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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-06-06 この日を編集

[陸幼日記]六月六日 金曜日 雨後晴

運動班運動あり。裸体にて訓練するは最もよきと思う。一日の行事を行ってみて野営中のだらヾしたる動作がはっきりとわかる。


1942-06-06 この日を編集

[陸幼日記]六月六日 土曜日 曇後雨

朝の天気いずこへか午後に至りて雨となる。午後は教練後赤痢予防接種あり。されどあまり痛からず。
我が父の誕生日なり。されど父はおられず。家にては此の日赤飯をたきて昔の名残を惜しむとぞ


1943-06-06 この日を編集

[陸幼日記]六月六日 日 雨

朝から雨降り続けたり。剣術は六本す。二年とは以外に教官動作困難なり。午前中に二時間学習、午後二時間半午睡し充分に休養をとりたり。稍〃国漢乙・物理・独語に対し自習状態消極的に感ぜらる。之に力を入るればもっと勉強に興味を起すならん。良好。


2006-06-06 廃道81選とかpdfとか この日を編集

[企画] 廃道81選

 nagajis個人の抱いているイメージは「役に立たないけど面白い廃道紹介」。必ずしもきちんと紹介する必要はないと思うし、ものすごく廃道(謎)でなければならないこともない。廃道好き!を自認する方が少なくとも100人以上いる現状、それぞれがどんな道に興味があるのかを持ち寄って、一度にわかるような企画になったらいいんじゃないかな。

 それから、次号で1年を迎えるにあたっての記念行事?としての位置付け。読むだけでなく投稿で参加できる企画にしたい。寄稿というとなんだか大変なことのように思ってはる人が多いのでは。んじゃなくて、掲示板に書き込む勢いでポンポン紹介していただきたいと思う。

廃道の基準

 募集する「廃道」の基準は、深く考えてない。全く通れない道でなければならないとは思わないし、むしろ車が通れたとしても「これは廃れてる!」と思うならばぜひ投稿していただきたい(その思う理由だとか過程だとかを面白くまとめていただければベスト)。国道府県道の一区間でも、○○峠、だとか○○隧道、○○橋のような道のある一地点でも。鉄道・森鉄跡も含まれるかな(鉄道も結局は「道」のひとつなので、「日本の廃道」ではこれらも範疇に入れている)。

 いちばんわかりやすいのは、誰かが見本原稿を書けばいいだろう。誰かって? やっぱりnagajisになるんかなあorz

おすすめ度

 いまupしているページ案では「おすすめ度」もつけてもらうことにしているが、考えるのが大変だったら編集部で勝手につけても面白いかも知れない。数が集まるとそれぞれが被らないようにしたほうがいい。それを考えると、とりまとめ役がつけたほうが楽そうだ。

 ただ、「おすすめ度」を考えたうえでさらに5点満点で評価するのは冗長かも知れない。例えば「腐葉度」なんてので評価したいと思う限りはそこを推したいわけで、みな5点満点になってしまう。わざわざ「命がけ度」で評価しておいて星一つかよ!みたいなギャグはできるけどね。それくらいしか発展がなさそう。

 つまるところ、スラドの「部門名」みたいな感じにしたいなあと思ってコレを入れたのだった。ただどうしても、日本では「部門」っつーのに馴染みがない。

投稿方法

 漠然と「掲示板を使う」としか考えていなかったので、慌てて特設会場を設営中。写真の投稿と簡単なコメントができて、投票もできればベスト。数時間の突貫工事で骨組みができた。

 http://www.the-orj.org/cgi-bin/h/h.pl

 画像のupはCGI_Liteにでも任せればいい。投票は制限なし。おおっとまだWindowzじゃ動かないや。

 使い勝手が悪そうなら、今の掲示板を流用すればいいのだし。画像+コメント投稿で。(掲示板だと数が多くなったら大変だろうけど)

[pdf] オープンソースでpdf

 昨日のメモは、Acrobatを使わずに(Windowsで)pdfを作るにはどうしたらいいか? のためのメモ。特に”PDFCreator with AFPL Ghostscript”はどんなファイルからでもpdfが作れて便利だ。インストールや操作画面は英語なのだけど、入れてしまえば特に気にせず使うことができる。プログラムからプリントアウトする時に「PDFCreator」というプリンタが選べるようになるので、そのままプリントすればpdfになって出てくる仕組み。つまりWordでもIEでもFireworksでも好きなアプリでページを作れば、それがpdfになってしまうのだ。画像の解像度を調節したりも可能。

 Scribus 1.3.3.2は以前から気になってたオープンソースの組み版ソフト。最近メニュー関係が日本語化され、とっつきやすくなったと思う。こいつは直接「pdf形式で保存」できる。OOoのDrawでもpdfで保存できるが、よりきれいでフレキシブル。ページが何枚にもなるときは断然Scribusのようなソフトでないとダメだろう。

(「組み版ソフトって何」という方は、要はWordがものすごく便利になったものとお考えください。好きな場所に文字や写真を配置できて、枠線やフリーハンド線も自由に描けて、保存して開くと図表が別ページに飛んじゃってたりしたりしないもの(笑)。以前は「頑張ればWordでできるかも」と思ってたけど、行間や文字詰めの調整なんかは絶対に無理だな>Word。図や線の扱いもあのザマだし)

 ScribusはWindows2000+SP4、XPで動作。2000の場合は別途GDI+をDLする必要あり。ただ、試しに入れた会社のXpでは日本語入力を受け付けてくれなかった。どうもATOKが入っているとダメっぽい。どなたか試しに入れてみませんか。日本の廃道・投稿用というより、使い方を覚えれば社内報とか簡単なパンフだけじゃなくていろんな用途に使える「おもちゃ」になるはず。

本日のツッコミ(全10件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ 学生服のヤマダ [nagajis様 例の15日は過ぎたのですが 氏の中ではこれはあかん、と思う点とか 方向の修正とか、何か思う所はありますでしょうか? 確かに誰かが書き綴っていかないと 成り立っていかないとは思いま..]

_ taozbxn vykerdjwu [cgnd nyajew kxqvnfua njkubwi blonred ybzj qjyml]

_ yqtid vxwrhoap [iecblxtj zhsgfcov lbqfw nrmfzxt yqwxiu mxuyfqs mrfektsbc]


2010-06-06 この日を編集

[ORJ][企画] 一覧

32号まで。おそらくこのままでは役に立たない。KVMで取り出してほげふがせんとあかん。50号通してみられないと意味がない。

・号の区別>トップ画像で代用する。

・ルートは?

・説明は入れる暇がないと思う。

マップからマップへのコピーみたいなのは出来ないんだな・・・。ちょっと不便だ。

[独言] 1300年祭

画像の説明誘いを受けて行って来た(写真の人物は無関係なとおりすがりの人である)。これという見所はないにも関わらず人が多かった。見所がない=つまらなかったと短絡してもらっては困るし、そういう前置きをする所につまらなさを感じたのだろうと勘ぐられる可能性を考慮したうえでやはり見所がないとしか評しようがない催しだったのだが、いろいろなことを考えさせられ、記憶に残った。funnyではなくinterestingともやや違う、しかし根源的な発見と納得とをした。

奈良盆地はいつ訪れても茫洋とした感じがする。そのまっただ中で行なわれている1300年祭りはさらに輪をかけて茫洋としていて、その茫洋とした感覚に身を委ねて歩き回ったことでさらに呆とした。例えば等伯展の松林図の如きカタルシスを齎すものはない。伯母谷全景も谷坂隧道竣工記念写真帖もない。広い広いそして広い平城宮跡の中をてくてくと歩いて回るだけの催し−−−奈良貴族の格好をするとか遺跡発掘体験をするとかの「参加」をすればまた違ったふうに感じただろうが−−−に行ってきたという事実だけが残っていて、それが全てである。

マーケティングとして考えた時、そういうのもありなのかも知れないと思う。本質は傍らに置いておいて、二次三次の何かで人を呼び儲けるしかないご時世なのかも知れないし、元々人はその程度を求めているのかも知れない。ORJも然り。幾ら高尚な理念を掲げようと要らない人には要らないものだ。多くの人々は一瞬の喉の乾きを潤すことができればそれでいいのだろうし、それすら出来ない(してあげられない)nagajisは無駄である。

それにしても人が多かった。呆れるほど人が多かった。そして思った。つかみ所があるようでない、漠然とした奈良である故に人はつかみ所を求め、理解のキーワードとして「遷都1300年」を求め、奈良を知るよすがとして「せんと君」を求め、1300年祭に向かうのかも知れない。私もそのクチだった。しかし漠然としただだっ広い世界に身を置いてその目論見が甘かったことを悟った。いつまでも解らない奈良であり続けている。おそらく参加者の8割はせんと君しか思い出に残らないだろう。そういえば奈良シルクロード博もものすごい入りだったと聞く。

奈良町散歩も興味深かった。知らない街を歩いて迷子になるのが好きだ。そういう時に街を知り案内してくれる人のいることの、何と有り難いことか。そしてその対価的な何かを何一つしてあげられないnagajisの、何と情けないことか。そういう後悔をしている暇があったら改善しろ>nagajis。と思いながら春日大社界隈を歩いた。

人を恋う状況は簡単に作り出せるが、それを表現すること、および現実に即して振る舞うことはとても難しいと思う。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ とと [だから言ったではないですか…。孤独を歩め悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の像のように。パヲン…]


2011-06-06 この日を編集

[独言][橋梁] 誰得企画2

原稿が遅々として進まない中、次なるターゲットを捕捉してしまった。また公文書館詣でをせねばならぬ。そして誰得度はアジトンよりも高い.むちゃむちゃ高い.

そしてTUKA氏の原稿が届いた.うーむー.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [な、なにか問題でも・・・・。]

_ nagajis [いえいえ問題はないんです。紛らわしくてすみません。 TUKAさんの原稿が来るころなのに自分の原稿の目処がついていないので・・・こりゃいかんな、慌てなきゃなと。]


2012-06-06 この日を編集

[独言][] おっつかねえ

ORJ原稿の方の月報の原稿を書いているのだが、いまだ大淀町のあたりをうろついている。この調子だと4日分書くのにどんだけかかることか。明日から本気出す。場合によっては総括+個別事案で切り抜けることになるかも知れないが、次回自分のメイン原稿はメイン原稿と呼べるものがなさげなので、月報のほうにいろいろ詰め込むべきであったりする。かといって現状のだらだら書きじゃあ面白くも糞もねえ。果たしてどうなることやらぬ。

やっぱり総括+個別にしたほうがええかなあ。現状のでは旅のルポなのか報告なのかも曖昧だ。

[独言] 吉野郡史料

大塔村の住宅地図コピーが第一義にあったんだが、時間があったので吉野郡史料を見直し、賀名生村以南の道路・橋梁について一通り目を通して、要所をコピっておいた。橋梁に関してはこれといった新事実無し。西熊野街道の最初の改修が明治20年頃に行われていたこと、永谷街道のこと、大塔村から北へ向かう唯一の荷車道が富貴街道であったこと@大正中期等は収穫と言えるのだがな。ただ東熊野街道ほど詳細な歴史は追うことができなさそう。関連しそうな情報が断片的に載っているだけで、土倉翁と対をなすヒーローも居なさそうな塩梅。

郵便局の変遷、小学校の設置と統廃合も追っかけておいた方がいいのかも知れない。思いがけない建物が旧庁舎であったり小学校の建物だったりすることがある模様。

[独言] CAUTION!

UFOが落ちてきても知らないぞーーーーーッ!!(いくつか混じってる)


2013-06-06 この日を編集

[] 片付けた

いい加減どうにかしないといけないので〆ることにした。区切りもいい。欲を言えば耐火煉瓦があと1つ〜3つ見つかれば。赤煉瓦もあと3つ見つかれば加えられる。そんなに都合よく見つかるとも思えないが。しかし歩けば必ず新しいものが見つかっている。これ迄が出来杉なのだろう。

集成を作成し切り(約8MB)、補足資料としての廃読No.39を作成中。大きな補填が必要なのは煉瓦サイズの項目の最後と、できれば耐火煉瓦史。でないと何で修正に耐火煉瓦が入っているのか伝わらない。耐火煉瓦の刻印のバリエーションは大変多く、新しいものも多く、なおかつ激しく流転しているので、赤煉瓦ほどの面白さはないかも知れないが、かえってそんなジャンルだからこそ対比表があらまほしい。どんな刻印があるかいっぺんまとめてみて損はないと思う。して必ずしも戦後のものばかりじゃない。耐火煉瓦は赤煉瓦よりも歴史が古く、のちの産業立国にも大いに役に立った、影の立役者だ。

韮山反射炉。泉布観・造兵工廠。炉材料としてだけでなくボイラーやエンジンの支持材料としても使用。工場にはかなりの確率で採用され、大阪市の特産品であった時期もある。それゆえ転石となったものが多い模様。インテリア・ガーデニングの素材としても使い手がある(ために方々に散ってしまい年代特定には利用し辛い)。マジ炉に使われた場合は消耗材。

明治20年代には岡山県三石での生産が始まる。品川白煉瓦分工場@大阪は伊賀地方の良土を使うため。SKナンバーの意味はわかったがいつ頃から表記しだすのか把握できていない。

[煉瓦] 刻印…?

画像の説明市街地で見つけた新しい煉瓦。これも刻印の一種か。

「日本煉瓦紀行」には樺戸集治監の落書き煉瓦が載ってたっけ。煉瓦を作っている人と「アア暑イ コレモオ国ノタメダ」とか何とかが描かれてるやつ。樺戸じゃなかったっけ。


2014-06-06 この日を編集

[ph.] 中津高架橋

トリミング、傾き調整。もう一歩右に寄るべきだった。

画像の説明

[橋梁] ゲルバー桁の噛み合わせと伸縮装置

画像の説明

中津高架橋の吊り桁部アップ。『道路』第2巻第11号にこの辺を工夫したということが(たった一文だけだが)記されている。吊り桁の伸縮装置を簡略化するため、路面を山型で噛み合わせにして吊り桁と受台の間にStainless steel板を挟んだという。結果は良好で「コンクリートの欠けもなかった」とある。

一般的なRCゲルバー桁では

──┬─
 ┌┘
─┴──

てな形のかけつぎにしてメナーゼヒンジか何かを入れる。ここの場合はそうではなかったらしい。斜めにカットした部分があることで、ごくわずかだが橋軸方向への力が発生するから、橋軸方向の動きが制約を受け、伸縮装置を別途設けずに済んだ(桁端路面と受け側の路面をコンクリートの凸凹で組み合わせるだけで、特段金物を挟んだりせずに済んだ)のではないか。RCでも鋼桁でも伸縮装置の箇所は傷みやすい。RCだと特別な金物を履かせないといけない。しかしそれやると金物が通過車の衝撃を受けるので壊れやすい。昭和7年頃って伸縮装置の工夫が試行錯誤でされてた時期だったんじゃなかったっけか。

というわけで(今更)ネタ本を繰る。

明治の中頃までは、鉄製トラス橋などの場合でも、床版は舗装板兼用の橋板であったから、橋面の隙間の処理もしやすく、装置といわれるほどのものはなかったと考えられる。 本格的な伸縮装置の使用は、バックルプレートの類、更に鉄筋コンクリート床版が採用されるようになってからのこととと思われる。前記時期は、我が国では、明治末期から大正の初めにあたるが、当時の構造はつまびらかでない。伸縮装置が橋梁の付属構造物として、明確に意識されるのは、大正の末以降であろう。昭和中期に入り、支間の長大化、通行荷重の激増に従い、種々の装置が考案されているが、耐久性・走行性・防水性等各方面の問題を、同時に解決した決定的構造は、いまだ開発されていないのが現状といえよう。
『日本道路史』p.884

突き合わせ形式:最初期の形式。桁の端にU字に曲げた鋼板を渡し、その上(隙間)にアスファルトなんかを充填。簡単だが路床の角が欠けやすい。路床にコンクリートが使われるようになると路床端角にL字鋼にヒゲがついたようなやつを埋め込んだりしたが、コンクリの回りが悪く、やっぱり破損しやすいかった。

画像の説明

渡り板形式:一方の桁の路床からもう一方の路床にむけて板を掛け渡したもの。隙間充填。明治後半の技術書で紹介されているが実際に広く使われるようになったのは大正期から。渡り板の取り付け皿リベットや溶接に難がありこの部分での破損が目立った。表面(路上)がくし形に見えても内部で渡り板形式のがあり、大正期の専門書に見えるが、実際にはほとんど採用されず。部品点数が多く複雑になるため(とくにリベット構造では)。厚いくし形渡り板が作れるようになった昭和30年以降普及。

画像の説明

片持ち式くし形式:フィンガージョイントとも。20世紀初頭に考案され大正末から昭和の初めにかけて我が国に紹介された。実用化は新しい。

画像の説明

最近はゴムジョイント式が多い。後付施工可。

まさか路面までは撮ってないからなあ。撮ってないよなあ。


2018-06-06 この日を編集

[] デザインにかかる

帯と段割、文字級数まではすんなり行ったがその後が思いやられる。どんだけ長いねん、という内容。やはり前後編で区切るべきなのかも知れない。ちょうどよいところで目玉が出てくるのだし。

柵に使われているレールにまつわる話題を逐次的に入れ込んでいくスタイルはまったくの苦肉の策である。自分自身がレールの話題に詳しくない(俯瞰的にレール史を観るまでには至れていない)ので、聞きかじり読みかじりした「おもろい話」をその都度思い出したように突っ込んでいくしかできないのである。もし本当にレール史軌条商工史を綴りたいのであればもっと知識を練り上げた上で別の書き方をしなければならないと思う(いや自分が書くつもりは全然ない。相応しい方に相応しく書いていただかないといけない)。今回の記事はダメな例として作ってみるつもり・筋のよくないと思われる方式を筋が良くないと確認するつもりですすめている。

前後編に分けるか分けまいか悩んでいる一方で後編範囲に書き加えたりしているのは全くダメダメさんである。いい加減方向を固めないと間に合わないぞ。

[独言] 今年も落ちなかった

6月6日である。

[独言] こっちのほうがらくでいい

生半可な知識でそれらしいことを書くことの難しさを弥が上にも実感させられるような書きものがここ一ヶ月ちかく続いていてそれはそれは大変なフラストレーションなのであった。ここにぐだぐだテケテケ書いている時の気安さが恋しい。のだけれどもここに何かを書いている暇があったらげのほうを進めないといけないという切迫がそれを許さない。書く暇がないのではない。暇ならいくらでも見繕える。げを休んで書けば済む話である。そうではなく書けないのである、後ろから追い立てられているようで。我ながらバカだとおもう。こっちに書いてもあっちに書いても同じ地獄だというのにな。

パートさんの愚痴を聞いているとなんであんなに同じ愚痴を繰り返すことができるのだろうと思ってしまう。飽きてしまわないのだろうか。自分で嫌にならないのだろうか。自分だったら同じ愚痴ばかり繰り返していたらだんだんその愚痴に取り憑かれて喋るのも考えるのも嫌になってしまう。愚痴の元を取り除く、もしくは愚痴の元を忘れられるまた別の何かを考えると思う。同じことを同じ調子で同じように繰り返されるのは聞かされるほうにとってはこの上ない苦痛である。とはいえ最近はそんな愚痴を「他人事だから」と思えるくらいにはなってきた。同情したところで何も解決しないし本人も多分そんなことは望んでいない。ただ愚痴を述べることだけが愚痴の目的になっていて、そういう愚痴が世間一般でいうところの愚痴なのであり、即ちそれが世間話と呼ばれる部類の会話なのだと、この歳になってようやく解ってきたようなお子ちゃまnagajisなのであった。

結局のところ、いらいら、フラストレーション、皮肉、そいったものを他人に向けて発射するのは何の益も齎さない。世間話的愚痴話でもやめといたほうがいい。誰あてでもないこの場で虚空に向かって投げておくのが吉なのである。最上なのはそんなこと考えてないでげんこうかけってところだがそれも最近佳境続きで疲れているのであるなあ。

今年の梅雨は昨年よりも過ごしやすい気がする。日陰夜陰が涼しいのはとてもありがたいことだ。夜になったら涼しい空気に包まれるというごく当然のことさえ大阪の夏は許さない。許さない?もうちょっと他に適当な語がありそうだが思いつかぬ。それくらいには疲れている。何一つ取り柄無き身の憂さ晴らし。

[独言] レールは重い

あまりおおっぴらには書けない場所のおおっぴらには書けないレールをごろごろひっくり返してみたときに、レールってこんなに重いんだなあと実感した。当たり前なのだ。1mあたり30kgもあるんだから。2mあれば自分の体重と同じくらい、3mならそれよりも重い。至極当然の掛け算ができていなかった。いや数値としては理解できてても90kgの重さを知覚で理解できていなかった。

福知山線で散々レールを触って、その手触りからくる重量感には慣れていたつもりだけれども、その手の感じた重量感と、実際のそのレールの重さは全然違う。もしあの柵が、たとえレール1本だけでも倒れてきたら大変な目に遭うに違いない。あんな重いものをどうやって崖の上まで運び上げたのだろうと思う。あの不安定な崖の上でどうやって立てたり組んだりしたんだろうと思う。横材なんか5、6mもあるんだぜ。単純計算でも150kg以上あるわけなんだぜ。必死になって転がしたあのレールの数倍の重さがあるんだぜ。そうしてそれが何十本何百本と固まって崖の上にある。よく足元が崩れないものだ。

感覚、を理解するのは難しい。ましてやそれを人に伝えるのはもっと難しい。

そういや伊賀上野で電車を待っている時だったっけ、隣で保線作業の準備をしていて、貨車にレールを積む作業を見たことがある。硬くて微塵も曲がらなそうに見えるレールがびよんびよんとしなっていたのが、意外でもあり当然のようでもあった。この「硬さ」のイメージも掴みにくい。あれはあれで貴重な実験だったと思う。

重さの感覚、硬さの感覚、自分が知り得るその感覚の範囲は、結局のところ「自分で持てる重さ」「自分で曲げられる硬さ」が上限値になるのだろうな。あるいは「自分で操ることのできる重さ・硬さ」か。車やバイクに乗らない自分は数百キロのものが時速数十キロで動き回るという感覚を知覚できない。百キロも持ち上げたことがない故にその重さを知覚できない。せいぜい懸垂で自分の重さを感じるくらい。60数キロであんななのだから、百貫氏などはいかなる感覚なのだろうと思う。自分の体重を支えて歩くというだけでも相当な負担だと思うし、自分にはできそうにない。

[奇妙なポテンシャル] 「だし」

「~だし、~」という言い回しがここ数年で急に増えたように感じている。何故かはよくわからないが鼻持ちならない印象を受ける。これが40年前だったら確実に筒井御大が「言語姦覚」に取り上げて分析してくられていただろう。

鼻持ちならなさを感じるポイントは、前後の文の関連の無さ、よりもむしろ類似性、同じ内容のことを言い換えているに過ぎないところにあるかもしれない。多角的にものを言えるのだ・見ているのだという自慢が暗に込められていて、しかもそれを糊塗し切れていないところに鼻持ちならなさを嗅ぎとってしまうようだ。試しに「だし、」を「。」に置き換えても文意が損なわれることなく伝わる。しかもそちらのほうがすっきりしていて耳障りもよいことのほうが多い。「だし」はあくまで風味のベースであり使い過ぎると不味くなるものである。(それで旨いこと言ったつもりか>nagajis)

[独言] 指先のしびれと脚のしびれ

暖かくなってきたせいかおくすりのせいか、最近は指先のしびれにぢりぢりさせられることが少なくなった(だからこんなだらだら書いているのである)。診断の通り首と腰のなんとかいうやつのせいであるとは正直思えなかったのだけれどもやっぱり診断通りであるようだ。当たり前だど素人めが。あ、変な訛りだな。

膝下の慢性的な違和感は未だすっきりせずのままである。じっと座りつづけていられないので合間に小作業を挟みながら騙し騙し生きている。ある区分、もとい歩く分には支障がないので幾らでも出歩いてはいるがむしろそれはこのまま歩くことさえできなくなったらという恐怖心に駆られてのことである成分に因るところのほうが大きい。動けるうちにやっときたいことをやっとこうというさもしい魂胆である。いわゆる新消防大というやつである。


2020-06-06 この日を編集

[独言] 久しぶりに初心に返る

メールの返事を書くのに随分手間取った。実現不可能なこととして半ば諦めかけていた初心に戻る機会が与えられて、しかし結局は的確に言い表す言葉を探してうろついて。要するにここ十数年間進歩がなかったということである。

要するに、縁のない土地と縁を結ぶきっかけとして「道の歴史を知る」ってことが利用できる。うーん。いまいち。どこにでも道がある。見慣れている。それを糸口として縁のない土地の歴史に接近することができる。わかればなんのことはない、実は既に妙な機縁で結ばれていたりすることに気がついたりする。見慣れたもの聞き慣れたものの発祥の地であったりする。そうやって親近感が増す。親近感が増せば行きたくなる。同情もする。奈良の南半分はブラックホール、なんて口が裂けても言えなくなる。そういう親近感を全国民に持ってもらいたい。したら多分、世の中はもう少し明るくなる。無茶な注文だろうか。でも廃道を通せばそれができそうな気がしたんだ。

[独言] 図書館

わずか1時間の間に資料を手繰り手繰って知りたかった事実に逢着した×2。なかなか頑張ったと思う。京都鉄道印は南桑煉瓦製でほぼ確定。松風洞は昭和26年竣工、実は戦前に手が付けられている。後者はもっと掘り下げたいが舞鶴市史にもないのであれば不可能かも知れぬ。しかし戦前のという直感が当たっていたのはすごいな。この時期日本海側の交通網を大慌てで弥縫しようとした潮流があったのかも知れぬ。


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