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1942-03-10 [長年日記]

[陸幼日記]三月十日 火曜日

陸軍記念日なり。去る日露の役奉天大開戦が思わる。

始めて南生徒舎に寝ねたり。今日は午前中武道大会行われ、午後は生徒相互間の懇親会なりき。武道大会は、一年は一里のリレーなりき。第三運動班は五著なりき。一著は一運なりき。甚だ残念至酷〔極〕なり。剣術は百十六本で四運も同点なりしが、優勝数四運が一人多かりし故に、優勝は逸して二等となりたり。一年は終了後柔道を見学す。午後は会食行われ十四時半より剣道場に於て、全学年の懇親会行われ最後に、今や卒業されんとする三年の方を胴上げしたり。一年の今日の成績何とわびてよきか其の法を知らず。夕食後十八時十分より二・一年主催の下に、柔道場に於て三年生の送別会を兼ねて運動班会を実施す。大体十時頃までは面白くありたるが次第々々に寂しくなり、過去一年間が思い出され何と、三年生と別れ難くなりぬ。三年生は此処に去り、二・一年はまさに進級せんとする今日、二年は過去二ヶ年を物語り、三年は過去三年間の諸々を述べられ将に第三運動班の団結は固められて行きたり。二年の方の彼の悲壮なる決心豈敗けて可ならんや。第三運動班の伝統を記さん。
一.親和なること。
二.目的に、一致団結して当る。
此処に予反省をせん。一年の三運は右の伝統には反せず。されど未だ多々欠点あり。
一.熱血漢がおらず勝負に敗れても平気でいる。
二.他人を切差〔磋〕するを、余りの親和より行わず。
三.稍軟弱に流れつゝある傾行〔向〕あり。
〔欄外朱「勝敗は問題にあらず但全力を挙げて努力せざるべからず」、「軟弱」に傍点、欄外朱「断じて不可大いに切磋せよ」〕

此れ等は速にあらたむるが必要なる故、来年度は大に学班切磋会を行い、学班を固めてより訓育班を固めんと思う。
会は十一日零時二十五分まで行われ、最後に至り泣かざる者はなし。何となれば我等は三年に対し悲壮なる誓をしたり。三年は我等を励ましたり。予も其の一員なり。何くそやるぞ。就寝は一時なりき。


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