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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-10-18 この日を編集

[陸幼日記]十月十八日 土曜日 雨

靖国神社臨時大祭なる故休日なりき。午前中は休養し、午後は剣道をなし、後正木さん等十人と約二時間遊ぶ。柔道場にて。二十時に火災呼集が鳴響き、半に終了す。十時に大講堂集合、十時十五分を期し、神社に礼拝す。時間の経過は早きが愉快なる一日なりき。


1942-10-18 この日を編集

[陸幼日記] 十月十八日 日 晴

西部第百十四部隊(花房の飛行連隊)の開隊式に参加す。四時半に起床し運動班全員揃いて出発約三時間にして徒歩連隊着。一般民衆を後に入隊し、○○大尉他十二名の英霊を祈れる慰霊祭に参列、続いて式典に臨みぬ。兵器供覧・特殊飛行を見学せしもさしてめずらしからず。急降下爆撃・通信筒の空地間の連絡・落下傘による輸送等は初めて故為になりぬ。

画像の説明地上の通信筒を機に送る所。乗務員の後の者が2と3を1の重のついた網にて釣る。近代にては無線通信が最も利用さる。


高江より電車にて。今日あは行軍の見学が目的にて、充分之を達成したり。此の二日の休暇を優勝の心の中に克く有意義に昨日は母と、今日は此くの如く過したるを喜ぶ。
百十四は偵察機隊のみなり。


1943-10-18 この日を編集

[陸幼日記]十月十八日 月 晴

牧之内淳のお父さんの御命日なり。同じく昭和十三年十月十八日北支に散られしなり。慎みて哀悼の意を表す。井内にせよ十三年十月にして此に何かの因縁あるを感ず。今日も亦頭朦朧として勉強に心向かず。午後は滑空訓練にして第二回目の地上滑走を行えり。柔道は久しくして要領悪し。今日は新たなる第一日の出発の日なりたるも主に力を基礎方面に用い己人の考としても余り優れざる日なりき。良好。


2006-10-18 作業報告 この日を編集

[ORJ] 皆瀬up

 06年1月号の「特濃!」地図を上げ、一気に配置まで。こうして第一号から通して作業してみると、この号から始めた横イチデザインで(自分が)相当吹っ切れたのがわかる。なんだあの贅沢な写真の使い方は。

 カミングアウトするわけではないが、ヨッキ氏の「特濃!」のデザインにはずいぶん気をつかってきたつもりだ。紙面にするとどう頑張っても「山行が」を越えられない。ヨッキ氏が希望していたような「山行が」とは別のもの、にもなり損ねていた(特にpdfの見にくさのせいで臨場感を全く出せていなかった)。山行が以上に気合いを入れて書いてくれていたヨッキ氏にも申し訳なく、初めの頃は毎号毎号デザインに苦労していた覚えがある。それがまあ、この号でようやく、山行が以外の別の優れたものとして作れたと思う。

 バックナンバーCD用に組み換えるにあたっては(これまでさんざんこぼしてきたように)すべての地形図を書き直した。それは以前のアンケートで指摘していただいたように法的な面をクリアするためだけではない。もし自分が彼の原稿に応えるとしたら、これしかないと思うからだ。随所で地図を使えるようになり、(行程図の書き方も変えたので)初版よりは臨場感を出せるようになったはずだ。

[ORJ] 槇木沢橋地図等高線まで

 とまあたっぷり捲し立ててしまうくらいに変なテンションになっているうちに、と思って最後の槇木沢橋にかかった。この回の地形図は槇木沢橋周辺の狭い範囲だから10m間隔だ。2時間ほどで等高線まで完了。

槇木沢トレース せっかくなので作業中のひとこまを紹介させていただく。これくらいならいいでしょ>国土地理院殿。

 作業は大変単純だ。マップ画像を配置し、その上を鉛筆ツールでなぞっていくだけ。等高線の数だけこれをくり返す。動きを補完して曲線にしてくれるので、それなりに見られる線になるのがありがたい。一時期タブレットを使おうとしたことがあるが、かえって使いづらくて結局ほぼすべてマウス一つで描いている。集中し過ぎるとトランス状態になって神が降臨したりヤバくなったりするのでほどほどにしないといけない。以前にコレで人事不省になった。
 等高線が終わったら道や家、地名などのパーツをレイヤーで載せていく。50m間隔だとすかすかになってしまうが、植生のマークや岩崖などを入れていくとそれなりに様になるようだ。山ほどトレースしたおかげでそんな記号のパーツがそれなりに揃ってしまった。今後何に使うというのか。

 ええっと、御要望があれば地図書きしますのでお声をおかけください。できれば有料で。いや冗談です冗談


2008-10-18 ありゃ この日を編集

[廃道本] まだまだ続く・・・

Iさんがさらに徹底チェックして下さっている。チェックの甘さは実証済みだからな>nagajis。あはは...で済まされないってば。

[独言] 謹告フラッシュが2chで不評らしい

うーん。つまんなかったかなあ。元々センスがないのはごもっともなんだけどな。「上から目線」なんてワードを使ったから? 仕方ないか・・・煽り広告なんだから。いろいろ酷い言われようを想像しつつ見に行くつもりは毛頭ないnagajisだ。

というわけで山行がからはリンクしてもらわないようにした。恥さらしはここだけにしておこう。2chの言論をおもねるつもりはないけれど、つまんないっていう人がいるんだったらつまんないんだろう。

で、言い訳じみたことを書く格好悪さを追求する。元になるフラッシュを廃道本にかかる前に作っていて、ゲラゲラ笑いながらORJと廃道本を作っていた。けれども公開する勇気はなし。予定では9月中に廃道本がほとんど終わるはずで、その間の3号はもちろん廃道本も本当に出せるかどうか不安だったからな(一文字間違ってるし)。そうしてようやく目鼻がついて、3号無事に出たところで作り直した。それで安堵して気を大きく持ったのがいかんかったかな。制作期間が4号目までかかってアレしたのは予想外だったけど。

いま見たらorj.s97.xrea.comの有料期間が過ぎてた(爆 入金だけしてアカウント購入してなかったようだ。馬鹿也。

[奇妙なポテンシャル] #66

画像の説明書いて気を紛らす。最寄駅の看板。やたらときれいな色の看板だなと思いつつじっくり読んでみたところ近くの産婦人科のものであった。ステージによって色が変わるようである。ここまで大がかりに鼓舞しなければならないものなのだと知って愕然とした。分娩したことのないnagajisだがその大変なことがなんとなく察せられた。一生しないでおこうと思う。

[ORJ] FOR NEW FACE

ホハレ峠の地図を探していたらFOR NEW FACEが出てきた。今度追加しておこう>何故廃

[独言] 今日の大川

画像の説明ときおり美しいから、大阪は嫌いになれない。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ 通りすがり [2ch山行がスレから来ました。(386&399です) なにぶん2ちゃんねらの云う事ですので、宣伝の件はあまり気になされない方がいいと思いますよ。 そこまで酷いこと書かれてませんし(もうだいぶ前の話..]

_ ヨッキれん [ちょい待ち! リンクするの駄目だって言われてないぞ。リンクするぞ。せっかく作ってくれたんだし、オレは気に入っているぞ。]

_ しとろん [おいらもあのフラッシュは笑いながら見たぞ。 ある意味、ねらーは文句言うのがお約束的なところもあるからな。 奴ら、無料と有料とでも反応違いすぎるし…おいらの持論は「楽しんだなら代価を払え」だから、ち..]


2009-10-18 帰宅 この日を編集

[独言] 天野街道−石川ポタ〜

先日お世話になったOさんのお誘いを受けて、泉南河内で行なわれた「軟式サイクリング部」之活動に参加させていただいた。南のほうを走ることが滅多にないのでよいチャンス。ついでに行きたかったあちこちにも寄れて満足〜。最後の打ち上げには参加できなかったけれど(∵nagajisは酒を飲むとすぐ寝てしまうので帰れなくなる)、楽しいひとときをありがとうございました>皆様

画像の説明天野街道のひとこま。製陶土を産出した陶器山を経て天野山金剛寺へ向かう街道。正面の山波が和泉山脈だ。いい光景がうまく撮れない・・・>S9100

画像の説明そのくせこういうどーでもいいものは綺麗に撮れる。大好きだ^^;)

途中で見つけた「とびだしだめ君」怪しいバージョン。北摂人にはおなじみの飛び出し注意看板だが、こういう造形およびカラーリングのものは初めて見た。胸に描かれた串団子、目がくり抜いてあって覗けるようになっている?のが味わいを増す。

画像の説明(参考画像:純正とびだしだめ君。意匠登録第708404号)

画像の説明金剛寺の石垣。乱れ積み基本だが水平を意識している風があちこちに見られる。仁王様の門前の石垣も乱れ布積み的な積み方で面白し。

画像の説明金剛寺内天野川にかかる小さな橋の欄干。彫った上に木をはめ込んである。結構な手間だ(竣工は昭和39年と比較的新しい)。

画像の説明金剛寺から北へ抜ける道にイレギュラーな青看板。おにぎりが逆になってる!

そうして紀見峠道をまたいで石川へ。その途中でパンクが発覚(汗。ピンホールやと思ってたのが、ワイヤーの切れ端みたいなんがめっさ刺さっとった。

画像の説明河川敷のサイクリングロードを北上していくと、出会うのが玉手橋。2年ぶりになるのかな・・・。写真をいじったらコダックブルーっぽくなった。なしか。

画像の説明そうして皆さんとは築留二番樋の辺りでお別れ。大和川の付け替えや樋門の存在は知っていたけれど、現地は未見。とても勉強になりましたm(_ _°)m

帰りはなんとなく走っていったら調子が出てきて、そのまま自宅まで(汗 18:30ちょい過ぎに戻れたのは我ながらびっくりだ@_@

教訓;大阪市街は車になったつもりで走ると楽だ!

画像の説明「とびだしだめ君」もどき、見れば見るほど味わいが増す。思わずデスクトップに設定してしまつた。

本日のツッコミ(全6件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ みつ [太子町の「飛び出し太子」も可愛いですよ〜]

_ nagajis [おお、そんなものが。 画像検索→「飛び出し太子」 …確かにこれはラブリー。]

_ 絹路 [仕事で通っていた犬鳴山温泉近くには、ちょっとイレギュラーな飛び出しダメ子ちゃんが居たはず。]


2012-10-18 この日を編集

[独言] 引用

「君の言っている『面白い 』 って何を指してるんだい? 腹を抱えて笑えること? 鬱憤を晴らすことができるおもしろおかしい何か? それだけ? たったそれだけ?
funnyは確かに必要だ。無くてはならない社会の潤滑油だ。だがね、考えてもみてごらんよ、潤滑油だけでエンジンが動くと思うかい? 社会を回すためにはそれ以外が必要なんだよ。もっと根源的な、燃料になるものがね」

---John Smith


2016-10-18 この日を編集

[独言] データ入力

コピってきた工場通覧を整理中。昭和11〜25まで終了。愛知県は日中戦争が始まった頃から耐火煉瓦工場のパンデミックが起こるのが興味深い。この時期はどの県でも煉瓦工場が簇出するのが観測されるが愛知県はそれが顕著。耐火煉瓦を中心に普通煉瓦工場も増える。この時期が工場数のピークなのではなかろうか。大阪や兵庫ではここにピークはない。

軍需関係の産業が爆発的に増えたからなのだろう。新工場の設立が相次ぎ建設材料としての煉瓦・産業資材としての耐火煉瓦の需要が増えたため、とか何とか説明はできそうな気がする。ただ大阪や兵庫でも多分そうだったろうと思うのに愛知ほど顕著に増えないのは何故か、またコンクリートでなく煉瓦なのは何故なのか。産業と煉瓦との関係を考えてみるのも面白いかも知れぬ。

この時期に付近でよい耐火材料が見つかったというのも関係しているのではないか。うろ覚えだが三重県阿山郡島ヶ原村の珪石とか岐阜県美濃市の辺りだとかは昭和に入ってから採掘が盛んになったような。美濃の陶器製造業は明らかに昭和に入ってから激増する。戦後などは岐阜県の窯業関係工場の9割以上が陶器製造業。してコーヒーカップとかディナーセットとか輸出用陶器とか外国向け製品を作る工場が多数見受けられる。あれ、ひょっとしたら戦前は煉瓦耐火煉瓦欄しか見てなかったからかも知らん。でもまあ美濃窯業も昭和8、9頃だしなあ。

愛知県では平坂町に煉瓦工場が多かった。平坂煉瓦工場が大阪窯業に買収される前後なんかは恐らく素地製造と思われる小工場群でコロニーが形成される。楠村明神左右とか明神後とか。平坂工場は字丸山だっけ。それと碧海郡新川町。ここが岡田煉瓦だったっけ。ともかく土地勘がないのですぱっとピンが刺せない。知多半島渥美半島で囲まれたまんなかのあたり、クワガタの口の付近。恐らくこの付近は赤土が無尽蔵に採れたんじゃないか。

たしか耐火煉瓦は戦時中も生産制限を受けなかった。比較的自由に製造することができた。鉄鋼とか鋳造とか製薬とか様々な産業の資材になるから。それも増加に一役買ってるんだと思う。

[] 中村雄二郎「術語集」(岩波新書黄表紙)

哲学者中村雄二郎氏の著作。うまく言い表せない面白いさがある。読めば読むほど賢くなった気がし嗚呼哲学とはこういうことをする学問なのだな確かに学部一個設けてやらんとおっつかないなと思ったりするが書かれている内容をどっかで披瀝するようなことは多分できない。「術語」とは即ちテクニカルタームのことで、コスモロジーとかパラダイムとかスケープゴードとか、よく聞くけれど漠然としか理解していなかった言葉、あるいは「子供」「制度」「仮面」のようなよく使う言葉だが特定分野においてはそれ以上の深い意味をもつ言葉なんかを解説してくられている。はじめカタカナ言葉の解説書かと思って手に取ったがそうじゃないのだな。そして語彙解説というわけでもない。副題に「気になることば」とあるのは氏が興味をもった言葉というまでで別に言葉の乱れを憂えてるわけでもなく。ええい言葉が足りねえ。

読んでつくづく思うのは哲学という学問の意味。世の中の成り立ち・世界・人間の思想・ありよう、そんなものを分析して言葉で現して理解しようという学問と勝手に捉えておるのだが、ふだんの生活の中で当たり前と思っている事象を哲学的に見、表現されると、すっかり違うものに見えたり、見得なかったものごとが鮮明に浮かび上がってきたりするから面白い。朝起きて会社行って帰って寝る、の反復を反復し続けていればだんだん飽きてくるし投げやりにもなる。日々の暮らしとか人との関係とか社会が要請してくる制約とかを時たま違う視点で見たり考えたりして変化をつけないと硬直死するばかりだ。哲学ってそういう時のための学問なんじゃないかしらん。

「通過儀礼」の項目でたまたま暴走族だとかピーターパン症候群とかに触れられていたのだけれども、成人式で仮装してみたりとかヤンキーが暴れるとかいう昨今の事象のことを言っているようで興味深かった。平常運転に句読点を打って新たな生を営むための・集団を保つための(大人集団に仲間入りするための)通過儀礼としての成人式。ヤンキー集団という集団を維持するための暴走も一種の通過儀礼であって。成人式で暴れるのも要するに集団だからで一人で特攻服着て行ったり暴れたりするような漢はいない。集団としての行動が成人式会場でぶつかっているわけで、そういう集団対集団の拮抗と考えるとまあ突飛な現象ではないのかと納得したりする。しかも成人式の意味合いはどんどん形骸化していってて「大人が新成人を祝う」だけの儀式になってしまった。大人集団すなわち社会の一員になったのだということを、儀式によって印象づけ、自覚を促したり責任を負わせたりするために成人式を行なっていた時代とは似ても似つかぬものになった。そういう形骸化をぶち壊して破壊→再生を試みているのかも知れない。コスプレで参列しようってのも場の統一感をぶち壊そうというものだしな(で多分コスプレってピーターパン症候群と関連があるものだと思うのだ)。形骸化したもの・硬直したものはいずれ破壊されるか自ら壊れるかして変わっていくのが摂理だろう。特定の個人が破壊を狙って破壊するんじゃなく、歴史の必然というか、生物学的な自明というかで。

みたいなことをもっと端的・理論的・わかりやすく読みやすく説明してくれるのが哲学者。


2018-10-18 この日を編集

[滋賀県道元標] 竹生島線

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E9%81%93319%E5%8F%B7%E7%AB%B9%E7%94%9F%E5%B3%B6%E7%B7%9A

竹生島の県道にも存在する。指定は昭和33年。http://www.pref.shiga.lg.jp/jourei/reiki_int/reiki_honbun/k001RG00000823.html

[滋賀県道元標] 557号終点?288号起点?

道標のようにも見える。

[滋賀県道元標] 33号西浅井余呉線起点?

これも道標のようにも見える。。。


2019-10-18 この日を編集

泣きたいような毎日だ。


2021-10-18 この日を編集

[きたく] 終点は夢前川橋梁

画像の説明

最後にヌートリアに出会った。


2022-10-18 この日を編集


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