nagajisの日不定記。
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喉に刺さった小骨が取れたような思い、という比喩で書きだそうと思ったが最近そういうことも少なくなったようで今いちピンと来なかった。むしろ鼻毛の手入れをしたら長いやつが抜けたとか発行直後に1MB/sでORJがDLできたとかゆう比喩のほうがわかりやすいかも知れない。どちらも自分は味わったことのないスッキリだが。
安治川河底隧道の開通記念式のようすを写した写真があることは知っていて、あちこちで利用しもしていたが、その大元の出典が何なのかよくわかっていなかった。それがやっと判明した。朝日新聞昭和19年9月16日3面の記事だ。開通日がはっきりしてるんだから真っ先に当たってて然るべきだったろうが他用に紛れてて忘れてた。いろんな意味で順当な発見といえる。
記事文面。いくつかの示唆を含んでいる。
晴れの開通式挙行
竣工した安治川隧道全国最初の河底隧道としてわが国土木工学界注目を集めていた大阪市第二次都市計画事業“安治川隧道”は十ヶ年の歳月と総経費六百余万円を投じてこのほど竣工、十五日午前九時から晴れの開通式を挙げた
坂間市長、中井、森下両助役以下関係局長、工事関係者ら百五十余名参列、斎主茨住吉北村社司によって修祓式が挙げられ、式後隧道北入口から此花区西九条校南入口から西区九条北、同中三校の男女学童五百名がニコゝゝ顔で通り初めをすれば、坂間市長も南岸から車輌用昇降機で自動車に乗ったまゝ初の通り抜けを行い
かくて長年の“源兵衛渡船”に代って北大阪と西大阪の工場地帯を八十メートルの河底で結ぶ同隧道は同日午後四時から重要な交通路として一般の利用が許された
〔朝日新聞昭和19年9月16日号 旧漢字かなを新字に変更、強調筆者〕
まず総経費。戦後の資料では工費約230万円とあるばかりで、土地代等も含む総費はわかっていなかった。それが600万円という膨大な額に上ったことがこの記事から知れる。戦前の600万円という額の目安を探してみると排水量5000トンの給油艦一隻がそれ位だったようだ(昭和14年)。もう一つ参考になるかよくわらない数字を掲げて煙に巻いておくと、昭和10年頃から工事が始められ、結局完成することのなかった新淀川橋(長690m・幅38m・南岸230mは3径間の自碇式吊橋(東京の清洲橋に似た構造)、その他はゲルバー式鋼鈑桁)の総工費が390万円と見積もられていた。淀川を渡る大橋よりも¥がかかったのだ。安治川隧道は。
学校児童が通り初めをしたというのも地味に見逃せない。橋や隧道の開通式では親子三代渡り初めのような“慣習”があったことはご存知の方も多いと思う。その旧慣を大阪市内の橋で初めて破り、大勢の児童が両たもとから渡り合うという新方式を採用したのは、昭和2年に開通した堂島大橋だったとされる(創元社『大阪の橋』)。して、堂島大橋を設計したのは堀威夫技師。後の橋梁課長、安治川河底隧道計画にも深く関与した人物である。
その式は長い慣習となっていた老人三組の渡初式を廃して、一滴の酒も用いず、小学校児童・幼稚園園児の代表として、中之島から五五〇人、上福島から六〇〇人の児童によって、市歌を唱え国旗を振りながら簡単に質素な渡初式を行い、渡り初めに一新機軸出した
〔『中之嶋誌』 文面は創元社『大阪の橋』より孫引き〕
前途茫洋の子供たちに渡り初めをさせて祝うという発想、しかも軍国主義に因って起こったものではないそれは、単に新機軸だという以上にヒューマニスティックで尊いもののように思える。それを安治川隧道でも踏襲したということ。なるほど確かに写真にはいがぐり頭の子供たちの姿が目立つ。その光景には確かな理由があったのだ。
関連して思い出されるのが『工事書類綴』に綴じられていた葉書の件である。工事たけなわの昭和12年12月9日、工事現場付近で遊んでいた子供が倒壊した櫓の下敷きになって大怪我をした。そのことを難詰する投書−−−半ば脅迫まがいの−−−が書類に綴じられていた。局内で回覧した形跡さえあり、もちろん堀の印も押されていた。他の行政書類にあるよりも力のこもった鮮明な印影であったような記憶がある。上の渡り初め式のことを重ねてみれば「さもありなん」が見えて来やしないか。渡り初めの主役にするほど大事に思う子供が工事現場で怪我をしたのだ。いろんな思いが印に力を込めさせたのではないか。台紙の罫紙にではなく、葉書に直接押されていたのも意味のあることではなかったか。
毎日新聞にも開通式の記事があったが一段だけの小さな扱い。またそれぞれに開通式を行う旨の事前報がある。いわゆる大本営発表一色の紙面のなかでそこだけがほのかに希望の光を放っているように見えた。この時期にインフラ整備の話が載っているのは意外な気もするが、同日の記事に鉄道開通・復旧の報もあったりするので、昭和19年秋時点ではさほど喧しくなかったということなのかも知れない。実際安治川隧道は爆撃対象にはならず(工業地帯の空襲のとばっちりは受けたが)、キモの車載エレベーターは無傷のままで終戦を迎えた。
つまるところ不発に終わった探索の不発弾処理レポのようなもの。街で見かけたシロアリ駆除看板。ストーリー性があるものは珍しいのではないか。レアものではないか。と、無理に鼻息を荒くして消化に務める。
本題はブツそのものにあるのではない。奇ポテはストーリーを脳内再現している時に招来した。以下話をすすめるためにシロアリの役職を確認しておく。左から門番兵隊アリのジャック、女王のマリー、王様のジョージⅢ世である。
ジャック(以下ジ):「うぁあアリコロリ(仮称)が来たぞお!王様、女王様、逃げてください〜」
マリー(以下マ):「きゃーあなたー」
ジョージⅢ世(以下Ⅲ):「大丈夫かお前〜逃げるぞ〜」
ジ:「うぁあアリコロリ(仮称)がかかったぁ〜もうだめだ〜しおしお〜」
下線のところ、正しくは何というべきなのかよくわからない。要するに女王様は王様のことを何と呼ぶのか。逆に王様は女王のことをなんというのか。式典や例祭の時はともかく普段は何と呼んでいたのだろうか。それが思い出せなかったがゆえに前記の如き陳腐なストーリーになってしまった。一生懸命是正しようしたが駄目だった。もともとストーリーテリングの才能なんてないと思っていたがさらに輪をかけてダメだと悟った。できればなんとかしたい。なんとかしたいがために歩きながら小一時間考え、「后よ!」とか「王よ!」とか名前で呼ぶとか考えてみたが、それもジャストでなさげなことが自明でなおさら悄気た。
仕方がないので奇ポテで消化することにし、書き始めたところで気づいた。そもそもシロアリには王様アリなど存在しない。いるのは女王アリ一匹と無数の下僕達だ。効くのかこの薬。そしてマとⅢの出番は永久にない。