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旧道倶樂部録"

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2018-09-05 [長年日記]

[独言] 続・台風

風ばかりで何という被害もなし、安泰安泰と思いつつ出社したら「案の定」天井の明かり窓的プラ波板が吹き飛ばされていた。二年連続通算二回目、先だっての地震も加えたら三期連続の被災である。笑うしかないを通り越して機械的に対応するしかなかった。これを何かの不幸だとか試練だとかと思うような心もない。

今日は晴れていたので屋根に上がってビニールシートで覆うことができた。まともな紐がなく荷造り用の安ビニール紐で括ったので次に台風が来たら吹き飛ぶだろうこと必死。そうして絶対、次の台風までには直らない。そういう[禁則事項]なのである。

屋根が飛んでいたのはある意味想定内だったけれども、一帯が停電しているとはまったく予期していなかった。そのうえ復旧見込みが立たないのでカエレ、の指令が出るとも思っていなかった。台風が直撃した昨日は台風に備えて休業した。加えて今日も休みなら2日分も溜まってしまうじゃないか。といったことは一切お構いなしなのだし、そもそも電気が通じていなければ何の作業もできないのだが。

そういう下の下の状況下で中之島図書館へ毎索を見に行くことにしたnagajisは改めて言うまでもなく非道である。そうしてクリティカルな発見が相次いだのもそのせいだろうと思う。断じて行えば鬼神も呆れてものが言えない。

[][煉瓦工場] 共立社@大阪毎日新聞M22.6.22 2面

●会社創立の出願 当市西区新町南通五丁目百八十九番屋敷高木嘉兵衛外五氏の発起にて資本金五千円(即ち一株廿五円)と定め共立煉瓦会社を設立せんとて昨日当府庁へ出願に及びしよし

画像の説明前回毎索を漁った時に共立社の設立年月であるM22.7.を全見して見つけられなかった。そのことと、一部資料で「M22.6.」になっていることに気づいてから、むしろM22.6.に何かあるんじゃね?と思っていた。そのとおりだった。この誌面のこの部分にある、煉瓦には一切触れない小見出しの記事に、よくぞまあ目が留まったものだと感心する。

この高木嘉兵衛は共立社→堺煉瓦(株)の記事にも出てくる。要するに自分が興した会社を別の新会社=堺煉瓦に買い取らせて拡大したわけである。そうして共立社が五人の発起人で始まったことが最高にアレげ。いや外5名つったら計6人だわ・・・。

んで、ここで堺煉化石には全然触れられていないところもアレ。要するに堺煉化石と共立社は無関係不連続であるということの証拠。とするとM21.12以降M22.6までの間に堺煉化石廃業の報でもあるのだろうか?そういや毎日では堺煉化石広告を見ていない。

[][煉瓦工場][煉瓦刻印] 和歌山煉化石@大阪毎日新聞M22.10.27 4面

画像の説明 和歌山煉化石会社は其製造を那賀郡に設け春来業務相創め候処土質適合品質善良にして創始の際より硬加鉄との好評を得殊に陸軍の賞賛を受け専ら砲台建築部御用相勤め随て江湖需要諸君の望みを充す能わざりしは弊社の最も遺憾とする処に有之候に付今回業務拡張阪堺間に於て最も熟達せる職工五十名増募し一層製品に注意し廉価を以て広く江湖諸君御需用じ候間続々御注文被成下度此段広告候也
明治廿二年十月 □ 和歌山県和歌山市久保町四丁目
和歌山煉化石会社

これなんかは全く予期していなかった広告。「其製造を那賀郡に設け」とか「陸軍の賞賛を受け専ら砲台建築部御用相勤め」とか、あらまほしき記述がズバズバあって涙が出た。今すぐにでも工場表刻印表を書き直したい気分である。しかしそうだとすると何故現地では菱Wが見つからなかった?探し足りなかったのか? 使われていたとしてもごく初期の数物件だけだったのかも知れない。そうして熟練工50名が集まったようには思われない。いや、添印は15まであったっけ・・・その3倍ちょっとならあり得なくもないか。

[][煉瓦工場][煉瓦刻印] 関西煉瓦@M22.11.15 4面

画像の説明煉瓦販売広告
弊社製造煉瓦は欧式機械力を以て製出し大竃石炭焼にして堅固完全なること旧製煉瓦の比にあらざるが為め各位のご愛顧を蒙り日増販路拡張仕弊社幸福是に過ぎず併して今般種々異形煉瓦器械到着致候に付汎く需要の御便利に応じ尚一層廉価を以て販売仕候間倍旧陸続御購求あらんことを希望仕候
播州舞子
関西煉瓦会社

こいつもミッシングリンクの1ピース。関西煉瓦会社の興って来るところはずいぶん明瞭に判明していて、刻印煉瓦も見つかっていて、その刻印や煉瓦そのものから関西煉瓦≒B.C.△H.J.と考えていたけれども、「≒」のチョンチョンを取り去ってくれる確実な文献を欠いていた。この広告がそれだ。この広告は情報と現物という2つの巨きな球の接点である。

結局のところ、以前から外堀を埋めて埋めて埋めて埋めまくって肉薄してきた先およびその道筋が間違っていなかったことが証明されたわけで、なんともまあご苦労様なことである。

その他にも稲葉組の高石移転の話とか同社広告とかも出てきた。稲葉組の創始者は明治二年に泰西に渡って煉瓦製造の業を視察し云々とか書かれてあったりもする。こいつはかなり疑ってかからないといけない初耳情報である。もし本当だったとしたら鉄道寮でも造幣寮でも阪府授産所でもない第四の系統が存在したことになる。

ちなみにこの移転は玄洋社の来島恒喜が大隈重信を爆襲した頃の話。誌面で盛んに来島の経歴だとか爆弾のことだとか出てくる。切り落とした足をアルコール漬けして永久保存するだとか、爆発物が赤錆びてたので加波山事件の余り物かとか書かれてあった。そういう時代とリンクしている話なのだなと改めて感慨深く思ってみたり。

硫酸製造会社の記事はコピておくべきだったかも知れない。業績好調で事業拡大というのが大々的に書かれてあった。その拡張で追い出されたのが安治川川口時代の大阪窯業なのだけれども、そのことには全く触れられていず。ただし当時の府下工業界の概況を記した記事があって、M15だったか18だったかに大阪窯業会社ができたことは書かれてあった。大窯に関する情報はそれくらいだ。

[独言] 毎索閲覧メモ 於2018.09.05

M22.6.後半のいくつか。並び順をデフォルトでないほうにして表示させた20件の半分くらい見た。M22.7.は通覧済、M22.10.15~11.30まで通覧済。必要な記事はたいてい2面か3面にあり、4面は広告で用がある。1面はよほどの大事で無い限り出て来ないだろう。

画像検索のデフォルトサイズがちっせえのは、どうにかならんかなあ。いちいち拡大ボタン押すのがめんどうくさい。Alt+F4とかでやりゃいいのか。

M22の10・11月を見たのは堺附洲絡みでというのが発端。先に共立社の記事を発見していたので同じ原理で前月の記事もと思い10月後半から読み始めたのだ。

[独言][煉瓦] 肉厚煉瓦と濃尾地震

今回中ノ島へ行ったのはもう一つの用があってのことだった。M24.11.の煉瓦規格の逹が見つからないかと思ってM24度の鉄道庁年報なるものを読みたかったのだ。当然ながらそれは無駄足に終わったのだけれども、その心がけのお陰で、逹が出る1カ月前に濃尾地震が起こっていたことに気付かされた。そうしてそれが碓氷線建設中のことだったことも。

ひょっとしたら濃尾地震の事後策として厚い煉瓦を使うような通達があったんではなかろうか、と想像する。 濃尾地震で倒壊した煉瓦構造物の調査結果では確か目地不良がおもな原因とされてなかったっけか。 煉瓦が厚ければそれだけ構造物中に煉瓦の占める割合が増え目地を減らせるわけなので、煉瓦を厚くする=耐震的な意味合いを持たされて。しかし煉瓦が厚いと生焼けになったり膨らんだりしやすい。杉本の煉瓦がいい例だ。作るのが大変だとわかってまた元に戻したとか。それでM29−30の円形橋脚の煉瓦も薄くしたけれども肉厚煉瓦を作り慣れていた工場は平面寸法だけ規格に則って寸法図で示されない厚みに関してだけ慣行で作ってしまって、それが桂川橋梁下流側とか上神崎川橋梁とかになって。みたいな。

小野田氏の分類では直江津線に一箇所だけI群煉瓦が見つかっているらしい。中央本線建設のために作られたようなところだからその資材の運搬時に紛れ込んだものかとされてる。碓氷線の辺りにはない。碓氷の橋梁群隧道群は建設中に設計を変えたっていう話なので、その変えた設計の所には実は肉厚煉瓦が使われていたりしないだろうか。そうでなくてもM24以降30年代初頭に作られた構造物は怪しい気がする。特に東海道線複線化の頃に作られたやつ。片方の橋脚だけ厚いとか、他にもありそげなカンジじゃないか。

揖斐川橋梁の補修には21/4インチの煉瓦が使われたらしい。これは亀裂が入った箇所を取り外してサラにして組み立て直したのだから最初に使っていたサイズに合わせていただろう。震災後に丸々作り直されたものとか 追築された部位とかに肉厚煉瓦が使われてたり、しないだろうか。


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