nagajisの日不定記。
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思いの如く寒かりき。地理漢文の教官殿休まれし故に、三吉教官殿話並に、自習ありたり。午後は歩兵隊見学なりしが、予定を変更して目測及び手旗の通信ありて、校の付近にてなす。しかし予は診断の為参加せず。診断の結果治癒となりたり。随意運動時に裏門より走って出発し、一気に兜山に登らんとせしが、約八合程登りて脚疲れ来たり。下山後も足下振らつきたり。これ急に近日せぬ事をなしたる故と思う。腹工合非常によく、今日の食事は朝・昼・晩共食するに、四十分以上を要したり。此の際にくせをつけなば将来もゆっくり食すならん。
独乙語単語五十あり。午後は誕生日会柔道・身体検査あり。柔道にて固技、全部習いたり。身体検査は身長一六四・〇となり体重五五・二にへる。随意運動も亦田村と柔道をなす。愉快なり。一向に誰しも考査を目前に勉励中なり。異状なし。
待っていただいた分、完成度はとても高い。nagajisの原稿の中身は棚の上にあげておいて、リンク類や誤字脱字も徹底的にチェックすることができた(「喪われた〜」はあんまり良い写真がなかったし、写真をサブにしてみたくて拡大リンクなしの方向で)。これもすべてTUKA氏のお陰だと思う。ケツを引っぱたいてくれる人が必要だ。感謝の言葉が貧相で申し訳ないのだが、その分、働いたつもりでいる。この号は(本気で)TUKA氏に捧げたい。
今回、バックリンクをAcrobat8.0でも機能するようにした。これまでフォームのボタン+JavaScriptで実装していたのをリンク+JavaScriptに変更。それがちゃんと機能するかが未チェックだ(間違いないとは思うが)。しかし自分の気力が尽きた。準備しただけで落ちる。堪忍。
「押忍!」と「堪忍!」って、似てるよな。
寝過ごして5時頃に目が覚めた。慌ててそのままupしようかと思ったが、やはりWindowsで見ておかないとと思ってチエック。したら、Raeder8.0でバックリンクが動作しないっ。泣きそうになった。app.goBack();自体が機能していないようだ。
やっぱり4.0/5.0で作り続けるのは無理なのか。。。と思ったのだが、リンクの設定に「メニュー項目の実行」というのがあることを思い出した。文字通り、上のメニューにある項目を作動させることができる。これで「前の画面に戻る」したらいいんじゃね? こっちのほうが機種依存しそうだし、手間が2倍になるので避けていたのだが。
急いで仮テスト版を作ってチェック。動作OK。残りも小一時間かけて修正。これで最新版を使っていただいても大丈夫なORJになりました。手間がかかるけどな。
時間がかかったのは各企画ページと統合版とをそれぞれ触ったから。最初に各企画ページを作る時にきっちり作っておけば(統合版はそれをくっつけるだけなので)問題にはならないだろう。
というわけで、大変お待たせいたしました。
結局よくわからない記事になってしまったな。自分がよく解ってないからだろう。
さて、残りを片付ける。ばかすかむしゃむしゃ片付けないと終わらない。
前回の方法で作ってみたがあんまりサイズ削減になってない稀瓦斯。なしか。画像が多すぎるのか。まさかフォントで変わるとか、ないだろうな。
レーベルデータ・ジャケットデータのチェックをパス。うまくいけば20日に届く。ねじりまんぽの日には間に合わなかったぜむはは。
追記:販売始める時はあらかじめ表やORJ.pdfに載せまする。少しお待ちを。あ、先行販売はしまうわなにをするやm
バカスカ書き散らしたい気分なので書きちらしながら作業する。
小淵少子化担当大臣に対する質議だけ温いぞ。
とかいって入力してると書く暇がないという罠。近くの高校のセンセがナタを所持して捕まったらしい。nagajisも気を付けなければ。
とりあえず魚拓でも取ってみる。いつでも思い出せるように。でも公開したりしないから。みんなも怪しげなコト書いてたら魚拓しようぜ!>この部録"。
度量がないっちゃあないnagajisな訳だが、そう早々に消費材料にされたらたまらんからな。で、何が足りないのか考えヨット。
次号発行で1年経つので「400えんにします」表記を消すことにするつもりでいる。珍しく無言実行したなと思う。でも22号発行と同時に告知したような気がするし、そうすると3月まで掲げておくべきなんかも知らん。いや、逆か?もう消さなきゃいけないのか? といった具合に年月日のけいさんができないnagajisです。ぼく3つでちゅ。
空いたスペースに何入れよう。今からワクワクしている。
あれ? 同時だったッヶ? 記憶がなくなってないか?
一気に発注かけちゃった。しーらないっと。とりあえず初回は自腹。捌けるとも限らないからな。
やばいのはCD#2のせいにしておくッ! 自分で作っといて意図不明瞭になった熊野のせいにしておくッ!
押し売りには押し売りで対抗するのである(何 たぶん役立たない。
近代デジタルアーカイブス収録「宮城県国県道道路表」より路線名と経由地表記を抜き出してみた。明治28年時点の宮城県の国県道の一覧。
県境はどれも把握しているつもりだったのだけどすっかり忘れている。あと軍衙絡みの国県道が目立つ。仙台市所管の(漢数字)道は互いに重複が多い(原本里程標参照)。
昨年末に大掃除ができなかった分をしている。不要PCをまとめて処分しずいぶんすっきりした。
昨年の怪我を契機にいろいろ思った。そのなかの一つが「ものを捨てよう」。あとで使うかも知れないというものを取っておくほうだったが、そういうものが溜まりすぎていていろいろ無駄だと気づいた。ものがたくさんあるからといって豊かな気分になることもないし、残しておいたところで誰かの役に立つこともないだろう。要するに死に支度みたいなものだ。
今日も思い出の品をずいぶん捨てた。今は身軽になりたい。
市部の道路は国県里道問わずすべて支弁という大盤振る舞い。
○廿一年度区部地方税支弁<道路橋梁等修築費>区別及施工方法
●明治廿一年三月十九日告示第三十八号 神戸区
明治廿一年度区部地方税を以て支弁又は支給する道路橋梁港湾堤防修築費区別及施工方法左の通相定む
第一項 地方税土木費を以て支弁又は支給する区別左の如し
一 国県里道及其橋梁並道路に付着する石垣修築費
但里道は公道の称あるものに限る
一 神戸元町通国道,兵庫相生町より港町を経て柳原町に抵る県道,兵庫長澤町より西宮内町を経鍛冶屋町に通ずる路線取拡費
一 兵庫港修築費
以上悉皆地方税支弁とす
一 湊川堤防修築費
以上工費高の五歩地方税より支弁す
(以下略)
郡部については、国県道の更正(新築・換線)は工費の1/2を支弁、修理は全額を支弁。更正は地方で議決ののち県が施工するというのがユニークかも(後述)。道路改修には橋梁の架け換えも含む。河川のほうが細かく列挙され補助割合も細分化されていた。
○廿一年度郡部地方税に関する土木起工順序
●明治廿一年三月二日告示第三十号 各郡
明治二十一年度郡部地方税経済に関する土木起工順序別紙之通相定む
地方税に関する土木起工順序
第一条 地方税土木費を以支弁支給補助する区別左の如し
但河川堤防に属する修築費金二十円未満は悉皆関係町村の支弁とす
一 国県道の更正は其工費金高の五歩通(土功費の半額に限る)地方税より支弁す
一 国県道修繕及び其橋梁建築修繕費は地方税を以支弁す
一 別表第一号廿七河に係る修築費は関係一区域内目論見金高廿円以上二百円未満は五歩二百円以上四百円未満は六歩四百円以上は七歩を支給す
一 別表第二号七十六川に係る修繕費は関係一区域内目論見金二十円以上百五十円未満三歩百五十円以上三百円未満四歩三百円以上五歩を補助す
一 別表第三号十港に係る修築費は七歩第四号十五港に係る修築費は五歩を支給す
第二条 国県道の更正は連帯町村決議の後当庁に於て起工するものとす故に別段具申を要せず
第三条 国県道に属する橋梁の建築修繕を要するものは所属町村名道路名称橋名及其実況を詳悉し所管戸長より(郡役所を経て)具申すべし
第四条 国道県道の修繕を要するものは所属町村名道路名称箇所名を詳記し所管戸長より郡長へ申出べし
(以下略)
郡部の国県道は更正予定個所を予め告示しているのが面白い。M22,M23とこれを踏襲.
○廿一年度郡部国県道更正箇所取調表
●明治廿一年三月二日訓令第二十五号 郡役所 戸長役場
今般第三十号を以明治二十一年度地方税経済に関する土木起工順序及告示候所客年通当郡部会の決議に基き同年度に於て別表の通国県道更正並橋梁建築工事実施可致候条該橋梁に係るものも都て具申を要せざる義と心得べし
但港湾修築箇所は追て訓令すべし明治二十一年度国県道更正箇所取調表
国名 郡名 町村名 国県道の別 線路 更正延長 摂津 八部 白川村外四村 県道 神東郡辻川より岐れ三木を経て神戸に達す 一里三十四丁二十一間五分 武庫 伊孑志広田間 同 三田より西宮に達す 一里十六丁九間七分 (以下略)
近デジに収録された例規集は明治21〜23年と30年代初頭の1つだけしかない。そのためM20代のやり方がどれだけ続いたかわからないところがある。郡部の国道・県道・その橋梁・特定河川の修築&砂防工費は明治30年度から悉皆県費支弁となっている。町村費支弁道路への県費支弁はなかったらしい。
●兵庫県告示第百四十一号 明治三十年五月二十五日
郡部国道及仮定県道其橋梁別表十四河川の修築費並其流域内の砂防工費は明治三十年度より県費を以て支弁す
県費支弁に係る河川名及支弁区域一覧表(略)
市町村費支弁の河川については補助制度があった。
●兵庫県告示第三十九号 明治三十年二月二十日
市町村費支弁に属する別表掲載の河川港湾に係る修築工費は県会の議決を経明治三十年度以降左の歩合により県費を以て補助することに定めたり
これは河川のみに関するもの.明治30年過ぎには前掲の更正箇所表のような告示はないようだ.
●兵庫県訓令第五十三号 明治三十年四月二十日 郡市町村土木補助規定.明治二十六年訓令九十三号廃止.
兵庫県の県道は明治11年に布告され何度か改定されている模様。近デジの現行法規集に告示年と番号のみある。
九年六月 太達六〇号 道路等級を廃し国県里道を定む 十一年二月 県丙六号 同上(爾後数回の沿革は略す) 同年四月 県乙一三二号 同上(爾後数回の沿革は略す) 十三年六月 同一一八号 道路等級達は其名称を仮用せし件
ん.11年二月のは違うのか.M9の太政官達が浸透していなかったので再確認のつもりで通達してる.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1087376/203
4月のは「道路等級改正の件」.原文「現行兵庫県布達便覧 下」がねえ・・・.図書館にも存在しねえ. http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788554/114
兵庫県の明治の県道は近デジに統計書がないこともあってよくわからない.松波さんのところも大正道路法以降しかない.
氷上郡には明治22年頃に県道但馬往還線,県道高砂福知山往還線,県道柏原明石線,県道宮津往還線の4県道が存在.明治22年『類聚現行氷上郡役所令示全書』県道線路並小破修繕施工順序中の道路掃除及小修理線路並妊婦負担区域表より.
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788853/250
「お前らの頭も叩いてみれば?」>「文明開化の音がしたぞ」>「ザンギリ頭乙」というやり取りがツボにはまった。以前の「おはらいてう」と同系統のツボである。「音がするぞ」でなく「したぞ」なのがミソと思われる。新しい文明開化である。It's new!
そういやトマトの害虫避けに枝葉ごと振動させ続けるっていうニュースもあったな。遺伝子組み換えとか農薬とかいったややこしい手段を使わなくとも改善できる余地があるっていうのが面白い。
よく考えたら中国とか四国のとかも書いてるしな。現状中京でしか見かけていないが草津や米原辺で見つからんとも限らんし。
他地域のは関西圏で見つかっている不明刻印を解消するために必要なのだがそればっかりやっているとキリがないので程よいところで止めないといけない。煉瓦置く場所も潤沢にあるわけでなし、そもそも持って帰るのがしんどいし。
南海の孤島にいる夢。目的不明だが大人数のうちの一人として島を訪れている。日本の最西端だったか最南端だったかの人住の島だが(微妙に西表島だという認識)、例に漏れず過疎に悩んでいる。島の中央には住宅地の跡。住宅の跡ではなく広い宅地がまるごと空になっている。集落ごと退転して建屋もすっかり取り払われた屋敷跡に記念の小さな石碑だったか墓石だったかがちょこんと置かれていたりする(十津川村の栗平みたいな感じ。「○○家跡」みたいな碑が元住人によって建てられていた)。遠くの山の斜面にもハリボテのごとき建物の跡があった。3面が落ちてベニヤ張りの壁が一枚だけ残っている。
何かイベントがあったのち、エンジンボートに乗って海に出ることになる(何しに行こうとしたんだっけ…)。しかしボートは皿のごとくな浅いもので、波を被ったら、というかボートが進行する時の水切りですら水をかぶる。案の定出発してすぐに波に突っ込み船の中は水浸しになる。ああこのままでは水が溜まって沈んでしまう、と思うとまったくその通りになる。船だけがブクブクと沈んでいってしまう。
_ nyo [うわーw めっちゃうれしい、ありがとうございます! そっか、地図の街道名って、多分この時命名されたんですね。]
_ TUKA [いいタイミングでいい資料キタ! でも一行目のURLが間違っとるよ]