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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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1941-07-06 この日を編集

[陸幼日記]七月六日 日曜日 曇

自習室はさわがしく、自習する事能わず。一日何もせず過す。


1942-07-06 この日を編集

[陸幼日記]七月六日 月曜日 晴時々雨

午後は降ったり止んだりなりき。朝に舎外に学ぶ何と爽やかならんや。午後は柔道・教練なりき。特に柔道に於ては鍛われたり。教練は半ば雨なれどよく頑張りたり。
益〃緊張を欠かんことを覚悟す。


1943-07-06 この日を編集

[陸幼日記]七月六日 火 雨

雷鳴を聞く。幾何の時間に鼻血を出して処置に困りたり。上を見た所血が咽喉にたまり呼吸出来ず。故に之を飲む。まずく気持ち悪し。終日味を忘るゝこと出来ず腹の中むずヽして不愉快なりき。午睡又も眠ることを得ず。月齢身体検査。五五・一瓩に下る。身長五尺五寸 工作にてラジオ組立。勝れざる日なりき。良好。


2007-07-06 2号飛んでる この日を編集

バックアップメディアを読めるまで持って行けたが、15号、16号ともバックアップしてなかった。。。HDDを増設して慢心してたか。うーむ。自分のは構わんがヨッキ氏(尾頭中編)と張子の虎さん(関西本線の煉瓦隧道群)、申し訳ない。そうしてバックアップ手段を提供して下さったあの方にも・・・。気を引き締めて、出直すぞ!

というわけではないけれど、ひとまず撤退する。明日は検版。

[独言]

差し出しても差し出しても鬼の首、か。。。勝手に取ってくれ。

[独言] 1件追加

今週土曜日日曜日は近畿大学で土木史研究会の研究発表あり。興味のある方はどーぞ。詳細はwww.jsce.or.jpのトップページ下方「土木史委員会」リンク先に。nagajisは日曜日に野次馬しにいくつもり。


2008-07-06 どうやら生きて帰ってきたようだ この日を編集

[ORJ][独言][廃道本][近世以前土木][][][][][橋梁][][][][][][橋梁][][][][][][][][] うむ。

激闘一週間。「ケツの毛まで毟られて鼻血も出ねえや」。何があったかはそのうちどこかで報告する。おおまかに言えば上記カテゴリの通り。

というより留守にしている間に世界がいろいろ動いてて大変だ。特に大阪のこの暑さ。いつのまに真夏になったのだ。いきなり熱タイヤ、もとい熱帯夜に苦しめられている今。じっとしているだけで汗が出るが写真確認で涼しい思いをしている。

[独言] 外堀から埋めていく

少し勘を取り戻さないと。

画像の説明行きがけ、滋賀県のどこかの駅で。ホームから見えたドラッグストアの看板。ドラッグストア系はなぜかコレと似たようなマスコットキャラクターなことが多い。動作や表情、薬の描写などが微妙に異なる。それは行儀作法がなってないだろうというそもそものツッコミはさておき、どうもこの系を見るとベルミー坊やを思い出さずにはいられない。祖先は彼なのではないのか。全国津々浦々のドラッグストアの大半は鐘紡傘下であったりするのではないか。それともダイエーとマルショクのマークが似ているのと同様の現象なのか。看板を見るたびにそう思う。

画像の説明同日、飛騨で。商品名下の但し書きの意図がいまいちよく汲み取れない。飛騨は入っていないということなのか。それとも飛騨以外の場所で作っておきながら飛騨コーヒーを謳っているのか。前者は四つ葉牛乳なんてのもあるわけだし気にしなくていいだろうと思わないでもない。後者ならば今流行りの産地偽装になってしまう。どうなのか。名誉のために断っておくが飛騨コーヒーそれそのものはたいそう旨かった。

画像の説明最終日。看板には注意の喚起とその内容伝達が第一の役割として与えられている。そういう意味に於いては簡潔かつストレートな語句を用いることが望ましく、この看板などはまさにそういう意味に於ける看板の手本とも言うべき秀作である。エッチなマン。woがつかないマンであることにより「不審者」「変質者」「変態」等と表現した場合のあいまいさが端的に回避されている。気をつけなければならないのは男に対してであって女性を警戒する必要性はない。それだけで全人口の5.5割位は除外できるのだから素晴らしいではないか。

しかもその野郎はHだ。これ以上ないという位に、体から滲み出さんばかりにHだ。なにしろエッチマンだからな。それが一瞥してわかるところにこの看板の最大の価値がある。こういう利点もあるのだから、どうか極右的フェミニストのみなさん、man使わせてください。でないとコマンドオプション覚えられません(違

[独言] ええと。

このまま終ったら顰蹙を買いそうな気もするので、単独行となった本日(5日)のことを。ヨッキれん氏とは4日の夜に別れてnagajisは塩尻で一泊、翌朝の電車で帰阪する予定であった。が、予想以上に寝過ごしてしまい、塩尻を出たのが10時50分の電車。まあこの時間なら鈍行乗り継ぎでも帰れそうではあったのだが、大阪近辺でラッシュアワーになりそうな塩梅でもあり、ヨッキれん氏の探究心に薫陶を受けて、自分もも少し頑張ってみることにした。

画像の説明というわけで写真の隧道などに行ってきたのだ。前々から気になっていたことが一つあって、それを確認するためでもあったのだが、予想通りの構造であった。

村田は天才だ、としか言い様がない。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ yokkiren [お疲れ様でしたー。 やっぱり5日も悪さしていたのね。 まったく、困った永ニャンコだぜ。 こちらは帰宅したら家の中に蟻が大量に発生していてピンチです。 写真整理をしていたら、なんだか冷や汗がいっ..]

_ なき [>飛騨コーヒー 地域団体商標登録の関係らしい…です www.tiiki-brand.jp/brand/disp_abtm.php?no=21]


2011-07-06 この日を編集

画像の説明

トンボがケセランパサランを食っていた。

何を言っているのか(AA略 だが本当だ。小さなトンボが風に吹かれて転がっていたのでなんじゃこらと思って見てみたらケセラン(略 にしがみついていた。ケセ(略 のほうを捕まえたらトンボがついてきた。綿毛の一本を一生懸命咀嚼していた。生き物だと思って捕獲したのだろう。

部屋に持ち帰って証拠写真を撮ろうとしたら開けた窓から風が入ってきてケ(略 がちぎれてしまった。仕方なくトンボだけ写しておいた。

等高線があわへん・・・f**k!!


2012-07-06 うーん・・・ この日を編集

[独言] 続・paypal本人確認

電話で催促してみたり再アップしたりしているのだが、今だ完了せず。今日完了しないということは月曜までダメってことだ。ううむ。自分が見逃していたせいなので文句も言えないし、 同じように今ごろ気づいて喚いている人が沢山なのは確実だ。向こうさんもてんやわんやなのだろう。

不備があったときは連絡をくれることになっているらしいが、そんなメールは来ていないし、ログインページにも表示されてない。再確認してくれるとのことで慌てて再アップするもその返事が未だだ。手順を教えてくれたメールは直ちに届いているのだけどな。

対応は思っていた以上に丁寧で的確だと思う。とても慣れている感じ。だからかえって、どこかで何かイレギュラーなことが起こっているのかも知れないと思い始めている。嫌だなあ。

一応弁解じみたことを書いておく。 送金記録はpaypalサーバと直でやりとりをしているから、ペイパルアカウントで使っているメールには目を通す機会がほとんどない(間にnagajisが介在することもない)。不具合があったときもサイトの取引情報を見る方が確実だ。最近はこのアドレス宛のスパムも増えたし・・・。表向きには公開していないアドレスなのによく拾ってくるものだと思う。まあ、そのものずばりなのでバレバレなんかも知らんが。

この機会にpaypalの経路を変えようと思う。今回は特に不具合が多かった。正攻法ではないが改善するにはそれ以外に対処のしようがない(いまのnagajisの能力では)。


2013-07-06 この日を編集

[煉瓦][煉瓦工場] データトレス完了

大阪兵庫京都滋賀奈良和歌山の明治大正昭和50年までの全工場を把握した。整理はしていない。

耐火煉瓦も拾っておいたので三文字略とも戦えるかも知れぬ。しかし伊藤窯業があちこちにあってITOが印南の伊藤窯業だという証拠が薄らいでしまった。そこはそれ、現地に近いからでおkにしとこうよ。でないと無理。

生き残った煉瓦工場はすべてコンクリート製品製造業だった瓦製造業になったりしている。耐火煉瓦で生き延びたのは大阪窯業>ヨータイだけだ。キシレンも昭和40年の末からプレキャストコンクリに手を出していた。 瓦もおそらくコンクリート製瓦のほうだろう。丈夫で軽いコンクリート製の瓦がこの時期に普及した。

なかでも播州煉瓦合同は典型的。廃止になった煉瓦工場を引き取り、そこでコンクリートブロックを製造しつつ、煉瓦製造ラインは最後に建てた志方の工場へ持っていった。そうしてその工場でもコンクリート製品を造るようになり、昭和47年頃に煉瓦製造から手を引く。たいへん計画的かつ着実な移行をしている。その志方工場がいまの(株)バンレン。側溝のU字ブロックとか作ってはる会社だ。この名前から逆向きに播州煉瓦合同を想起するのはまず不可能だろう。

昭和20〜30年代に興り、10年ほどで消滅した煉瓦会社が結構ある。奈良の朝日煉瓦とか斎藤煉瓦とか奈良煉瓦とか(斎藤煉瓦は大正9年創業というが「工場通覧」に出てくることはほとんどない。従業員極小の零細企業で忍んでいたのだろう。和歌山の和歌山煉瓦もそんなサブマリンを経て復活している。すぐに消えるけど)。

こういう会社がどんな煉瓦を作ったのか、手成形なのか機械なのか、刻印を使ったのか使わなかったのかは、現段階ではさっぱりわからない。予想を立てるのも難しい。大杉窯業のように昭和40年代まで手成形でやってたところもあるから。

案外辰市の斎藤煉瓦が<S>だったりするのかも知れぬ。シモレンがここまで来ていると考えるよりも妥当じゃないか。

この時期の「工場通覧」を追っていると、昭和30年代の終わりから40年代にかけてC 製品の製造が盛んになってったことがよくわかる。コンクリートブロック製造とかコンクリート間知とか土管とかPC製品とか、いろんなC製品が出現してページを埋め尽くしていく。その増長に対応して煉瓦工場が次々と姿を消していく。哀愁は感じない。それが世界の必然だったのだろうし、逆手に取って生き残った才覚ある工場もあったのだからな。


2018-07-06 この日を編集

[独言] 肩書を求められている

最も困るやつである。自分自身がナニモノなのかわかっていない人間が自身の肩書を正しく設定できるわけがない。研究者でもなければ物書きでもない、しかしマニアとは呼ばれたくなく数奇者という語は文脈的に相応しくない。一個人も同様。初めて会う人間に「人です」と自己紹介されても困るだろうしそもそも誌の品位を貶めるわけにはゆかぬ。そんなよくわかんない奴に書かせるような誌なのかと思われては困る。しかも本文で大見得を切っている以上それなりに納得されるようなナニかを肩に載せねばならない。困ったことだ。

ほんとうは以前にここで書いたみたいに「肩書はnagajis」と言いたいところなのだが許されないんだろうなあ。実際他に無いんだから「ありません」で通らねえかなあ。

[煉瓦刻印] 三石窯業耐火煉瓦(C-U)(耐火断熱煉瓦?)

画像の説明

岡町の商店街の裏で遭遇。嗚呼こんな所にも三石窯業が。標記のしかたは比較的新しいもので耐火度の記載が義務付けられなくなって以降三石窯業が三石耐火煉瓦に吸収合併されるまでの間のもののはず。今のJISだとC類とつくのは耐火断熱煉瓦になるのだけれども、さてこれはどうだろうか。質感は耐火っぽいけれどそもそも耐火断熱煉瓦のC類は硬いやつなんだよね。

国立国会図書館関西館まで行って取ってきた旧JIS、ちゃんと使わないと損だよなあ。

[料理][独言] ふげらっぱ

ぼろんちょ。ぷいぷいのしげる。

最近野菜が安くなってくれたお陰で野菜をたっぷり入れたラーメンを食べることができてうれしい。しかし水加減の勘所がなかなか掴めない。すんげえ濃いちょっぴりのスープになるか汁気たっぷりの薄々なスープかの両極端にしかならぬ。丁度いい濃さの適量の野菜たっぷりラーメンを食したいものである。

煮てスープを投入した野菜群に別に茹でて湯切りした麺を合わせるという技を編み出してみた。こうすると野菜に邪魔されて麺が解けないという悲しい状況は少なくとも回避できる。別に野菜を茹でることでスープ量も調整できると思いきやそれでも上手く行かないのは単に目分量の目盛りが較正されてないからだろうと思い何度も繰り返してはいるが結局薄々スープにしかならないのは具であるもとい愚であるだろう。

最近は薄味になることを見越してアジフライだとかコロッケだとかを買い添えるという暴挙に出るようになった。ソースをドバドバかけて品のない濃い味にした揚げ物と交互に食べることでバランスを取ろうという魂胆である。これもまた愚かなことである。そういえばコロッケの中身の素材が何なのか未だに知らない。すりつぶしたジャガイモか何かだろうか。

よく行くスーパーには惣菜売り場が二箇所あって揚げ物も二箇所で売られている。よく行く時間帯には一方は20%引きでそこでばかり買っていたけれども今日もう一方のを覗いたら半額になっていた。同じようなコロッケ2個が20%引きと半額とだったら半額のほうを買わずにはおれない。また少し賢くなったように思う。

そういや最近牛肉を食べてないなあ。食べたいという思いはないが何となくバランスが悪いとは思う。動物性タンパク質を摂るためだけなら鶏肉でも豚肉でもよいと思うし必要十分なのだけれども気づいてしまうとちょっとあれだ。贅沢なものだ。久しぶりに牛すじ肉でカレーでも作ろうか。しかしこの暑さだとカレーの作りおきができそうにないなあ。そんなもの作る暇があったら後編をあげてしまえと思わないでもないし。

[] Lackawanna Iron Company

https://en.wikipedia.org/wiki/Lackawanna_Steel_Company

やっぱりenは充実してるねえ。いいねえ。

すっかり見くびっていたけれども、Lackawannaは米国の独立系製鋼会社の雄だった時期があるような大会社であったそうだ。ペンシルベニア州の小さな町にScrantonファミリーの個人工場として始まり(1840)独自設計の高炉を完成させるのに苦労したりしたものの(1841-43)米国初のTレール製造とエリー鉄道への供給(1846頃)を契機として大手製鋼会社にのしあがった。工場の周りに街ができ、鉄道会社も含めた「垂直統合経営」をして、それで町の名もScrantonと改名されている(1851)。

LACKAWANNAを名乗り始めるのは1853年。Lackawanna Iron and Coal CompanyをScraton Co.が経営する格好。しかし人件費の高騰だとか1873年前後の不況だとかでずいぶん苦んだ末に1900年にニューヨーク州ウェストセネカに本拠地を移す。オンタリオ湖の南岸少々内陸部。して1902年にはLackawanna Steel Companyに再編されて、この頃には「世界最大」の独立系製鋼会社の誉を恣にした。しかしここでも市との折り合いがうまくいかなかったり労働争議に巻き込まれたり苦労した模様である。

最終的に1922年、Bethlehem Steel Co.に買収されて独歩をやめた。そうして1982年まで同社工場として稼働した末廃止。工場の一部はLackawanna市の所有となり小規模な鉄鋼製品工場としていまでも稼働中(のはず。ただし2016年に大規模な火災に見舞われとる)。

Lackawanna谷(Scranton市の周辺)は石炭も無煙炭も鉄鉱石も産出した。一つところで完結できる強みがあったようだ。メサビ鉄山にも近いみたいだしニューヨークもすぐそこだしねぇ。なんで日本に入ってくるのが遅かったんだろう。

[料理] カレーをつくる

予告通り今夜はカレー。牛すじ肉は馬鹿みたいに高かったのでパス、かわりに豚バラブロックをつかってセロリ一束ニンジン二本馬鈴薯五個を放り込んで余ってたチンゲンサイ一株および小松菜を入れて。最後に味噌を入れて味噌風味カレーを試してみようかとも思ったのだが既のところで止めた。失敗したら嫌だからな。

火口がひとつしかないので完成するまで3時間近くかかるのがつらい。そのかわり並行仕事が捗って有難い。


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