nagajisの日不定記。
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南和鉄道史を大阪中之島で見たもんだとばかり思っていたが、そんなこたあねえ、旧交通科学博物館の図書室で見たのだ(だからコピーが存在しないのだ)。ばーかばーか。京都に移ってからはどうなってるんだろう?→図書室はあるが検索してもでてこねえぞ。交通科学博物館でも現場で何か調べて見つけたのだっけか。
紀和鉄道の社史は土地収用の大変だったこととか資金繰りに苦しんだとかの話ばかりで技術的な話題がほとんど載っていない。困ったものだ。
●製鉄所製造の軌条 標本として農商務省へ廻送し来り製鉄所出張所内に陳列したり
(朝日新聞東京版1901年12月13日朝刊2面)
その一本?がどっかから出てきたり、しねえよなあ。
1903.6.17には日本郵便船の伏木丸が秋田土崎港にむけて製鉄所製造レール1700トンを積んで出港する、という記事。この頃磐越西線だったかを建設中だったはずでこの年の別の日の新聞にその記事があった。コピっておいたがまだ確認できてない。
1902年の11月に6回連続で八幡製鉄所の記事があった。高炉は予定の半分くらいしか出銑しない、しかし大冶鉱山とは15カ年契約で輸入を取り決めてる(手放せば列強他国に取られかねない)ので鉄鉱石はどんどん入ってくる、頑張って銑鉄を作るもののそれを製品部で処理しきれず(予算削減でラインが不完全だったため)。銑鉄塊だけがどんどん出来上がるという状態。それで高炉を停めざるを得なかった。あとコークス製造工場が(仮)のままだったことも影響している。してその熱を効率良く使うことができてなかった高炉の設計不良、というところは記事になかった。しかも6回連続の第4回、ベッセマー転炉のことを書いている日のをコピーし忘れてくるという体たらくを演じる。ばーかばーかばーか。
官営釜石の時代にすでにレールを作る気であったらしく、機械を購入するとかしたとかいう記事もあった(明治10年代)。どうなったんだろうな・・・
第一次大戦末期にカナダのバンクーバー港に係留されていたロシア宛発送の軌条をカナダ政府が譲り受けたいと連合国に働きかけているという話。どうもこの頃カナダ<>ロシア間で折り合いが悪かったらしくカナダ>ロシアあて金輸出とかが禁止されたりロシア人バンクーバー港立入禁止とかいう報が出てくる。1918年の話。あれロシアもカナダも連合国なんじゃねぇ?と世界史不取得の私にはうまく理解できない。ので帰りがけに中公新書「第一次大戦」を購入してしまって帰りに半分ほど読んでしまった。
そっか、大戦中にロシア帝国がひっくり返っちまったんだな(1917)。だからロシア宛荷物が出せずにたまってたんだ。んで戦線のカナダ軍補給用鉄道を建設するのに使いたかったんだろう。じゃあシベリアに行ったとか行かなかったとかいうやつとは違うのか。和歌山線に敷いたのはシベリア出兵のときにゲッツしたのかな。
南和鉄道史は京都鉄道博物館の図書室にありますよ。コピーできないかも(未確認)。蔵書検索で出ます。
わ!「南和鉄道」では出ないんだ! 「南和鐡道」だと確かに所蔵が確認できますね。ありがとうございました、今度行ってみます。。