nagajisの日不定記。
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神嘗祭なり。火の近くに寝たるため、暖くゆっくとり眠れたり。火に遠き者は寒き為眠ること能わずと聞く。四時に起床し、十五分に出発し小萩山に登る。約一・五時間にして頂上に達し日の出を拝し、熊本平野を瞰るに霞蔽いて、明らかに瞰えず。日出づるに及び次第に瞰え出したり。解散なし各自復る。八時に民家にて作りし朝食を食み九時より幕舎を分解し、九時半解散し電車にて帰る。午後は集会所へ行き楽しむ。亦々暖し。夕食後訓育班会を行う。三原の話上手には驚く次第なり。
神嘗祭により休業。
六時二〇分の下りにて隈府に行き菊池神社を参りてより厚子さん宅に行く。十一時まで母や妹や厚子さんと緩りと語り昔を偲び今を思いたり。望月・佐牟田・神野・脇・森田は八方ヶ岳に登るとて菊池神社まで同行す。社は我にとりては初めにて、高所より彼の下に連なる田畑・人家の景は優美にて、又勤王一徹菊池氏の社にとりては当然ともいうべし。市内へ行き、十六時一分にて送りて復る。妹曰くあと六十九日なりと。此く今日は母と妹と終日を愉快に過したり。妹の喜如何なりけん。
運動班会あり。
先日町田生徒監殿は家庭の都合により上京せられたるも今日生徒監殿の御母上様が死去せられたる旨通知あり。我等一同つゝしみて哀悼の意を表せざるべからず。
新嘗祭の佳日にして十時には 伊勢神宮の参拝を行い感謝す。田代週番士官殿の新嘗祭の意義・食料問題米につき話あり。お百姓さんに感謝し一層米不足を我慢せざるべからず。十三日より水前寺グランドにて大相撲ありて今日にて幕を閉ず。
朝は両手軍刀術を一ヶ月振りに行えり。午前中学習其の他、午後三時間集会所へ読書に行き以後は休養、夕食後もすこぶる気抜けして能率上らず。運動会の為に頭の方大部おろそかになりたり。今週こそ充実せる週なり。いざやらん。良好。
ははは,またやってしまいました&ツッコミに気づかず.すみません.これにめげずに怪しいプログラムを作り続け書き続けます.
いや,たくさんの方に答えていただけたのは心底感謝してるんです.本当にです.だからかえってミスすると心苦しく.真面目に受け取るとドヨーンになってしまうので,軽く受け取ってるふりをしています.いやはや申し訳ありませぬ.
最後に「その他」へ1点加える修正をしたのが.Q1は正しく反映されるという罠にはまった.ほんとに治ったのかなあ...
皆瀬の地図up.しかし上記の修正で時間を取ってしまいpdf化まで至らず.あほなり.
月曜日は図書館休みじゃボケィ! だんだん夜作業の弊害が現れつつあるな.
簡単な解決方法をはっけん。これはどのみち読者サイドで何とかしてもらったほうがよさげ。
PayPalとのデータのやりとりをUTF-8でやっている関係上、&、FirefoxやMozilla系ブラウザではAccept-Languageの筆頭がen-USなため(?)、FirefoxでPayPal画面に移ると英語で表示されてしまう。EUC-JPか何かにすれば自動的に日本語になるのだろうけれど、今さらあのへんに手を入れてエンバグするのは正直いやだ。樋をミルよりも明らか。
朝9時から夜8時までぶっ通しで作業。やる気があるうちに進められるところは進めておくべきだろう。
しかし・・・。すでに60ページを越えている。高橋メソッドライクな作りとはいえ20分でカタがつくとは思えない。随分削らないと。
歴史パートはいつも難渋する。前提となる知識の閾値をどこに設定するか。言い回しをくどくなくするにはどうしたらいいか。悩んでも仕方ないのであってちゃっちゃと書いてしまうが吉なのはわかってるんだが。毎回疲れて適当に流してしまっていては進歩がないからなあ。やっぱり自身が消化しきれてないってことだろうなあ。
受付がスキャンしている時に1枚増えて計11枚になった。しかもその1枚が鼻血ものだという。どういうことだ>受付。これ1枚で代金回収できるじゃじゃないか。ごめんなさい○ーチ様。
忙しさの度合いでいえば一般人筏からな。いつ起きてもよし、いつ寝てもよし、することだけやりさえすれば。なんだけれども、それが難しいから困っている。それすらできない低能力者から一般社会人やってなくて飢えて[水+及]々しているともいえる。いろんな意味で相応しい立ち位置なんだろう。
いまのご身分括弧笑いで唯一有り難いことは、平日に時間が取れることだ。どこかに尋ねの電話をかけたり公文書館に行ったりできること。たったそれだけのアドバンテージのために飢えている。それでいいと思う。
でもあれかー、一般社会人の人だって有給休暇とか取ればいいだけの話だもんなー。本当に本気でやりたいと思う人がいたら資金面で太刀打ちできるわけがないもんな。
橿原神宮を候補に推すのを忘れていた。神社建築だけじゃなく道路整備・市街地整備の点も含めて一体として。洞や元標まで入れたらわけわからんようになりそうな気もするけど、入れられないことはない。 どういう取り上げ方をすればいいのかわからないが。 して二次調査や報告を書く適任者もいない。
そのために絵葉書も買っといたんだけどな・・・
戦争たけなわのこの時期にしては珍しい?彩色絵葉書(Oh、モアレェ・・・)。当たり前だが駅前は地道のままだ。そうなのだよなあ、昔の日本人は晴れの衣装でこういうところを歩いてたんだよな。と思い出させてくれる一枚。雨の日なんて最悪だったろう。
他にも何枚かあるが、100えんでバラ買いしたので全部揃っている保証はなく、公園道路が写っているのが見つからなかったのもつらい。ネットで探すと東北陵参拝道が写るいい構図のがあったらしいんだけどナー。
そういや畝傍町道路の建っていた植え込みがないな・・・。15年以前のものらしいから、16年に設置されたものがないのは当然かも知れない。
鉱山は川上村の白土鉱山が使えるよな、とも思い出した。特異的ではあるが国栖の紙漉きとも関連がある。ここは川上村のMさんらがきちんと調べてはるので心配ない。
末尾の「なー」をカタカナにすると一気に昭和臭がする。 それだけ。 自分の生きていた時間に微妙にかぶるはずだが、戦前といっても合っていそうな気もして、うまく掴めないが昭和のかおりがする。
ちょっと気になった橋梁絵葉書。連隊を紹介する一連の絵葉書があって、そのなかの一枚なのだろうと思う。戦前戦中にはいかにして効率よく橋を爆破するか、あるいは逆に爆破に耐えられるようにするかという研究もされていた(関門海峡大橋が廃案になったのも空爆に弱いからという理由だった筈)。そんな研究・訓練の一コマなのかも知れない。
桁のまん真ん中ではなく、その脇に装薬している。当たり前か。そこが一番弱い。真ん中は添継板があるので厚い。
騎兵第26連隊は岡山にあったそうなので(ググッて得た程度の知識)、この橋も岡山のどこかなのだろうか。 訓練専用の橋というわけでもなさそうだし、架線があるってことは電車線だよな、程度しかわからない。
絵葉書をよく見ると、ひどく錆びて腐食し、アバタのようになったのを塗装し直したらしい桁が使われている。今時の鉄道橋では絶対に見られないようなボロ桁だ。そういうのを昔は普通に使っていたんだろうか。
この間白砂発電所を探しに行ったときにうろうろしたのが懐かしかったので掲げてみる。駅や橋、道路の位置関係はほとんど変わっていない。右手に見える橋を渡り、まっすぐ行った突き当たりに笠置村道路元標がある。下ノ川の右岸伝いに進んで木津川を渡る橋。これは今破廉恥な色の取り合わせのゲルバートラスになっている。そうか昔は吊り橋だったんだ、と思って、以前この吊り橋の絵葉書を購入したことを思い出した(特に面白いことはないので省略。かわりにゲルバートラスのほうを載せる)。
ピンクとライトグリーン?の組み合わせ。微妙に陰影のように見えるのが悔しい。もうちょっと落ち着きのある組み合わせでも良かったろうに。
こんな内容で投稿するとか、確信犯だろ(正しい意味で)。
洲本市由良町に明治20年代に建設された由良要塞。その専用道路(軍道)として建設された路線に当時の煉瓦アーチ橋が残る。県や町の管理台帳では昭和年間竣工とされているが、この年度は昭和9年に軍道を廃止し県道へ移管したことを示すものと思われ、実際この移管時に各橋梁が存在していた記録がある(例えばアジア歴史資料センターアーカイブの公文書 https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C01006622600?IS_KIND=SimpleSummary&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=C01006622600& など)。
アジア歴史資料センターのアーカイブで建設当時の公文書を探すと、
・小池川橋、小佐毘川橋=由良軍道第一部 (県道76号小池川橋~佐尾大谷の分岐点:小池川橋・小佐毘川橋):明治25年4月9日着工〔アジ歴資料レファレンスコード:C07050399800〕
・大谷川下軍橋=由良軍道第三部(県道76号佐毘大谷分岐点~由良要塞砲台):明治25年4月9日着工〔アジ歴資料同上〕
・宮川橋、寺谷川橋、禅寺川橋=由良軍道第四部(洲本市道由良山田線、字宮ケ谷~連隊営舎):明治27年5月22日竣工〔C10060479200〕
・婦野川橋・婦野谷第2号橋・婦野谷第1号橋=伊張山堡塁交通路(市道婦野谷線):明治27年7月31日用地買収〔C10060559800〕
といった路線の着竣工の記録が見つかる。砲台や堡塁が完成した明治27年~28年頃には完成していたものと推定される(要塞建築には煉瓦アーチが多数採用されている。その技法を道路橋に応用したものか)。ただし小池川橋だけは明治34年頃に小池川の付け替えと練兵場拡張のため架換が行なわれている〔C07071895400〕。この橋梁だけ使われている煉瓦が異なるのはそのためだろう。
明治27年ころまでに完成していたとすれば、丹波市柏原町の徒輿橋(明治16年)に次いで全国でも2番めに古い道路用煉瓦アーチ橋となる(そもそも道路橋に煉瓦アーチを採用した例は全国でも数少ない)。また煉瓦製の軍道橋梁が多数現存しているのも稀。
橋梁名は『兵庫県の近代化遺産』から。宮川橋は左岸側の藪に「宮川軍橋」の銘の入った石材が残されている。また大谷川下軍橋と対になる「大谷川上軍橋」も存在したようで、現地には他の軍橋にも見られる欄干石が放置されている。その他陸軍連隊敷地内を流れる川にはアーチ部をフランス積みで築いた煉瓦橋の跡がある。
洲本市由良町由良、小佐毘、佐毘大谷
宮川橋:東経 134 度 56 分 32.597 秒 ,北緯 34 度 17 分 30.023 秒
寺谷川橋:東経 134 度 56 分 35.822 秒 ,北緯 34 度 17 分 22.621 秒
禅寺川橋:東経 134 度 56 分 38.371 秒 ,北緯 34 度 17 分 17.754 秒
l小池川橋:東経 134 度 56 分 47.940 秒 ,北緯 34 度 17 分 5.521 秒
小佐毘川橋:東経 134 度 56 分 51.461 秒 ,北緯 34 度 16 分 44.936 秒
大谷川下軍橋:東経 134 度 56 分 56.990 秒 ,北緯 34 度 16 分 25.266 秒
(大谷川上軍橋:東経 134 度 56 分 49.074 秒 ,北緯 34 度 16 分 17.479 秒 現存せず)
婦野川橋:東経 134 度 56 分 34.408 秒 ,北緯 34 度 17 分 7.969 秒
婦野谷2号橋:東経 134 度 56 分 13.236 秒 ,北緯 34 度 16 分 43.590 秒
婦野谷1号橋:東経 134 度 55 分 52.014 秒 ,北緯 34 度 16 分 32.628 秒
(連隊内橋梁跡:東経 134 度 56 分 36.830 秒 ,北緯 34 度 17 分 6.828 秒)
湊川隧道や武庫大橋や、もちろん明石大橋や鳴門大橋やも推したいけれども、その辺はきっと適任の誰かが投稿してくれるはず。だいいちこんな情報提供なんか期待されちゃいねえんだよ>nagajis
友ヶ島へいく。いくったらいく。ご一緒されたい方があったらどうぞ~。たぶん始発便で渡って、帰ってこない可能性大。
滋賀県の県道起終点には「元標」があったらしい。 122号貴生川停車場線。 509号間田長浜線。531号藤川春照線。形式はまちまちだが石で作られた標柱。径6寸5分≒20cmくらい。県の県道指定をみてググルマップで起点をみたら、それっぽいものがあるところが他にもありそげ。つづら尾崎は県道の境目(ここのは歌碑かなんかかもしらんが)。橋の親柱にもたれかけさせてるやつとか。隣に台座付きでほおってあるやつとか、いかにもそれくさい。なんなんだろう。どういう例規に沿って設けられたのか。県の道路標識の告示は平成20年代に入って制定されたあたらしいやつで看板の文字とか大きさとかを指定してる。ソレ以前に何か存在したのか。それとも道路法の付帯構造に名前だけ紛れ込んでいる「道路元標」を拡大解釈したものなのか。
いまで言う青看板とか六角看板とかで県道番号が指示されるようになる以前、県道路線を示そうとしたら、やっぱりこんな石碑を使うのが一般的だったんだろうか。既に検出している三基にはこれといった共通点がない(指定年度が昭和30年代末〜40年代初頭っていうくらいか。だからといって同じ頃の県道に必ずあるようでもないし)。長浜のは「終点」で他は「起点」。それぞれの対になるものがあるかどうかは未確認。他の県道も同様。
イギリス積み。長手の段と小口の段を重ねる。小口段の末端は、一つ内側に煉瓦を縦半分に割った役物(“羊羹”)を挟むのが本式とされる。
末端の処理に羊羹を使わず、7:3くらいに割った煉瓦(“七五”)を使うこともある。七五で処理した場合は特にオランダ積みと呼ぶこともある。
どちらも煉瓦を割る手間が必要だが、『建築学講義録』曰く、羊羹のほうが作りやすい利点があるという。煉瓦は運搬中に欠けてしまうことが多かったので、そういう欠け煉瓦を加工して役物を作るのが経済的だが、羊羹は元の小口の1/2が表に出る=その面に傷がなければ羊羹に作ることができた。小口1/2さえ綺麗であればよい。他面が欠けていても壁の中に隠れるので問題ないわけである。いっぽう七五は小口全面と長手の七割の面積が無傷である必要がある。羊羹よりも広い面積が無傷でなければならない。
また、羊羹をうまく割ることができたら、一個の煉瓦から二個の羊羹が得られ、それで小口2段を仕上げることができる。七五で処理しようとすると八個の煉瓦を割った上に1/4サイズの屑煉瓦が八個出来てしまう。無駄である。
表積みに化粧煉瓦を使う場合はこれが結構効いてくる。羊羹で積んだほうが化粧煉瓦を無駄使いしない。
後年になるほどオランダ積みが増えるような印象がある(この印象が正しいかどうかは証拠はない)。煉瓦価格が低下して無駄に使っても気にならないようになったのだろうか。あるいは七五の割り方を微調整して煉瓦サイズのばらつきを吸収するようになったものか、と考えてみたりもしたが、煉瓦を積む時はたぶん角から積んでいくだろうからそういう吸収を予測して積み得るとは思えぬ。
大津事件発生。第一報は号外で、読めてない。オンタイムで読むと雰囲気がわかって面白いが津田とか三蔵とか使わない決議の話を読んで今の日本の思考の源泉を見た気がした。この感覚が社会的背景を離れて精製され化学調味料になったのがいま。
3度目の煉瓦商況。3度も出てくるあたりにどん底感が滲んでる。それほど資料的には貴重ではないが。
今後しばらくこの数値にうなされそうな塩梅である。果たして煉瓦は等方的に焼き縮むのか。0.5寸の違いがどこから来るのか。そもそもnagajisのとってつけた統計処理が妥当なんか。最後のがいちばんあやしい。