nagajisの日不定記。
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一週に一度なる教練は今日行われたるが、汗軍服を通す。かく暑き日は他に例なかりき。三十度なり。午睡は眠からざる為、眠る能わず。
今日からできるだけ廃道本の進行について書いていこうと思う。要は宣伝だ。宣伝でありかつORJさぼってますの言い訳だ。何しろ今月中に全ての原稿を上げなければならない。こんなところに駄文をダブンダブン書いている暇などない。だからこそ書かねばならないような気がして書いている。
しかしまああれだな、「廃道本が忙しくてORJ進めてません〜」などというのは酷い言い訳だな。「アルバイト忙しくて学校サボッてました」というのと同じくらいに説得力がない。一応、次号戸倉峠の原稿は書いておいてあるのでpdf化には取りかかれる。旧橋、TRDBのネタもある。中央本線の件も書きたい。しかし今は廃道本にかからないと終わりそうにない。終わりそうにない仕事のほうから先に片付けておくのが仕事の回し方として効率的にいいらしいと最近気づいたnagajisだ(至極適当)。
昨晩は特設ページの原稿をup。何しろ5ページにアレ全部押し込めなければならんのでひどく苦労した。地図作るのもひと苦労。が、ネタ選択から構成から展開まで全部込みで貰った5ページだ。好き勝手させてもらってしかも5ページもあるんだからこれはもう贅沢と言わねばならん。
それから解説ものの記事を書く。これはヨッキ氏のチェーックも受けねばならんので提出はまだ先だ。早めにしておかないと。&ちょっと滞り気味なのでガスッと進めておかなければ。というかあのテーマで使える写真なんて撮ってたっけ。
思いっきり旬を逃がした感があるがTシャツ予約フォームを作成した。普通のTシャツ、化繊Tシャツ、長袖から各色選べます。ご利用ください。ここにも貼っておこう。
httpsをiframeに入れるなと。
両面で2500円というのは微妙かな。これでも数十枚集まらないとこのおねだんにはできません。ごめんちゃい。
残りのTシャツはClubTにあげておこう・・・
無事37歳になりました。ぼく3つでちゅ。
他のデザインをClubTにup。「門」「妙」「玄」「容」の4枚セットという凶悪なことを考えたのだが並びが変になってしまったのでやり直しだ・・・。ねじりまんぽと佐和山東西、なぜか湖北はup済。
で、その後なぜか反応しなくなったので貼付けるのはまたあとで。
完了。一気にあふぃりぶろーになった気がする。女性用にキャミソールとやらも用意しておいた。色とか配置とかのご要望受付升。
代わり映えのしないトップページを何とかしてはという話が出ていて、何とかしようとしたのだが、こういう方向にしかならなかった。多分、問題はネットショップみたいじゃないってことじゃないと思うんだ。400円で売っているということそのものが障壁になっていて、それ以上何ともしようがないのだと思う。
読者登録数は1000人を越えたけれど、全員が全員コンスタントに買ってくださるわけではない。半分もいかない。このまま待っていてはジリ貧だと思う。かといって抜本的な対策がないしなあ・・・。特にいま、自分が感じているように「送金の手間」がネックになっているのであれば
・1年間のダイジェスト版を作成する
・18号以外の無料化
なんてえのをやってもあまり効果がない。nagajisが阿呆なことばかりやっているから飽きられている可能性も高いな。
できるものならnagajisを首にするよろし。もっと構成力と文章力があって、新しい企画に貪欲で、デザインもできて新しいMac持ってるひとにやらせればいいんだよ。くぴゅ。
世の中にステップダウンリングなる玄妙なものがあるのを知って、駅前ビル辺りをうろついてやっと手に入れた。S6900z−>S602の頃に使っていたテレコン(x1.5)とワイコン(x0.78)が遊んでいたので、これで遊んでみようというわけだ。58mm>55mmなんてゆう謎謎変換してくれるやつはヨドバシカメラにもない。
ノーマル。28mm換算。
テレコン装着。450mm換算。300mm(換算)換算以上でないと蹴られるのでほぼ450mm固定という感じ。というか300mm換算のを撮っとかないと比較できないジャン。
原寸を切取るとこれくらいになる。シャープでないのは仕方ないかなあ・・・F4.9だしネオ一眼だし。
ちなみに目一杯引くとこうなる(別所にて)。こっこれは・・・!
ワイコンも試してみる。23mm換算。きっと駄目だろうと思っていた通り蹴られる。これで蹴られないようにするには28mm(換算)換算までズームしないといけないので意味がない・・・でも結構歪みを補正してくれる(ような気がする)
要はこれがしたい。これはS602+ワイコンで、少し離れて撮ったと思う。同じことをS9100単体でやろうとすると微妙に足りないんだ・・・。昨年の夏、熊野街道の煉瓦隧道で全滅したのは強ち植生のせいだけではなかったのでおじゃる。
もちろん鮮明さも必要なので必ずしも上手くいくとは限らないが試してみる価値はありそげだ。特価400えんで新たな境地が開けるか?(ないない)
ついでに望遠でぼかしてみるテスト。ちょっとレベル補正。偽色でまくり。
というかISO200で撮ってた・・・そりゃボヤボヤになるわな。大馬鹿者め。
はずだ!(うまく表示されてないけど)
デザイン作るのはタダだしな。本気で欲しい方はぜひお友達と4人でご購入ください。ただし朱印白印は実際よりも右に寄せてあります。うまく枠内に収まらなかった。。。
というわけで3日前に購入したのを忘れて室温放置して酸っぱくなった豆腐を頑張って3/4まで消費したところで寝る。明日更新がなければ非情事態になっているものとお考えください>各位
が理解のカギになるはずなのだけれど見つからず。昨日買った本(略号:わかる道路)に書いてあるので全部なんだろうか。
路線の変更があった時、旧区間は廃止されたことが自明だから改めて廃止の告示を出す必要はない。路線の一部が変更になった時ははっきりしないから明示的に告示する必要がある。とはいうがその旧区間って例の表の「旧」のことなんやろうな。旧道路法時代に番地地番まで書かれてたのはおいおい削除ってのも解釈がわからん。
峠名がないということは、それが路線の特徴を表すものではないからということなんだろうか。なんだろうな。そのへんの解釈が別の通達で出ていたりするのかもな。
あ、嘘ゆうたらあかん。あるある。
http://wwwkt.mlit.go.jp/notice/searchAction.do
町中を歩きつつ目の隅で捉えたがイラネ判断を一旦は下し通り過ぎようとしたところでやっぱり気になり後ろ向きに3歩歩いてこの写真を撮った。そこまでする価値はない物件だったがその行動の愚かさを記念して掲げる。
萌え絵やゆるキャラに毒された現代人と、そうでない旧世代人では正解に到達するスピードが違うのではないだろうか。キティちゃんの目は年を追うごとに離れていって今に至ってるというし。その点ポポックは素直に可愛い。ポポック可愛いよポポック。
話が逸れた。正解に至ってもなお残る疑問がないでもない。守られるべき対象が「守ろう!」と呼びかけるのはいささか変だし、君はPTAじゃないだろうとも思う。悪のりとも開き直りとも、あるいは関西弁で謂う所のいちびりとも取れる。
いやいや、それは早とちりかも知らんな。彼がboyという自明な証拠はない。顔の丸さと痘痕でそうnagajisが認識しただけだ。
どうでもいいが「あば」の変換候補で「ABBA」が出るとは思わなかった。さすがにひっくり返ってはいなかったが。
ふとしたきっかけで富田林の民話を知った。それ民話ちゃうやろ、という突っ込みは野暮である。時代が進めばこんな話も民話のカテゴリに分類されるという好例と見たほうがよい。初めて自転車に乗ったというお転婆娘の話だってそうだ。
この物語を後世に残さねばならないという義務感から伝承されたものではなく、人に語って聞かせたいという生理的欲求が伝承を生むのだろうと思う。話を聞いてほしい、語ることで共感を得たい、etcetcな部分が伝承の原動力だ。だから事実の伝播にはならない。
どこかで省略されたり誇張されたりして今に伝わっていて、そこに事実を求めるのは愚なことだ。それは畢竟歴史書にもあてはまることだろう。どんなに掘り下げて事実を探ろうとしても伝聞である時点でいろいろ添加されている。そうしてそういうあいまいなものを信じ、人に語って聞かせたいという欲求が働く。変わらないわけがないのだ。そうしてそれが人の営みということ。共感を得ることを書いた者がほめそやされるまでであって、それ以外は忘れ去られるだけだ。だから共感を求めるつもりのないnagajis は必要のない存在というまで。
前回のが面白かったので懲りずに続ける。そういう格好悪さを追求するとどうなるかという試みである。
ぐりとどぐら
ストーリーいつもの森に(ry。そこで希代の土豪に出会う。
土倉:「財産なんて知らぬ間に増えたり減ったりするものなのだよ」。ぐり納得。
ぐらの出番なしである。
ぐりといがぐり
ストーリーいつもの森に(ry。そこでいがぐりに出会う。
いがぐり:「何で坊主頭のことをいがぐり頭って言うんだろうね」
ぐり:「似てるからでしょ」
いがぐり納得。
やはりぐらの出番がない。寂しい限りである。やはり2匹は仲良く卵の殻の車に乗ってほしい。
ぐりとぐら
ストーリーぐり:本州の日本海側の男鹿半島沖から関門海峡に至る広い海域で暗礁をぐりと謂う。「繰」の字を充てることもある。
ぐら:険しく切り立った岩崖、あるいは岩がちな急斜面。ごうら。ごうろ。山冠に品の字を充てる地域がある。例:大蛇□、大日□、どぐらま□。(□=山冠に品)
確かそうだったと思う。
がりとぐら
ストーリーいつもの森へ遊びに行ったぐら。やせ細った山ねずみのがりが倒れている所に出くわす。じすお:「やあぼくアンパンマン。僕の頭をお食べ」。無視してがりを介抱するぐら。めでたしめでたし。
変な奴には関わらないほうがよい。
ずりとずら
ストーリーいつもの森へ遊びに行ったずら。
そこから先どうなるのか。気になる。
無理と斑
ストーリー意に反して強いて色を塗るとムラができる。
上手に塗り絵をするための戒めである。いや、そういうムラが芸術表現になるのかも知れない。
順不同である.
0.お礼をいう
1.ペペロンチーノをつくってくう
2.送る
3.91号以降のINDEXをつくる
4.古書出品の解析
5.次号現行
6.ニューズレター電子メール版へ投稿する
7.部屋を片付ける
8.踊る
9.戸田猪佐武「昭和の宰相」続き読む
a.R.ベネディクト「菊と刀」続き読む
b.解析報告をまとめる
c.PC内の片付け
約303/1100件。4冊に1冊はうれとーる。
↑一応前回の投稿と関係があるので[乞御教示]タグをつけたが無視していただきたく候。一応解決しているし。
前回Excelのソートで壺にはまったところを助けていただいたのだが、今度はphpのほうで謎現象が発生している。似たような文字列(「0022-A-5810」とか「0075-G-1980」とか)を200個ほど放り込んだ配列をsort関数にかけると時々変なソート結果が返ってくる。今度サンプルデータを持ってくるが、おおまかなイメージとして
:
0025-A-0000
0026-F-4808
0080-B-1980
0075-G-2184:
が
:
0025-A-0000
0075-G-2184
0026-F-4808
0080-B-1980
:
になるような感じ。一つだけ変な所に紛れ込んでくる。規則性はない模様だ。
phpのマニュアルに「同じ値があったときのソート結果は一意じゃない」という注があるが、それとは関係がなさげ(元々このデータはデータベースのキーなのでユニーク性が保証されている)。
散々悩んだ末、投げやりになって
sort($array);
rsort($array);
sort($array);
とかやったら正しい結果が返ってきたもんだからますますわからんちん。どういうことやねん。
$arrayに放り込む時に明示的に文字列型に型キャストしたらなあかんとか、そういうことだろうか。今度それ試してみよう。
追記:「php sort おかしい」とかで検索すると答えが見つかった。だいにひきすうにSORT_STRINGを指定すれば解決しそう。しかしデータには数字だけで構成される文字列入ってないはずなんだよなー。
あ、そうか、正確にはハイフン入ってないデータのソートなんだ。んで0075E1890が75x10^1890と解釈されてる。なんでそこに入ってるかは別として。
でつ ではない。明らかに責任の範疇を越えたことをしようとしているが、大事にしてくれそうな方のねがいとあっては応えないわけにはいかない。不可逆に壊してしまわなければよいのだが。。。あとMr.Paul、あんなへんじでよかったんだろか。通じるやろか。相変わらず関係代名詞thatを多用する癖がぬけない。いっつじゃぱんぐりっしゅふぉーゆー。
うまいこと行かねえ・・・
いっそのことDLの時のURLを各号ごとに変えてやろうかと思っていたのだけれども単純にはいかないようなので諦めてしまった。それよかpaypalの受けをrobustにするほうが崎。
レシーバだけでなく購入代金計算ページとかお試し購入のための処理とか面倒なのでほとんど書き直し&あちこち飛び火した。これで根源から治ればいいんだが。
テストで1部上げてみたら画像とキャプションしか出てこねえ。無理やりリーダーで読ませようということか。だったら全部画像化してくっつけて上げたほうが早いんじゃねえか。あ、その手があったか。400dpiくらいあったら許してもらえるやろ。
東雲新聞は明治21年1月15日~24年10月29日。集成は24年の後半は入ってなかった気がする。そう。713号(明23)まで。
東雲新聞に現れる最後の堺煉化石情報は東雲新聞明治21年12月2日の広告(http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20170731&)。
共立社は明治22年7月設立。22年7月・8月の辺りは毎日新聞をみてる。コレは見出しも広告もテキスト化されてない。
明治25年4月竣工の友ヶ島第4砲台の弾薬支庫には堺煉瓦の刻印がある。
大阪毎日新聞明治26年6月17日に共立社→堺煉瓦株式会社の記事がある(http://www.kyudou.org/cgi-bin/tdiary/?date=20170826&)。この中で堺煉瓦自身はすでに煉瓦を作ってるようなことが書かれてる。株式ではない堺煉瓦がそれ以前から操業していた?買収した新会社が会社登記されるまえから作ってただけ?
ということは明治23年の第713号以降明治25年4月までのを調べる必要がある。共立社を探すなら22年6月、8月の本文をみる必要がある。1ヶ月みるのに頑張っても小一時間かかる。うん、とても大変。共立社くらいならできるか・・・
毎索を個人で使えるように、なったりせえへんよなー。
もう一ヶ月が経っていたのか。早いものだ。
10年近くほっぽっといて、今更ながらに新発見。
広石一匡 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940931/57 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940939/58
駒田 普明 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940939/66
どちらも名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)の卒業生。広石さんは大分出身だったのだな。明治40何年かの土木科卒業生。福岡県庁や山口県庁に勤務した形跡がある。そして大正14年頃奈良県庁へ移り土木部長。ほかに陸軍軍人の肩書ももっている(これは名前で検索して出てくる「道路の改良」の叙任辞令欄)。
駒田さんは大正の卒業生。愛知出身。9年だったっけ。んで名古屋工業大学の卒業生会の奈良支部主任を、広石→駒田と受け継いで勤めている。たぶん奈良県庁で同席していたよしみでバトンを渡されたものと思う。駒田さんは昭和50年代まで支部長をしていた?
http://nit-osaka.com/organization/history.html
わかったのはここのおかげ。時たま思い出して検索してみるものだな、昔は検索してもここしか引っかからなかった。
月ヶ瀬ローゼ橋は山崎博が設計。駒田だったか広石だったかは計画指導。
未だ治っていないのだが食物アレルギーが関係している可能性が強くなった。甲殻類がよくないようだ。もともと出始めはmasaさんらと但馬に行ってから。あの時帰りがけに香住に寄って飯を食べたのだが、用心して海鮮丼を食わなかったかわり、定食の味噌汁にカニが入っていた。カニ味噌でだしをとった味噌汁だったらしい。小マダニに食いまくられたのはその2週間前だからちょっと離れすぎている。んでこの間、讃岐製麺でエビと夏野菜のかき揚げを食った晩にひどくなった。その前日頃には薬を飲み忘れるほど小康していたのにだ。
だからエビ類は避けていくつもりだったのに、夜食にカップヌードルを買ってみたり、どん兵衛そばを買ってしまったりしている。カップヌードルはノーマルのやつでもエビが入っているのを忘れていた(湯を入れた後気がついてエビだけ取り除いて食ったがやはり若干悪化した気がする)。どん兵衛そばは後乗せサクサクの揚げ天に入っている。カップヌードルじゃなきゃいいだろうと思ってそっちを買ったら入っていたという阿呆なことをしている。その阿呆さ加減が嫌になって結局食ってしまった。いま尻の辺りがジモジモしている。
自分の生まれ育った環境によって常識は左右される。日本に生まれ育ったので飯は箸で食うものと考えてしまう。蝉の声を風物詩と思う。日本に生まれ育たなかったら箸なんて使えないだろうし蝉の鳴き声はうるさいノイズでしかない。汎日本的な事物に対してはまあある程度のコモンセンスとしての常識はあり得るかも知れない、しかしその及ぶ範囲が狭くなればなるほど常識は危ういものになる。いや逆か、誰もが知っている物事であればあるほど種々な見方がなされていて自分の常識から外れる見方が増えてくるかも知れない。
自分が慣れ親しんだもの・ことを基準にして考えているから、見慣れないものに対して忌避感を覚える。見慣れないものをありのままに見て批評を加えることは難しい。自分が持たない知識に立脚してものごとを考えることはできないから。
の橋脚の古写真がほしい。
もともとはこの写真が発端。
『日本鉄道史 上編』(M20頃) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2127152/313
橋脚は楕円形あるいは小判型で、両端は石積みだったとみられる。長良川橋梁もこうだったな。壁体はどうだったか。てなことを考えていたら妙に丈が低い気がしてきた。一度嵩上げされてるんじゃないか。
ネットでみつけた古写真ではもっと高い気がする。そのへんを高画質の画像で確認したい。
『地理写真帖. 内國之部第4帙』(M33) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761461/28
初代の200ftトラス。構門構のアップはあるんだ・・・
『写真集明治大正昭和浜松 : ふるさとの想い出7』(T2頃) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9537739/52
大正2年複線化時の工事中の写真。橋脚は端が石積みなのは間違いない。壁体はどうやねん。影の付き方からして北側から撮ってるはずで、だとすればやはり上流側に拡幅したことになる。
『静岡県磐田郡誌』(T10) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965680/37
やっとあったけど…やっぱりわかりづらいな。見る限り別に嵩上げはされてないみたいだ。
というわけで解決したが、しかし肝心の煉瓦瓦礫の件が解決しない。ビー3個横並びにAらしいものがくっついた瓦礫とか、明らかに水切りっぽい尖った積み方をした瓦礫とかあって、どうも楕円形井筒と結びつかない。何やったんやろうと思うけれども、たぶん今頃は増水で流されている。
これは大丈夫だろうな…。旧橋脚の天辺に乗っていたはずの切石。なかなかでかい一枚岩で、ひどくもったいない。こういう石が潤沢に切り出せるエリアだったから石を多用したんだろう。
『日本鉄道史』上編p.495に東海道線沼津天龍川間を南清が担任したとある。それで省線の肉厚煉瓦が南清経由で山陽鉄道に!とか早とちりした。南清の山陽鉄道就任はM23。線路測量は日本土木会社、当初の土木技師(長?)はヒュー・オルター・ベルチャー(英)でM20.10.12より3年間の契約。南はその後を継いだ。(『山陽鉄道物語』)
なのでベルチャーが目地込み3吋で設計したから山陽型がああなったわけだ。
Before...
_ iso [あーすみません、印刷色は白、と明記してありましたね。[発言削除]←ポチッ]
_ The Kate [老けましておめでとうございます ※ケイト最大級の賛辞です。ご理解ください。]
_ 渡辺(仮) [やっぱり年齢詐称だー]