nagajisの日不定記。
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ディンプルの底に溜まったモルタルを取るのに苦労したが、まあ、こんだけ綺麗なったら上出来だろう。
工場内に敷設されていた舗装煉瓦には「1923」の刻印があったそうなのだが(1923=関東大震災の年。この年に貝塚工場は舗装煉瓦の製造ラインを増強している。震災とは関係なく、たまたまこの年から本格化したのではなかったか)、刻印の場所は煉瓦の右隅にであって、こいつにはそれがない。大阪窯業マークの縁の平らな部分も少し狭い。それ以外のディンプルの感じとかサイズとかは中家住宅にあった「1923」と全く同じだ。
この煉瓦をどう解釈したものか悩む。試験用に作られたものとも思えるし、(あとで左隅に入れるようになった)年度を潰して使いまわしたものとも取れる。舗装煉瓦自体は大正9年頃から開発が始められ、同10年には大阪市街や兵庫県の武庫郡役所前などに採用されたという(『大阪窯業五十年史』)。また東京八王子にも舗装煉瓦が残っているが、こちらはおそらく八王子工場で作ったもので、「大阪窯業」「OSAKA YOUGYOU」の文字が入っている。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/dokai/pdf/07-02-0021.pdf
『道路の改良』第7巻第2号(大正14年2月)。煉瓦舗装の実際。大阪では比較的大規模に煉瓦舗装を採用。霞町玉造線とか九条高津線とか鶴橋線@大阪市都計とか。アメリカのものに比べて靭性が高く、施工の際にハンマーで叩いて表面が剥離することも。施工後も摩耗より薄くはがれる破損のほうが多かったらしく、2年ほどで剥離が目立つ状態になった。道路を横断する伸縮目地を入れた場合には、その目地の前後で傷んだ。また目地に隣り合う煉瓦が目地方向に押し出されて目地が割れる>その後ろの一列が同じように割れる>次々波及するという悪循環が発生。なので伸縮目地は不要という論。
剥離破壊?の原因は機械で押し出すことにより生じるラミネーション現象とされた。機械で粘土を押し出して煉瓦の形にするとき、押し出し口に接している部分と中央部分とで粘土の動く速さが違う(口に接しているほうが遅く中央が速い)ので素地内部に円筒形状の層ができる。衝撃を与えた時にその層で剥離する。抜き出し後にプレスするとかえって層が崩れる?のでよくないとか何とか。