nagajisの日不定記。
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今日の如き春日和は実によき心地なる哉。術科は教練・体操にして運動班運動は交換駈歩なりたれど二十三日に比し以外〔意外〕にきつかりき。八景水谷に行きて、八景水谷がかゝる公園なりと始めて知りたり。
〔「交換」手偏抜けを朱訂正〕
乃木会にして零時非常呼集ありて、昨夜よりの状況を受けつぎ我軍は植木の敵を破り、田原坂に向う。次にそこより吉次越に至り木留山に全校職員生徒集合し食事・津下教官殿の話・校長〔殿〕訓示あり。時に八時なり。演習を含みて駈歩・速歩等混ぜし故又空腹の故に初めはきつかりしも帰校の際は行軍のみにて疲れもなおり十二時無事帰校したり。之を要するに此の八里余の行軍は堅実なる気力を養うにありたり。予はその目的を遺憾なく発揮したり。午後は手入後就寝す。二十時半消灯。良好なり。
全線調査してきた。正直言って「抜けがけしちゃったんじゃ・・・」と申し訳ない思い。次号で全貌が明らかになる前に、行ける方はぜひ行ってください。いやマジで。こんな物件は、今後出て来ないかも知れない。
地図の必要な方はメールでお送りします。nagajis@blue.ocn.ne.jpまで。自転車の担ぎ込みで全線踏破に計9時間、ただし実質的に自転車に乗ったのは西笠取黒出〜横峰峠〜醍醐寺の区間だけだから、山歩きにある程度慣れている方なら朝9時に醍醐寺を出発すれば日が暮れる前にスタート地点に戻れるはず。西笠取からタクシーで帰っても価値はある。nagajisが言うんだから間違いない。きっと。恐らく。多分。おもへらく。
なんとなくpdfの製作手順を書いてみる。
最初にQuarkやIllustratorでページを作る。手持ちのバージョンでは直接pdfを出力することができないor出来ても使いものにならないため、別の形式に保存して、それをDistillerというpdf変換ソフトにかけている。distillという動詞は「蒸留」の意味だそうで、確かに変換前のファイルからすれば驚くほどスリムになって出てくるのが心地いい。ただし変換には1ページ平均1分強、画像点数の多いもので数分かかる。うちのマシンは非力だしね。
基本的に、pdfのファイルサイズは画像の大きさ(解像度)で左右される。ここでいう大きさってえのは画像の密度と考えなせぇ。拡大してもザラつかない、密度の濃い画像にすればするほどファイルサイズはでかくなるのす。で、pdfの画像の大きさはDistillerを通す時に決められる。上限でこのくらい、画質はこのくらいと指定してやれば、越えるものはそのサイズまで自動的に下げてくれる。
もちろんpdfにした後で画像をレタッチして解像度を下げることもできるけれども、不思議なことにDistillerを通したものとレタッチしたものとでは同じ解像度にしてもpdfのファイルサイズが違う。Distillerを通したほうがはるかに小さくなる。Acrobatで別名保存しても同様。このへんの仕組みが未だによくわからない。
1024×768の画面で見ることを想定すると、一画面で見るだけなら解像度は100〜150dpiくらいでいいと思う。実際、表紙や次号予告の背景画像はそのくらいか、72dpi以下にしているものもある。ただし今回のTUKA氏の企画のように本文文字まで画像にしているものは少し解像度を高くしないといけない(ここだけ文字のアウトラインがかからないからね)。さらに拡大表示に耐え得る画質にしようとすると300dpi以上は必要だ。特に全画面に対する割合が小さな扱いの画像など。このへんのバランスは、考えてないようでちゃんと考えながら調整しているつもりだったりする。
出来上がったpdfは連結して、しおりをつけたりリンクをつけたり。リンクを貼る作業は1.リンクを設置する範囲を選択(ドラッグ) 2.リンク先を表示or指定 3.OK押す、という作業の繰返し。URLリンクはもう1手間、BACKリンクはさらに2手間ほど工程が増える。一つ二つではたいした作業ではないのだけど、誌面全体分をやろうとすると小一時間どころの話ではない作業になってしまう。
このリンク貼り作業が地味に大変だ。しかも統合版と分割版の2種類を作らねばならない。同じことを2度3度繰り返すのははげらしいし、できるだけ手間やミスを防ぐために、いろいろ工夫はしている。例えば最初に分割版のページをしおりやリンク込みできっちり仕上げておいて、最後にこれらをつなげてから、目次からのリンクやしおりの配置などを調節すれば、少なくともリンクを2度貼る必要はなくなる。
しかしこれをやるにはよほど分割版をしっかり仕上げておかないといけない。後で間違いが見つかったら2つとも修正しなければならないからだ。文字の一つ二つならまだAcrobatで直せるけれども、行がずれていたりして1ページまるごと差し替え、なんて日には目も当てられない。そうなると冒頭の別形式で保存して・・・という所まで戻らなければならぬ。
しかも悪いことに、pdfを直接いじるソフト(Acrobat)では文字や画像のコピー&ペーストはできてもリンクのコピペができなかったりする。pdfのリンクは本文や画像とは別の次元のもので、先述のような作業が必要になるし、同じリンク先のリンク---例えばbackボタンのリンクなど---を作りたいときは馬鹿正直に一つひとつ指定or入力し直さなければならない。1ページ丸ごと差し替える必要がある時にもリンクを作り直さなければならんので同様に困っていた(ページまるごとの差し替えは、新しく作り直したpdfから文章+画像をコピペしてくることで今は解決している)。このへんは上のバージョンで改善されているんだろうか。
解像度を最適にする、というのも同様に苦労する。連載もので勝手がわかっている企画ならいいが、新しいデザイン?のページになると最適解を見つけるために解像度や画質を変えて何度もテスト出力する。経験的に言うと解像度より画質の選び方で大きくファイルサイズが変わるようだ。無闇やたらと重いページにはならないように気をつけてはいるけれども、その辺りのノウハウを書いたページなり参考書なりを見たことがないので、すべて手探り状態でやっているのが現状。何かよい参考資料はないものか。
これでも自分は、ORJをHTMLで出すよりは楽だと思う。というのも、HTMLにし出すと連載企画も全て一から作り直さなければならないだろうからだ。HTMLの性質上、自分の思ったようにレイアウトするのは至難の技。しかもブラウザごとの検証だとかリンクチェックだとかし出すと、今すぐ今のpdfのクオリティ以上のものを作る自信がない。プロのデザイナーに頼むとかしないことには。
以前一時期、軽量版を作っていたことがあったけど、その時は最終の統合版をAcrobatのレタッチ機能で後付け修正していた。どれくらいかかったか忘れてしまったので今号で試してみたところ、ちょうど1時間かかった。作業に集中すれば45分くらいか。その割にはサイズが半分にしかならず。もっと下げるにはDistillerにかけてリンクを貼り直して(あるいは全ページコピペで)という作業をせねばならぬ。正直言ってそこまでする気力がないと思う(特に発行前後のドタバタ具合から鑑みるに)。
リスクを背負わずにいいもの・新しいものが作れるもんか>某幹部。非常にうまく言い回してはいるが結局は自分が苦労したり手を煩わせたりすることが嫌なだけなのだ。何が訴訟か、1か10かしか言わねえのはどっちだ。
お前の下で人が育たない、っていう理由がはっきり解ったよ。
今回は見学会の報告書というよりも琵琶湖疏水の案内書みたいなものに挑戦してみようと思っている。見学会では時間の制限で一部区間しか歩けなかったし(それでも朝早く行ってねじりまんぽやら第三隧道坑口〜水路閣〜哲学の道まで歩いて回ったのだけど)、自分自身あいまいな理解のままの部分が多いからな。フォーマットは「探訪 近代土木遺産」の拡大バージョンになると思いなせえ。
で、昼過ぎから原稿を書き始めたわけなのだが。・・・途方もなく膨大な量になってしまった。背景をまとめるだけでも大変。これでも枝葉をばっさり伐ったつもりなのだが。わかりやすくしようと「ですます調」にしたらかえってイヤラシクなったり。退屈な企画になったらごめんなさい。
それにしても疏水情報はwebに豊富にあるので助かる。利用できそうな写真もあり。しかし新情報の追加はできそうになさげ。
土木図書館にお尋ねしていた件がかえってきた。立派なレファレンス報告まで頂いて恐縮の限り。やはり建設局で伺ってきた話と符合するようだ。というか自分がそのへんの仕組みをよくわかってない。設計と設計図面・構造計算書を作成するのは別ということだ。感覚的にはそうだろうなと判っていても、こうして多角的な面からそれを示されるとやっぱり理解度が違う。ある意味これも体験学習。
こうした内部事情?は門外漢のnagajisだが、門外漢ゆえに興味深々。野次馬にならない程度に追っかけてみたいと思う。
話は全然飛ぶが、先日のH部長さんのお話では高麗橋については設計図面・構造計算書に工費内訳(だったっけか?)まで1冊にまとめられた資料が存在するとのこと。また設計者とは別に設計図を製図清書した人があるという例もあるそうだ。さすがは市町村クラスで唯一橋梁課があった街だけある。そういえば大阪には増田淳設計の橋は十三大橋ただ一つしかない。あれだけ見事な橋が数々あるといふのに。
さらに全然話が飛ぶが、大学時代のアルバイトで設計図面の修正補助というのをやったことがある。設計図と実際の施工との違いを反影させるため、変更部分を電動消しゴムやカミソリの歯やらで消していくという作業だった(もちろん作図はやってない)。一週間近く毎日毎日延々と消し続けたっけ。舞鶴自動車道木下高架橋だとか東海北陸自動車道一宮JCTAランプ橋上部工下部工カルバート工だとかの図面を修正した。
あと、あれだな、法面擁壁のコンクリート打ちもやった。バイブレーターかけてコンクリートを行き渡らせる作業とか。加減がわからず相当丁寧にやっていたけど、実はあれってまずかったんじゃなかろうか(あまりかけ過ぎるとコンクリートと水が分離してしまう)。どこを施工したかも忘れてしまったので時効ということで(違
こんな所でないと日の目をみないであろう写真をいくつか。これは先日の見学会、大津市の三井寺近くの民家の軒先にて発見した足踏み水車。灌漑水路から田畑に水を汲み上げるための装置だ。これも立派な産業遺産なり。
安治川隧道南側、源兵衛渡交差点の信号機の柱にぶら下がっていた、謎のリモコン。一瞬「信号の操作装置か?!」と思ってしまったがそんなものが置かれているはずもない。そもそも上下とか東西南北はまあアリだとしても「高速」ボタンが謎。信号を高速点滅させるつもりか。
脈絡もなく6年前の写真。板谷峠の「峠の力餅」。たいそう柔らかくて旨かったが食べ切るのに苦労した覚えがある。これを買うためだけに(4サイドの自転車で)峠駅まで下って、帰りに泣きを見た。
どんどん遡る。2001年夏、三田にて。河童の立ち位置と距離感が微妙。河童無しでゴム井堰と男の子だけでも良かったのではないか。ただそうすると、今度は上の説明文の改行が微妙になってしまう(「、」をぶら下がりとするとして)。それを嫌って横長にしたのか。7年経って初めて気づく、制作者の真意。
どんどん混沌さを増すうえにデカくなる。2002年、千早にて。読めば読むほど味わいが増す看板。「背丈」に「せ」、「汚水」に「きたない」のルビを振ったうえで「注意」をひらいているところ、そうした配慮の一方で立ち入ってしまった時の報いをストレートに描写している辺りに伝えたい思いの大きさを読み取りたい。句読点にもかなりの思いが込められているはずである。表現の途がなくて呻吟している作者像。ところで「る」は何を間違えたのだろうか。あと「い」が1コ余計。
担当分をひととおり仕上げる。しかしラフとイラストがまだだしヨ氏の追記も乞わねばならん。明日はラフ優先、わかる程度にイラスト入れておく。プとかWとかゲルバーとか。
説明し出すと際限がなくなるので適度に切り上げる必要があるが、そのへんの間合いが掴めない。現状はORJ読者の皆さんにとっては物足りない感じがしないでもない。この辺はおまけ記事の気分で割り切りエイヤッと投げるべきだろう。
飯能市から申請用紙をゲット。紙焼きで送ってくれるそうだ。有り難い!というか本文修正せなあかん。
で画像検索したら萌え絵ばかりで魂消た。全ひらがなでなければならないらしい。<ボソ>本人がぷるぷるしてるのを見たい・・・。</ボソ>
ネタがないままナンバリングして何かひねり出そうとしている。
紺屋の白袴
という諺がある。医者の不養生と同じ意味。使おうとするたびいつも、脳内変換候補の第一項が
荒野の白袴
で困る。輝く昴の下、立ち尽す白装束の男。こんな所にこんな格好で来ちまったという後悔。新たな諺として使えないだろうか(いやない)
というくだらぬことは即座に書けるのだ。悔しいかな虚しいかな。
試しにもう一度やってみよう。いいちこは下町のナポレオンであるという。ということは2本空けると魚屋の政さんがあったまぐるぐるしたりとか煙草屋のお絹婆さんが空中浮遊したように見えたりするのだろう。一口飲めば眠くなる私には遠い世界のように思える。これでも九州男児のはしくれであるが自負は無い。約8分。余り面白くなかった。これは定型だ。
まずいな。帰って来れんな。
きもい。きもいよ。
JIS男、なんでこんなに便利なんだ!!!
きもいよ・・・
調子に乗って切り抜く・・・作業量増倍管。
大量生産JIS男・・・きもいよ・・・
↑あんまりイミフなので解説を入れておく。音楽を聴きながら廃道本用のイラストらしきものをわしわし書いておったのです。
沈丁花。「春の匂い」と君は言う。それよりも薫る君に傾く
「傾く」が旨くないな。「寄り添う」ではやらしすぎる。寝て考えよう。
最近のヤフオクって商品が届く前に評価しちゃうもんなんかね。発送側の話。まだ到着もしてないのに非常に良い評価されてもナァと思う。
西脇や旧八千代町の辺りはタオル製造が盛んだったせいか、今でもあちこちにノコギリ屋根の工場を見る。どの集落にも必ず一つはあるという勢い。この地方ではまったく珍しくない物件なのだろうなあ。
北海道庁拓殖年報を見ていて大変なことに気がついた。工場表の●は資料の発行年ではなくデータの年度時点(「○年末時点」とか)にあわせて乗っけていたのだけれど、「末時点」だったら○+1年のところに置かなければならないのではないか。例えば明治29年末時点データなら30年1月1日にはたぶん存在していたはずだから30年のラインのところに●を置いて30〜31年をダッシュにせねばならないのではないか。拓殖年報第11回は明治29年版で29年末データを載せている。となると明治30年ライン上に●となることになる。これまで作ってきたやつではM29に●している。
そう思って工場通覧などを見返してみると、M37版なんかはM37末時点の情報と書いてある。そうすると+1の必要が生じる。一方昭和の通覧は5年末データを7年版としていたりする(それを端数切り捨て的に5年に●&6年までヒゲにしていた)ので6年●7年ヒゲとせねばならないのではないか。
工場表のアイデアは泉南市埋蔵文化財センター年報から拝借したのだけれど、この年報では発行年を●としていた。そうすると昭和期の工場通覧などは+1年になってしまう。それに気づいてデータ年のほうに●を置くことにしたのだが、年度末データとなるとちょっと話が違うことになってしまわないか。
私家版の工場表は商工録系のデータも載せてある。これはデータの取得年次がはっきり書かれていないものが多く、それらは発行年の前年としていた。その年の前年末の調査を本年版に反映するイメージで。しかしそれも例えば昭和5年版なら4年末にはデータを持ってきているはずなので発行年前年をデータ年としていたが、やっぱり格闘する者に昭和5年に●なんじゃないか。
北海道の長野煉瓦工場で現状データと疑念晴らす形式とを作って比べてみた。開始年は変わらないがそれ以降が軒並み+1年になる。そこまで厳密に知るための表ではないのだけれども、こういう形式にしてしまった以上「17年まで存在してた」と臆断されてしまうのは避けたい。かといって全部のデータに+1年くらいの誤差ありますと記すのもマヌケな気がするし全データ+1修正するのはなおさらやりたくない。
いろいろ考えた末、どう考えても解決しそうにないので――そのうちnagajisは考えるのをやめた。
横軸の示し方がよくないのかも知れぬ。年の縦線の位置が○年1月というわけじゃないのだ。あくまでもその年のある時期には存在していたというくらいの意味しかないのだ。年を軸にすると連続的なものと思われがちだと思うがそうではなく離散的視点で作っている。それを一見でわかってほしいというのは無理だろうし第一自分が見て混乱したくらいだからな。
直感的であるようでそうでない、誤解を招きやすいという意味ではまったくダメなインターフェイスである。
だからといって「明治○年」の表記をずらして線-線間を1年と見せる(+縦線をずらす=線-線間に●をおく)というのも姑息でしかないだろうしなあ。
以前の取り方を踏襲して北海道庁拓殖年報と商工興信録のデータを反映。北海道は3分割に改めて、ついでに『函館区史』から函館製瓦の創業年を確認してM39.9.固定した。それ以前から大川通で操業していた工場を引き継いでいるようだがその前身会社がわからぬ。平製造所も金子も大川通なんだよ。
商工興信録からはM44頃の久保組の動向。岩越線の建設のために沿線各所に工場(分店)を作っておる。新潟県内には稲葉組工場と混在。
謎を解決しにきたはずなのに…却って爆増してしまった。どうしろというのだ…。
本日一発目がこれ。これを見て約1秒で「おうっ発進組は耐火煉瓦だけじゃなく普通煉瓦も作っとったんかいワレェ」と納得したのだが約1時間後に完全形に出会って早とちりだと判明した。いまこの世の中に生きている人で自分以外の誰にもできない早とちりだと確信している。しかしその完全形が教えてくれた会社名に心当たりがない。これと一緒に勢陽組印も転がっていたのは狙い通りであったのだが。
本当は今回の主題であった多度の畑。あちこち訪ねて回ったのに畑の所有者が判然としないという予想外な打ち切られ方をする。申し訳程度に数個確認(しかしそれで必要十分であったかも知れぬ。あってほしいものは確かにあったのだ)。そもそも焼損煉瓦が多くて採寸に向かないということに現場で気づいた。阿呆である。あと六華苑で教わった養老鉄道の変電所跡も意外と収穫があった。
そのまま養老鉄道で大垣へ移動。さらに樽見鉄道に乗り換えるつもりが次発が一時間半後と知り自棄を起こして歩いていくことにした。前回東大垣から大垣へ歩くのを断念したののリベンジも兼ねて。
揖斐川橋梁で狼藉の限りを尽くす覚悟であったのだけれども、掘ったらもっと扱いやすいサイズのが出てきて、そのくせ想像とは違う刻印が想像もしなかった場所にあって呆然とした。あるいは未見の二本の棒線刻印であったりした。冷たい北風に渺渺と吹き晒されながら思考停止してしまう。
剥がすだけ剥がして帰るつもりが、最後の最後の悪あがきのつもりで第4橋脚に寄り道した結果、そこで重要な発見をし、ひとつ得て帰ることにした。しかしだとすると木曽川橋梁の井筒がオリジナルのものということになってしまうのだが……。
夕暮れ時はまこと逢魔ヶ刻である。
_ 酷道774号 [マジレスすると、あのリモコンはホイスト(小型天井クレーン)のリモコンと思われ]
_ nagajis [やっぱそうですよねー。前後左右でなく東西南北である時点で気づくべき。誰が落としたんだろ?]
_ しとろん [琵琶湖疎水も来ますかwktk。 琵琶湖疎水、また見に行きたいなぁ。前に行ったのは16年も前だし。 実は廃道以上に産業遺産、それ以上に土木遺産が好きだったりする。 次号、いきなり倍かよ…と思ったのは..]