nagajisの日不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad
見出しは適当.ここ数日考えていること.他に誇ること・見せびらかすこと・自慢することから離れたい.「こんなとこ行ってきたぜヒャッハー」「こんなこと知ってるぜお前ら知らんやろー」てなこととは無縁でありたいものだ.廃道探索なんかは特にそう.何のために調べているのか・書いているのかいま一度振り返ってみなければならぬ.できれば微塵もそういう気持ちを抱きたくない.ちょっと違うかも知れないが「学術論文」の根本理念に依りたい.
黙って地ならしをして,誰にも知られない礎の一個,道を支える石垣の石の一個になりたい.「小さき詰石」は池本泰児だったか.
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/11-02-0079.pdf
https://docs.google.com/spreadsheet/ccc?key=0AkYxaCHNFBfadE11THB5cU9TVm80Y2gtSk5Jdm1oRVE
S12に突如現れ消えていく鋼アーチが気になって眠れない.
S14時点でも2つあったという石アーチが(ry
S14時点で21もあったというRCアーチが(ry
この橋はよく通りますが,桁が斜めだったんですねぇ。でも老朽化しているし,大型車の通行が増えたので,遠からず架替なんてことになりそうですね。
学術論文なんて読みたがらない>売れない、タダでも読まない>商売にならない>誰もやらない>衰退<br>という負の連鎖が見えまする。
稿,それはすなわちその人である。つまらぬものを書いて食いつなぐよりは,納得の上で飢えて死ぬほうがよかろう?
いやいやいや,ORJを論文集にしようというのではありません.「私が」「書く時に」「何を目的とするか」を考えたときに,人に自慢するために書くのはやめようと.これまでもそのつもりでしたが,どっかにその気が残ってるなあと思ったので.<br>論文って,情報を寄せて検討してもらったり他の研究の参考にしてうために書くものであって,自慢するために書くんじゃないと思うのですよ.結果的にそれが名声になったり「研究成果」になったりするんでしょうけど,それを得るために書くものでは(本来は)ないはずです.そういうことを書きたかったのす.
ocozeさん,今度通ることがあったら橋の裏側を見てください.本当にゲルバーなら橋を横切る継ぎ目が見えるはずです.一枚の板のようになっていたらダウトです.<br>(でもこの橋,川に降りられるところがなかったような気もします・・・)