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2018-12-17 [長年日記]

[煉瓦] 上神崎川橋梁

画像の説明

足場や台船も用意され、もうまもなく撤去がはじまるという雰囲気。これが見納めかも知らん。(この右の橋脚は周囲に足場が組まれてある。また下流には台船がいくつも係留されているので台船に積んでそのまま神崎川を下していくのかもな。だとすると取り付く隙もない)。 画像の説明

大阪市側の架道橋の橋台は半分以上撤去されている。ダイアモンドカッターか何かでスッパリ切られているのはかえって小気味よかったり。この橋台の通路は12/17の晩から翌朝にかけて通行止めになるとのことで、新しい桁下制限のバーも用意されていたから、明日にも完全撤去されるのかも知れない。この向かいの橋台はもう少し残るかも知れぬ。

[独言] 覚書

石橋・池田にも一応戦前の煉瓦の転石は認められた。ただし岡町近辺に比べれば少ない。繁華街・商業地の更新の頻度と住宅街の更新の頻度が違うせいかも知れぬ。住宅は30年〜50年スパン。商業地だともっと短くなる気がする。 考えてみれば今頃が最後のチャンスなのかも知れぬ。

商業地の古い煉瓦は、新しいビルに建て替えられた時にガラ一切が合切片付けられる。住宅は転石を生じやすい。家の水回りや門前の溝に使われていた煉瓦が掘り繰り返されて、それが隣近所の植木鉢を支えるのに使われたりとか。

行き止まりの細い路地。木造文化住宅の密集地帯。一軒だけ残っている倒壊寸前の廃屋。そういう所に煉瓦転石が蓄積される。マンションが建つとかして広範囲に手が入るとごっそりなくなる。池田でも商店街の通りより東は皆無に近い。商店街西の国道との間の空隙に見られる。石橋は、あれはレアケースか。アスファルト化された住宅地の溝に使われていた箇所が1つ、モータープールになっている一角の壁。後者は以前住んでいたところから100mも離れていなくて、当時そのそばを何度も通っていたのに煉瓦壁だということも気づいていなかった。たぶん大正〜昭和頃に建てられた屋敷の外周壁だっただろうというもの。そこだけが旧さを残している。他の一帯にはまるでなし。

[煉瓦工場] テキスト化

S41まで。遂に山梨の甲州煉瓦が消え東洋第一コンクリートになる。他の府県でも消滅し尽くして飛ばしてしまうところが増えてくる。だいたいこの頃が消滅のピークか。窯業が20人以上掲載になるのはS37からだが、この頃とS39には意外と工場が多かったりする。この頃登場する小工場も多い。しかしS41になった途端消えていく。切ないものだ。

転業が終えたのはわずかしかない。エクセルに放り込む時にもう一度通覧を開かなければならないようだ。

書きながら気づいたが全国分を集めたということは全年度の窯業の全ページが手元にあるということだな。すげえ無駄。といっても関東編はS45までしか取得できていない。最後の〆に残りを取って来るべきか。どうせ取ってきても耐火煉瓦しか出て来ないだろうけれど。これはS45を終えたところで考える。

工場通覧終わったら…工業要鑑の昭和のを片付けなければ。昭和4年度までしか拾ってない。あと鉱山諸会社を忘れないよう。S21の貴重なデータだ。


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