nagajisの日不定記。
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珍しく問い合わせメールが相次いだ頃に「お聞きしたいことがあるのですが」というsubjectでスパムメールを送ってきた奴に糞便排泄機関とのレッテルを貼り付けてやりたい。
読んでいる新聞の発行時期とほぼ一致するということに気づき、図書館への行き帰りとか吉牛のカウンターとかで読んで了。どんな内容なのかは国基テストの頃に便覧でべんきょーしてたはずだが思っていたような内容ではなかった。もっと役に立つ、身の糧になる内容である。
煉瓦製造はもちろん出てこないが略同じような労働形態だったろうと思われる。ただし明治時代はまだ赤煉瓦が華であり得た時代でそれほど賃金は悪くなかったはず。煉瓦製造ではなく煉瓦積み職人のほうは確かに中の上くらいの賃金を貰っていて、何よりも寡占な仕事だった。製糸工場とか織物工場は工場も多く労働者も多くでひたすら低廉賃金悪条件でこき使われた。煉瓦製造もそれに近いほうだろうと想像する。これを想像ではなく数値で裏付けられたらと思う。賃金まで載っていた統計はどこの県だったか…。
播煉の話を伺ったあの方は「楽しいことなど何一つなかった」と仰っていた。戦後すぐの頃はかえってそうかも知れぬ。『れんがと女』に書かれた野幌の場合も決して楽な仕事ではなかったように読める。少なくともいまの自分は100倍恵まれていると思わなければならない。そしてその恵みは『日本之下層社会』のような発表があったればこそ、社会を変えていこうと努力した人々がいてくれたからこそなんだと思う。一つ一つの成果は微々たるものであったとしてもその積み重ねのお陰で今があると思わなければならない。
そんな苦労をしてまで人は生きなければならなかった。なんでだろうな。それを疑問に思っちゃだめなんかも知らんが。生きているから働いて飯食わないといけないのだ。何も食わずに生きていけるんだったら誰も働かない。働かずに食っていけるんなら社会は発展しない。スマホで旧版地図と現状を照合しながら歩いたり枚方まで片道1時間で行けたり山中の標高差10mを計測したり毎索で100数十年前の新聞をぺろぺろ読めたりはしない。そうやって生きるための労働以外のやりたいことができるだけでも有り難いと思わねばならない。そんなことができずに一生涯を終えた人々に報いるためにもいろいろ知らないといけないなあ。
横山源之助は上梓後に農商務省嘱託となって工場調査をやっている。その成果が『職工事情』。んでそれが工場法に結実することになるのだけど、最初の法案は帝国議会で成立しなかった(M35の『工場通覧』はたしかそれに関連して作られたんじゃなかったっけか。で工場法が成立するM44頃まで通覧は農商務省発行で作り続けられて。そういう意味では知らぬ間に横山源之助のお世話になっている。ただし工場法が出来た途端にやめちまうもんだから大正初期が空白地帯になっておって困っておる)。
一昨日の続き。喜邦報文の興味深いデータ。素地を焼いて製品になった時どんだけ縮むかの表。素地の寸法÷製品の寸法。〔〕内はその逆数、則ち縮小率のイメージ(nagajisけいさん)。
品等\寸法 | 長 | 幅 | 厚 |
素地 | 1.00 | 1.00 | 1.00 |
縮焼過 | 1.10〔0.91〕 | 1.13〔0.88〕 | 1.10〔0.91〕 |
撰焼過 | 1.08〔0.93〕 | 1.10〔0.91〕 | 1.08〔0.93〕 |
焼過一等 | 1.07〔0.93〕 | 1.09〔0.92〕 | 1.07〔0.93〕 |
焼過二等 | 1.09〔0.92〕 | 1.07〔0.93〕 | 1.05〔0.95〕 |
焼過三等 | 1.04〔0.96〕 | 1.06〔0.94〕 | 1.05〔0.95〕 |
並焼一等 | 1.04〔0.96〕 | 1.05〔0.95〕 | 1.05〔0.95〕 |
並焼二等 | 1.04〔0.96〕 | 1.05〔0.95〕 | 1.05〔0.95〕 |
焼けば焼くほど縮小して、素地の9割くらいになってしまうことがわかる。んで何故か幅がよく縮む傾向あり。そんなに大きくは変わらないみたいだが一応異方性は確かにあったのだと考えたほうがいいようだ。いや、違うな、幅が縮まるのは釜で焼く時にその方向に積み上げるからじゃねえのか。焼き締り+積み上げた煉瓦の重さで縮みやすくなるはず。一種のクリープ。
んで縮み方にも差異があって、一昨日書いたみたいに「長さで4分、幅で2分5厘、厚さで1分5厘強以内」の差が出てくる。実寸に直すと 1.21cm・0.75cm・0.45cm 。うーん、長手が12mmも変わられると同じ規格の煉瓦とは思えんくなるな。
このデータの出処(どこの工場のか)は書かれてないけれども、関東の工場は10種類のところあり、関西では多くても6種類という話もあるので(T11.10.小林作平報文)縮焼過があるこれは関東のやつっぽい。
こうい実例を見るにつけ、煉瓦サイズを測ることの無意味さを思い知られる。加えて観察者の測定癖誤差もある。かといって寸法測定をしないでもいられないのがヤラシイところだ。刻印がなかったりとか構造物を構成してて弄べないような場合に、寸法を測る以外の客観的データ収集法がないからのう。
欠けたところから内部を観察して胎土の状態を記録するとか(そしてそれを誰がやっても同じように記録できるような手順手筈を構築しとく必要がある)、煉瓦の色をカラーチャード重ねて記録するとか(これはそういうカラーチャート作って●番色とかするとか、色分析器でRGB数値に変換するとかすれば何とか)しかないんちゃうん。してそれが何かを特定する手がかりになるわけでもない。現状では。
焼いた時の不均等な収縮を見越して大きめの型枠で素地作る→焼く→不均等な収縮を起こしてバラつく→所望の大きさに近いものをできるだけ選んで使う、の結果を私たちは見ていることになるわけで、そこには収縮のバラツキだけでなく選別のバラツキも関わってくるわけで、バラ^2なわけだ。整って見えるようにみえても実際はバラ^2なので、そこから逆算して元の形を推測するような方法は上手く行かない気がする。T先生の体積法はよい着眼と拝察するが縮み方自体がバラつくわけなので残念ながら万全ではない。それよりも重量のほうが効果があるのではないか、とたった今思いついたが、それもやっぱり素材の土が違えば密度も違ってくるだろうしなぁ。同じ工場の製品で同じ土を使い同じように焼かれたほとんど同じ形の煉瓦であれば重さは一致するはずだが、そうなるとわかることの範囲がものすごく限られてしまう。いや逆だ、同じ体積で重量が違えば別社の製品ということになるか。しかし欠けてない状態の良い転石を得るのは大変なんだよ。
大阪の中でも堺の粘土と岸和田の粘土は違う。これはT2の倉橋報文参照。岸和田と貝塚は共通点が見られる。大阪窯業の一部も。それは岸和田工場or堺工場製ということか。ならば堺工場製大阪窯業の煉瓦ってどんなだ。