nagajisの日不定記。
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克く考えるに未だ勉強のたらざる事を知る。今後大いに勉強をする覚悟だ。7時間目の自習はさわがしくて、為す事能わず。随意運動時に、台上にて、週番士官殿の低鉄棒の用法に就て諸注意あり。以後運動を為したるが、便所まで来る時、食事前一分のラッパ鳴る。急ぎに急ぎて動作を行いたる結果食事に間にあう。これ程行いたる事は始めて也。(脱靴-体操服脱-軍服着-食堂)。夕食後酒保へ行く。自習は能率少かりき。
郊外演習あり。即ち岩倉山に至り楡の木に向いて写景図を記す。あらゆる物を記したれど図学に於けると異なり軍事的に記すことを知る。運動に出る。人舎内に入り整理をなしつゝあるに鉄棒をなす。予今日より高橋の如く一本道の真面目に人より一歩前の事をなさんと思う。たゞ面白くして人を笑わするが能ならず。或時に於ては必要なるかも不明なれど要はクソ真面目即ち何事も理論より先んじて実行なり〔「何事も~なり」に朱傍線、欄外「然り日々人を笑わすは道化役者なり」〕。実行・真面目より一歩先。之を予の目的事項となす。
今日より各生徒監殿は来らる。町田生徒監殿は大牟田市に出張されたり。麻の自習は潰れたり。国漢甲の考査あり。体操は斬〔漸〕く振上りになりたり。剣術は軍刀の操法なり。柔道終りて校長殿話あり。西洋の物に依らずとも日本古来の柔道・角力をなすべし。二十分休憩は三年らしく馬鹿げた事をせず、又百日祭の妙な歌をすること勿れ。思えはその歌こそ三学班なりき。今後時と所を論ぜず決して斯様な歌を唱えざるを誓いたり。近日夕食前と朝の自習行いしことなく遺憾なり。生れて初めて脚がつり驚きたり。痛くして其の後左脚に体重を移すこと能わざりき。其他異常なく良好。
昨朝upしてご連絡。解像度はもう50くらい上げてもいいかも知れない(50じゃ変わらんか)。一種の写真集と考えられなくもないから、今の荒さは少し惜しい気がする。特に小さい扱いの写真。
自分の旧橋と喪われた〜も流し込みを開始。写真と原稿、耳を揃えて提出したとは言え文字数を計ってやったわけではないから思うように流れ込んでくれず。予定の枚数は入らんだろう。
明日辺り、地図描き祭りになりそうな感じ。江浪をアレで行くんならその3倍くらいかかないといけない・・・こっちでコアダンプしそうだ(そこまで行ける可能性はたいへん低いが、解決方法としてはいい線行ってると思う>アレ)。今日はひとまず寝て、明日集中して作業しよう。
どうも最近、夢見が悪い。特にこのごろ立て続けに脳内空気嫁が出て来てあり得ない状況が展開する。夢の中での言動にまで責任を持ちたくはないが必ずアレしてコレしてアアなってしまう己れの短絡思考・指向・試行に呆れること三千丈。代名詞の辺りには同衾とか媾合とかゆう難しげな漢字を放り込んでおけばよろしい。時にはロオマンスも入っているようだが、ともかくそういうのは人間同士でやってくれと何度言ったらわかるのか>nagajis。
自分が見る夢は色がついているのはいつものこととして、臭いとか感触とか音とかまでついてくることがある。そのうえ変に細部まで事細かに設定されているから、リアリティがあり過ぎて、たちが悪いのだ。
例えば以前の弦巻部長の夢。ハードボイルドかぶれのこの男、名刺を見た訳でもテロップが出た訳でもないのに「弦巻」と書いて「つるまき」と読む苗字であることを、夢の中の自分は知っている(当然そんな変わった名前の知合いが現実世界の身の回りにいる訳がない。どこから出て来たのか)。自分の上の上の上くらいの地位にいる上司ではあるが会社の中でも常にコートを着て帽子を被りパイプ煙草をくゆらしているという奇行の人で、言うなればいい年したおっさんがステロタイプ的な探偵のコスプレを年中やっているようなものだ。しかもその煙草パイプはパイプと見せかけて強力なライターにもなるガシェットだったりする姑息さまで身につけている。点火する時に名探偵ポアロのテーマさえ流れる代物。自分の上司とはいえあんまり関わりたくない人物だ。
その時も何かつまらぬ冗談を言われて、「へえ、さいですか」と軽く受け流したら、スネられてしまい、自分の机の横に立てかけていた自転車のステムを自慢のパイプライターで焼こうとしやがった。「そんなことしたら剛性落ちるじゃないですかっ!」と怒鳴ると(そんな怒り方をする自分も自分だが)、おおこわ、とでも言いたげに弦巻部長は肩をすくめる。奇人だがその仕草だけはほんまもんだ。まことにさりげなくてちっとも厭味がなく、まるで年季の入った役者のようでさえある。つい「あ、いいなあ」と見取れてしまい、そうして見取れてしまったことにまた腹が立つのだった。
そういうつまらぬ夢ばかり覚えている自分。何かの暗示だったり比喩だったりすれば役に立とうというものだが、あいにく私は夢判断の知識がない。むしろ具体的に○○○とかXXXのXXXXXとか覚えてたほうが。
いや、止めておこう。卑猥過ぎる。
北摂線描の地図を描き、末尾の間違いを修正して校了。プチ濃、さらに徹底して、扉も作成。手書きで飾り罫書く無茶をした。素材集なんて持ち合わせちゃいない。デザイン素人のくせに「素材集なんて“逃げ”だぜ!」などと息巻いているnagajis哀れ。誰かめぐんでくれ。
音水第一、第二の再校。デザインを少し変えておく。出方によっては第3も行くか・・・などと考えたがもう13日なんだよな。無理だわ悪だなぷらこって。親と金を同じでいつまでも大ネタがあるとは限らないしな。
明日は野畑へ行って花摘みを、じゃなかった地図記号の最終チェックをしなければならない。それが終れば廢毒校了。TRDBと旧橋は熟成済み。
改めて書いておくが、今回、ヨッキ氏の特濃!はお休みだ。そのかわりにちょっとテイストの違う「プチ濃!」が入る。あと徳川道もお休み。人気ないし、似たような調子の廃道ルポが重なるしね。
お誘いが来ている。うーん。どうしよう。こういうのにすぐさま返事ができないnagajis。行きたいのは山々だし行きたい方面なのだがおいそれと行ける距離でないしな。Wait a moment please.
波賀町日ノ原にて、警笛鳴らせ。奇跡的なまでにきれいな旧標識。サイクリングロード(林鉄線跡)に置かれていたのが勝因?なのかも知れない。案外林鉄向けに建っていたものだったりして(マサカ)
書いてる段階ではケッサクだと思ってたんだが、pdfにすると何だかなあという出来になってしまった・・・。ルポ以外で60ページも引っ張るのはやはり無理があったかも知れない。そもそもnagajis語を読みたくない人には向かない。
土倉の事蹟から東熊野街道へのつながりもいまいちか。思い切って明治地形図も削除してしまおうか。地図書く時間がない・・・
紙芝居ページ全作り直しはきついが・・・見通しが甘かった。前半distillって寝る。ページサイズが約2倍になるのはどしよもないな。
ふと思う。情報の伝達速度は速まって、一次ソースを直接参照できるようになったが、吟味されずに伝わることはいいことなのか。バッファじゃあだめか、遅いか早いかの違いでしかないものな。
いろいろ考えてみるが最終的に「面倒くさいから関わらない」に落ち着く。会社組織であれば例えば株主に対して云々という大義名分が立つが、それが面倒というか、しっくり来ないのだな。それでいて主張に価値がないと思う。そりゃ何も書けなくなるわ。
そういうもがきを晒して果てるがいいさ>nagajis。
実現しなかった設計の実現しなかった理由まで書いたところで誰得度がさらに増すだけなのはわかっちょるけん。毒を食らわばサラエボだ。サラエボプエブロ電気風呂。露天の風呂は吹き曝し。確か二度目。
隧道で見つけた例の金属物。犬釘の頭だろうかと思っていたが、どうも違うようだ。
釘の柄だと思っていたところが、何というかこう、寄木細工のようになっている。十字ボタンを中心を通るように斜めに切断してくっつけたような断面。釘がこのような寄木である必要はないはずだ。
あんまり綺麗で軌道の隧道とは思えないようだったけれど、砂利は敷いてあったっけ。ということはやはりmasaさんがいうようにきれいに枕木を撤去してしまったのだろう。
長島 | 321x4.6 | M42.2.22. | M44.12.- |
海野 | 208x3.2 | M43.3.4 | T3.-.- |
道瀬 | 308x3.2 | T3.2.上旬 | T4.7.上旬 |
三浦 | 315x4.6 | T4.6.- | T6.2.- |
相賀 | 81x4.6 | T2.9.- | T5.7.- |
尾鷲 | 483x4.2 | M44.10.- | T5.4.8. |
木本 | 509x4.2 | T14.1.6. | T15.7.26 |
坂下 | 332x4.6 | M-.-.-. | M44.8.- |
旧坂下 | 61x3.8 | M-.-.- | M33.3. |
[三重県の近代化遺産P125]
こう見ると長島だけ仲間はずれだな。本当に4.6mもあるんだろうか。写真ではもっと小さいように見えるし現地の感覚でも海野や道瀬に近かった気がする。tdbの数値はあてにならないし・・・
3年前に計った気もするがメモを残していない。あってもジャンク箱の山の中だろう。何のために行ったんだか。
坂下道路のは別格か。
登録有形文化財のプレートの大きさ=横30cm×縦21cm×厚さ1.5cm。
道瀬隧道の登録有形文化財のプレート。
3a+3b+0.45a=21
3.45a=21-3b
b=0.5とすると
b=(21-3*0.5)/3.45
=5.69
b=0.6とすると
=5.56
b=0.4とすると
=5.73
最下段を0.5aと考えても60mmになることはないようだ。一つゲットウ。プレートがどれも同じ大きさであれば、だが。
この記事3ページ目などで紹介されている昭和の矢ノ川峠道のコンクリート桟橋.どこにあるんだろうとずっと謎に思っていた.なんのことはない,旧道に入ってしばらく行ったところだ.足のわるさと雑木のせいで全体を見通すことができなかったが,もう少し崖を下れば見得ると思う.
上からみるとこんなかんじ.紅葉橋の少し手前.
55.0 x 108.4 x 229
54.4 x 106.0 x 223.5
56.9 x 107.9 x 223.5
57.0 x 106.5 x 220
56.0 x 106.8 x 221.3
出典:Graces' guide https://www.gracesguide.co.uk/Johnson,_Cammell_and_Co、https://www.gracesguide.co.uk/Charles_Cammell_and_Co
以降はhttps://www.gracesguide.co.uk/Cammell,_Laird_and_Coへ。以降造船・鉄道車両の製造がメインになってく。
1891年頃のトレードマークは「駱駝」。まんまCAMELなわけだ。
https://www.gracesguide.co.uk/Barrow_Hematite_Steel_Co
その後Barrow Ironworks Ltdは他社に買収され、1960年代まで製造(屑鉄熔解)をしていたが1963年3月31日に閉鎖。Barrow Hematite Steel CoはGeneral and Engineering Industriesの子会社として1964年まで存続(同社管財人となる?)。Barrow Steelworks は後にBritish Steelの一部となり、その敷地は工業団地になっている。らしい。
こーして見るとDarlingtonだけが製鋼開始が遅かったことがわかる 。他社は1870年よりも前から鋼を製造していた。たしかダイアックだったか誰かが「鋼は有望だけれども始まったばかりで品質が安定していない」とかなんとか言って錬鉄レールを採用したんじゃなかったっけか。それが桂川~京都間でCAMMMELLの鋼レールを採用し、また錬鉄平底が思いの外早く摩耗したんで慌てて明治13年頃から鋼平底レールへの置き換えを始めた(このへんの典拠は「帝国鐡道大観」(昭和2:図書館送信)のp.552)。
_ multi [>無理だわ悪だなぷらこって なんともナツカシキネタをw]