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旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
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2005-09-05 編集会議 この日を編集

ORJでは毎月月初めに「編集会議」と称するチャットを開く.茶をすすりながら前号の反省をしたり企画の打ち合せをしたり,編集部の運営方針?を決めたりするのだ.もちろん,日頃はMLによるやりとりを頻繁に行なっているが,いろんなことが「決まる」のはこの編集会議チャットの席で,である.昨日の晩もそんな編集会議の日であった.

こういう手段(MLとかチャットとか)だけでORJが出来,ちゃんと方向性が出来ていくのは奇跡的ですらあると思う.当事者がそう思うのだから,きっと奇跡に違いない.お二人に感謝せねば.もちろん,それだけしか出来ていないから冊子の統一感を出すまでに至れていないのかも知れないが.これ以上のことは現状では無理也

そうして今回もいくつかのことが決まった.うち一つはORJの進路に関することであって,これはまだヒミツにしておいたほうが面白そう.キーワードは「日本を喰う」である(と勝手に決めてしまうnagajis)

本日のツッコミ(全5件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ nagajis [えええっ結構押さえて書いたのにだめっすかだめっすかorz]

_ マフ巻 [> 日本を喰う 目標ですね。草葉の陰から応援しています。]

_ あきら@大阪 [どこをどう抑えたのか小一時(ry よーし、俺も廃隧道の陰から応援していよう。]


2010-09-05 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] #191

画像の説明画像の説明

何が意外かって、彼が「わたくし」という言葉遣いをするような存在だったということだ。

[奇妙なポテンシャル] #192

溜まってたSPAMメールの題名に反応。

女の理性を崩壊する!

ひょっとしたらロシア倒置法なのではないか。


2011-09-05 この日を編集

[コアダンプ] 整理できぬ

例によって再構成に悩んでいる.悩みに悩んで書きまとめたものを解体することからしてまず難しい.貧乏性だから,一度書いたものを削るのが下手だ.一字,一句,フレーズ,失くしてしまうのが惜しい.

ようやく2/3に達したかと思うが,ここにあれとそれとを付け足して過不足無くすることも難しい.で最後に新規に書かねばならん.ぶぅ.

気楽に持ち運べるA6サイズのミニノートとかモペラとか欲しいとか思う.それが贅沢の極みアッーーーであることも豚に真珠であることもわかっているが.

人は誰だって自分のことなら幾らでも好きなだけ無限に近い量書けるのだ.手間暇時間キー入力に必要なエネルギーを厭わなければ.あやふやなニホンゴを並べ立てて恥をかくことに対する厚顔を持っていさえすれば.それすら節約したい感じな今の心境はあまり良くない.こういう歴史があったのだということを伝えたいと思う気持ちが,不足している.書いてどうするのさ,誰も読まないだろ,という思いが先行している.よろしくないことである.

結局のところ拠って立つ瀬は一つしか無いのだよ>nagajis.それ以外を高望みするから苦労するのだ.こう書いてみたいということを書き散らして,勝手に死ねばよろしい.


2013-09-05 この日を編集

[奇妙なポテンシャル] 追記

「にゃんこ」はその隣の路地でにゃんこを飼っている様子。しかしもう1ブロック南の寿司屋の店先のほうがにゃんこは多い。


2016-09-05 この日を編集

[独言] おういえ!

サムネと大画像で分けてはることをすっかり忘れてた。しかしプログラムの骨格を変えず行も増やさずに処理できてしまいそうな塩梅なのがミラクル。決してそれを狙って書いてたわけではない。

が、今日はもう頭がまわらない・・・何しろ仕事で使うやつをいらっとったあとなので・・・すみませんT氏。

[独言] 極力自動化したい。人的ミスをなくすために。

自転車を押しながら帰っている時にA→Rの自動化のアイデアを思いつく。要するに削除CSVを作ってftp_fputすればよいのだ。R→AもMWSさえ攻略すれば…。それがすごい障壁になっているのだけどな。

今日はマケプレ定期が2件立て続いていらいら。商品説明も読まずによく買えるもんだ。こういうのは根絶できないだろうからはんなりいなして次にかかったほうが精神衛生上宜しいと思う。そのうえで妙な問題に巻き込まれて翻弄されっぱなし。どいつもこいつもおらんだだぶるがりあだ。

それにしても人間の精神って不思議なものだ。いらいらすることとか思い出せば絶対煩悶するだろうという黒歴史ほど頭にこびりついて離れない。無駄に思考スペースを奪われる。それがいちばん困る。思い出していらいらしたり悶えたりしたところで未来の備えになるわけでもないのにな。

軍桟に吹き寄せられたポリ容器の如き我が身 朽ちも沈むも許されず揺蕩う

鳴門の陸揚桟橋にたまったポリゴミを思い出した。水はあんなにきれいで桟橋石組みもよさげに風化していたのに、そこへポリゴミが吹き寄せられて波に翻弄されていた姿が何とも興醒めであった。石組みに登りかけては落ち、また波におしやられて桟橋にぶつかりを繰り返していつまでもゴロゴロと転がり続けていて。穴が開くか砕けるかするまでああやってゴロゴロし続けるんだろうな。沈んだところで根本的解決にもならんけど。

「揺蕩う」はのどかすぎ。なくてもいい。


2018-09-05 この日を編集

[独言] 続・台風

風ばかりで何という被害もなし、安泰安泰と思いつつ出社したら「案の定」天井の明かり窓的プラ波板が吹き飛ばされていた。二年連続通算二回目、先だっての地震も加えたら三期連続の被災である。笑うしかないを通り越して機械的に対応するしかなかった。これを何かの不幸だとか試練だとかと思うような心もない。

今日は晴れていたので屋根に上がってビニールシートで覆うことができた。まともな紐がなく荷造り用の安ビニール紐で括ったので次に台風が来たら吹き飛ぶだろうこと必死。そうして絶対、次の台風までには直らない。そういう[禁則事項]なのである。

屋根が飛んでいたのはある意味想定内だったけれども、一帯が停電しているとはまったく予期していなかった。そのうえ復旧見込みが立たないのでカエレ、の指令が出るとも思っていなかった。台風が直撃した昨日は台風に備えて休業した。加えて今日も休みなら2日分も溜まってしまうじゃないか。といったことは一切お構いなしなのだし、そもそも電気が通じていなければ何の作業もできないのだが。

そういう下の下の状況下で中之島図書館へ毎索を見に行くことにしたnagajisは改めて言うまでもなく非道である。そうしてクリティカルな発見が相次いだのもそのせいだろうと思う。断じて行えば鬼神も呆れてものが言えない。

[][煉瓦工場] 共立社@大阪毎日新聞M22.6.22 2面

●会社創立の出願 当市西区新町南通五丁目百八十九番屋敷高木嘉兵衛外五氏の発起にて資本金五千円(即ち一株廿五円)と定め共立煉瓦会社を設立せんとて昨日当府庁へ出願に及びしよし

画像の説明前回毎索を漁った時に共立社の設立年月であるM22.7.を全見して見つけられなかった。そのことと、一部資料で「M22.6.」になっていることに気づいてから、むしろM22.6.に何かあるんじゃね?と思っていた。そのとおりだった。この誌面のこの部分にある、煉瓦には一切触れない小見出しの記事に、よくぞまあ目が留まったものだと感心する。

この高木嘉兵衛は共立社→堺煉瓦(株)の記事にも出てくる。要するに自分が興した会社を別の新会社=堺煉瓦に買い取らせて拡大したわけである。そうして共立社が五人の発起人で始まったことが最高にアレげ。いや外5名つったら計6人だわ・・・。

んで、ここで堺煉化石には全然触れられていないところもアレ。要するに堺煉化石と共立社は無関係不連続であるということの証拠。とするとM21.12以降M22.6までの間に堺煉化石廃業の報でもあるのだろうか?そういや毎日では堺煉化石広告を見ていない。

[][煉瓦工場][煉瓦刻印] 和歌山煉化石@大阪毎日新聞M22.10.27 4面

画像の説明 和歌山煉化石会社は其製造を那賀郡に設け春来業務相創め候処土質適合品質善良にして創始の際より硬加鉄との好評を得殊に陸軍の賞賛を受け専ら砲台建築部御用相勤め随て江湖需要諸君の望みを充す能わざりしは弊社の最も遺憾とする処に有之候に付今回業務拡張阪堺間に於て最も熟達せる職工五十名増募し一層製品に注意し廉価を以て広く江湖諸君御需用じ候間続々御注文被成下度此段広告候也
明治廿二年十月 □ 和歌山県和歌山市久保町四丁目
和歌山煉化石会社

これなんかは全く予期していなかった広告。「其製造を那賀郡に設け」とか「陸軍の賞賛を受け専ら砲台建築部御用相勤め」とか、あらまほしき記述がズバズバあって涙が出た。今すぐにでも工場表刻印表を書き直したい気分である。しかしそうだとすると何故現地では菱Wが見つからなかった?探し足りなかったのか? 使われていたとしてもごく初期の数物件だけだったのかも知れない。そうして熟練工50名が集まったようには思われない。いや、添印は15まであったっけ・・・その3倍ちょっとならあり得なくもないか。

[][煉瓦工場][煉瓦刻印] 関西煉瓦@M22.11.15 4面

画像の説明煉瓦販売広告
弊社製造煉瓦は欧式機械力を以て製出し大竃石炭焼にして堅固完全なること旧製煉瓦の比にあらざるが為め各位のご愛顧を蒙り日増販路拡張仕弊社幸福是に過ぎず併して今般種々異形煉瓦器械到着致候に付汎く需要の御便利に応じ尚一層廉価を以て販売仕候間倍旧陸続御購求あらんことを希望仕候
播州舞子
関西煉瓦会社

こいつもミッシングリンクの1ピース。関西煉瓦会社の興って来るところはずいぶん明瞭に判明していて、刻印煉瓦も見つかっていて、その刻印や煉瓦そのものから関西煉瓦≒B.C.△H.J.と考えていたけれども、「≒」のチョンチョンを取り去ってくれる確実な文献を欠いていた。この広告がそれだ。この広告は情報と現物という2つの巨きな球の接点である。

結局のところ、以前から外堀を埋めて埋めて埋めて埋めまくって肉薄してきた先およびその道筋が間違っていなかったことが証明されたわけで、なんともまあご苦労様なことである。

その他にも稲葉組の高石移転の話とか同社広告とかも出てきた。稲葉組の創始者は明治二年に泰西に渡って煉瓦製造の業を視察し云々とか書かれてあったりもする。こいつはかなり疑ってかからないといけない初耳情報である。もし本当だったとしたら鉄道寮でも造幣寮でも阪府授産所でもない第四の系統が存在したことになる。

ちなみにこの移転は玄洋社の来島恒喜が大隈重信を爆襲した頃の話。誌面で盛んに来島の経歴だとか爆弾のことだとか出てくる。切り落とした足をアルコール漬けして永久保存するだとか、爆発物が赤錆びてたので加波山事件の余り物かとか書かれてあった。そういう時代とリンクしている話なのだなと改めて感慨深く思ってみたり。

硫酸製造会社の記事はコピておくべきだったかも知れない。業績好調で事業拡大というのが大々的に書かれてあった。その拡張で追い出されたのが安治川川口時代の大阪窯業なのだけれども、そのことには全く触れられていず。ただし当時の府下工業界の概況を記した記事があって、M15だったか18だったかに大阪窯業会社ができたことは書かれてあった。大窯に関する情報はそれくらいだ。

[独言] 毎索閲覧メモ 於2018.09.05

M22.6.後半のいくつか。並び順をデフォルトでないほうにして表示させた20件の半分くらい見た。M22.7.は通覧済、M22.10.15~11.30まで通覧済。必要な記事はたいてい2面か3面にあり、4面は広告で用がある。1面はよほどの大事で無い限り出て来ないだろう。

画像検索のデフォルトサイズがちっせえのは、どうにかならんかなあ。いちいち拡大ボタン押すのがめんどうくさい。Alt+F4とかでやりゃいいのか。

M22の10・11月を見たのは堺附洲絡みでというのが発端。先に共立社の記事を発見していたので同じ原理で前月の記事もと思い10月後半から読み始めたのだ。

[独言][煉瓦] 肉厚煉瓦と濃尾地震

今回中ノ島へ行ったのはもう一つの用があってのことだった。M24.11.の煉瓦規格の逹が見つからないかと思ってM24度の鉄道庁年報なるものを読みたかったのだ。当然ながらそれは無駄足に終わったのだけれども、その心がけのお陰で、逹が出る1カ月前に濃尾地震が起こっていたことに気付かされた。そうしてそれが碓氷線建設中のことだったことも。

ひょっとしたら濃尾地震の事後策として厚い煉瓦を使うような通達があったんではなかろうか、と想像する。 濃尾地震で倒壊した煉瓦構造物の調査結果では確か目地不良がおもな原因とされてなかったっけか。 煉瓦が厚ければそれだけ構造物中に煉瓦の占める割合が増え目地を減らせるわけなので、煉瓦を厚くする=耐震的な意味合いを持たされて。しかし煉瓦が厚いと生焼けになったり膨らんだりしやすい。杉本の煉瓦がいい例だ。作るのが大変だとわかってまた元に戻したとか。それでM29−30の円形橋脚の煉瓦も薄くしたけれども肉厚煉瓦を作り慣れていた工場は平面寸法だけ規格に則って寸法図で示されない厚みに関してだけ慣行で作ってしまって、それが桂川橋梁下流側とか上神崎川橋梁とかになって。みたいな。

小野田氏の分類では直江津線に一箇所だけI群煉瓦が見つかっているらしい。中央本線建設のために作られたようなところだからその資材の運搬時に紛れ込んだものかとされてる。碓氷線の辺りにはない。碓氷の橋梁群隧道群は建設中に設計を変えたっていう話なので、その変えた設計の所には実は肉厚煉瓦が使われていたりしないだろうか。そうでなくてもM24以降30年代初頭に作られた構造物は怪しい気がする。特に東海道線複線化の頃に作られたやつ。片方の橋脚だけ厚いとか、他にもありそげなカンジじゃないか。

揖斐川橋梁の補修には21/4インチの煉瓦が使われたらしい。これは亀裂が入った箇所を取り外してサラにして組み立て直したのだから最初に使っていたサイズに合わせていただろう。震災後に丸々作り直されたものとか 追築された部位とかに肉厚煉瓦が使われてたり、しないだろうか。


2019-09-05 この日を編集

[煉瓦][] イギリスの煉瓦製造技術の歴史

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijax/361/0/361_KJ00004080490/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijax/362/0/362_KJ00004080515/_pdf

佐藤彰「建築材料生産,加工の機械化―煉瓦(上・下) 英国近代建築産業成立期の生産技術 1−3,4」(日本建築学会計画系論文報告集 第361号(昭和61年3月)、第362号(昭和61年4月))。こういうのが家で読めるのはとてもありがたいことである。

[][煉瓦] 煉瓦サイズ(大高前後)

しつこいようだが煉瓦サイズについて考え続けている。明治39年の大高表。

名称長手(mm)小口(mm)厚(mm)
並形7寸4分
(224.2mm)
3寸5分
(106.1mm)
1寸7分5厘
(53.0mm)
東京形7寸5分
(227.3mm)
3寸6分
(109.1mm)
2寸
(60.6mm)
作業局形7寸5分
(227.3mm)
3寸6分
(109.1mm)
1寸8分5厘
(56.1mm)
山陽新形7寸2分
(218.2mm)
3寸4分5厘
(104.5mm)
1寸7分
(51.5mm)
山陽形7寸5分
(227.3mm)
3寸5分5厘
(107.6mm)
2寸3分
(69.7mm)

これと近デジで見つかる煉瓦サイズの記述を比較。編著者や出版社の所在地も確認の助。

■Rankine著、水野行敏訳『蘭均氏土木学 上・下』〔文部省・明治13年〕

たぶん最初期の洋学土木教科書。さすがにここには東京型も並型もない。

巻三 畳石
第二款 人工石を論ず
調理せる濡粘土を型に入れ煉化石の形となす其大さは焼過煉化石に望む者より縦横厚共に十分の一若は十二分の一大なるべし是れ焼過煉化石収縮の尋常比例なり

(略) 尋常の型は長十寸広五寸厚三寸内外なれども特別の者に至ては大に変化あり

■中村達太郎〔東京帝国大学教授〕編『建築学階梯 巻之上』(米倉屋書店〔東京芝区〕、明21)

土地により多少差異ありと雖も通常長七寸五分巾三寸六分厚さ二寸

→東京型に一致。

■田辺朔郎『袖珍公式工師必携 初編』(〔京都東洞院三条上ル町〕村上勘兵衛等、明21)

実地で働く人のための書。実務的。

通常の形は長七寸三分巾三寸五分五厘厚一寸八分より長七寸八分巾三寸八分厚二寸迄とす

→実務的なので焼成誤差を含めて述べている。

■千葉末吉編『建築学提要』(淵点堂〔広島県広島市〕、明24.7)

あ、広島だから讃岐煉瓦が例示されてるのか。

通常煉瓦の寸法は長七寸六分内外巾三寸六分内外厚さ二寸内外とす

→東京型より長が長い。

■宮城県内務部『土工筌蹄』(明28.5)

宮城県内務部で使用の仕様書的書籍。

○煉瓦石壁積り方
(略)
右入用内訳表
(煉瓦 長七寸五分、寸径三寸六分、一寸八分)

→東京型より厚2分うすい。

巻頭言曰く「欄均氏土木額模氏掌中工学田邊氏工師必携等に就て簡易の公式を選み交ゆるに本県実験の設計式を以てし遂に本書を成せり(略)材料の長短細太職工人夫の懸り高等に至りては悉く公式に当れりと云うを得ずと雖ども各様の設計式に就て実地の状況を対照し彼定参酌を加え(略)

■中村達太郎校閲、千葉温也〔臨時陸軍建築部技師〕編纂『建築学提要』(建築書院〔東京市京橋区〕、明29.11)

目今唱うるところの煉瓦の名称は左の如し
名称
七寸五分三寸六分二寸三分山陽形
七寸五分三寸六分二寸東京形
七寸五分三寸六分一寸八分大坂形

どういうことだってばよ・・・

■工学士瀧大吉・野村一郎校閲、大泉竜之輔編『建築工事設計便覧』(建築書院、明30.8)

あー、宮城のは焼過使用を前提にしてるのかも・・・

瀧大吉:明治時代に陸軍省を中心に活躍した建築家。野村一郎:大阪と台湾、朝鮮を拠点に、旧台湾総督官邸(現台北賓館)、旧朝鮮総督府庁舎などの設計を手がけた。 

煉瓦石通常の大さは長七寸五分巾三寸六分厚二寸なれども焼過ぎ抔は長七寸二分巾三寸四分厚一寸八分までは縮むものなり

→東京型で縮むことも述べる。

■工学博士安達辰次郎閲・土木工師竹貫直次著『応用土木工学』(博文館〔東京日本橋〕、明31.9)

安達辰次郎:http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/adachi_ta.html 竹貫直次:私塾攻玉舎に学び陸軍測量技師を経て小説家江見水蔭に師事。んー・・・。

普通煉瓦の大さは、長7寸3、巾3寸5、厚1寸9にして、一個の目方は、五ないし七封度なり。

どういうことだってばよ!

以下大高以降。

■坂本雄造〔米国理学士〕著『建築学』(修学堂書店〔東京市神田区表神保町七番地〕新撰百科全書第11編、明治41.8)

煉瓦石は、我邦に於いては、其の大いさ、未だ一定の標準なしといえども、普通使用するところの大いさは、約其の長さ七寸五分、幅三寸五分、厚さ一寸八分に近し、然れども、その原料なる土質の如何に依りて、不同多きものとす。

■増田淳著『土木工学』材料施行編,構造設計編(成美堂〔東京市日本橋区通三丁目10番地〕明治41.11(41.3著))

かのJiun Masuda著。耕地整理講習会の講義内容に加筆訂正して出版。その後渡米してアメリカン・ブリッジに入社する。

煉瓦の形状は方形で其長さ七寸五分幅三寸六分厚さは大阪地方では一寸八分東京地方では二寸又二寸三分の所がある

■『東京勧業博覧会審査報告. 巻2』(明41.12)

各工場の煉瓦の実測寸法あり。二寸越えが大半。つーかバラバラ。

■戸倉英一郎『土木設計便覧』(修学堂 工学便覧叢書第3編、明42.5)

○煉瓦の大いさ
海外殊に欧米各国にありては、規定の下に一定せりといえども、我邦の如きは、否らず。其の大小の種類を挙ぐるときは、左の如し。
縦 横 厚
七寸二分 三寸三分 一寸九分
七寸四分 三寸六分 一寸九分
七寸五分 三寸七分 一寸八分

■神門久太郎『実用製図学』(建築書院、明42.4)

煉瓦の大さは長さ七寸五分、幅さ三寸七分五厘(長さの中分)厚さ二寸を標準とすれども、製造所によりて多少異なれり、例令ば東京形にありては長さ七寸五分幅さ三寸六分、厚さ二寸なれども、大阪形に至りては厚さ一寸七分なり、又山陽形と称して其厚さ二寸五分なるもあり。

■井上繁次郎編『建築師要覧』(博文館、明43.1)

煉瓦大さ 煉瓦石は普通長七寸五分幅三寸六分厚二寸なれど焼過にありては長七寸二三分幅三寸五分厚一寸九分とす又関西形と称し厚さ一寸八分のものあり

■太田義三郎編『工業材料便覧』(修学堂 工学便覧叢書第8編、明43.1)

一 日本製の煉瓦は、長さ七寸五分、幅三寸五分、厚さ一寸九分あり。

同じ叢書の別の巻で違うことゆーなー!

■本橋弥八編『工業通覧』(須原屋書店、明44.4)

寸法 煉瓦の寸法は地方により一定せず、則ち
東京型、長さ七寸五分、幅三寸六分、厚さ二寸
大坂型、長さ七寸五分、幅三寸六分、厚さ一寸七分
山陽型、長さ七寸五分、幅三寸六分、厚さ二寸五分

厚さだけの違いのパターン。

■天野郁介編『実用建築材料編』(建築書院、大正1)

サイズに触れてない。

鶴見一之, 草間偉瑳武著『土木施工法』(丸善,明45.1)

図示。長七寸五分、幅三寸六分で、厚は東京形二寸、大阪形一寸七分、山陽形一寸五分(!)

■長崎敏音著『実用土木材料学』(工業雑誌社、大正1)

煉瓦の寸法は土地により小差ありと雖も之れを大別せば第四十九表の如くなる。

第四十九表 煉瓦の寸法
種類寸法
長(寸)幅(寸)厚(寸)
普通型7.53.51.8
東京型7.53.62.0
大阪形並7.53.61.8
山陽形7.53.62.3
東京に於て普通用いらるるもの7.23.51.85
焼過物7.23.41.8

やーめーてーくーれー。

結論:ほとんど一致するものがない。東京型がかろうじて一致する傾向にあるかという程度。五厘の差は無視されるのが常っぽい。

結局の所、大高庄右衛門のあの表が特異なんではないか。種々サイズがあることを強調するために5厘差を書いている可能性も微粒子レベルどころではない可能性で存在。

東京型・大阪型の違いは長や幅ではなく厚さにあったと見るべきだろう。それ以外は一致してたりしなかったりする。平均でも6mm差は大きい。積み段数に関わってくるし。


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