nagajisの日不定記。
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次第に暖くなるをおぼえたり。雨の為術科は訓話・自習・剣術にて体操なし。随意運動時は十七時十五分まで剣術をなし、汗にまみれて戦う。運動を為せば暖くなるものなり。寒中に暖を求むる方法は多けれど剣術最も良しと思う。
今日は相当に冷えたり。午後は校長殿の教練査閲ありて二年としては号令調声を特に二訓は密集教練堂々として可なりとほめらる。欠点は未だ銃に不慣れな為に銃に気をとられ銃と体が一体ならずと。以後今夜の準備をなす。今夜非常呼集ありて(今日中)乃木会の為行軍出発す。頗る良好なり。
担当の方との相談で「月曜16時に建設局へ」ということになっていた。大阪府建設局はいま南港のWTCに居を構えている。少し余裕をもって昼過ぎに家を出た。なんだかここのところ立続けに南行きしている。
折角なのでまた安治川隧道に立ち寄ったりしつつ港区を目指す。ふつうのサイクリングではまず行かないような場所だけにいろんななものが新鮮だ。ヤマタノオロチの如き天保山ジャンクションもいいけれど、南港といえばやっぱり港大橋だ。
最大支間長510mのダブルデッキ・ゲルバートラス。単純トラス橋としては世界第3位の長さを誇る。昭和49年架設というからnagajisの1コ上にあたる。でかい兄さんである。中央の主径間は今日でも稀なKトラス構造だ。
Finepixの歪みまくり広角では微塵も切り取れなかったが、現場に立てば圧倒されざるを得ない迫力がこの橋にはある。通る車がミニカーみたようだ。山の上から平地を見下ろして、豆粒のような大きさの車にスケール感を狂わされることがあるけれども、それとはちょっと違う、いつもなら把握できるであろう構造がなりふり構わず巨大になって目前に与えられているせいで把握できないとでもいうか、そんな感じのスケール感の狂い。惜しむらくはこの角度からは支承がちょうど隠れてしまって見えないことだ。重量感が行き場を失ってしまっていてちょっと落ち着かない。せっかく視点場的公園を作っているのだから倉庫ひとつ位とっぱらってしまってはいかがだろう>大阪市。などとマニアな第三者は訳の判らぬことを言ってみる。
近代の橋はちょっと洗練され過ぎていて、何かあったら壊れてしまうんじゃないかと思わせるところがある。しかし港大橋はそんな華奢さとは対極にある。この橋ばかりは百年持つだろうと思うし、持ってほしいものだ。
もひとつ琴線に触れたもの。この公園の背後に煉瓦積みの倉庫がある。住友の築港倉庫(大正12年竣工)だ。中央通りから公園に向かう時に間道をとっていくと大正の赤煉瓦建築と昭和の技術の2ショットになる。結構面白い組み合わせ。
で、南港。WTCでけー。そんな単純な感想しか出て来ない。周囲に大きな建物があるとはいえ市街地ほどは密集していないから高さが際立って見える。お上りさんになったつもりでパシャパシャ。さすがに展望台迄は登らなかったが、タダだったら間違いなく登っていただろう。この日は何故か古本市をやっていて、よい時間潰しになった。
肝心の安治川資料。まず道路部橋梁担当のH課長さんが応対して下さり、昭和50年前後の内部の状況を写した写真を見せてくださった。隧道部の内部だけでなく昇降機の巻上機や発電機なども写されている。個々の写真は設計図との対応番号が振られているのでこれはヒジョウにありがたいものだ。続いてN部長さんも加わり、いつしか橋梁談義に。その間別の資料ファイルをHさんが持ってきて下さって、昭和47年前後に市の土木部が発行した「見学のしおり」的なものなどが出てきた。残念ながら(さすがに)当時の資料は出て来なかったけれども、このしおりはかなり重要な資料になりそう。ここにしか書かれていない情報、しかもnagajisが疑問に思っていたことの一つが明確に記されている。N部長さんからは現場の方でしか知らないことや市の方針なども伺うことができたし。うーん、贅沢なひととき。
それぞれコピーをして下さったので、お礼がわりになればと思い手持ちの資料を差し上げた。画報のコピーと昭和28年のガリ版刷り資料。これでもお役に立てたようでなにより...。
これら資料(と、あれば土木学会附属図書館にお尋ねしていた件)で徹底的に安治川隧道に迫りたい。これまで世に出た情報以上の情報を盛り込んだ決定版を目指すのだ。そこまでして何になる? というのはナシの方向で。ふはは。
そして奇妙なポテンシャルも忘れずに。弁天町交差点地下歩道にて。題は「アンニュイへの反抗」とでもしておきたい。没個性的な機能重視のスロープに現れた遊び心、あるいはうっかり。1つだけのほうがより良かったかも知れないが同じ列なる所に作為を感じたい。
はるか以前に作っていた峠データベースが完全死亡する前に抽出しておいたテキストと格闘している。Robinhood on BeOSしかもBFSのAttribute上に構築という奇妙稀天劣なデータベースで、まともに動いていたのは数カ月くらいだったろうと思うが、ともかくそのデータ部分だけを抽出してテキストファイルにしたものが残っている。約3MB。
峠、越、坂など峠地名7315を収録。データはおもにうおっちずから貰ったが峠本から拾って入力したものも数百あるはず。98%くらいは経緯度データと行政区データと2.5万図図版番号がある。70%くらいには標高も入っている(国土地理院が50mメッシュを無償公開していた頃にそのデータからおおよその標高を算出したもの。精度はあまりよくない)。5%くらいには関連情報もある。これを復活させたい。
ちょっとした長年の夢である。しかし場当たり的に積み上げ作り上げたデータであるうえに5年も前の代物だから思ったようにいかない。まずもって行政区が腐っている。市町村合併が進行中の頃だったため新旧入り交じっているうえ、妙な具合に略記してしまっていた。
山梨県大月市梁川町塩瀬/南都留郡秋山村寺下
山口県豊浦郡豊北町北宇賀/豊浦町宇賀
山口県玖珂郡周東町川上/岩国市相ノ谷
とかなっている。新旧市町村名は市町村コードと合併リストを使って正規化(だったっけ)すれば何とかなりそうだが、そのためには県名郡名を補完してやらなければならぬ(市町村コードは「○○市」または「△△郡××町(村)」のセットに振られている)。この補完作業が大きな障壁になっていたのだった。いきなり胸突八丁の急坂から始まる峠道のようなもの。
もともとこの表記は峠の経緯度の東西南北の4点のフル地名から都|道|府|県|市|区|郡|町|村でsplitして組み立てたものだ。この方向なら何とかならないでもない。しかしその仕組みを作ったのはもう5年も前の話であって、しかもperlは忘れてしまった。chimeisplit.plのソースを読んでもちんぷんかんぷんだしその逆などもってのほか。
泣きながら解読して、phpに書き直して(弱)、何とか4点フル地名に戻すことができた。仕組み的には至極単純だったのがそれを思い付くまでに1/4日かかった。寝ながら考えてふと思い立って目が冴えてしまい、わしわし書き直してようやく今に至。
これをテーブルに放り込めばとりあえずモノになる。tdbを流用すれば検索と詳細表示くらいは一気に出来る。経緯度→航空写真のテーブルもアルゴリズムもすでにphpで作ってあるしな。課題は市町村コードを使った正規化。まずそのデータを作るところから始めなければ。そうして正規化の下手糞なnagajisはどうやっていいやら想像もついてない(ばく
右(概説)と左(詳説)に分けるのは書くうえで便利だが左に収まらないことを右に持ってくるのが難しいことを発見する。ううむ。
(3)を現状のアイデアの通りにすると道場間のつながりは良くなる。本編に対する並行世界(ルビ:パラ<s>ソ</s>レルワールド)的な展開か。しかしここに残り全部を突っ込もうというのは無理があるかも知れない。それで冒頭のことに気づいた。そもそも用語解説は目次ページに入るんだし。
喋らないのは陳腐な言葉を弄して失望させたくないからだ。一方で綾を紡いで五郎次郎な役回りは実は自分らしくないと思う。そういうどうでもいい悩みをどうでもいいと自身に解らせるため逆にひねらない文を送る結果人を失望させることになるのだった。何かを隠してるんじゃない。隠すものがないだけだ。(140W)
てな具合に囀りは所定文字数に収めなきゃいけない制限があるゆえに言葉足らずな言い回しがそういうものとして受け止められやすいのではないか。足りない言葉の隙間を埋めたりトリミング外を想像したりしてもら得ることを前提に却って省略したりしてないか。祖先が約二千年間得意としてきた分野やがな。(140W)
※そういうもんじゃない。
もともと水利土木屋だったから琵琶湖疎水に人並み以上に瞠目し感銘を受けたはずだ。そしてトンネルはかくあるべしと気づく。考えてみりゃ真っ先に考えるべきラインではないか。田辺朔郎の述懐は何時?
A:昭和14年。c.f.:http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkaiy603/5th.027_story.html
約3000枚の撮影完了。考えて見れば5回くらいしかバッテリー交換してないな。フル充電のものに3回、半端に2回・・・連続撮影のほうが持つとはいうがこんなに撮れるとは思わなかった。HDDがいっぱいだ。
今日の最大の発見は一枚の葉書。見てはいけないものだったかも知れないが、ひょっとしたら積年の謎を解くヒントになるかも知れぬ。これはORJ用にとっておこう。生臭すぎる。
それであたかも3の図面があることに気づいた。帰って見直したらすでに撮っていたけれど。S9の着工時まではあたかも3で進められてたらしい。あと下部工完了後に上部工の建設な。そりゃそうだ、あんなL字型沈められんだろJK
それで最終形態は4”ということになる。たぶん工事画報等にある図は4。
そしてどうでもいい写真はさっさと片付ける。この看板から注射器?を連想する連想力は中々である。先端形状は無論のこと、下のくびれも発想の一助にになったのではあるまいか。
今回の担当ネタは次のとおり。多分。と書こうとしたが何この偏り・・・&中古ネタと今更気づいてやめにした。いずれにしても今回の自分のネタは埋め草のつもりでいる(2,3の追加情報がある以外は)。かわりに記事間の関連を出せたら面白いかも知れないと思う。
企画ページはひょっとしたら変更かも。「林道のあゆみ」を忘れていた。+廃毒15?でそれなりに資料的に役立つのができるとおもうんだ。
それにしても知らないうちにたくさん本が出てるなあ。これだから情弱は困る。まあいいか・・・いろいろ切り捨てないと積みたいものが積めない。
見出しは適当.ここ数日考えていること.他に誇ること・見せびらかすこと・自慢することから離れたい.「こんなとこ行ってきたぜヒャッハー」「こんなこと知ってるぜお前ら知らんやろー」てなこととは無縁でありたいものだ.廃道探索なんかは特にそう.何のために調べているのか・書いているのかいま一度振り返ってみなければならぬ.できれば微塵もそういう気持ちを抱きたくない.ちょっと違うかも知れないが「学術論文」の根本理念に依りたい.
黙って地ならしをして,誰にも知られない礎の一個,道を支える石垣の石の一個になりたい.「小さき詰石」は池本泰児だったか.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/11-02-0079.pdf
https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0AkYxaCHNFBfadE11THB5cU9TVm80Y2gtSk5Jdm1oRVE
S12に突如現れ消えていく鋼アーチが気になって眠れない.
S14時点でも2つあったという石アーチが(ry
S14時点で21もあったというRCアーチが(ry
会社の古パソコンから電源借りてきて試してみた。正しく起動した。マザボだめだったらどうしようと思っていたけどそれはないようだ。ありがたいことだ。
ヤフオクで買ったのはバックアップに置いておこう・・
復旧を祝って管を巻いていたらデータコピーの最中に止まりやがんの。SATAコネクタのひとつが根っこから抜けてしまったのを騙し騙して使い続けてるからな。そのせいかも知れない。
大きなグラフィックボード挿すとSATA端子に覆いかぶさってしまうというのは設計ミスなんではないだろーか。L字型のコネクタにしても今度は隣のコンデンサが邪魔して入らぬ。
ひととおり作業して今日はおしまいという時に明日の仕事の確認のつもりで出典.xlsを開いたら商工信用録T1とかT8とかあったのに気づいてしまったのが運の尽きである。北海道と東北と中部を全見するはめになった。
その結果として久保組屋号がヤマ大であることや函館製瓦が加藤春吉商店と同じ屋号だと知ったりして嗚呼大変。宮城の伊勢久治郎工場、静岡煉瓦の前駆体たる大野銀蔵工場とかも拾ってしまってマルダイとヤマダイが全国に乱れ飛んでおる。とりあえず屋号社章だけ反映させて早や第3版である。ばーかばーか。
「のぼり窯」ではイリヤマに大と書かれてあったと思う。久保組という名前も変えてあったから屋号も少し変えていたのだろう。ともかくこれで北海道の二大巨頭を抑えられたが多分屋号印は使ってなかったんじゃなかろうか。「国内煉瓦刻印集成」などにはマルコメもヤマダイも出て来ない。○宮○西とかはあったみたいだが渡辺煉瓦の識別印らしい。
大久保工場もわかったらいいのにな。北海道庁では漢数字「六」があったがあれが大久保工場だったりするのだろうか。
えーっと、最初の「煉瓦を読む」はたしか2013年。 ここまで来るのに約6年か・・・。もうそんなになるのかー。
_ あきら@大阪 [で、月も変わったワケだが。 どうなんだね近況は?]
_ nagajis [MLにもおくりましたが、明日より再開します.]
_ ro688ck [m982k]