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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-10-19 この日を編集

[陸幼日記]十月十九日 日曜日 晴

五時半起床し、朝食各個にして服装検査なし。ニュース余にて「若い科学者」あるが故なり。俺〔予〕も行く、然し八時に遅れたり。以前少年倶楽部にて見しと内容は同鳴り。此四回の中最も愉快なりき。十時帰校、昼寝をせんとし眠りたるに、十五分にして火災呼集響き、起床喇叭と間違いたり。勉強せず、自習中も行を感ぜず遺憾なり。約一日をぼんやりと過ごしたり。

〔nagajis:「ニュース餘」は「ニュース館」か〕


1942-10-19 この日を編集

[陸幼日記]十月十九日 月 晴

久しくして授業あり。稍〃気力に欠くる点あり。三日来の怠気を去り力を入れなおして学科に努力すべし。然し内務は確実なるを認む。
午後は普通にして、二週間振りに剣術をなし、又近日初めて鉄棒に下りし故掌にまめを生ず。之は鍛錬不足を物語るものにして、今日からは運動会も終了せし故、剣術を主として幼年学校時代の運動の華を作るべく、又後悔せぬ如く充分行わん。持久駈歩も亦必要なり。寸陰を惜しみて腕力の増加に努む。その方法として、暇さえあれば腕立て俯せをなして臂を曲げ、起床後、消灯前に、五十回なす。素振りもつとめてなす。懸垂は勿論なり。切磋益〃熱あり。熱ある訓育班は向上々々とて終りなきものならん。


1943-10-19 この日を編集

[陸幼日記]十月十九日 火 晴

松浦の命日にして日夕点呼後前例の如く雄健神社前にて切磋会行う。早や七ヶ月は過ぎたり。化学は今日も実験なりき。二十分休憩の利用→体育的に価値あらしむべし。素振は腕力と下腹の力が丈夫になるのにて精神・技の外にかゝる事もあり。午後は軽機と教練にて突撃・斬突あり。小銃に於ける突は木銃の其と趣を異にし要するに実戦に供すべく意気が必要なりと信ず。随意運動は頗る快調なりき。良好なり。


2006-10-19 作業報告 この日を編集

[ORJ] 作業報告

 今日はちと出かけなければならないので朝作業。毎度ご指摘感謝いたします>MIMIZUKさん。つかもっとしっかりしろ<自分

 唐突にPC環境についてのアンケートを始める。おおもとはバックナンバーCDのおまけの壁紙のため。

 ではそろそろ行ってきます。


2008-10-19 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #65

前回間違ったナンバーで書いてしまったので埋め合わせをする。要は書き直すのがよだきい。

画像の説明市立図書館中央本館から梅田駅まで歩いて帰る途中のとある街角で、書道教室の優秀作品が掲げられているのを見た。確かに難しい筆法が含まれる文字であり題材としてはあり得るが「理想実現」に並ばれるとちょっとどうかという取り合わせになる。人生目標がカリウムナトリウム水溶液かと勘違いしてしまいそうな気もする。

書の鑑賞というのはそういう外乱因子を鑑賞者が自らシャットダウンしたうえで1つの作品に集中しなければならないのだろう。筆者のようにpotential of stangenessに弱い者には向かない。ということに気づかされた。

習字の時間に手本以外の文字を書いてふざけた思い出のある方は多いだろうが、そんな遊びの結果がみせしめのために採用された、というわけではないようだ。「海」は確かに残念な感じはするが「水」はそれなりに上手く書けている。「母」の幾何学的筆法と対比をなしていてそれはそれで面白いのではないか。

ちなみに筆者は「屑鉄処理」とか「免許皆伝」とか書くのが好きだった。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ TUKA [「不当判決」って書いて竹刀で叩かれた・・・。]

_ multi [「海水」は優秀作品だよ。中心線もしっかりしているし。水の一画目なんてすばらしく力強いではないかい。]


2009-10-19 ポケモン旧橋ゲットだぜ! この日を編集

[独言] 東山跨線歩道橋ゲットだぜ!

画像の説明と思ったらこの有様だ・・・もっと早く行かんと如何ともしがたい。

[廃道本] そうだった!

廃道をゆく」、地味に重版ださうです。廃道のごとく忘れられつつ、しかし確実に存在し続けております。まだの方はぜひ。ERRATA更新もあるよ(きっと)。

[ORJ] 東熊野

画像の説明原稿作成中。意外に手間取るかと思っていた導入がさくっとできあがり、以前書きかけていたルポにつながった。とはいえこれで総行程の1/4。2日にまたがるのをうまくまとめられるだろーか。言いたいことはいっぱいあるんだが、伝えようと一生懸命になればなるほどこんがらがるかならあ。<からなあ、の間違い。一見しただけではわからんかった

いまの部分は生かすとして、・・・みたいなことを考えるから際限なく長くなるのだろうな。こっからが見せ場なんだってば。また写真で誤魔化そうか。

以下nagajisの個人的メモ。

課題:鳴川山OFFプレをどこで入れ込むか?行程通り最後でもいいか。
北海道人先生の件、ほんとは導入にかかないといけない。キモなんだけど。ただ引用と解説が長くなりそうで、入れると流れが阻害されてしまう。行程がちゃんと追えていない。現状のまま入れようとするとコラムにしかならない。これも最後に入れるか。すると土倉家文書の回にもつなげられるしな。そやそやそろそろ申請せな。
上記とは別件で石垣@廃道を読むをやりたいと思う。これも長くなりそうだからやる気が起こった時に一気にやったほうがよさげ。
というか東熊野終わる前に他の始めないと終わらんぜよ。土倉街道とか思い出せるん?>nagajis

以上nagajisの個人的メモ。

旧橋はTUKAさんにお任せする。次回表紙はええ写真やで〜(そっか次号予告これに差し換えとけばいいのか。そうしよう)

[独言] 酔った勢いであっちこっち飛ぶ

が、向こうに書いてまた上げちゃうのも、ちょっとどうかだからな。それにORJでまとめを書くだろうし。

村田鶴と移籍組5人について。別メディアで撮っていた分に吉田勇、佐藤道之介の着任辞令があった。埼玉県を「疾病」理由に辞してから滋賀県へ来るまでどれくらいかかったのだろうと思って確認してみると、吉田はT4.6.14辞、T4.6.21.着で1週間も間がない。佐藤に至っては9.20.辞で翌日には滋賀県入りしてる(!)。真に病気であるはずがないのだ。

そうそう、中澤さんも面白いことを発見した。この人は村田とともに最後まで滋賀県に残った人なんだが、T8orT9頃に坂田郡だったかどこかだったかの郡吏員になっている。辞任者名簿の目次にあったということは、当初は滋賀県土木技手として赴任し、すぐさま移ったのだろう(辞任者名簿に履歴が挟まってるはずなんだが、今回そこまで確認できなかった)。どうりで表に出てこないわけだ。中澤徳次郎は埼玉県時代にも千葉県へ出張したりしていて、ボランチというか遊星ギアというか、そんな役回りを演じている。ひょっとしたら遠山貞吉みたいに治水生徒制度の人なんかも知らん。違うかな。

この頃の人事は一見すると不可解極まりないけれど、厳格な法則に則って動いていたらしいことに気がつき始めた。例えば勤務年が叙位叙勲に直結し、滋賀県技手と技手は別物で、滋賀県道路技師と滋賀県土木技師兼道路技師は明確に異なっていた。何しろ名簿の別ページに書かれてあるほどだ。中澤さんや村田(後者)にはわざわざ朱印で「技手」と押されていて、友岡正介、重松才吉のコンビはふつうに道路技師とだけ書かれてるほどだ(@昭和10年職員名簿)。決して明文化されることのない「法則」があったに違いない。

友岡正介はおそらく滋賀県が直接採用した準エリート(土木学会の学生会員の欄で名前見たことがある)で、そういう人物と移籍組とが(同じ技師という身分であっても)厳密に区分されてた、みたいな。ちなみに重松才吉っつあんは満州に行っている。土木学会附属図書館デジタルアーカイブス「建設 / 土木満州」どちらかより。ページは忘れた(汗

吉田勇という人物はつかみ所がない。埼玉県ではずーっと浦和にいて、一直線に(?)滋賀県入りしている。滋賀県ではあちこちの工区長を歴任(で、何故か判子を逆さまに押す癖がある)。淀川河川敷の沖野忠雄の胸像の復興碑の委員銘に同姓同名の名前があるが、これは1979年に再建された碑だから、滋賀県の彼と一緒なのかどうなのかは微妙なところ。明治26(1893)年生だから全くあり得ない時間関係ではないけれども、戦争挟んでるわけだし、ともかく同姓同名が大杉だ。「吉田勇 土木」で検索すると土木の参考書籍書いている吉田勇さんや越前市で建築工事を営んでおられる吉田勇さん、掛川市で土地家屋調査士をしてはる吉田勇さんさえ引っ掛かる。困ったものだ。

とはいえ・・・滋賀の吉田勇が大阪へ行っていたとしたら、4年前に電話口で聞いた「埼玉と『大阪』から照会があった形跡がある」ちうのと絡んできて、面白い展開になるんだけどな。
画像の説明

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ とと [そうです。それで良いんです。地味でも確実に存在する“存在” 私はそんな“存在”が好きです。]

_ nagajis [私もそんな人になりたいです(とかゆう]

_ とと [さて、旧橋をゲットしたきりnagajisは何処に行ってしまったのか…。]


2010-10-19 この日を編集

## 昭和50年2月25日 三重県告示第131号 区域決定 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字平田170番地先(県境)から 飯南郡飯高町大字波瀬字野瀬道ノ北511番地先まで 1.0〜21.0 5,398.0 ## 昭和50年2月25日 三重県告示第133号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字平田146番地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字野瀬道ノ北511番地先まで 昭和50年2月25日 ## 昭和56年3月3日 三重県告示第98号 変更 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字上山64番地先から 飯南郡飯高町大字太良木字鬼松235番地先まで 旧 4.00〜7.00 70.50 新 4.00〜13.70 70.50 ## 昭和57年2月2日 三重県告示第58号 変更 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字波瀬字堂之谷101番地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字鶴尾垣内86〜1番地先まで 旧 3.80〜5.00 35.00 新 4.00〜9.50 35.00 ## 昭和57年4月2日 三重県告示第187号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字上山64番地先から 飯南郡飯高町大字太良木字鬼松235番地先まで 昭和57年4月1日 ## 昭和60年2月5日 三重県告示第40号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯高郡飯高町大字波瀬字堂之谷101番地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字鶴尾垣内86―1番地先まで 昭和60年2月5日 ## 平成2年2月2日 三重県告示第78号 変更 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字墓之尾5番2地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字鶴尾垣内96番2地先まで 旧 3.00〜7.50 356.00 新 5.80〜12.50 356.00 ## 平成2年9月28日 三重県告示第530号 変更 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字墓之尾5番2地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字鶴尾垣内96番1地先まで 旧 3.00〜15.00 359.10 新 6.50〜11.50 360.00 ## 平成3年6月25日 三重県告示第365号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字墓之尾5番2地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字鶴尾垣内96番2地先まで 平成3年6月25日 ## 平成3年7月30日 三重県告示第413号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字太良木字墓之尾12番地先から 飯南郡飯高町大字太良木字墓之尾4番地先まで 平成3年7月30日 ## 平成10年8月14日 三重県告示第375号 変更 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字波瀬字堂之谷100番8地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字落見127番1地先まで 新 2.00〜30.00 300.00 ## 平成11年5月14日 三重県告示第253号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字波瀬字堂之谷100番8から 飯南郡飯高町大字波瀬字落見821番まで 平成11年5月14日 ## 平成11年7月2日 三重県告示第335号 供用開始 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字波瀬字落見821番から 飯南郡飯高町大字波瀬字落見127番1まで 平成11年7月2日 ## 平成13年9月7日 三重県告示第467号 変更 県道 土屋原飯高線 飯南郡飯高町大字波瀬字堂之谷98番3地先から 飯南郡飯高町大字波瀬字野瀬堂之北511番地先まで 旧 5.40〜19.30 1,409.80

メモCGIが欲しいな・・・

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 流浪人 [関係ないですが。下のTシャツ、長袖はないのかな〜?]

_ nagajis [希望のデザインを教えて下さったら用意しますよ。]


2012-10-19 この日を編集

[独言] うーむ

nagajisは犠牲になったのだ・・・(何の)

↑せめて犠牲者に仕立て上げて自分を納得させようという魂胆。

書けるところは書いて準備中。溜めて溜めて最後に一気に放出するという、まさしく自分で慰める行為そのもの。続きは明日の電車の中だ。

飛ばすべきポイントを掴んだのでたぶん時間内には終わる。たぶん。延長はいくらでも対応可だが最後の長殿は練習をしていない。そこまで話す時間はどう考えてもない。

できるだけ落ち着いて、口を大きく開けて、はっきり喋ること。早口になり過ぎないこと。呼吸しないと窒息するよ。逆だと過呼吸になるよ。ようは樫尾・吉野、川端、大和索道除くpip、林道除く木軌道、橿原神宮さえ伝えられればいい。

さっさと寝て義歯暗を回避しよう。二日連続で目醒まされるのは勘弁だし、何より明日は早い。で、行くからにはそれ以外のことを考えない。最初のふんぎりさえつけば、あとはいつもの通りなんだ。


2014-10-19 この日を編集

[独言] 風邪悪化

罰が当たったのだろう。朝起きたら咳が痛い。血が出るかと思うような謎の痛み。鼻はほとんど止まっているのだがたまにすすって咽たりすると氏ねる。時間が経つにつれて体の末梢部位が痛み始めた。喉に始まった痛みが体の隅々に行き渡っていく感じ。あとちっとで治りそうな気もするのだが進行が遅すぎる。

[奇妙なポテンシャル]

画像の説明朦朧としながら葛根湯を飲むのに使っているカップ。このあいだ四天王寺さんで購入したものだ。

コップの表と裏で物語になっているようなのだが、わかるようでわからないモヤモヤする内容になっている。こちらの側にはカウボーイ姿の少年。右手に銃を持っているのだが引き金に指はかかっていない。手のひらで弄んでいるという風。光の具合でよく見えないが「ワン!」「ツー!」といっている。

中央に猫がいる。そうして万歳をしながら「クワバラクワバラ」といっている。少年の銃の扱い方がぞんざいで暴発しそうなのを怖がっているようにも見えるのだがしかし「クワバラクワバラ」はないだろうと思わないでもない。よほどの年代物なのだろうという推測の鍵を与えてくれるだけだ。

左の木には芋虫らしき緑の物体がぶら下がって明後日の方をみている。特に危機感は感じられない。最初にこのコップを手にした時、この場面だけで話が完結しているものだとばかり思って「芋虫打つつもりなんだな酷いなこの少年顔色悪いくせに」とか思ってしまった。

画像の説明そう思って手に取ったら裏に続きがあった。ブーツを履いた女の子が二人顔を突き合わせて「アタルーカシラ?」といっている。と思ったら違った。「あたるのかしら?」だった。んで右に瓶が置いてある。

どうもこの瓶を撃とうとしているようなのだ件のカウボーイ君は。女の子を前にしてカッコイイ所を見せようとしているらしいのだ。けれどもその腕前には疑問符がつきつけられている。そういう一連の場面。

まずもって、こんな場面を絵に書いた理由が謎。そういう場面設定を思いつくのはいいとして絵に書くまでに至った理由が知りたい。それがナウなヤングにバカウケすると思ったのだろうか。

見ているうちにこの瓶と女性の近さが気になってくる。手腕が 怪しまれるのにそんな近くにいて大丈夫なのか。しかもこの絵の正面から打つとすればまだ被害は起こりにくかろうがカップを一周して撃とうとしているようだから外れても当たっても女の子のどちらかに当たるのではないだろうか。だから猫が「クワバラクワバラ」と言ってるのか。いやいや止めろよ猫。芋虫も我不関を決め込むな。つぎの「スリー」の掛け声とともに阿鼻叫喚の巷が現出するのだぞ。

などということを考えさせるカップである。


2017-10-19 この日を編集

https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11305/1/daigakuinkiyoshou_17_109.pdf


2018-10-19 この日を編集

[滋賀県道元標] 281号川合千田線

紛らわしい、違うの。

滋賀県道274号虎姫停車場線

怪しい細いの

273 東野虎姫線

間違いないソレ。

134旧上馬杉寺庄線

怪しい、折れたの。


2020-10-19 この日を編集

[既出] 讃岐

うどん県へ行って饂飩を食わないというのはうどん県への冒涜乃至は反逆として訴追され得るかもしれない。すまぬ。

だって、掃いてかたすほど饂飩専門店があるもんだとばかり思ってたんだ。そう考えて鷹を括ってたんだ。それにさ、うどん県へ行っておきながら丸亀製麺とかはなまるうどんとか食ったらそれこそ冒涜やろ。

結局、地域の御食事処でフライ定食とか串カツ定食とか食った。それが押しだったみたいだから。みな自宅で饂飩を食べ飽きていて、外ではそれ以外を食べたくなるのかも知れない。

司馬さんばりにとんかつ定食でも良かったのだが私は食のワンダラーもしくは味覚のブラックホールなので何でも構わないのであった。とんかつはかつくらという上限値あるし…

明石海峡大橋を渡って帰ってくると、神戸や大阪の灯りの多さが空恐ろしくなってしまう。こんだけの灯火を灯すためにどれだけ電気を必要としているのかと思う。灯りだけじゃなく暖房とか圧縮とか吸排気とかもあるはずで、そういうことを考え出すとこわくなってしまう。

大阪の夜景は赤い。ビルの角に灯る赤色灯がひどく目立つ。同じものが神戸のビルにも灯っているはずなんだけどな。

画像の説明
本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ しゃちお [香川のうどん屋は看板ない店も多いので目に入らなかったのかも。 はなまるうどんは香川初のチェーンなので、そこそこのものですよ。 香川出身者より。]


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