nagajisの日不定記。
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大部涼しさを増す。体操剣術あり。運動班運動も剣術なりしが共に元気旺盛にして克く命中し一躍愉快になりぬ。かゝる気持は中期になり初めてなり。かくの如く運動班運動は予にとりては偉大なる結果を及ぼす物にして愉快なり。特に忙し。良好。
\(^o^)/は\(^o^)/の\(^o^)/。
\(^o^)/は\(^o^)/の\(^o^)/。
AAにするとサッパリワケワカラン。
書き終わっただけで校正が終わったわけではないしそもそももう一冊のもう一企画が残っている。ORJも済んでない。\(^o^)/\(^o^)/と喜んでいる訳にもいかないが眠いので寝る。
一昨日から気になって仕方ないポスター。内容はよくありがちな「犬のフン持ち帰りましょう」だが最後に添えられた2つの数式が斬新だ。
ξ+ξ=2
0+0=0
(※ξ=犬のフンを表す
しかもかなり手強い。何かこう、突っ込みを入れたくて仕方ないのだが、どこをどのように突っ込んでいいのかわからない。だからといって正論でもなさそうだしリーディングオピニオンとしての地位も確固ではないように思う。発展のしようがないもどかしさをいう(ことになっている)奇妙なポテンシャルのなかでもとりわけ発展させようがなく、それはそれである意味高いポテンシャルを有していると言えるかも知れないが、何だか違うような感じもある。とんがってみました!と言われてウニを想像したら金平糖だった、みたいな。
いろいろと考えたなかで「犬のフンはJIS記号にないから代わりにξを使おう」という辺りから発生する代数学的考察と、無味乾燥な数式にしてしまうことで現実を直視しない厭らしさが垣間見れることの指摘は、実は昨晩書こうとして失敗した。ξ+0は何になるのか。犬のフン=1で本当に正しいのか。犬のフンは自然数と考えていいのか。掛け合わせた場合は。むしろ常にゼロになるような関数f(ξ)あるいは係数αが求められているのではないか、それによって住民は犬や飼い主に忌避感を抱くことも要らぬ軋轢を生むこともないだろうに。云々。しかしどれもいまいちな結論でありただの野暮ツッコミになってしまって、途中で挫折した。
しかし頭が猛烈に眠いいま、ようやく一点突破の秘孔的論理の瑕疵を見い出すことに成功した。0+0=0が嫌らしいのだ。そうなのだ。
ξが糞なら持ち帰る行為は-ξと表すべきだろう。とすれば下段はξ-ξ=0とすべきであって、元の0+0=0とは何もせず持ち帰りもしないことを意味しなければならない。いや、そうであれかしと願う(すなわち犬は何もするな、飼い主も来るなという)暗黙の宣戦布告に他ならない。言葉では「うんちくん」などと言っていかにもフレンドリーな感じを醸し出そうとしているが、その心中は0+0=0であるに違いないのだ。
数学は科学の女王にして奴隷。それを我田引水的に利用しようとした作者は奴隷使いとして「してやったり」な顔かも知らぬが、一歩間違えば不敬罪で磔獄門にされる可能性を、忘れてはいないだろうか。
やあ、直ってなかった(汗
dbのパスワードがあっちゃこっちゃに産卵しているのを一カ所にまとめたつもりだったのだが肝心な所に一つ残っていた。昨晩のはその関係でdbのパスワードを変更したのだが操作を誤ってデータうぉ吹っ飛ばしてしまつたという盆ミス。コンパネから操作したおかげで直前のバックアップが残されてたので実質的な被害はない。一部夜更かしさんには迷惑をかけたかも知れない。
だるいので寝直す。
寄稿投稿が地味に2件。有り難いことです。しばしお待ちを>お二方。ニコ動アカウントがないのではてな経由で見よう。&、画像から作るほうがシンプルでいいかもですな。前例としてあれば(いやすでにあるが)他の方の投稿の参考にもなるはず。
その人の背景がわかっているのといないのとでは捉え方が変わるなあと気づかされる。それは多分消費するために見ようとしていないからだと思う。
余計なことはコメントアウトしといてと。最近つくづく「廃道」が好きなんじゃないのだな>nagajisと思う。自分が道がそこにある意味がわかりさえすればいいのだ。その意味を集めているうちに過去がわかってくるのが楽しいだけだ。机上でわかったつもりになりたくないから実地を見てくるのだ。で、そういうのは誰も期待しない。タノシクオモシロク消費されるものが求められていて、そういうものを提供するつもりはハナからない>nagajis。そりゃ救われんわー。
実家のすぐ近くに「考える橋」という名前の橋が架かってたのを思い出す。どういう由来なのかは知らないがそういう名前の橋だった。しかもそれは長屋的なアパートの入り口に架かっていた私道の橋だ。しかも橋の側面にそういう銘板?が貼ってあった。
それに気づいてからこのかた「何で『考える橋』なんだろう」と考えるようになった。ある時その銘板を弄くってみた。カッティングされたプラスチックで文字が貼られていた。ふんふんとか何とか思いながらさらにつついていたら、「橋」の八画目が取れて下の川に落ちてしまった。そんな悪事もした。
そもそも橋は考えさせられるものなのかも知れない。普段なにげに利用していると気づかないが、一度考え始めるときりがない。出来てこの方何人の人が通ったのだろう。だれが作ったのだろう。どうやって架けたのだろう。わかりそうでわからないから余計に考えてしまう。
交通がそこに集約される関係上、人の記憶や思い出も橋に集約されて凝り固まっていたりするのではないか。橋を題材にした物語や歌が多いのはきっとそのせいだ。味噌買橋なんて昔話にもなっている。日本三大がっかりの一つであってもやはり人口に膾炙していることには変わりない。隧道はその点可哀想である。隧道エレジーとかトンネルブギとかはないだろう。ねじりマンボはあるかも知れぬが。とか上手くまとめるな>nagajis
9/4から出るか9/7からにするかで悩んでいたが,9/3の台風禍で影響がありそうだったので止めておいたのは正解だったと思う.出ていれば電車の遅れがあって予定通りに行かなかったはず.
それはともかく,逃避中に徐々に状況が明らかになってきて,いろいろと思わされるところがあった.H16の台風禍で大台周辺がずたずたになり,その爪痕を見て戦慄することしばしな私だったわけだが,今回の台風でまた紀伊半島がずたずたになって,明治23年水害を彷彿とさせる状況になっている.そういう厳しい土地に人が住むということはとても大変なことだ.ひとたび道路が寸断されると数千人が孤立状態になるという紀伊半島の山奥に,それでも人が住んでいるという現実がある.数億年・数千万年のスパンで考えてみれば,今回のような大雨で何度も何度も崩れて今のような険しい地形になった.道が流されるなんて日常のことだっただろうし,人知れず土砂ダムができて決壊しただろう.そこに恒久的な道をつけても,いつかは必ず流されてしまい,恒久物ではなくなってしまう.土砂ダムができて暮らしが脅かされてしまう.そういう場所に住み続けるということはある種の覚悟がなくてはならないのだろう.三陸海岸,福島沿岸の津波の時もそう思った.
橋が落ちて不通になった国道168号が約1週間で復旧したというのはすごいことだと思う.そう思う一方で報われない作業だなとも思う.崩れることを前提にして作るわけにもいかないし,絶対に崩れない道を作ることも不可能だ.そういう場当たり的な?スクラップ&ビルドの繰り返しが,道の歴史というよりも人の生き様,生活史,生態とでもいうべきものなのかと思う.これを機に紀伊半島はどう変わるだろうか.
王将前に停めていた自分の自転車と生協が水没した平成6年水害に匹敵する雨量・・・これが数時間続くようだったらヤバイ.まあここ(桜塚)が水没することはないだろうけれど,倉庫が心配だ.
ファミマ事案を読んで、「恥の文化」という評の便利さを改めて思う。わざわざ動画をアップロードしたのは、それで相手を最大級に辱めることができると思っての行為だ、と考えるといい。日本人は人前で恥をかくことを極端に恐れる。そして恥をかかせるには衆人環視の数が多ければ多いほどよい。現代ではネットがそれを代役する。 けれども犯人の愚かなところは、ネットが自分の味方だと錯覚していたところにある。取り巻きすなわち世界だと思っていた哀れな人なのだろう。&、そういう衆人環視の恥を人生のどこかで味わったことがあって、その効果の程を知っていたからに違いない。要するに典型的な日本の下衆だ。
あまりに話が出来すぎているので、ファミマ側の対応は計略だったんじゃないかと思わないでもない。完膚なきまでに負けたように見せかけ、調子に乗せて自爆させるという作戦。少なくとも店側で準備して証拠撮ったりとかしてたんじゃないか。
同じ茨木の盗撮事案も恥につけ込んだ犯罪。警察に届けること則ち恥をかかされたことを誰かに告げなければならないのは決して心地よいことじゃない。そうせずに独り腹に抱え込んで我慢する人が多かったせいで発覚が遅れた。そんな馬鹿らしい手段で金を得なければ生きていけないという恥の方を犯人は自覚すべきだろう。もっとも、恥をかき続けていたら人はだんだん厚顔になるものだがな。
んでまた、「また大阪か」という決まり文句で悦に浸ってる連中がいるんだろうなあ。目糞鼻糞だ。同じ阿呆面を見飽きた。ものごとを理解するのに自分のわかるほうに我田引水して曲解してでないとできない連中の何と多いことか。飽きた秋田。
「恥の文化」というレッテルは外部から見ると非常に的確に見える。けれどもどこか腑に落ちない部分もある。行動原理のすべてが恥で規定されているわけでもないし。糊面と本体との間に何か一枚挟まっている感じがする。同じレッテルを表側から見ているのと裏側から見ているのの違い? 糊面には違う文字が書かれている? それが張り間違いによるものなのか、当事者だからこそ感じる反目なのかはわからない。ただ便利だから利用しているだけのことだ。
わかったと思ったらまた不分明に。。。堺煉瓦石はM20時点で150人だったか100人だったかの職工がいるし、広告では少林寺町のを「第一分工場」としているからには本工場があって当然だろうし。しかし南附洲新田「浜」・・・南附洲は大阪窯業だ。堺附洲の位置と大阪窯業堺工場の位置は違う。おかげ山一個挟んで向かい合う形。だから堺煉化石の本工場跡=大阪窯業堺工場かと考えるか、別の南附洲であるかと考えるべき。これは以前の形とあんまし変わってない。丹治煉瓦のヘノマツ村工場を待つまでも無い話なのだよな。
稲葉組(菱橋西詰)と堺附洲が連続するかどうかも定かでない。&、古い大浜通りの三丁目は大谷工場で、これはM30の堺附洲の位置と被らないんだな。年代的には大谷工場=稲葉組の工場くさいのだけど(広告で「菱橋西詰で煉瓦製造せし」云々出てくる)確定できぬ。
こうなると堺附洲の始業を確認する必要が出てくるのだが、設立はM22.11.6、営業開始はM23.1という。前者はこないだ見た範囲。後者はまだ見てない。
毎度のことながら地図を作るのが面倒くさい。必要なことはわかっているが面倒くさい。このように「面倒くさい」と書くのは単なる愚痴のようなものであり「面倒くさい」からといって無くしたいと思っていたりはしない。面倒だが必要なことでありむしろもっともっと数を増やすべきであると思っている。そうして増やせば増やすほど自らの首を締めることになる。ざまあみろ>nagajis。
愚痴を零すのはまことに無駄なことである。言うほうは言うことが目的で言っているのであって、それを周囲が拾い上げ対処しなければならないようなものではない。愚痴をいちいち拾って改善しようとするから世の中生きにくくなる。息苦しくなる。人の意見なんて無視するに限る、自分の意見など尚の事不要で害悪である。
とどのつまりこれは「よだきい」の範疇の要件である。してもいいけどせれれんな状況。よだきいと思うことは結局はしなければならないことだ。食事を作ったり排便したり洗濯したりするのと同列に地図作成があるのであり、面倒だからといって食事排泄洗濯をしないわけにはいかないのと同様に地図を書かなければならない。もっともORJ全体がそういうものなのかも知れない。手間だ面倒だと言っていたら原稿すら書けない。
「面倒くさい」を乗り越えて仕上げた時には、自分が少し強くなった気になれる。よく頑張ったと褒めてやりたくなる。そんな自己肯定感を味わうために書いている生きている。それ以上でもそれ以下でもない。やっているうちにいつのまにか実も生ることだろうし。
麻の葉模様を入れたのは特に理由はない。念入りに書いた原稿ほど見栄えを気にしない、時によれば粗略なほどにシンプルにしてしまう傾向がある。見てくれより中身だと思っているので。そういう自分が手の込んだ帯を作ったということはそういう内容でないということになりそうだがしかし今回の導入は満足している。過不足なしだと思っている(いや、過はあるかもしれん。否ある)。しかし探索ルポの最後の辺りが盛り上がりに欠けるので尻すぼみ感はぬぐえない。正直に言えば少し記憶が薄れていて現場地形がはっきりとは思い出せなくなっている。メモでも残しておくべきだったな。
国土地理院地図の上で断面図が書けるようになったのが有り難い。カシミール3Dに頼らなくて済むのはいい。
予想外に長くなり2分割することにしたのはいいのだが、そうすると舞鶴要塞がまた間延びしてしまう。次号も船坂にするのか、それとも舞鶴槇山にするのか、槇山にすると少し短めになるので中ネタ×2のつもりで行かないといけない。しかし相応しい中ネタが乏しい。ここでいうネタの大中小は世間的普遍的価値を基準とした分類でなく要するに長く書けるか否かというだけである。書いて満足するかどうか、でもいいか。ネタはいくらかストックしてはいるけれども取り出して糠を落とすタイミングが難しい。洗った後でやっぱり止めとこ、となるといろいろ困る。
ユニチカ追記しておくこと。聴音所は消すか……いや残すか。しょっぱなから余力を残すことを考えて書くのはよくない。
初代のものと推定される煉瓦は厚2-1/4インチ。これだけの量剝いて測ったのだから間違いない。下流側の増築部@複線化時は面白いように2インチに収まる。これが並形の標準形のはず。桂川橋梁の橋脚も増築部のほうが薄かった。
関西の煉瓦製造業は鉄道建設をきっかけに始まったので(造幣寮の製造もあるけれどもそちらは後が続かなかった。鉄道寮工場→原口煉瓦のほうが後へ影響を与えているはず)、最初期は2-1/4インチが基本形だった。その厚さに焼き上げると焼き過ぎて小さくなるやつも多かったはずで、そういう規格落ちの煉瓦が勿体無く(しかしよく火が通ってるわけだから質は悪くない)市場に流したのが後の並形になったのではないだろうかか。M24に作業局が煉瓦厚を2-1/4として以降特にその規格落ち煉瓦を呼ぶ呼称が必要になり、規格落ちしたものだが質は良いという意味で並形と命名した。M20代初頭にできた建築学講義録でも並形という呼び方はしていない。ここでいう大阪型はたぶん2-1/4inのほう。而して大阪商工会議所の価格調査もM25に並形を対象として始まってる。
並形が普及し、消費者も敢えて並形を買い求めるようになれば、作る方も並形を狙って作るようになり、寸法規格も固まっていく。その頃に大高が5種類と言い出したのだろう。
作業局形よりもわずかに薄いというのは増築する時に役に立つ。下駄齒にはめ込みやすい。端を打ち欠いて嵌め込むにしても。
老ヶ辻のは継ぎ目?がカバーされていて確認できない。七反田の第4径間にはカバーがないがここは見事にてれこに組まれていた。本来はどこもそのように施工されていたのだろうが、どうしても隙間ができやすく、そこから漏水するためにカバーを取り付けたものとみえる。ただし最初から増築を考えて作っていたようには見えない。石積みのところは特にそう。きれいな凹凸にはなっていない。(しかし増築部もオリジナルも石の質感はたいへんよく似ている。そのせいで一続きの石積みに見えるほど。)
興味深いことに、増築部の煉瓦のほうが白斑は顕著。初代の煉瓦はここまでまだらではなく、いかにもふつーな感じだが(上写真)、某12ftウエルの胎土もその傾向があった。
あとになるほど原材料の混練が甘くなるわけだ。 115 233 58 112 231 57 115 234 57 116 236 57 115 230-234 56 114 232 57 110 227-224 55-57 111 230 56 112 232 56
_ nyo [ねじりマンボw BGMに使いますwww どう捉え方が変わったのかお伺いしたいところですが、やめておきます。ご視聴ありがとうございました。]