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2022-02-27 [長年日記]

[きたく][煉瓦] うーーーー

謎を解決しにきたはずなのに…却って爆増してしまった。どうしろというのだ…。 画像の説明

本日一発目がこれ。これを見て約1秒で「おうっ発進組は耐火煉瓦だけじゃなく普通煉瓦も作っとったんかいワレェ」と納得したのだが約1時間後に完全形に出会って早とちりだと判明した。いまこの世の中に生きている人で自分以外の誰にもできない早とちりだと確信している。しかしその完全形が教えてくれた会社名に心当たりがない。これと一緒に勢陽組印も転がっていたのは狙い通りであったのだが。

本当は今回の主題であった多度の畑。あちこち訪ねて回ったのに畑の所有者が判然としないという予想外な打ち切られ方をする。申し訳程度に数個確認(しかしそれで必要十分であったかも知れぬ。あってほしいものは確かにあったのだ)。そもそも焼損煉瓦が多くて採寸に向かないということに現場で気づいた。阿呆である。あと六華苑で教わった養老鉄道の変電所跡も意外と収穫があった。

そのまま養老鉄道で大垣へ移動。さらに樽見鉄道に乗り換えるつもりが次発が一時間半後と知り自棄を起こして歩いていくことにした。前回東大垣から大垣へ歩くのを断念したののリベンジも兼ねて。

揖斐川橋梁で狼藉の限りを尽くす覚悟であったのだけれども、掘ったらもっと扱いやすいサイズのが出てきて、そのくせ想像とは違う刻印が想像もしなかった場所にあって呆然とした。あるいは未見の二本の棒線刻印であったりした。冷たい北風に渺渺と吹き晒されながら思考停止してしまう。

剥がすだけ剥がして帰るつもりが、最後の最後の悪あがきのつもりで第4橋脚に寄り道した結果、そこで重要な発見をし、ひとつ得て帰ることにした。しかしだとすると木曽川橋梁の井筒がオリジナルのものということになってしまうのだが……。

画像の説明

夕暮れ時はまこと逢魔ヶ刻である。


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