nagajisの日不定記。
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すでに、二月も過ぎ、時のたつのに〔の〕、早きを知る。午後は体操及び大掃除あり。昼食後の術科は腹ふくれいる故に、きつし。大掃除の際は事務室をなす。同検査あり。十六時半に終りたる故随意運動には出でず。休暇には近く、日曜を明日にひかえ実に心楽し。二年生は今日二十四時まで夜間演習をなすとぞ聞く。十三時より。
朝冷気を思わせたるのみにて昼は夏の如くに暖かりき。剣術行わず。田中 潔さんと馬乗りの目的を以て野砲隊(二十一)に行くも伝染病発生とて営門にて見学をきょ〔拒〕絶されたり。故に騎兵隊に行く。東幼四十期生の小梶小〔少〕尉殿(明日中尉進級)の下〔許〕に行き菓子を十分食わされ、後約八十分馬術を習う。最も初歩にして乗り方・並歩・軽速歩を会得す。目的を達し十六時辞す。頗る良好。
父の遺品の紙袋に曰く、必ず身体を鍛えよ。必ず勉強して皇国を御前の双肩に担えよ。と。予之を再読し感慨無量なり。はたして之に恥ずるなかりしや。未だヽ実行成らず。やらん勉強を。
旧橋はさくっと書き上げ95%。TRBDは飛ばし飛ばし書きながら7割。TRDB外伝的な位置付けで書き始めたものの、あのトーンで全部を通すのは無理っぽいうえ、いつもの文章量の10倍くらいになりそうな塩梅(nagajis比)だ。写真とフォーマットが追い付くか? きっと文字文字した誌面になることだろう。
原稿を書く時、最初から順々に書くこともあれば書きやすい所を先に書いて途中を飛ばすこともある。旧橋や北摂線描など探索ルポ風の記事はおおむね前者のパターンになる。時系列で書いていけばいいからね。廃読やTRDBのようにちょっと構成を考えないといけないようなのは後者が多い。本当ならプロットみたようなものを書いてから始めるものなんだろうけど、そこまでマメではないし、本文書きながらプロットを考えるようなところもあって。ある程度頭で構成を考えていても書き方次第でどんどん変わっちゃうからな>ヲレ。いつまでたってもうまくならないのはこのへんに原因があると見ているnagajisだが、それを直すつもりも今の所ないnagajisだ。ひどいものだ。
や、わかってますよ、皆さんからお金を頂いている身、たとえ少額であっても対価をいただいている以上ちゃんとしたものを提供しなきゃと思ってますよ。でもね、こうれはもうどう仕様もない仕様なのでありまして。直せるようなら直してるんですよ。それで良いものができるのなら喜んで直しますよ。でも自分自身それで良くなりそうな気がしないのですよ。
グダグダのカオスのなかから絞り出した一滴。それがnagajisの書き散らしてきたもの。沖に召す型がおられましたらこれ最Y。ついに開き直ったな>nagajis。って以前からか。
だからというわけではないが雑多な写真。以前山王峠で「おにぎり三兄弟〜♪」と喜びながら同じような写真を撮っている。それから約2年後、滋賀県木ノ本町で撮影。進歩無し。
第2号のコノアバ用に撮影した写真の一つ。いつ見てもUMAやと思う。目撃地:千早洞、目撃日時:2005年5月。この2/3位に痩せ10年分位年老いたが精神は進歩無し。
奇妙なポテンシャル#5と同じ日の撮影。岡山市内にて。ちといきなり過ぎやしないか? と思ったのだが結納品屋さんにとってみればこれが日常なのかも知れない。逆に言えばこの看板、客にではなく結納品屋さん自身に向けて書かれたものである可能性もある。「そうそうそういう客多いよねー」「そんなんばかりで大変やわぁ」。そんな愚痴を誘発するための仕掛け。岡山弁が関西訛りに近いかどうかは知らない。
なるほどなあと思う。正方形でなければきれいに収まらない。
むしゃくしゃしてやった。何でも良かった。今は反省していない。
そういえば一つ大切なことを忘れていた。誰も買わないという可能性。大量受注に対応できるようにしていたが機能するほど注文がないかも知れぬ。
いろいろあって上京が伸び伸びになっている。来週中に片付けたい。
沿岸の方十分に警戒してくださいまし。特にオッキライさん、攫われないで〜
いつまで経っても治らんな・・・。つま先に力が入らないせいで不安定な所を歩くのが怖い。急に足首を捻ったときに対応できない。山道を登れない。つらい。ただ何度か無理なひねりが加わって痛みをこらえているうちに力をかける感触を思い出したような気もする。そうそう、こうやって歩いたんだという記憶。痛みをこらえて歩くほうがいいのかも知れぬ。要は筋肉が衰えている。
例によってどうでもいい写真はよく撮れる。
そう思うのならば,例えば先日奈良図で入手してきたとっておきネタをここで惜しげもなく公開すべきなんだろうが,そうすることに躊躇があるということはまだまだなのだろう.一応は「ORJ買ってくれる方のお楽しみ」も考えないといけないし.
Wikipedia等では川迫川,弥山の発電所も戦前竣工ということになっているが,奈良図には水利使用申請しかないらしく,竣工したかどうかわからぬ.近デジで見られる「電気事業要覧」もS15.3.のものが最後.第35回がミソか.
事業者 | 発電所名 | 河川名 | 有効落差( | 使用水量( | 理論水力(kW) | 出力(kW) | 水車種類 | 水車kW数 | 回転数 | 個数常用 | 個数予備 | 製造者名 | 発電機種 | 発電機容 | 発電機電 | 回転数 | 周波数 | 個数常用 | 個数予備 | 製造者名 | 変圧器相 | 変圧器容 | 電圧一次( | 電圧二次( | 電圧三次( | 結線法 | 型 | 冷却法 | 周波数 | 個数常用 | 個数予備 | 製造者名 | 備考 |
宇治川電 | 迫 | 高原川 | 22.0 | 0.36 | 782 | 500 | ペルトン | 447 | - | 2 | - | E.W. | 三相 | 400 | 3500 | 720 | 60 | 2 | - | A.E.G. | 単 | 260 | 3.5 | 44/22/16. | - | △-△ | セル | 水 | 60 | 3 | - | 芝浦 | |
宇治川電 | 白川 | 熊野川水 | 183 | 1.67 | 2940 | 3100 | フランシス/ | 1640/1640 | -/- | 1/1 | -/- | E.W./三菱 | 三相/三相 | 1900/1900 | 3500/3500 | 720/720 | 60/60 | 1/1 | -/- | W.H./三菱 | 単 | 650 | 3.5 | 44/22 | - | △-人 | セル | 水 | 60 | 6 | - | 奥村 | |
宇治川電 | 樫尾 | 紀の川水 | 53.9 | 8.35 | 4411 | 3440 | フランシス | 1340 | - | 3 | - | E.W. | 三相 | 1250 | 3300 | 600 | 60 | 3 | - | W.H. | 三/単 | 1250/850 | 3.3-3.0/3. | 33.19.05 | -/- | △-人/△- | コア/コア | 自/水 | 60/60 | 40911 | -/1 | 大阪変圧 | |
宇治川電 | 天川 | 洞川 | 157 | 6.50 | 770 | 640 | ペルトン | 746 | - | 1 | - | 日立 | 三相 | 800 | 3500 | 450 | 60 | 1 | - | 日立 | 単 | 250 | 3.45-3.15 | 11-8.7 | - | △-△ | コア | 自 | 60 | 3 | - | 日立 | |
宇治川電 | 吉野 | 吉野川 | 23.6 | 9.75 | 2260 | 1661 | フランシス | 820 | - | 2 | 1 | E.W. | 三相 | 1000 | 3300 | 360 | 60 | 2 | 1 | W.H. | 単/単 | 650/495 | 3.3/33-30 | 19.05/15 | -/- | △-人/△- | コア/セル | 水/水 | 60/60 | 40971 | 1/- | 芝浦/奥村 | |
宇治川電 | 和田 | 熊野川水 | 34.3 | 7.49 | 2516 | 2000 | フランシス( | 2850 | - | 1 | - | 三菱重工 | 三相 | 2600 | 3300 | 360 | 60 | 1 | - | 三菱 | 三 | 2600 | 3.15 | 81-77 | - | △-人 | コア | 自 | 60 | 1 | - | 三菱 | 半自動 |
宇治川電 | 長殿 | 熊野川水 | 196 | 9.46 | 18170 | 15000 | フランシス( | 6000 | - | 3 | - | 電業社 | 三相 | 5500 | 11000 | 720 | 60 | 3 | - | 芝浦 | 三/単 | 5500/100 | 10.5/22-2 | 81-77/3.4 | -/- | △-人/△- | コア/コア | 自/自 | 60/60 | 40971 | -/- | 三菱/大阪 | |
宇治川電 | 摺子 | 熊野川水 | 55.41 | 19.20 | 10400 | 7740 | フランシス | 2984 | - | 3 | - | Bov. | 三相 | 3300 | 6600 | 514 | 60 | 3 | - | G.E. | 単/単 | 1100/2500 | 6.6/6.9-6. | 33/22 | -/- | △-人/△- | セル/セル | 自/自 | 60/60 | 41155 | 1/- | 大阪変圧 | |
宇治川電 | 関屋 | 葛城川支 | 96.2 | 0.07 | 66 | 43 | ペルトン | 74.6 | 720 | 1 | - | 大阪細川 | 三相 | 75 | 3300 | 900 | 60 | 1 | - | 富士電機 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
吉野水電 | 筑波峰 | 日裏谷川 | 101 | 0.07 | 74 | 45 | ペルトン | - | 1 | - | 奥村 | 三相 | 45kW | 3500 | 900 | 60 | 1 | - | 奥村 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
折立電務 | 大谷 | 大谷川 | 37.8 | 0.05 | 19.2 | 12 | フランシス | 16.4 | - | 1 | - | 電業社 | 三相 | 15 | 3300 | 1200 | 60 | 1 | - | 芝浦 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
平谷電気 | 桑畑 | 十津川支 | 46 | 0.03 | 15.5 | 10 | ペルトン | 12.7 | 450 | 1 | - | 日本水利 | 三相 | 12 | 110 | 1800 | 60 | 1 | - | 芝浦 | 単 | 12 | 0.2/0.11 | 33-2.85 | - | 単相 | コア | 自分 | 60 | 1 | - | 大阪南北 | |
黒滝村 | 中戸 | 樋の口川 | 91 | 0.08 | 69.4 | 48 | ペルトン | 63.5 | - | 1 | - | 日立 | 三相 | 70 | 3300 | 720 | 60 | 1 | - | 日立 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | |
東邦電力 | 笠置 | 淀川水系 | 105 | 1.39 | 1450 | 900 | ペルトン( | 372/372/ | -/-/- | 1/1/1 | - | ペルトン/ | 三相/三相 | 300/300/ | 3450/345 | 450/450/ | 60/60/60 | 1/1/1 | -/-/- | 芝浦/芝浦 | 単 | 400 | 3.45 | 22-19 | - | △-△ | コア | 自 | 60 | 3 | 1 | 芝浦 | |
東邦電力 | 白砂 | 淀川水系 | 127 | 0.5 | 635 | 470 | フランシス( | 620 | - | 1 | - | 日立 | 三相 | 700 | 3500 | 900 | 60 | 1 | - | 日立 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 全自動 |
100円ショップで売られているクエン酸洗剤(粉末)と重曹洗剤(粉末)を同時に使うとポリデント様の効果が得られる.ジョワジョワ泡が出ていかにも効きそうな感じ.
という発見をせっかくしてきたのだがまた体たらくを露呈するnagajis.ううむ.やっぱこういう役職は勤まらんと思うのよ...
駐車場の管理者は行き先をご存じでない.当たるなら別方面へ.少なくとも今の大和高田市の教育委員会さんはご存じでない.残るは春日神社か,付近の学校か,公園か・・・.児童公園は見てきたけれども×だった.
様々なところでさまざまな物件の寄進記念碑を見た気がするのだが,公共物への愛着はないらしい.そういうものだろうと思う.
懐く猫ほど撮りにくいものはなし.
M24のテキストを流用しつつM31での変更点を追ってみた。ちゃんと整理できていないのでupはしない。やりながら気づいたことをメモ。
茨木街道・亀岡街道の新設と仮定県道への昇格。その周辺の街道も微妙に変わっている。国道への接続個所も大字レベルで微妙に変わっているのが多い。厳密に追うならGoogleMapsか何かに線を引きながら比べなければならないだろう。そういう細部を一度は見てみたい気もするが、あれだけ路線が大量にあると相当時間がかかるはず。そのうえ誰の役にも立たない。考えただけでケツの穴がむずがゆくなり糞コメントに糞をまき散らしたくなる。
南の方では小栗街道・富田林街道の周辺で大きな変化。富田林街道は千早街道の平野部区間を切り貼りしたもの? M31に補助里道でなくなるものが多数あるので2、3路線を合わせたものである可能性もある。ともかく実際に線を引いてみないとこのへんは解決しない。
二者の間に郡再編があったので単純比較ができない。それを消化した上でないと比較困難。
補助里道でなくなるということが何を意味するのか。改修が済んで解除されたのか、それとも単に不要不急と判断されて補助里道でなくなったのか。京都の場合は改修が済んでも解除されるようなことはなかった。より多くの道を改修するために土木費支弁法があったならば改修→解除で他の道を浮上させたほうがよい。その一方、大阪は特に摂河和の合衆国であったから利害関係の対立が意外に根強くあった印象があり、一地域のみの利害にしか関係しない路線に手厳しかった。役に立たない道はさっさと外された可能性も高い。どっちなのか見極めたい。そのために府会誌精読せなあかん。
さらに言えば補助里道になったからといって自動的に即改修されたわけでもないはずで、郡市町村から申請があって初めて補助が出され工事になったと思われるのだが、本当にその認識で正しいのか。畢竟土木費・土木補助費からその額が支給されたはず。その中に一括されているのだとしたら(路線が改修されたかどうかを)細かく見ていくことは不可能に近い。それやろうとすると府会議事録を読むか公文書漁らなければならないし、読んだからといって全部が全部書かれているとも限らない。だからこそこの道の分析がなされていないのだろう。たぶん。
土地勘のある北摂の辺りだけなら改修記録と指定とを結びつけることはできるんだけどな。
仮定県道の増加=勝手に増やしたんではなく逐一内務省にお伺いを立てて認可をもらった結果。
M24>32の告示比較に加えて統計書で仮定県道の増減も見なければならん。なおM32告示で仮定県道路線がそれだと明示されるようになるが、統計書ではずいぶん早くから仮定県道路線が仮定県道路線として掲げられている(M14?)。20101104の前後の大阪府まとめを見直すこと>nagajis
M24>31で、もしくは統計書で仮定県道が増減したとして、じゃあ減った仮定県道が支弁対象から外されたのか?
_ 二枚橋 [ORJのスパムメール(笑)ちゃんと着いていました。でもPCでないと設定も購入もできないので指くわえて外野から見学中の現状です。]