nagajisの日不定記。
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掌にまめを生じ仕事に困難なり。足底にも豆二つありて自由を奪われがちなりき。
今日より日課変り授業始まりぬ。二十分休は前例の如く教官殿と遊ぶ。午後は工作。随意運動はがまんし千二百米持久駈歩をなす。
二〇・三〇分点呼。同時消灯。前日程有意〔義〕ならず
正に高天肥馬の候にて随意運動には特に元気に絶間なく行い腕力の殆んどを使いはてたり。鉄棒上の倒立あと僅かなり。点呼後三十分間除草をなす。作業・音楽なりき。畑の間引。有意義なる日。二〇・〇五消灯。明日は"ボシタ”の日即ち藤崎宮例祭にて非常呼集にて集合参拝の予定。胸高鳴る。良好。
これ以上遅らせるのも何だしなということで済ませてしまう。本題はチャコールとチョコレートとブラックとメトロブルーの区別がつかんくて困ったという話。ライムとアイスグリーンとフォレストも微妙。せっかく袋詰めしてくれるんだったら色名前つけてくれると嬉しいなァ。
シャツ種類とサイズで何とか判別できたはずだが、間違ってたらごめんなさい&nagajisまで文句言ってください。余りTシャツ6枚はそのうち表で販売します。
この手の色抜け看板はよく見るが、なんという言葉があてはめられていたのかわからず、立ち止まってしばらく考えてしまった。数分間費やしたのだけれども判らなかった。無駄な時間を過ごしたことだ。
庄原で食べた私情最高に旨かったカレーにはN氏のトルコ土産の酢漬けのトウガラシが入っていたのを思い出した。のだがそれを今どこで入手すればいいのかわからない。そもそもあれはトウガラシだったのだろうか。酢漬けだったのだろうか。あの滅法な辛さ(鍋一杯に2本以上入れると辛さで食えなくなる。カレーハウスいまむかしの20倍カレーに耐えた口でもだ)はハバネロであった可能性もある。いやそれ以上に辛いナントカとかいうやつだったのかも知れない。傍訓ハバネロ。
青とうがらし若しくはハバネロはどこで買えばいいのだろう。自家栽培するしかないのかも知れないと思うものの苗をどこで買えばいいのかわからない。ググレカスという意見は受け付けない。そこまで切迫した思いではないからだ。ああハバネロ。思うだけで何もしない貧困贅沢。
ひどく罰の悪い夢を見た気がするのだが忘れた。OFFのメンバーでボート漂流する夢を見た気もする。だからといって何かが変わったりはしない。
9月に入って初めて涼しくなったと感じた一日。昼間の公園も強めの風が吹いていて心地よかった。
この状況をもう一段外側から包んでアウフヘーベンするようなツッコミをしてくれるC君を探している。かれこれ4、5時間も探して、探して探して、探しあぐねて求人情報誌にも載せたというのに見つからない。掲載欄を誤ったのかも知れぬ。
自由がほしいというから自由を認めてあげたところその自由を謳歌した挙げ句にアレするという構図なのかも知れない、と思った所でああそれは丸々罠にはまっているよと気づいた。要するに言葉に踊らされているだけだという発見だ。
曖昧なものや新しい概念を丸めてまとめて呼びやすくするために新語が生まれる。そうすると便利でみんなが使う。そのうち面倒くさくなって何でもその語で言い表すようになる。無関係な構成要素も含まれてしまうため反発が生じる。すべて必然だ。大雑把に把握して良しとするか、詳述するかという違いでしかない。
あるカレーショップ(カレーショップの集まるエリア?)のカレーをpdf化して送出する夢を見てうなされた。「何を」「どう」pdfにすればいいのかよくわかっていず、「grepかけてFPDFで」の一点張りで四苦八苦する。そういう無駄な苦労をする夢を見ることが多くなった。死期が近いのかも知れない。
この「何をすべきかよくわかっていず、とりあえず苦労している」という夢は本当に疲れる。あとちょっと、ここやったら片付く筈という意識はあって、それに延々チャレンジしているが、到達点が曖昧なせいで絶対に解決しない。目が覚めかかっても頭に残っていて目覚めが良くない(例えば昨日は敷き布団が寄ってて腰高な状態なのと蚊に刺されたかゆみで目が覚めかかったのだが問題が解決していないことばかりが頭にあって無理矢理寝返って眠り続けた。眠りたいからではなく続きをやらなきゃといって寝たのだ)のもよくない。テトリスをやり過ぎた晩にブロックが落ちてくる夢を見てうなされたりMSX版グラディウスを槍紺で延々弾をドット避けし続ける夢を見てうなされるのとはまた違う次元の嫌らしさがある。
ああ、なるほど。奇ポテ#193から意味を紡ぎ出そうとするのと似た愚だ。な。
ところでgrep/array_grepは使い方が下手なので使ったことがない。馬鹿の一つ覚えでforeachでぐるぐる回すか少し捻ってもarray_mapする(んでfunctionとarrayを入れ違えて怒られる)ことが多い。arrayの中の特定の何かを探す処理をそもそも使わないのかも知れない。必要があればhashにして特定のキー入れた要素に対して処理してしまう。判定式が複雑になりがちなのもあるかもなあ。効率悪いなあ。
array_mapとarray_walkがどう違うのかわかってない辺り駄目。
if( $x = 10 )
というポカを時々やる。しばらく触ってない時等は特に。
TUKAさんにはまったく頭が上がらない。実に隅々まで原稿をチェックして下さる。こちらのしでかしたトンチキな間違いも冷静に指摘して下さるし書いている側にとってはまことに気づきにくい「思い込み」も正しく直して下さる。自分だったらああはいかない。
今回の原稿などは恥ずかしい限りである。中上川彦次郎を上中川彦次郎と書き間違えていてサッパリ気づいていなかった。そのくせ最初の一つだけは正しく中上川彦次郎と書いている。どういう神経で書いたのか見当もつかぬ。薄暗いじめじめした処でニャーニャー泣きたいような気がする。
この間は不用意に「ざっかけない」という言葉を使ってツッコミをいただいた。大阪住まいの私が東京弁を使っているところに違和感を覚えられたそうだ。そう言われてみれば普段使い慣れている言葉でもなく何故そこでザッカケナイが出てきたのか私にもわからなかった。その語がその場面に最相応だと思う前から延髄反射的にそう書いていて特に気にも止めなかったような記憶がある。いや、そこに生じた軽い違和感がかえって面白くもあったので残してみたものだったっけか。いずれにせよ身の丈に合ってない言葉であるので書き直させてもらった。こういうのは自分一人でやっていては到底気づかないことである。
それにしても「ざっかけない」という言葉、一体どこで仕入れてきたのだろう、と考えてみていた。そのうちたまたま読んでいた『街道をゆく』27にこれが出てくるのを発見した。檮原街道の巻である。確かこの巻は檮原の当別トンネルの旧道のことが書かれてないかと思って読んだのが最初だったから、もう20年以上前のことになる。その中に出てきた言葉が脳の網からふいに溢れてきた、といったら聞こえは良さそうだがそんなに記憶力がよい脳味噌だとも思えない。出涸らしの茶葉の中に変わった形の葉っぱが混じっていて、それが茶漉しに引っかかっているのをたまたま拾い上げただけのように思う。
加えて言うと「ざっかけない」という言葉の辞書的意味は知らなかったりする。言葉の前後の文脈からこんな場面で使うこういうイメージの言葉なのだなと思って書いてみた、という程度でしかない。わからない言葉をいちいち辞書で引くような几帳面な大学ノートのような自分ではないのである。故に前記の「ざっかけない」も恐らく辞書的意味ではそぐわないところがあって、それでTUKAさんの目を刺激したものと思われる。
何か腹があってこういうことを書くのではない。言葉を覚えるということ、使いこなせるようになること、の始まりには大なり小なりこれと似たような剽窃があると思った。新しい言葉を知ると(正確な意味など二の次にして)無性にそれを使ってみたくなるところが誰にでもあるんじゃないか。してそのことに対し、何故そんなことをしたくなるのだろうという疑問が湧いた。間違って恥ずかしい思いをするとか、謗られるとかいったマイナスの可能性を考えてから使うようなことは少ない。とりあえず真錬して、使ってみたくなる。この心理はこころのどの辺から来ているものなのだろう。
新しい言葉を覚えること、それを使ってみたくなること、は同じことの繰り返しにならざるを得ない日常の、定常波常態を擾乱する意味合いがある。新しい刺激を投じることで退屈な常態を変えてみようとする試みといえる。して自分などは特に退屈が苦手だ(こう見えてもだ!)。ものを書いているとその思いをますます強くする。何でこんな退屈な言葉しか書けないんだろうかと落ち込む。だからといって刺激を求めるとそこだけが鋭敏な棘になって目立つことになる。使い慣れていない言葉、消化し切れていない言葉だということが傍目顕わにバレてしまう。蛍光ペンでマークしたようなものになる。それを恐れて新しいことをしなければ尚更退屈だ。
結局のところ、そういう言葉を使い続けて自分のものにするしかないのだろう。習得過程で恥をかくほうが覚えは早いだろうし。うん。そういうことにしておこう。でも人名を間違えるのはよくないな>nagaijs。
Before...
_ ヨッキれん [真面目に答えちゃうよ。 「ここで」は 携帯電話の「使用」を 「止」めましょう]
_ とと [「かめはめ」は— 携帯電話の「開閉」を 「キ」めましょう]
_ 球磨三郎 [Tシャツ届いたので早速着用 前後で印刷位置が合っていないから隧道がイメージ出来ない。残念!! 襟ぐりから何cmではなく、 オフセットして位置合わせを考慮して欲しかった。みたいな・・・]