nagajisの日不定記。
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〇五・〇〇起床して約四十分間は真暗なりき。午睡もさわがしく半分しか眠られず正に睡眠不足なり。雨ありてほこりも立たず新鮮味を加え涼しき秋気分ともともなれり。工作は滑空訓練にして予は筆記をなす。実用向きなり。柔道。良好。日用品は以後地方の如く配給制となる。
日本軍ベララベキ方面に転戦中。イタリヤは八月の政変後シシリー島を捨て英軍伊本土に上陸せり。ムッソリーニ等ファッシスト党員は現在の政府協和党の為に逮捕せらるるの状あり。真に己れの実力を養い他に頼らざること肝要なり。
今日,とあるパンフレットを読んで涙が出た.比喩ではなくて本当に涙が出た(告白するが基本的にnagajisは笑ってしまう位に涙脆いほうだ).
何でも無い,どこにでもあるようなA3サイズの広報紙.発行した部署の人が自ら作ったものなのだろう,画像もイラストもまちまちで,画質も荒くてお世辞にも綺麗とは言い難い.飾り罫が多数踊っている割には行間も文字間もみっちり詰まっているため読み辛くもある.明らかにWordか何かで作られたものだろう.
自分の心にいたく沁みたのは,そんなデザインではなく,「wordか何かで」ここまで一生懸命作りはったと思われる,その一生懸命さである.自分はより良いツール/より楽なツールを使いながら,ここまで一生懸命デザインしてORJを作ってきただろうか?と思ったのだ.
ここのところ,自分のデザイン力のなさを感じている.何をやっても何かのサル真似のようで,結局,見やすさ重視とかシンプルさとかに逃げているように感じる(実際には真似にも至っていないのだが).今まで教えられてきたこと───というより目で盗んできたこと───がそういう技術なりスタイルなりだから,仕方がないと言えば仕方がない.でも,このA3サイズの広報紙の「一生懸命なデザイン」には負けている.そう感じて涙が出た.
まだまだ精進しなければならない.
久しぶりに琴線に触れる挾物に出会った.今から約40年前に書かれた宣言である.本人の許可なしに掲げると怒られるに違いないが,こういうものを書きたくなる気分は私にもあったし(今でもあるし),胸の内から湧き上がる思いを衝動のままに書きつけたものだというところに計り知れない価値を感じる.誰に宛てて書いたものでも,誰かに読まれることを予期したものでもないナマの感傷.百千万の美辞麗句で飾り立てたブンショーより遥かに尊いと思う.
なにより私は承諾をとるべき本人を知らない.入荷してきた古書に挟まっていたのだから.その挟まっていた本が永島慎二の作品集だったというのも味わいを深くする.実際無一門氏も漫画家志望の青年であった節がある(一緒に挟まれていた別のメッセージによる).
蛇足.朝日文庫『戦後値段史年表』によれば,昭和50年の銀行初任給は大卒で85000円,高卒で70000円だった.平成7年にはそれが約2倍になっている.氏の金持ちぶりは推して知るべし.その具合いもまた,自分に通じるものがあって人事とは思えない.
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/831459/21
M24の濃尾地震を機に地震災害に関する調査研究を行なう「震災予防調査会」が設立され、その報告書が百いくつか公表されている。その中に煉瓦の接合の強度を試験した報告があって興味深い。第1回~第3回は種々試験のデータ、第4回にその包括論みたいなのが載っている(明治32年以前
この試験で面白いのは煉瓦をモルタルでくっつけておいてそれをひっぺがすのにどれくらいの力が必要か、ていうことを徹底的に試験しているところ。集治監製手成形煉瓦と日本煉瓦の機械成形、特にワイヤーカットしただけのザラザラした平のものとを使って表面状態の違いが及ぼす影響を見極めようとしている。通説では機械成形のザラついた肌の方がモルタル(セメント)がよくくっつくとされていた。そのほかにも煉瓦をよく吸水させるのか否か(通説では水をしっかり含ませたほうがよいとされていた)、あるいはセメント自身の水の量とか、試験体を製造する気候寒暖で差があるのかどうか、とか。
必ずしも完璧な試験ではなかったみたいだが、報告者自身の認識では
とのこと。通説がことごとく裏目になっているのがまこと興味深い。しかもそれ以降も煉瓦は充分吸水させて積むことが金科玉条のようになっていた。「オシャカ」は手抜きだとして忌避され続けた。もっとも充分給水させることは煉瓦にセメントの遊離成分が浸透するのを抑え、いわゆる「煉瓦風化物」の発生を抑制する効果があったようなので、見栄えを優先してのことだったのかも知れない。
接合強度の試験は煉瓦を十字に貼り付けておいて機械で上下に引っ張って破壊に至る力を読んでいる。こうするとたいていはモルタルと煉瓦の境界面で剥がれたようである。セメント部分が上下に割れたり、煉瓦自身が割れたりすることは少なかったように見える。つまりはセメント自身の強度や煉瓦自身の強度より煉瓦とセメントの接合面の強さが構造物の強さを規定しているらしい、という結論。結論というよりあれか、暫定的な小結みたいなものか。
実際のところ、煉瓦のモルタル剥がしを何度も経験していると、非常にあっさり剥がれる場合とそうでない場合があるとわかる。特に古い煉瓦は漆喰のような目地であることがあり、そういうのはハンマー数撃でポカッと外れる。目地が硬いやつ(上等なセメントモルタルを使ったやつ)も、目地で2つに分けるのではなく接合面に鏨をあてて面を剥がすようにしてやるほうがうまくいくことが多い。その時に煉瓦の面が剥離してしまうことはないわけではないが(焼きの甘いやつはそうなりがち)全体から見れば少数である。
震災予防調査会報告には濃尾だけでなく他の地震の際にも建造物の破損状況が詳しく載せられている。煉瓦積みの建物の破損を見てみればどれも目地にそって罅が入っている。目地自体が割れたのではなく接合面で割れているのだろうと思う。煉瓦を横断して割れているのは10中1、2といったところ。
_ あきら@大阪 [何事も真似から。 見様見真似から作るのも、聴いてイメージ湧かすのも一緒。 肝心なのはそれを如何に消化出来るか。だろうね。 なーんも無しから作れるのは一部の天才だけ。 普通の人は沢山引き出し作るト..]