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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2007-05-13 作業報告と妄言 この日を編集

[ORJ] 寄稿pdf初校、nagajis原稿流し込み

 昨朝upしてご連絡。解像度はもう50くらい上げてもいいかも知れない(50じゃ変わらんか)。一種の写真集と考えられなくもないから、今の荒さは少し惜しい気がする。特に小さい扱いの写真。

 自分の旧橋と喪われた〜も流し込みを開始。写真と原稿、耳を揃えて提出したとは言え文字数を計ってやったわけではないから思うように流れ込んでくれず。予定の枚数は入らんだろう。

 明日辺り、地図描き祭りになりそうな感じ。江浪をアレで行くんならその3倍くらいかかないといけない・・・こっちでコアダンプしそうだ(そこまで行ける可能性はたいへん低いが、解決方法としてはいい線行ってると思う>アレ)。今日はひとまず寝て、明日集中して作業しよう。

[独言] 夢見が悪い

 どうも最近、夢見が悪い。特にこのごろ立て続けに脳内空気嫁が出て来てあり得ない状況が展開する。夢の中での言動にまで責任を持ちたくはないが必ずアレしてコレしてアアなってしまう己れの短絡思考・指向・試行に呆れること三千丈。代名詞の辺りには同衾とか媾合とかゆう難しげな漢字を放り込んでおけばよろしい。時にはロオマンスも入っているようだが、ともかくそういうのは人間同士でやってくれと何度言ったらわかるのか>nagajis。

 自分が見る夢は色がついているのはいつものこととして、臭いとか感触とか音とかまでついてくることがある。そのうえ変に細部まで事細かに設定されているから、リアリティがあり過ぎて、たちが悪いのだ。

 例えば以前の弦巻部長の夢。ハードボイルドかぶれのこの男、名刺を見た訳でもテロップが出た訳でもないのに「弦巻」と書いて「つるまき」と読む苗字であることを、夢の中の自分は知っている(当然そんな変わった名前の知合いが現実世界の身の回りにいる訳がない。どこから出て来たのか)。自分の上の上の上くらいの地位にいる上司ではあるが会社の中でも常にコートを着て帽子を被りパイプ煙草をくゆらしているという奇行の人で、言うなればいい年したおっさんがステロタイプ的な探偵のコスプレを年中やっているようなものだ。しかもその煙草パイプはパイプと見せかけて強力なライターにもなるガシェットだったりする姑息さまで身につけている。点火する時に名探偵ポアロのテーマさえ流れる代物。自分の上司とはいえあんまり関わりたくない人物だ。

 その時も何かつまらぬ冗談を言われて、「へえ、さいですか」と軽く受け流したら、スネられてしまい、自分の机の横に立てかけていた自転車のステムを自慢のパイプライターで焼こうとしやがった。「そんなことしたら剛性落ちるじゃないですかっ!」と怒鳴ると(そんな怒り方をする自分も自分だが)、おおこわ、とでも言いたげに弦巻部長は肩をすくめる。奇人だがその仕草だけはほんまもんだ。まことにさりげなくてちっとも厭味がなく、まるで年季の入った役者のようでさえある。つい「あ、いいなあ」と見取れてしまい、そうして見取れてしまったことにまた腹が立つのだった。

 そういうつまらぬ夢ばかり覚えている自分。何かの暗示だったり比喩だったりすれば役に立とうというものだが、あいにく私は夢判断の知識がない。むしろ具体的に○○○とかXXXのXXXXXとか覚えてたほうが。

 いや、止めておこう。卑猥過ぎる。


2008-05-13 作業報告 この日を編集

[ORJ] 一気にカタをつける

北摂線描の地図を描き、末尾の間違いを修正して校了。プチ濃、さらに徹底して、扉も作成。手書きで飾り罫書く無茶をした。素材集なんて持ち合わせちゃいない。デザイン素人のくせに「素材集なんて“逃げ”だぜ!」などと息巻いているnagajis哀れ。誰かめぐんでくれ。

音水第一、第二の再校。デザインを少し変えておく。出方によっては第3も行くか・・・などと考えたがもう13日なんだよな。無理だわ悪だなぷらこって。親と金を同じでいつまでも大ネタがあるとは限らないしな。

明日は野畑へ行って花摘みを、じゃなかった地図記号の最終チェックをしなければならない。それが終れば廢毒校了。TRDBと旧橋は熟成済み。

改めて書いておくが、今回、ヨッキ氏の特濃!はお休みだ。そのかわりにちょっとテイストの違う「プチ濃!」が入る。あと徳川道もお休み。人気ないし、似たような調子の廃道ルポが重なるしね。

[] 別子銅山

お誘いが来ている。うーん。どうしよう。こういうのにすぐさま返事ができないnagajis。行きたいのは山々だし行きたい方面なのだがおいそれと行ける距離でないしな。Wait a moment please.

[独言] 看板

画像の説明波賀町日ノ原にて、警笛鳴らせ。奇跡的なまでにきれいな旧標識。サイクリングロード(林鉄線跡)に置かれていたのが勝因?なのかも知れない。案外林鉄向けに建っていたものだったりして(マサカ)

本日のツッコミ(全1件) [ツッコミを入れる]

_ multi [>無理だわ悪だなぷらこって なんともナツカシキネタをw]


2009-05-13 なんだかなあ・・・ この日を編集

[ORJ] 東熊野街道プロローグ

書いてる段階ではケッサクだと思ってたんだが、pdfにすると何だかなあという出来になってしまった・・・。ルポ以外で60ページも引っ張るのはやはり無理があったかも知れない。そもそもnagajis語を読みたくない人には向かない。

土倉の事蹟から東熊野街道へのつながりもいまいちか。思い切って明治地形図も削除してしまおうか。地図書く時間がない・・・


2010-05-13 この日を編集

[独言] 寝る

紙芝居ページ全作り直しはきついが・・・見通しが甘かった。前半distillって寝る。ページサイズが約2倍になるのはどしよもないな。

[独言] 情報伝播のバッファ

ふと思う。情報の伝達速度は速まって、一次ソースを直接参照できるようになったが、吟味されずに伝わることはいいことなのか。バッファじゃあだめか、遅いか早いかの違いでしかないものな。

いろいろ考えてみるが最終的に「面倒くさいから関わらない」に落ち着く。会社組織であれば例えば株主に対して云々という大義名分が立つが、それが面倒というか、しっくり来ないのだな。それでいて主張に価値がないと思う。そりゃ何も書けなくなるわ。

そういうもがきを晒して果てるがいいさ>nagajis。


2011-05-13 この日を編集

[][] あ(ry

実現しなかった設計の実現しなかった理由まで書いたところで誰得度がさらに増すだけなのはわかっちょるけん。毒を食らわばサラエボだ。サラエボプエブロ電気風呂。露天の風呂は吹き曝し。確か二度目。

[独言] 何の金具だろう

画像の説明隧道で見つけた例の金属物。犬釘の頭だろうかと思っていたが、どうも違うようだ。

画像の説明釘の柄だと思っていたところが、何というかこう、寄木細工のようになっている。十字ボタンを中心を通るように斜めに切断してくっつけたような断面。釘がこのような寄木である必要はないはずだ。

あんまり綺麗で軌道の隧道とは思えないようだったけれど、砂利は敷いてあったっけ。ということはやはりmasaさんがいうようにきれいに枕木を撤去してしまったのだろう。

[独言] まめちしき

画像の説明画像の説明

脈絡などあるわけがないじゃないか。コーヒーの空き缶の直径は55mmなので煉瓦の簡易判別をするのに使える。左は54mm厚の並形、右は60mm厚の東京並形。

[] 東紀州煉瓦隧道

長島321x4.6M42.2.22.M44.12.-
海野208x3.2M43.3.4T3.-.-
道瀬308x3.2T3.2.上旬T4.7.上旬
三浦315x4.6T4.6.-T6.2.-
相賀81x4.6T2.9.-T5.7.-
尾鷲483x4.2M44.10.-T5.4.8.
木本509x4.2T14.1.6.T15.7.26
坂下332x4.6M-.-.-.M44.8.-
旧坂下61x3.8M-.-.-M33.3.

[三重県の近代化遺産P125]

こう見ると長島だけ仲間はずれだな。本当に4.6mもあるんだろうか。写真ではもっと小さいように見えるし現地の感覚でも海野や道瀬に近かった気がする。tdbの数値はあてにならないし・・・

3年前に計った気もするがメモを残していない。あってもジャンク箱の山の中だろう。何のために行ったんだか。

坂下道路のは別格か。

登録有形文化財のプレートの大きさ=横30cm×縦21cm×厚さ1.5cm。

画像の説明道瀬隧道の登録有形文化財のプレート。

画像の説明 3a+3b+0.45a=21
3.45a=21-3b
b=0.5とすると
b=(21-3*0.5)/3.45
 =5.69
b=0.6とすると
 =5.56
b=0.4とすると
 =5.73

最下段を0.5aと考えても60mmになることはないようだ。一つゲットウ。プレートがどれも同じ大きさであれば、だが。

舟木橋も書いとかないと忘れるな・・・ってさっそくどっか行った(泣

[独言] 矢の川昭和道・南谷の景

画像の説明この記事3ページ目などで紹介されている昭和の矢ノ川峠道のコンクリート桟橋.どこにあるんだろうとずっと謎に思っていた.なんのことはない,旧道に入ってしばらく行ったところだ.足のわるさと雑木のせいで全体を見通すことができなかったが,もう少し崖を下れば見得ると思う.

画像の説明上からみるとこんなかんじ.紅葉橋の少し手前.

うむすごい脱力感だ。

[煉瓦] 船木橋

55.0 x 108.4 x 229

54.4 x 106.0 x 223.5

56.9 x 107.9 x 223.5

57.0 x 106.5 x 220

56.0 x 106.8 x 221.3


2018-05-13 この日を編集

[古レール][] Charles Cammell and Co

出典:Graces' guide https://www.gracesguide.co.uk/Johnson,_Cammell_and_Co、https://www.gracesguide.co.uk/Charles_Cammell_and_Co

1837
Charles Cammell、Thomas Manby Johnson、Henry Johnsonの鉄鋼業としてJohnson, Cammell and Co設立。
1845
Sheffield郊外の鉄道駅の近くにCyclops Steel Worksを設立。
1855
Charles Cammell and Coと改名
1861
レールや付帯部品を製造開始。
1863
アーマープレートの製造開始。
1863
ビジネスが順調でSheffield近傍のGrimesthorpeに新工場を建設。
1864
有限会社化(limited Company)
1864
PenistoneのYorkshire Steel and Iron Worksを買収。
1865
上場
1870
Dronfieldにレール車輪や鋼レール(steel rail)を製造する工場が開設される。
1873
Barnsley近郊のOaks Colliery(オークス炭鉱)を買収、種々レール製品の供給を確実にする。
1875
創業者の一人、Thomas Broadleyが76歳で死去。
1878
Sheffield工場はイタリアの戦艦Duilioにアーマープレートを供給。
1878
Charles Cammell死去。
1880
英国海軍にアーマープレートを供給。
1885
この時点で以下の工場・炭鉱を所有。
Cyclops Steel and Iron Works, Sheffield
Grimesthorpe Ordnance, Tyre and Spring works, Sheffield
Yorkshire Steel Works at Penistone
Derwent Steel and Iron Works at Workington
Old and new Oaks Collieries, near Barnsley
Other iron mines near Whitehaven
1903
Laird BrothersのBirkenhead造船所を引き継ぎCammell, Laird and Coとなる。

以降はhttps://www.gracesguide.co.uk/Cammell,_Laird_and_Coへ。以降造船・鉄道車両の製造がメインになってく。

1891年頃のトレードマークは「駱駝」。まんまCAMELなわけだ。

[古レール][] Barrow Hematite Steel Co

https://www.gracesguide.co.uk/Barrow_Hematite_Steel_Co

1859
Schneider, Hannay and Co設立。前年Furness at Hindpool に用地を購入。これが後のBarrow Hematite Steel Coとなる。Furness Railwayはこれによって鉄鉱石輸送量が激減したが、そのかわり銑鉄と石炭の輸送量が増え両者にとって利益となった。
1864
Barrow Hematite Steel Co設立。 (7th) Duke of Devonshire as ChairmaSir James Ramsden as MD and Josiah T. Smith as General Manager.
1865
Premises erected alongside Schneider and Hannay社の隣接に工場建設。10の溶鉱炉があり、5,000-5,500トン/週の出力。世界一と評された。
1866
5トンベッセマー転炉18を稼働。
1860年代
Furness Railwayを挟んでSteel worksとIron worksが(2つずつ?)所在。
1872
14の高炉の先端が排ガス利用のためにenclosedされる。(それだけの高炉があったということ)
Park炭鉱(1872年375,000トン産出)、Stank炭鉱など地方炭鉱のいくつかを管理下に。
1879
工場のキャパシティーを11の大きな転炉に、後日さらに8大転炉に集約。鋼は2トンインゴット。転炉は高炉・転炉の傍に設けられた250トン混銑炉(metal mixer)より「給餌」された。
出力の大部分は鋼レールの製造にあてられた。元は42 1/2インチのビームエンジンによって駆動される three-high-typeのミル。直径×6フィートのストロークで55ポンドの圧力、28ストローク/分。(このへん機械翻訳そのまま。蒸気エンジンの能力を示す記述で当時ならでは書き方があったはずだが理解できていない)
1880
この年までに11のsteam hammersがあったが 分塊圧延機(cogging mills)に置き換えられた.
ベッセマー転炉も段階的にシーメンス平炉(Siemens furnaces)に置き換えられたがレール製造は続けられた。
1880頃
二つの12トンシーメンス平炉(Siemens 12-ton open hearth furnaces)を備える。
1900
レールミルは二つの40x60 horizontal reversing enginesで駆動される36インチ分塊圧延機、 2つの48x54 inch direct-acting horizontal reversing enginesで駆動される28インチ粗圧延機(roughing mill), 同様の50x54 engines駆動の28インチ仕上圧延機(finishing mill)で構成。
1903
4つの18トン転炉が24時間に70個のキャストを製造。7000トン/週の製造能力
1914
蒸気機関車3台を製造
1920
W. F. A. Wadham が Directorに就任
1930s
この頃から70トン炉が使用される
WW2
第二次大戦の初期に steelworksは閉じられ予備役となる(mothballed)が、ironworksはBarrow Hematite Steel Co Ltdの名で稼働を続けた。
1942
steelworks が供給省に買収され生産を再開。
1948
Barrow Ironworks Ltdに買収されるが、Barrow Hematite Steel CoはStainton Limestone Quarries(ステイントン石灰石採石場)と the Pennington Ore Mill.(ペニントン・オード・ミル)を運営していた元子会社の持株会社として存続。

その後Barrow Ironworks Ltdは他社に買収され、1960年代まで製造(屑鉄熔解)をしていたが1963年3月31日に閉鎖。Barrow Hematite Steel CoはGeneral and Engineering Industriesの子会社として1964年まで存続(同社管財人となる?)。Barrow Steelworks は後にBritish Steelの一部となり、その敷地は工業団地になっている。らしい。

こーして見るとDarlingtonだけが製鋼開始が遅かったことがわかる 。他社は1870年よりも前から鋼を製造していた。たしかダイアックだったか誰かが「鋼は有望だけれども始まったばかりで品質が安定していない」とかなんとか言って錬鉄レールを採用したんじゃなかったっけか。それが桂川~京都間でCAMMMELLの鋼レールを採用し、また錬鉄平底が思いの外早く摩耗したんで慌てて明治13年頃から鋼平底レールへの置き換えを始めた(このへんの典拠は「帝国鐡道大観」(昭和2:図書館送信)のp.552)。

https://www.gracesguide.co.uk/Dowlais_Ironworks


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