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2015-01-06 [長年日記]

6ph.] 枯野もはいく

画像の説明

いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
かれてなおかたきとげ
いちめんのくずのつた

いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
せいたかあわだちそう
いちめんのくずのつた
あくいのないそうもう
いちめんのくずのつた
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ

いちめんのくずのつた
いちめんのくずのつた
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ
かれてなおかたきとげ
みちあとはなおかすか
いちめんのくずのつた。

[] 今井幸彦『日本の過疎地帯』(岩波文庫)

国交省が限界集落の維持コストを調査へというニュースを読んで思い出した。1968年(昭和43年)に発行されたこの新書を昨年の暮れ頃に読んだ。著者はたしか新聞社の人だったと思うが、その周囲ですら「過疎」という言葉が珍しかった時代に書かれた過疎の本である。昭和30年代末の国勢調査の結果から地方の人口減少の傾向が見られていて、このまま行けば地方の人口は減る一方だと指摘され---都市部への人口集中は戦前から見られたけれども、それが加速したんだったか、地方の出生率が低下して帳尻が合わなくなっていたんだったか---、いくつかの省庁でその対策が検討されたりしていたにも関わらず今なお減少を続けている現状をルポったもの。といったらいいのかな。要するに過疎問題が顕著になり始める下り鼻の頃の話。

前半は人口動態などデータを豊富に援用して「過疎とは何か」を説いてあるのだが、いま現在の目で読むと何当たり前なこと言ってるんだろうという、聞き慣れ見慣れてしまった事象の再勉強という感じがする。そんな昔から判ってたんなら何か対策すればよかったのにと。けれども「過疎ヤバイ」「過疎ヤバイ」ばかりで過ごしてたわけでもないらしい。多少は対策が考えられてた。それが有効に機能しないでこんにちに至ったという感じだ。人とか政府とかの力で何とかできるものではない、人間社会の蓋然的帰結であるのかも知れない。

執筆時点で過疎の村といわれていた京都府の山村、滋賀県の朽木村とかの現状が書かれてある。老夫婦が力仕事で田畑を維持し、夜なべをしという状況がまだこの頃は見られた。今はそれすらなく集落を維持することさえ限界に来ている。そんな状況下で維持コストの調査をする(そこに住み続けるのに・その環境を維持するのに必要なコストと、集団で市街地に移転するコストを調査し比較する)という話に、当然のことのように「何をいまさら」「それこそ税金の無駄遣い」と揶揄する声多数。もちろんそれは都市の人間の言い草か、政府=悪としか考えてない短絡思考の意見である。

集落の消滅っていうことはもう何十年も前から懸念されてきた。そのために新しい産業を興してという話を、吉野郡の村々の村史でよく見た気がする。天川村とか黒滝村とか。けれどもその村史の執筆時点からこのかたを見ても明らかに衰退している。その新しい産業が根付いたという話も聞かない。なぜだろう。(黒滝村は少し違うかな。新しい人がぼちぼちと入り始めて林業が変わりつつあるという話を聞いた。天川村でも洞川のような観光地はいまでも元気で、新しいお店だったりアクセサリーショップが出来たりなどしている)。

過疎の村に民俗調査が入っていることのほうが多い。ダム建設で在所がなくなるからというのもあるだろうけれども、まるで病床に臥した人に死に水を与えるみたいな心地悪さがある一方、そうでもしなければ跡形もなくなってしまうだろうというほどに事態が切迫していたということかも知れず、またその民俗調査の結果から教えられたことも多数あるので、なんともいえない。

この「なんともいえない」が曲者なのだろう。外部の人間がどうこうできる話じゃないという諦観・傍観が前提的にある。村が頑張ってくれないと。魅力のある村になれば観光客も来よう。新しい人が入ってこよう。そんな村任せにしてたから解決しなかったのじゃないか>過疎。もっと外圧が(補助金でも優遇税制でもなんでもいいや)が必要だったんじゃないか。いや、それもずいぶんやったけれども今日に至っているのか。しかし政府が本気で過疎を何とかしようと考えているなら、「子どもを産み育てやすい社会を」ってのと同じくらいに熱心にやるはず。

過疎を悲しむべきこと、解決すべきことと考えるのが無理があるのかも知れぬ。山奥に仕事があったから入っていって住み着いた。そこが便利であったから住んだ。不便になった今、積極的に出て行くほうが賢い。それを敢えて蹴って生まれ育った地に骨を埋めたいという思いが尊重されるのと同じくらいに積極的に出て行く選択を尊重してあげたい。コミュニティだとか生活習慣とか言われるけれども、なに、昔はもっと自由に出入りしてたじゃないか。

てなことを読んで思ったはず。

[] 芳賀矢一校閲・志田義秀/佐伯常麿編『類語の辞典』(上下)(講談社学術文庫)

「日本で最大・最高の類語辞典」という触れ込みに惹かれて衝動買いしてしまった。ちょっと変わった辞典である。言葉の言い換え辞典がイメージ的には近いけれどもそこまで機能しない。類する語が知れるというただそれだけの辞典である。

例えば瓜。ナントカ科の植物で云々という短い説明に続き、瓜の別名である黄団、甘霜、等々の語が並んでいる。ここまではまだ瓜という語の言い換えに使えるかもしれないが、この辞書の本質はその後ろにある瓜から派生する語のズラズラだ。

◎くだものとーーー○果■ <クワラ>
◎やさいとーーー○蔬■<ソラ>
◎うつくしきーーー○[古]かほうり(顔瓜)。
◎熟したるーーー○熟瓜<ジユククワ>
 △おそくーーー○おそうり(晩瓜)
◎未なりのーーー○[古]かりもり
◎小さきーー○[「瓜+交」][「瓜+失」][「瓜+包」][「瓜+勺」]たちふう(「瓜+失」「瓜+旬」)。

ーーーは元の語(ここでは瓜)が入る。△は◎の入れ子の関係で、例のんは「おそく熟したる瓜」ということになる。そんな感じで瓜に関係する語が沢山並んでいる。そのうち南瓜とか西瓜まで出てきてその語の説明が入ったりする。類語の小宇宙である。

そのうえ、 元版は明治42年に刊行された辞典なので(その紙面を文庫版サイズに縮刷してる)、潰れて読めない字(■)やJIS第二水準でも表現できない字(「」)がぽろぽろ出てくる。類語がわかったところでその文字を打てない・書けない・読めないこと多数。勿体をつけるため・いかにも知ったかのように別の語で書こうと思っても、せいぜい最初のいくつかが使えるだけだ。逆に「蔬■」という語の意味を引くこともできない。上記のような書き方なので引きようがないのだ。

結局、 移動時間とか厠とか、手持ち無沙汰な時に適当に開いて眺めるだけになっている。勿体無い話である。


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