか。レアものではないか。と、無理に鼻息を荒くして消化に務める。

本題はブツそのものにあるのではない。奇ポテはストーリーを脳内再現している時に招来した。以下話をすすめるためにシロアリの役職を確認しておく。左から門番兵隊アリのジャック、女王のマリー、王様のジョージⅢ世である。

ジャック(以下ジ):「うぁあアリコロリ(仮称)が来たぞお!王様、女王様、逃げてください〜」

マリー(以下マ):「きゃーあなたー

ジョージⅢ世(以下Ⅲ):「大丈夫かお前〜逃げるぞ〜」

ジ:「うぁあアリコロリ(仮称)がかかったぁ〜もうだめだ〜しおしお〜」

下線のところ、正しくは何というべきなのかよくわからない。要するに女王様は王様のことを何と呼ぶのか。逆に王様は女王のことをなんというのか。式典や例祭の時はともかく普段は何と呼んでいたのだろうか。それが思い出せなかったがゆえに前記の如き陳腐なストーリーになってしまった。一生懸命是正しようしたが駄目だった。もともとストーリーテリングの才能なんてないと思っていたがさらに輪をかけてダメだと悟った。できればなんとかしたい。なんとかしたいがために歩きながら小一時間考え、「后よ!」とか「王よ!」とか名前で呼ぶとか考えてみたが、それもジャストでなさげなことが自明でなおさら悄気た。

仕方がないので奇ポテで消化することにし、書き始めたところで気づいた。そもそもシロアリには王様アリなど存在しない。いるのは女王アリ一匹と無数の下僕達だ。効くのかこの薬。そしてマとⅢの出番は永久にない。


2012-06-05 この日を編集

[独言] 土木学会関西支部はすばらしく、八郎橋は見つからない。

府立図書館に寄った帰り、ふと思いついて「橋梁工学の最近の諸問題」を見に行った。事前に電話するのが筋だろうと思い、電話して、OKをもらえたので行ってみると、なんとその本を貸していただけるという。何処の馬の骨かわからないような自分に。 有り難いことだ。大事に読まなければ。忘れずに返却しなければ。

掲載されていたトピックがどれも一度はしっかり知っておきたかったことばかりだったのも高ポイント 。高力ボルトの仕組みや理論を紹介した文章。曲線桁の設計法。全部理解できるとは思えないがいつかは理解してみたいと思っていたことばかりだ。

で、肝心の八郎橋がなぜか見つからず・・・。どういうことだ。巻末リストにあるんちゃうかったんけ?


2013-06-05 この日を編集

[][煉瓦] 片付けた―>散らかった

とりあえずまとめた。しかしブツのほうの収拾がつかなくなった。せっかく堺煉瓦石だと思ったのに機械整形の三本線が出てくるとは&写真取りそこねた。そのうえK9などという新バージョンも登場。どうしたものか。終わらない。


2016-06-05 この日を編集

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C07050386400?IS_STYLE=default&IS_LGC_S32=&IS_TAG_S32=&IS_KEY_S1=%E6%B7%B1%E5%B1%B1%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%A0%B2%E5%8F%B0&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KIND=SimpleSummary&

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C07050476600?IS_STYLE=default&IS_KIND=SimpleSummary&IS_TAG_S1=InfoD&IS_KEY_S1=%E6%B7%B1%E5%B1%B1%E7%AC%AC%E4%B8%80%E7%A0%B2%E5%8F%B0&IS_LGC_S32=&IS_TAG_S32=&


2026-06-05 この日を編集

[] 酒井一光論考集 建築学芸員のまなざし

大阪歴博の建築系学芸員だった酒井一光さんとは一度だけお目にかかったことがある。いつだったかはっきりとは思い出せないが、たぶんKINIASの見学会か発表会の時だったと思う。煉瓦刻印に興味を持ったばかりの頃で、自分以外の研究成果について何も知らないままに大阪府下工場の一覧を作ったりしてそのことを発表した時だったんじゃないか。もちろん酒井さんがタイルや煉瓦の研究をなさっていること(当時大阪では間違いなく第一人者であったはず)も知らなかった。そんな方の前で自慢げにいろいろ喋ったはずである。いま考えてみればまことに恥ずかしいことである。

発表の後で少しお話をした。確か大阪歴博に展示されていた〝YEGAWA〟銘の煉瓦や〝Sugimoto〟銘の煉瓦のことだったと思う。これが歴博にあるということをご存知でなかった様子で(歴博の職員なのに?)、それを驚いておられたことにこっちが驚いた覚えがある。えっ、そんなもんなんですか?!と。確か元は大阪市博物館?大阪市教育委員会?の所蔵品で、それが歴博に置かれているということの紐づけが、どこかで途切れてしまっていたようだった(該品は〝歴博所蔵品〟ではないと仰っていたのは間違いなく、ORJのどこかで引用したときも正しい方で書いていたはずだが、どこに書いたんだったか・・・)。 画像の説明

酒井さんが「煉瓦のまちタイルのまち」展示を企画されたことや、考古学ジャーナルの煉瓦特集に寄稿されていたりすること、そもそも大阪の近代建築についての造詣が深くて泉布観のことなども書かれていることを知ったのはその後のことである。煉瓦研究を深めれば深めるほど酒井さんの仕事に行き当たり、多くを学ばさせていただいたし、もし私の研究成果を喜んでくれる方があるとすれば酒井さんしかいないかも知れぬ、とも思っていた。もう一度お会いして見つけた煉瓦刻印の報告ができたら、とも思っていた。

けれども……。それが叶う前に病に罹られ、次に酒井さんの名前を目にしたときにはもうこの世にはおられなかった。2018年6月に亡くなられたという。何かの際に酒井さんの追悼記事を見つけてしまって茫然自失した覚えがある。

深く関わる機会もないまま去ってしまわれた酒井さん。特に面識があったわけでもないのに、自分が見つけた・気づいたことを共感してくれそうな人がいなくなったことが残念でならなかった。いまだに煉瓦の研究を続けているけれども、実は、酒井さんがなし得なかったことを不肖私めが代理で追求しているつもりなところがあったりする。託されたわけでもない仕事を勝手に引き継いでやっているつもりだったりする。その割にはまともな成果が出せていないけどね。

そんな酒井さんの追悼の意味で3冊の本が出されたこともつい最近知った。雑誌「大阪人」に連載された近代建築の記事を集成した『発掘 de OSAKA』、タイル建築の探訪記『タイル建築探訪』、そして各種媒体に掲載された報文を集めた『酒井一光論考集 建築学芸員のまなざし』。この順で発行され、2021年刊の『建築学芸員のまなざし』をつい最近入手して読んでいる。読んで改めて、多くの人に好かれた素敵な人だったのだなと思う。着眼点も読み解き方も(単に建築史の視点からだけでなく建物と人との関わりを多面的に説いてくださる)自分の考えに通じるところがあって、知らず知らずのうちに教えを受けていたのかも知れないと思ったことだった。

論考も解説も大変わかりやすく、よい書に出会ったと思う。ここに掲げられた論考を全部読もうと思ったらどれだけ面倒なことになるかわからない(掲載誌がバラバラなので)。しかし……非常に残念なことに誤字脱字が目立つ。おそらく掲載媒体のスキャン画像をOCRでテキスト化したものを使って編集したとお見受けする。OCR特有の誤字脱字が多いからだ(特に第一章、第二章)。あるいはpdf媒体からテキストを抽出して流し込んでいる。どう考えても不要なスペースが紛れ込んでいるのは改行テキストをコピーした時に紛れ込むやつだ。もちろんかなり校正されているはずだが元がOCRだったりpdfコピペだったりすると包蔵誤謬の量が多すぎで追いつかないことが多い(経験者談)。それを修正する作業で新たな誤字を引き起こしたりもする(経験者談)。まあ、この手の誤字脱字は文意を損なうものではないから、脳内補完で各自訂正しながら読めばよいのだろうけれど、一度誤謬に気づいてしまうと気になって仕方がなくなるし、せっかくの業績、せっかくの遺稿集に瑕疵があるように見えてしまうのが惜しまれてならない。

ゆえに勝手に正誤表を作ってみることにした。出典原典は当たれていないので出典からこの通りである可能性もあるが、その辺りのことは特に書かれていなかったので『まなざし』編集の際に紛れ込んだものと仮定しておく。「▲」をつけたものは酒井さんの意図した言葉遣いだったり引用文の原文ママである可能性があるもの。P14LL7の「成の高い窓」などはこれで正しいと思うけれど、それ以外はたぶん誤りと思われる。

P14LL 歪めない → 否めない
▲P18LL3 無隣庵 → 無鄰庵 (〝無隣庵〟でも間違いではないが https://murin-an.jp/about/characters/)
▲P19L7-8 適用性 → 適応性
P21L4 庭菌 → 庭園
P23LL2 地二<漢数字>移シ → 地ニ<カナ>移シ
P24L2 事跡二<漢数字> → 事跡ニ<カナ>
L7 尽カ<カナ> → 尽力<漢字>
P25L3 いたのでさる → いたのである
L11 平明計画図 → 平面計画図
図九キャプション 情報 → 上方
P27注(3) 「大阪の歴史」 → 『大阪の歴史』
同 『造幣寮金銀貨幣鋳造所の建築」 → 『造幣寮金銀貨幣鋳造所の建築』
P30注(30) 「明治天皇大阪行幸誌』 → 『明治天皇大阪行幸誌』
P33L8 蓄積が_ある アキ不要
P34L10 十一月_一日 アキ不要
P38L13 ありまし_た アキ不要
P39LL8 ほう_へ アキ不要
▲P40L1 白川宮廷 → 白川宮邸 (同文中では旧白川宮邸で統一されている)
P46L9,L13 頭二画オトシ → 一画オトシ
LL3 迄二<漢数字> → 迄ニ<カナ>
P48L4 不要な頭オトシ
L11 在籍かした → 在籍した
P51LL7 復元の実。務 → 復元の実務
P52注(2) 公文書館紀堂要 → 公文書館紀要
同 _坂城 → 大阪城
注(5) のの → の
注(7) 頭に〝『〟不足
P53注(13)L1 「大阪城誌』 → 『大阪城誌』
同L4 をに → を
▲P57L2 者の → ものの
▲同LL3 如きる → 如き(引用文中)
P60LL6 言ム様 → 言う様(引用文中)
P61L6 あったあのの → あったものの
LL8 あえて_鉄骨鉄筋 アキ不要
▲P62LL1 必鉄骨 → 必ず鉄骨(引用文中)
▲P64L9 標の如き雑木 標→栗の誤り?(引用文中)
P65L12 木造のぼうが → 木造のほうが
P68L10 伴ム → 伴う(P60LL6と同様の誤字)
P69L8 見たとしてる → 見たとしても
LL4 然る鹿児島神宮 → 然るに鹿島神宮(か?)(引用文中)
P70L4 すべさ点 → すべき点
P73注(3) 博物_館紀要 アキ不要
同 近代画說 → 近代画説(ここのみ旧字体になっている P52注(2)では新字体〝説〟)
注(5) 二八一二九頁 ページ数おかしい?
P75注(18)『錦城復興期」 → 『錦城復興記』
P78L2-3 総工賀 → 総工費
P83写真11キャプション 2階級師団長室 → 2階旧師団長室
P107L9 千土地 → 千島土地 P119L11 壁_面 アキ不要
LL1 入れ、子状に → 入れ子状に
P123LL2-1 A.レーモンド 〝.〟の位置(全角ピリオドに) 
P143LL1 一画オトシ不要
P168~ 「中村順平画「前橋八幡宮透視図」と実現した社殿について」全体 本文中〝欄〟の字だけフォントウェイトが違う?(わずかに太いように見える) ▲P199注(11) ここのみ出典発行年が和英
P2007行 北海道開堂 → 北海道開道
P212LL5,6 壕 → 塼
P233L5 嫌瓦 → 煉瓦
P237写真注釈 岸_和田煉瓦 アキ不要
P238表1 山陰形 → 山陽形
P246LL3 因徒 → 囚徒
P283LL4 取っ_ている アキ不要
P302写真キャプション 冒頭の「 → 『
P326LL2 建築の_形見 アキ不要
P342L3 1フロア の1を大文字(縦書き)に
P409LL12 頭一画落としすぎ


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