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2020-09-14 [長年日記]

[独言] 言葉の出処

TUKAさんにはまったく頭が上がらない。実に隅々まで原稿をチェックして下さる。こちらのしでかしたトンチキな間違いも冷静に指摘して下さるし書いている側にとってはまことに気づきにくい「思い込み」も正しく直して下さる。自分だったらああはいかない。

今回の原稿などは恥ずかしい限りである。中上川彦次郎を上中川彦次郎と書き間違えていてサッパリ気づいていなかった。そのくせ最初の一つだけは正しく中上川彦次郎と書いている。どういう神経で書いたのか見当もつかぬ。薄暗いじめじめした処でニャーニャー泣きたいような気がする。

この間は不用意に「ざっかけない」という言葉を使ってツッコミをいただいた。大阪住まいの私が東京弁を使っているところに違和感を覚えられたそうだ。そう言われてみれば普段使い慣れている言葉でもなく何故そこでザッカケナイが出てきたのか私にもわからなかった。その語がその場面に最相応だと思う前から延髄反射的にそう書いていて特に気にも止めなかったような記憶がある。いや、そこに生じた軽い違和感がかえって面白くもあったので残してみたものだったっけか。いずれにせよ身の丈に合ってない言葉であるので書き直させてもらった。こういうのは自分一人でやっていては到底気づかないことである。

それにしても「ざっかけない」という言葉、一体どこで仕入れてきたのだろう、と考えてみていた。そのうちたまたま読んでいた『街道をゆく』27にこれが出てくるのを発見した。檮原街道の巻である。確かこの巻は檮原の当別トンネルの旧道のことが書かれてないかと思って読んだのが最初だったから、もう20年以上前のことになる。その中に出てきた言葉が脳の網からふいに溢れてきた、といったら聞こえは良さそうだがそんなに記憶力がよい脳味噌だとも思えない。出涸らしの茶葉の中に変わった形の葉っぱが混じっていて、それが茶漉しに引っかかっているのをたまたま拾い上げただけのように思う。

加えて言うと「ざっかけない」という言葉の辞書的意味は知らなかったりする。言葉の前後の文脈からこんな場面で使うこういうイメージの言葉なのだなと思って書いてみた、という程度でしかない。わからない言葉をいちいち辞書で引くような几帳面な大学ノートのような自分ではないのである。故に前記の「ざっかけない」も恐らく辞書的意味ではそぐわないところがあって、それでTUKAさんの目を刺激したものと思われる。

何か腹があってこういうことを書くのではない。言葉を覚えるということ、使いこなせるようになること、の始まりには大なり小なりこれと似たような剽窃があると思った。新しい言葉を知ると(正確な意味など二の次にして)無性にそれを使ってみたくなるところが誰にでもあるんじゃないか。してそのことに対し、何故そんなことをしたくなるのだろうという疑問が湧いた。間違って恥ずかしい思いをするとか、謗られるとかいったマイナスの可能性を考えてから使うようなことは少ない。とりあえず真錬して、使ってみたくなる。この心理はこころのどの辺から来ているものなのだろう。

新しい言葉を覚えること、それを使ってみたくなること、は同じことの繰り返しにならざるを得ない日常の、定常波常態を擾乱する意味合いがある。新しい刺激を投じることで退屈な常態を変えてみようとする試みといえる。して自分などは特に退屈が苦手だ(こう見えてもだ!)。ものを書いているとその思いをますます強くする。何でこんな退屈な言葉しか書けないんだろうかと落ち込む。だからといって刺激を求めるとそこだけが鋭敏な棘になって目立つことになる。使い慣れていない言葉、消化し切れていない言葉だということが傍目顕わにバレてしまう。蛍光ペンでマークしたようなものになる。それを恐れて新しいことをしなければ尚更退屈だ。

結局のところ、そういう言葉を使い続けて自分のものにするしかないのだろう。習得過程で恥をかくほうが覚えは早いだろうし。うん。そういうことにしておこう。でも人名を間違えるのはよくないな>nagaijs。


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