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2022-04-28 [長年日記]

[独言][煉瓦] 終活

画像の説明

煉瓦の置き場を作るためにここ10年以上手を付けていなかった部屋の一角を片付けた。

ここまでするのにどれだけ手間がかかったかわからない。売れ残ったバックナンバーCD#2を大量に破棄し(当然紙プラ分別せねばならない)、溜まっていた地形図コピーも大半を処分した。2003年の旅で持っていった蠅帽子峠の地形図コピーから足怪我直後に行なった伊勢本街道探索で使ったものとか過去の探索で使用したやつとかしなかったやつとか、とにもかくにも現行図のコピーはあらかた廃棄した。いつかまた使うことがあるかも知れないと思って取っておいたものだが、考えてみればその機会に恵まれたことはまずないのだ。再訪したとしても前のコピーを探しあぐねて再コピーしたことのほうが間違いなく多い。無駄ではないか。

そもそもだ。思い出とかどうとか考えるお年頃ではなくなった。死ねばどうせ捨てられるのだし、その時まで取っておいても誰の役にも立たないし、そもそも自分自身がコピーの存在を忘れている(何でコピーしてきたのかわからないものも多かった。北海道の2.5万図なんて何をしようとしたのかも思い出せぬ)。そんなものをいつまでも取っておいて思い出に浸らなければならないほど、自分のしてきたことは少なくない。考えなければならないことや新たに考えたいことはエントロピーの如くに常に増えていく。それに追い落とされ忘却されていく思い出に構っていられなくなっている自分なのだ。すまんな過去のおれ。より鮮明な記憶と記録はORJに書いたやつを参考にしてほしい>未来のおれ。

もとは煉瓦をどうにかするための片付けだった。2019年の赤煉瓦ネットワーク大会から持ち帰って適当に積み上げた状態のまま放置されていたのをいい加減片付けて整理しておかなければならなかった。何しろ高さ1m余の煉瓦の壁だ。邪魔とは言いたくないが状況としてはそうとしか言いようがない。&、量が多くなりすぎて目的の煉瓦を探し出しづらくなっていた。煉瓦をくるんでいる緩衝材にその煉瓦の名前を書いていたので積んでいると見つけられないのである(壁に積んだ煉瓦の刻印が見えないのと一緒)。その緩衝材にふせんを貼って前から読めるようにはしていたけれどもすぐにくるくる巻き上がって意味をなさなくなるし積んだ時に逆にしてしまったのもある。2019以降に採取したものはその付箋すらないものも多い。

というわけで小口に養生テープを貼ってそこに書き込むことにした。ついでに各煉瓦に識別番号を振ってExcelでカタログを作成することに。名称、採取地、採取日、経緯度、寸法、斑紋、Y線、などなどをメモできるようにもした。自分以外の人にもこの煉瓦の意味がわかるようにしておかないと、という強迫観念じみた危機感を抱いている昨今である。

全部の煉瓦の採取地を覚えているはずだったが、思い出せないものが案外多くてちょっと落ち込んでいる。こんなの採取してたんだと驚くようなものもある(4/8の津守煉瓦とか。あれも採取地思い出せない)。写真だけ撮ったもののほうが、忘れないうちにbdbに登録したせいか記憶に残っている。写真を取らずに現物採取で持ち帰ったもののほうが忘れている。そっちのほうが重要なのに。ほんと申し訳なくなる。

自分の頭の中の消しゴムは安いだけのRabbitから、MONOになり、そしてまとまるくん(まとまるママ)になって、年々消えやすくなっていくのを感じる。一度忘れたら跡形もなくなってしまう。これが脳の劣化なのだとひしひしと思い知らされている。忘れてはいけないことを、今のうちに書き残しておかなければならぬ。

そうして煉瓦整理はまだ終わっていない。この壁がもう一枚分ある。その壁を積む前にある程度並べ替えておかないと後で困るだろう。そしてその壁の写真を撮って、どこにどの煉瓦を積んだかわかるようにしておかないと、元の木阿弥だ。

整理のお陰で気づいたことも多い。泉州系の煉瓦と堺系の煉瓦では胎土が明らかに違う。明石の煉瓦と播州印南の煉瓦も違う。京都川岡辺の煉瓦も特徴的。そして以前から気づいていた神崎煉瓦系。刻印で工場が判明していれば地域ごとの胎土の違いをも物差しにできる。そして播州の煉瓦は手触りでわかる。播州の煉瓦は使い込んだ#180の紙やすりくらい粗い。泉州堺の上質な手成形煉瓦は#320。船坂で採取したヤマ菱が山陽新型だとわかったり、手成形煉瓦は基本的に平表のほうが平裏より一回り小さい傾向があることがわかったり。後者は先にこの面を乾燥させるので収縮するのだろうと想像されるが、それが合っているかどうかはともかく、平表で測った長手小口と平裏のそれとでは3mmくらい違うのもザラにあって、そうすると測る場所によって1分も違うことになり、構造物に使われている煉瓦を計測する意義がさらに薄れてしまう。やはり寸法規格なんて深く考えるだけ損である。


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