nagajisの日不定記。
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後半も目を通さないと意味をなさないことを(すっかり|うすうす|意図的に)見逃していた。まるっと6時間消費した。へろへろになって終わった頃にはもう寝なければならない。なんでこんなに段取りわるいのか。寝言を言うために寝る時間すらない。わけではないが寝たところでただしい寝言が言えるともおもえぬ。
これで使う図版とかレイアウトとか考えてたらまた1日伸びるんだろうな。ばかだな。
こんな大事なのを古書棚から拾い損ねていたとは。よほどのうすのろだな。
冒頭1/5をざっくり読んだ程度。壁から人骨が出てきたというのはよほどの作り事でないかぎり本当っぽいんだけど、導入があんまりに「政府=悪」偏りなので、無い眉に唾つけてみたくもなるというもの。単純に事実の羅列でもいいんじゃないかなこういう話は。余計なバイアスほど要らないものはない。奈良少年刑務所の移転先探してるという話を掘り返してきて「裏でこそこそやってる」といちゃもんつけるようなもの。
以下内容とは殆ど関係ない。歴史というものへの感想。書いたものはたくさんある。証言もある。それをまとめたものもある。しかしそれが100%の真実と証明することはできない。積み重ねと鎬削りの末に「確からしい」と思うか思われぬか。なにを吸収し咀嚼してどう判断するか。そこからのアウトプットが問題なんじゃない。自身がどう解釈するか、そこから何を得何に応用するかだろうな、と短い読書時間に思った。成果が見えにくいから(形にしにくいから)歴史って敬遠されるんだろうと思う。これだったら順列計算とか確率とか物体の自由落下とかのほうがまだ役に立つ場が多かろう。
西口ばかりちやほやされる浜寺公園駅。東口のこの駅名ロゴのほうが捨てがたい。特に「公」の座りのよさと「駅」の四点の省略ぐあいが。ちゃんと作りつけだ。
書体にも時代時代の流行り廃りがある。作られたものの時代を反映している。札幌控訴院の表札(大正15年)とか、昭和30~40年代のトンネル換気室とかでよく見る宋朝体くさい縦長明朝体とか。
こういうのの変遷を研究したら面白かろうと思う。
不要な存在が不要であることを自認して不要と思われるために不要を主張している。 不要になった果てのことはさあ知らん。