nagajisの日不定記。
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胸部間接撮影の為午睡行わず。作業は九四式六号無線機の使用を行い随意運動時にも行えり。柔道は意気。理髪の床屋さんは二人共応召されて、生徒同士にて行えり。生れて初めて人の頭髪をバリカンにてつんでやりたり。最初は臆くう〔劫と朱訂正〕なりしがやる中に遂に完全に操作になれ相当なる腕になる。今日得し一大収穫なり。良好。
〔罫二行分を使い大書して〕伊太利は米英に対し無条件降服せり。
八月の政変頃より新政府は米英と議し九月三日成立し八日降服せり。何となれば新政府は戦意なき弱き国民におし立てられたるものにして降服する事に急ぎし模様なり。
而しムッソリーニは北伊に新政権を樹立しハッシスト〔ファッシストと朱訂正〕党を中心とする軍を以て米英に対し独は既に之に対し援助しあるが如し。
戦意なき程怖しきものはなし。降服すともムッソリーニある限りは伊は同盟国なり。力を落さず愈〃敵愾心に燃え米英撃滅に邁進するのみなり。
晴れ過ぎるというのも考え物だな。雨乞いの儀式をしながら撮影した。が、いま見て構図が違うことを発見した。鬱だ詩嚢。
以下、恒例のどうでもいいもの群。
たった7か月で出来上がってしまったという宿場町にて。布袋様。非常に愉快げである。空も青い。(なぜこんな写真ばかり綺麗に撮れるのか)
おれはナガトミだ、と主張したところで聞き入れられないであろう地域に足を踏み込んでしまう。右を向いても左を向いてもトミナガ。住んでいる人もトミナガだったろう。間違い探しの間違いになった気分。こればかりはあのおちょぼ口イラストの所為ではない。
近代土木遺産に落書きを致したる不届者。平成19年度にここを訪れたS.K.に告ぐ。貴様なんか貴様なんか猪にしてやる。
逃避中にいろいろ仕事が溜ってた(当り前だ大馬鹿者)。一生懸命片付けてます。残りは明日に・・特にCD発送につき・・・申し訳ありませぬ。
何もアイデアがないな。せめてトップに戻すか・・・
そういう手はある。アプローチする対象としては間違ってないし、ナウい(死後20経過)
つーかJIS男うっといぞ。そんなんでマシンパワー奪うな。
しかし結構手直しがいるぞ。この行折り返しでは読みにくいのがさらに読みにくくイミフになってしまう。
徳川道のフォーマットは、やはり失敗だ。。。フォーマットに合わせた書き方を開発できなかったのも敗因だが。。。
前編紙芝居で、地点図示をかならず入れて、とかすればまだリンバカンがでるかもしれん。あるいは改ページと改場面を一致させずに流し入れるとか。しかし今さら作り直す気力はない。
最後に終えての感想を入れてみたがバッチリ浮いている。こういうのばかり自然に作れるのは、それはそれで才能かも知れんなあ。
なぜこうも立て続くのか。そしてイライラするのか。(以下略) ←だからそんな書き方するから誤解を招くんだろうが。ORJには全然関係ない個人的な話です。ふう。
サムネール作成は一度成功したんだけど出来上がったサムネがボケボケになってしまったのでシャープにする関数ないかしらんと思ったらおブジェクティブな書き方のサンプルを発見。よっしゃと思って書き直し、リロードしたら503という罠……嗚呼これも不運。しかし考えたらメイン鯖においておくとTUKAさんまで巻き添えにすることになるのだな。サブに移っていただくほうがよいのかも知れぬ。
ImageMagikを使いこなせるようになったらあんなことやこんなことができて便利なんだけど、はるか昔に書いたサムネール作成ルーチンから外れることができないまま今日に至っている。この機会に少し練習しておこう。このタイミングでというのもどうかとは思うが急がば回れだ(違
阿振川橋は長いだけで面白みに欠けるな・・・。話の筋も飛び気味だ。やはり旧橋をメインに据えようというのが間違っていたのかも知れぬ。そういう困難を敢えてするのはいいけれどもそれ乗り越えたところで誰も褒めちゃくれないよ。自己満足も得られてないなら正しく「何のためにやってんだ」っていう話だ。
"物語性”の重要さ。日本遺産におけるストーリーの概念。
そのものの良さを伝えようとするとき、そのものの歴史を語るだけでは*いけない*と思う。うまい言葉が見つからない。いくら私が「横山隧道いいよ!」と叫んでも伝わらない。何故か。そこにストーリーがないから。共感の手がかりがないから。情報として与えられるだけなので授業で強制的に学ばされたこととかそこいらの看板広告と変わるところがない。 幸い、横山隧道には、ここまでお話してきたような物語が明らかになっている。足りないものを加えれば十分活用してもらえるものと思う。思いたい。
横山隧道の歴史を語っておしまいでは*ならない*。というか不可能。建設に携わった人々、家棟隧道や佐和山隧道との関連、道の担った役割。特に道を通してのつながり。お話したような歴史を調べていくなかで「ああ、道はこうやって繋がっていくんだ、歴史がこう繋がっていくんだ」と感じた。すべての道はローマに通ずという諺があるけれども、自分にとっては例え話ではなく事実としてそれを感じる。歴史の連綿で繋がっている。事実を体得したという思い。
歴史を学ぶということ。歴史を学ぶ、自ら紐解き自分のものとすることで、自分が生きているいまにこのように繋がっていくのだという理解があった。納得した。ああ、自分の生きているこの国はこうしてできあがったのだと知れたこと。その理解によって、ようやく、自分という存在のこの国における、社会における位置づけがわかった気がする。横山隧道に興味を抱いてあれこれ調べたもの好きという私。それでいいのだという。ここまで明らかにできたことによって私もこの道の歴史に組み込まれたという思い---ただ通るだけでもトンネルを構成する歴史の一部になる---。自分の行動行為が歴史の一部になるというのは何も他に勝る何かをしなければならないわけではない。テレビに出るとか有名になるとかいうだけだと思うから関わりを持とうと思わなくなる=歴史に興味を失う。
いまがこのようになった過程を理解すると、いまを肯定することができる。この不便には理由がある。以前はもっと不便だったのだ。これ以上を望まなくてもよいだろう。諦めではなく自然な感情で。不便をかこつ思いが減る。不遇を嘆くことの愚を悟る。
土木遺産を通して得たこの感触、歴史というものへの理解、はもし自分以外の誰かが感触したとしてもその人の糧になるだろうと思う。それを伝えたい。
_ マフ巻 [俺も忘れてた。返信まだ見てないや。。。orz]