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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2009-02-03 宣戦布告 この日を編集

貴様のようなやつに解ってたまるか。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ sin [”今の自分に必要だからそいつが現れたんだ”と思えば プラスになってくれると思います。 気が滅入りそうな時、そいつの事を考えると ”..ワリイな、オレはこの程度でヘコむほどヤワじゃないんだぜ” と..]

_ nagajis [2年も待てないッ!(違 すみません、ご助言感謝です〜。]


2010-02-03 この日を編集

[コアダンプ] 自己完結的会話

n:「なあ、受付」
受:「なんですか?」
n:「どうもおれ、人を怒らせたみたいなんだ」
受:「また卑猥なネタ振ったんでしょう」
n:「違わいや、このメール送ったら」
受:「どれどれ・・・。ああ、これは当然でしょうねぇ」
n:「何で怒らせたのか、わからへん・・・教えてくれないか」
受:「直接聞いたらいいでしょう。わざわざ私を間に立てるまでもないわ」
n:「そこを何とか。お前ならわかるだろ?」
受:「そういう意気地無しなところ、直した方がいいですよ」
n:「うぐぅ」
受:「第一、あなたは自分の立ち位置を理解していないわ」
n:「え?」
受:「あなたは人を楽しませる立場でしょう。自分が楽しむだけで終えようなんて」
受:「もってのほか、ね」
n:「違う! 私は自分に関わった人をフシアワセにしたくないだけだ」
受:「あら、また始まりましたか」
n:「おれに関わると碌なことがない・・・」
n:「自分だけならまだしも」
受:「まだあの件ひきづってるんですか・・・情けない人ですね」
n:「おれがちょっかい出さなかったら、も少し真っ当な人生だったかも知れない」
受:「そうやって自分を責めて満足ですか。もう10年も前の話なのに」
n:「何とでも言え」
受:「じゃあ言いましょう。そういう後ろ向きな人は嫌われますよ」
受:「特に女性に」
受:「あと、思いやりのないところも。自分だけ良ければそれでいいと」
受:「思ってないとは言わせませんよ」
n:「言うつもりはない。それでいいよ」
受:「さあどうだかしら? じゃあ何で逐一返信してるのかしら」
受:「好意を持ってもらいたいからでせう?」
n:「・・・」
n:「・・・よくしてくれた人に礼を言っちゃいけないのか?」
受:「礼のベクトルがずれてるんですよ」
n:「あの差し入れだって、ちゃんとJIS男書いて壇上に飾ったよ」
受:「それがいけないというのです」
n:「おれはその人が満足すればいいと思う・・・それ以外の多数の人に」
n:「アピールしちゃ、感謝の念が分散してしまう」
受:「あら、ご立派なこと」
受:「あなたのいう感謝の念とやらは、世間一般常識のそれと乖離しています」
受:「そのうえ愛と混同している節がある」
受:「どうりであなたは愛を正しく定義できない」
受:「かえって相手を混乱させるだけですわ」
n:「言いたい放題だな」
受:「この際言っておきます。あなたはいやらしい人です」
n:「反論の余地はない」
受:「本心はいつも心の奥底に納って。表面ばかり取り繕おうとする」
受:「ひとはそういう所に敏感に反応します。匂いでわかりますわ」
n:「お前に言われたくない、と言いたいところだが・・・」
n:「・・・反論でけへんな」
n:「・・・また一人、失望させたのかなあ」
受:「そうですね」

[独言] で。

画像の説明部屋を片付けて力尽きる(これでも片付いたことになっている)。カーペット更新するのは何年ぶりか。あとは押し入れの中と隣の部屋だ。特に隣の部屋。片付けんことには外にも出られない。

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ マフラー巻き [ボコボコな意見がほしいならメール見せて。]


2011-02-03 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #222

節分

である。特に何かをする予定はない。何をしていいのかもよくわかっていない。「鉄分」という言葉から想像するにナナフシマニアの人だとか尺八を吹く虚無僧とかに関係があるのだろうと思う。節分多めの人は指の骨が多いとかね。

[D] 2/2?

画像の説明財布の中に入れている二銭銅貨を使ってしまう夢を見た。入っていることは事実で、2000円の支払いに対し「はいにせん(えん)」とか何とかいうギャグをやってみようと画策しているのも事実だが、実際に使って(といっても夢の中なのだが)ひどく勿体無いことをしたと後悔したのは、我ながらassの穴がちいせえなあと思う。

[独言] うー

ふじゃじゃしたーほげふがー

[ORJ][web] うむ

paypalのほうにはID記録されるんだから手動後追いでPDTチェックするようにしたらいいんじゃね、とか今さらのように気付いた。あれ、PDTってそういうのじゃなかったっけか。

(追記)ぱやぱやがトリガーになってぽよよんだから駄目なのかー。一方的にといあわせたらいかんのね。

[独言] こわいこわい

Macが急に立ち上がらなくなって焦った。ごにょごにょしているうちに復活。慌てて写真のバックアップを取っている。またDVD-RAMセット買って来なきゃ・・・

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936896

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965769/65

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ バロック [南無阿弥陀仏]


2012-02-03 この日を編集

[橋梁][独言] 歩く

最初に難波新川,次いで高津入堀~戎川,JR架道橋×2,飛んで南海高野線架道橋,再び飛んで木津川駅周辺から鼬川.鉄道橋以外は埋め立てられた川ばかりなので見所なしの津守だったが琴江橋の高欄?親柱?を発見したほか鉄道橋2本の残存を確認.直接は関係ないが鼬川橋梁や夷川橋梁,十三間堀川の橋梁なんかが残ってて面白かった.煉瓦刻印×4もゲット.

勘助橋の碑を見逃した・・・鴎公園ちゃんと通ったのに~.

画像の説明現地に到達して初めて,恵美須町のあの交差点が名呉橋だったことに気がついた.そういやあのへん地図見て行ったことがない.他との位置関係がいまいちわかってない.一帯の狭い区域の中だけやたらと土地勘があって,それ以外がちっともさっぱりだ.

名呉橋は都計事業新築橋梁の最初の成果.鋼鈑桁・大村技師設計.橋の上に植え込みが設けられていた.夷川があまりに汚いので少しでも景観を良くしようという配慮から.今でこそよく見る設えだが大正13年ちう時代にそれをやったのは(理由も含めて)いろいろイカしてる.

大阪市土木部の名誉のために補足しておく.大正15年に積極的な河川浄化を行うことが決まり,堂島可動堰や土佐堀川可動堰を始めとする一連の枝川堰が作られた.全国的にも例を見ないシステマチックな河川浄化堰群だ.昭和4年の完成後は絶大な威力を発揮して,水流が以前の二倍に達した所もあるという.あまりに勢いが良くなりすぎて護岸工事が必要になったのはご愛嬌ということで.

[煉瓦][煉瓦刻印] 阪急岡町分譲地の煉瓦渠

つい昨日のこと.阪急岡町駅西側の住宅地に古い煉瓦を使った排水渠があって,煉瓦刻印の宝庫になっていることを知った.明治43年に阪急が開通した時,沿線に住宅分譲地を設けてセットで売り出したことで有名だが,その一つが岡町駅の西側にあったのだ.そうして路地の排水渠に煉瓦と陶管を組み合わせたものが用いられているという.長年岡町に住んでいるけれどもちっとも知らなかった.

画像の説明というわけで本日のこのこ出かけていった.現地はこんな感じ.どこにでもありそうな道路脇の溝で,大半はコンクリートで塗り込められていたり作り直されていたりするが,所々煉瓦が顔を覗かせているところがある.

画像の説明溝の底には陶管を半割にしたようなものが敷かれている.この溝のために作られた特注品らしい.

んで,お目当ての煉瓦刻印は・・・.あるわあるわ,大阪の煉瓦会社のが全部あるんじゃないかというくらいに大量に.小一時間ほどかけて撮影して回った.

大阪窯業煉瓦刻印+改+井

大阪窯業.写真の煉瓦には「改」「井」の副印(といま勝手に命名.責任印という言い方をよくする)がある.副印のバリエーションは豊富で採取し切れなかった.

大阪窯業煉瓦刻印+改+ウ

こっちのほうがきれいかな.

津守煉瓦刻印

小さな六稜星の刻印.大阪市浪速区津守にあった津守煉瓦のもの?という説あり.初めて見た!大量にあった!

岸和田煉瓦刻印

太ましい×印の岸和田煉瓦.同じ太×印でもサイズの大小があるようだ.写真は大型のもので「二」?の副印が二つ.

岸和田煉瓦刻印

小型の鮮明なバージョン.

和泉煉瓦刻印

貝塚煉瓦と思われる井桁.今まで見たことのあるやつはもっと細かった気がする.なんだか住友のマークみたいだ.(追記:貝塚煉瓦じゃなくて和泉煉瓦のはず。貝塚煉瓦はM39に大阪窯業に合併されたので岡町分譲地が作られた頃には存在しなかった)

日本煉瓦刻印

鈴カステラ,もしくはカービィ風の日本煉瓦.中に「ハ」が入ったものもあるそうだが見つけられなかった.写真のものには「一」が入ってる(ということは「八」だろうか?)

画像の説明

画像の説明けいがまえ(「冂」)のように見える刻印.なのかどうか若干心許ないが,同じものが2,3個あったのでそうだろうと思う.接写するととめはねがあるのがわかる.

分譲地の経営は小林一三と竹中工務店が設立した岡町住宅経営株式会社が行なったそうだから,ひょっとしたら「岡」の省略だったりして?と妄想してみた.多分違う.自前で作って供給したならもっと大量にあるはず.

画像の説明

一見ただの傷に見えるが,全く同じものが幾つもあって,線刻ではなく判で押したことがわかる印.同じ刻印のものが一所に集まって存在している傾向にあるのが面白い.

画像の説明

ここまでくると刻印と呼べないかも知れない・・・.釘を押し付けただけのもの.しかし同じ釘の跡がある煉瓦が並んで数個あったりする.

画像の説明

さらに単純化されて線だけになったもの.生煉瓦を滑らせたときにできる傷ではないようだ(V字型についてる).ひょっとしたら釘の跡×2なのかも.


画像の説明単純な引っかき印.縦長いバツ印.

ぜひとも見たかった旭日印の刻印は,その一角が新規造成されて失われてしまっていた.残念.


2013-02-03 この日を編集

[ph.] 凍

画像の説明最後の風邪っ気をカレーと激辛ラーメンで吹き飛ばすことに成功した。福をたくさん拾ったので他の方にもお裾分けした(ついでにメガネも拾った)。自分は5等の塵紙が当たった。

興福寺の五重塔が素晴らしかった。凍れる音楽という表現がぴったり来る。薬師寺のほど変化に富む組曲ではないけれども。


2014-02-03 この日を編集

[] 収拾がつかなくなりつつあった

分水嶺と土木費補助を入れ、道連れで穴の裏と榎と塩久を入れなければならなくなり、収拾がつかなくなるところだった。いくら書いてもまとまらない毛生えがぽんぷん。着地点をずいぶんずらしてまとめた気がするくらいに持っていけたのはやはりTF101が完全復活したお陰か。いやそれは長くなる原因になるだけだから。

兵庫県は県道・里道を厳密に定義して、県道=県費支弁/里道=町村費支弁を厳格に守ったらしい。 それさえ守れば補助里道はいらない。 それに加えて年度ごとに里道改修個所を認定してその工事に対しては補助した? M22の類纂見つけたのであとできちんと見ておくこと。

明治の統計書が近デジに収録されていないのが辛い。そこから県道拾うことができただろうに。

あー考えずに書けるのは楽だなあ。反射神経だけで書きたいなあ。とかいいながら分水嶺であることが不足している気がしてなんとかうまく丸め込む方策はないものかなどと考えてしまった。もうええやん。直交軸の成分を足し合わせることはできても重ね合わることは不可能なのよ。足したらベクトルがぐらぐらするだけなのよ。

真っ青に晴れ上がった乾いた空を見上げて、目を瞑り、瞼越しにあかるさ暖かさを感じるような感じ。目を開ければ眩しくてしかめ面になりそうだがしかし、青空の青さはさらに深みを増している。日の下に出たばかりの時にはシアンがかった白けた空なのに。この青さを好ましく感じるのは普遍だろうかと思ってみてすぐに止めた。自分がよいと思えばそれでいいじゃないか。

真夏の青空を恨めしく見上げたこともあったように思う。40度に迫る勢いの猛暑の日。雲ひとつない空。あればそれが日陰を作って、少しは凌ぎやすくなるだろうに、地面もちったあ冷えるだろうに、と思ったことがあった気がする。いつのことだろう。いつぞやの長旅の時だったか、それとも酷暑の北海道を旅した1ヶ月のうちの一駒か。

思い出せない旅が多くなった。旅先の光景以外にも忘れてしまったことが多い。心地良かった空気。眠気を誘う湿度。風。朝靄。月明かりに照らされる諸々。冬枯れの森。概していい思い出は覚えていない。後悔したり悲しんだり苦しかったりする記憶ばかり残っている。なぜだろうといつも不思議に思う。二度とそうならないようにという配慮なら無駄だ。哀しい思いが減った試しがない。同じ間違いを同じように再現して同じ意気消沈をしているようにしか思えぬ。楽しい思い出は、氷か、ボンタンアメの皮みたいなものなのかも知れない。

楽しい思い出がいつまでも残っていたらどうだろう。四六時中幸せ感に包まれていたら。進歩はしないだろうな。ひとときの儚い幸福感だからこそそういうのを求めて何かしようという気になるのだろう。見知らぬ土地へ行ってあてもなく歩き回ってみたり図書館で歴史に触れたりして刺激を得たくなるのだろう。

新しいことを知るというのはそれが何であっても刺激になる。悲しみの引き金になったり逆さに生えた鱗に触ることもあるが、じゃあ、といってしないわけにもいかない。虫に刺されるかもしれないから藪へ入らないのであれば何一つ得られない。机上の論、資料の精査だけで事実に到達できるわけがない。できると勘違いしているような人とは関わりたくないものだ。

他愛もない話題を退屈もせず喋り続けられる女性という存在は不思議な存在だ。疲れないのだろうか。他愛のなさに自分で呆れたりすることはないのだろうか。自分が同じことをしたら、また同じことを言っている(もしくは書いている)と思ってだんだんいたたまれなくなる。もしくは相手の出方を伺いつつ喋ることに疲れてくるだろう。そうして終いには黙り込んでしまう。端的でまとまりのある言葉のほうがいい。そう思うのは自分が面倒くさがりなのもあるだろうけれど。

心通わせるのが面倒だ、と言っているわけじゃない。どう伝えたらもっとも効果的かを考えて喋る・書くが面倒になったということだ。それで全部が伝わるでもなし、そもそも伝えて価値のある思惟を有しているわけでも普遍的価値の発見があったわけでもなく。ただの個人の感想だ。そこからして価値を見いだせなくなった。

記憶力が悪くなったなと思う。長期記憶も短期記憶も。数ヶ月まえのことを思い出して書くのがつらい。目の前の本を見て、閉じて、書かれてあった内容をキー入力し切れない。ノンブルの数字さえ間違う。どうしたものかと思う。だんだんと過去の記憶が交雑してきて、間違っていることをあたかも唯一の真実のごとくに信じ切っていることがある。それを書けばまた変わる。はて、どうしたものか。反射神経だけで書いてきた証拠だなと思う。そうじゃないか、ずっと反射で書いてきたのに無理に筋道をつけて書こうとするからいけないのか。最近は意図的にものを覚えようと試みている。多少は成果があるようだが頭の整理はまだ出来ていない。がらくた同然に詰まっている過去を引っ掻き回して探しては並べ探しては並べの作業。一度整理してからかかればいいのだ。箱をひっくり返して並べ変えて詰め直して。そうしないから取り出そうとするたびに全部をひっくり返すはめになる。似て非なるものを取り上げてしまう。思考が短絡的なのもよくないな。見えているところからぱっぱと取っていけばやがて詰むのは分かりきったことだろう、と麻雀牌のパズルゲームを思い出しつつ思う。情報も記憶も感情も牌のごとくな有形物だったらいいのに。そうすれば整理のしようもあるだろう。


2017-02-03 この日を編集

[web] 敗北を知った

画面をCtrl+A&C→別窓のフォームに放り込む、というさ行を節約するためにブックマークレットを作ることを思いつく→久しぶりのJavascriptに加え生まれて初めてJQueryを使うはめになる→ソースが腐っていてまともな文字列にならない→投げた先のphpで力技で砕く、いやJavascript上で済ますのが筋なんだろうけど全然詳しくないからさ→「め」クリックですべてがFになる終わるブックマークレットがでっちあげられるまで小一時間。集約システム自体は既存の古スクラッチのを流用して3時間。はははははは。やればできるじゃん。敗北が知りたいわ。とか言っていたら自分で作った既存システムの処理の意味がわからなくなって苦労した。肉を切らせて骨折れるというやつだ(違)

[独言] 節分ラプソディ

節分を2月2日だと信じ込んでいて、昨日のうちに豆まきを済ませていたのだが、それが勘違いであることを指摘されたうえに徹底的に馬鹿にされた。悔しい。とても悔しい。

第一あれじゃないか、1月1日は元旦だろ、3月3日は桃の節句だろ、5月5日はこどもの日。9月9日は重陽じゃないか。10月10日は旧体育の日、新しいのでよければ4月4日はニューハーフの日で6月6日はUFOが落ちてくる日じゃないか。その並びで行けば節分は、2月2日でなければおかしいじゃないか。そう力説したのだけれども受け入れられることはなかった。

あまりに悔しかったので今日もう一度節分をやった。新たに購ってきた豆を撒き、さらにそのうえ、滅多にやらない丸かぶりにも挑戦した。どうだまいったか>福。いや福に喧嘩売るな。

夜7時のスーパーには「洋風 海老アボカド巻」が2本しかなく、しかも750えんもするものだったのだけれども、ここで怯んで負けるわけにはいかんとぞ思い、カゴに取ったら、その直後にバックヤードからふつうの太巻きとか鉄火巻きとか398えんが続々追加されるという嫌がらせを受けた。一度カゴに入れたのを戻すのも悔しく、結局その海老アボカド巻750えんを持ち帰り、丸かぶりしたのである。

丸かぶりをしながら、そういや前回丸かぶった時にはコンパスを読み間違えて180度逆を向いてたっけ、とか、北北西とは磁北に対してのものだろうか、それとも方角の北北西なのか、より厳密に丸かぶるなら偏角を補正すべきではないのか、いやそも昔は西偏とか磁北とかの観念がなくて磁石の向く方が北であっただろうからそれに対する北北西を向けばいいのではないか、とするとメディアがこれ見よがしに報じている「北北西」と本来向くべき「北北西」が異なる結果になるのではないか、と思ったりした。ていうかコレ書くために調べたら歳徳神さん櫛名田姫のいる方向ちうことで十二支方位で考えるべきであり北北西微北が正しいのだという。なんですとー!


2020-02-03 この日を編集

[独言] ざんねんだ

画像の説明

賞味期限切れの食品はあかんのか・・・考えてみりゃそりゃそうだわな。

[独言] 豆まき

夕方6時過ぎに豆を買いに行ったらどこにも置いていなかった。それどころかもうバレンタインデーとかひまなつりとかが始まっておった。そのくせ恵方巻きは定価販売という強気。大豆業界とは癒着していないのだろう。いいことである。

仕方なくコープさんでドライパックの大豆を買ってきて撒いた。すごいねこれ、茹でてあってすぐ食べられるのに乾燥してる。乾燥してるというか適度な湿度が保たれている。撒いたらホコリまみれになるかと思っていたがそんなことはなかった。

[煉瓦]再三の長田区

「ランプ小屋」刻印を探して長田区を歩いたが……残念長田、もとい残念ながら、第二第三の刻印は発見できなかった。

出かける前の希望では、北尻池町で大正7年から製造を始めた長田煉瓦(株)が第一候補だった。この工場は明治頃から窯業を営んでいたらしく「今昔マップ」の最も古い版に窯記号が描かれている。いまの高速長田駅の南東方、セブン-イレブンの西隣の辺りだ。それでこの場所を手始めに、一番町〜五番町、新湊川の縁、そこから南へ御蔵通とか東尻池町とか苅藻町とかを歩き回った。

n番町は明治の旧版図で住宅密集地帯になっている辺りよりも、その周辺地域で煉瓦を多く見た。明治の集落中心はほとんど全面がマンション・アパートの敷地になっていて跡を留めていない。見られた煉瓦は和田煉瓦とか播煉三本線とか東山工業所の釘カナ印とか、大正・昭和初期の工場のものばかりで、街の拡がっていった時期と一致するらしく見えたのが面白かった(明治の地形図では一面耕作地。大正の版から疎らにまんべんなく民家が建つようになる)。

御蔵通は震災ですっかり焼けてしまったところ。今日ではもうすっかり復旧して、いかにも住みやすそうな、広い間隔を開けて建つ住宅街になっている。古いものなど何もない・・・と思ったけれども、その片隅に移設されたお地蔵様の祠の足元で和田煉瓦のワを見たりした。

真野・東尻池・苅藻・浜添はかなり広範囲に長屋街が残っていて、そんな長屋の路地側溝に今でも煉瓦が使われている。前回歩いたのはごく一部だったので、今回はthrough the every passesのつもりで歩き回った。特にレアな煉瓦は見つけられなかったが、前回は見なかった大正煉瓦、ちょっと珍しい関野煉瓦▲、吉名煉瓦らしい○Y、丸丹を検出。前2件は位置的にあっておかしくないものだが、そういえば前回は見なかった。 画像の説明

泉州の煉瓦は、やはり岸和田煉瓦が最も多い。次いで大阪窯業があり、堺・日本・貝塚が稀に出てくる。この付近は明治時代にもまばらな民家街なので、その頃持ち込まれたものが転用を重ねて現存しているのかも知れない。ともかく長田区下では播州煉瓦団が最も優勢で、そうして特にこれが多いというものがないのは興味深かった。この地域の開発にあてこんで一斉に供給したように見える(先述2工場と伊東窯業は1例ずつ。路地ごとあるいは建物ごとで刻印が違うカンジ)。 p> 画像の説明

ちょっと面白かった例。旭硝子の初期の製品と思われる237mm四方の四角い耐火煉瓦である。19.9という数字、R−109?という記号が書かれている。社章以外はおそらく手書き。

それで結局川崎車両工場まで行ってしまったのだけれど、会社に凸するのは諦めた。最近ちょっと気弱モードなのでうまく立ち回れない気がしてね。たぶん電話で聞けば済む話だし。

そこからの帰りに大開など歩いてみたが、このへんもすっかり改まっていて発見はなし。ふりだしに戻ってまた四番町を歩いてみたりなどし、そうして大開から電車に乗って帰った。

長田区というとどうしても震災被害を想起しないではいられない。震災の翌々日、ここに住む同級生の安否を確認し救援物資を届けるために「銀輪部隊」を結成して走った。長田区のどこであったかはもう忘れてしまったけれども、確か大開〜高速長田の大通りを通った気はする。そうして小学校に避難していた彼に会うことはできた。家は全壊全焼だったと思う。道の悲景は漠「悲惨なもの」として然とした覚えていない(。れが初めての長田区だったこともあるし。(時はポーアイとかそのへんのフェリー乗り場までしか行ったことがなかったはず)。、ともかくワケワカランことになっていてまっすぐには進めなかった。人も車も瓦礫も多く、道が道として機能していなかったしな。

あれから25年も経つのか、と思うとなんだか信じられないが、25年間ずっと見てきたわけでもなく、その後足を運んだこともないから、今日見た街並みが昔からのcontinuousな発展の結果に見えてしまったことだった。途中に大きな断絶があったことなど嘘のようである。けれども長屋街の一角に草まみれの空き地が紛れていたり、煉瓦壁の基礎だけが残っていたりもして、そんな25年分の空漠にハッとさせられたりする。震災を忘れたわけではないのである、思い出すよすがが失われていて、しかしそうやって失われなければ、新しい明日が来ない気もするのだった。


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