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旧道倶樂部録"

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1943-12-01 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月一日 水 快晴

小春日和。誠に春を思わしむる日なりき。素振は今日初めて汗かきたり。一心にやれば自と暑くなるものなり。午後は陣中勤務にて石坂に於て行えり。之が完全に出来たら教練は十分なりと。就中今日は分哨長動作として監視法・対敵襲動作なりき。乙臨時委員で出張中の部長殿・生徒監殿は今日より出て来られたり。柴藤・前田生徒監殿(四九期)は少佐に昇進せられたり。児玉生徒監殿は盲腸にて入院せらる。〔欄外「部長殿と下川生徒監殿は佐賀に行かれたり。」〕
不言実行が必要なりと感じたり。良好なり。〔欄外「ベルリンは千機よりなる英機の爆撃をうけ損害大にして民衆は田舎に分散中なり」〕
◎ギルバードに於て二十八日薄暮敵巡洋艦一隻撃沈、同一隻及び輸送船一隻を大破し全機帰還したり。


1943-12-02 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月二日 木 曇

暖し。三角函数が困難となり。自習時間を費すことおびたゞしく答解不能なり。誕生日会にして教頭殿の食事の礼儀につき及校長閣下(五日が御誕生なり)の過去五十一年を顧みての所感、児玉教官殿の謡曲鶴亀等あり。近例に非ず熱のある会なりき。月例身体検査あり。体重二〇〇瓦胸囲八五糎に増加 体重が左程ならざるは遺憾なり。柔道。随意運動は機能力検査の準備をなす。毎朝行う自源流(鹿児島)の棒の斬撃の為右臂肩の筋肉張る。効力大なり。昨日より陸幼試験始まり本校に一月四日まで常置委員設置せられ東幼の生徒監殿栗原少佐殿(東幼三四き)が来られたり。
◎ギルバート諸島沖第四次航空戦(29日はくぼ)
撃沈   航空母艦 二隻(一隻轟沈)
     艦形未詳(戦又は巡なり)一隻
大破炎上 巡洋艦  一隻
我方未帰還 六機


1943-12-03 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記]十二月三日 金 曇

〔欄外「田中真美は退校となる。実に惜しきこと。別方面に活躍せん事を確信す」〕

午後より風を増し先刻停電し自習約三十分欠け気が気でなかった。実に楽しみは勉強に勝るものなし。作文は航空将校の日記につき読まれたり。訓学は列国軍備の趨勢につき行わる。次の作業は要図調整なり。剣術は志気旺盛なり。上下級生全部を知る為に食卓混合になり、浴室も訓育班毎になれり。軍歌演習=全員あり。
特に所感なし。良好なり。


1943-12-04 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月四日 土 曇

寒き日なりき。日課は月曜に準じて行われ午前中は本部長野田謙吾中将閣下(本校九期生)御巡視あり。二訓は歴史を見て預けり。四時限は三年のみ授業。十一時五十分より本部長閣下の昔を顧みて訓示あり。要は自己の任務を完全に遂行し体を大切にせよ。会食し一三・二〇送る。真に九州男子たるの典型的なる方なりき。
午後は武蔵会にして武蔵会より幹事会長(少将閣下)。副会長(陸軍大佐)等の方方来られ一七・一〇まで約三時間半に亘り講演・詩吟等行われ特に愉快にしてわかりたり。『必ず勝つと思え』『服従心』なり。独行道につき特にくわしく云われたり。夕食も会食。有意義なる日なりき。良好。


1943-12-05 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月五日 日 晴

〇三・四〇起床、田村・矢野と隈府へ。以外に手間取り又手冷く歩行を加え、又イモも食し(民家の人の親切に感謝す)十一時半菊池神社に参ず。月見殿跡にて寒感ず。帰りは九五分かゝり帰校す。すばやく後始末をなし二時間十五分一七・一五まで就寝。頭痛風邪の如し。十九時就寝許可を受け就寝す。熱三八度なり。愉快なる日なりしも一方恥ずべき日なりき。海軍七隊長(将校)は体当り自爆の功により二階級特進せられたり。


1943-12-06 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月六日 月 曇

気温は下るも無風状態なる故寒さを覚えず。熱既になく爽快にして午後の機能力検査は
 百米=一四・四秒 幅跳=四九〇糎
 二千米=七分二四秒 投擲=四八米
 懸垂=二十七回
就中二千米と投擲は二訓一なりき。消極的に体を保護し感冒排除中なり。
◎ブーゲンビル島沖第六次航空戦
 轟沈 航空母艦 二隻
 撃沈 航空母艦 一隻
    戦艦(又は大巡)一隻
    大型巡洋艦 一隻
 撃破 戦艦  一隻大破〔赤鉛筆で「炎上」〕
    巡艦  一隻(沈没概ね確実)
    駆艦  一隻(沈没概ね確実)
 我方損害未帰還十機
 尚米に、四十五隻の航母ありと伝えらる。  


1943-12-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月七日 火 曇

愈〃反攻に出で勢力をもり返さんとする米はマーシヤル〔傍線〕群島に来る。愈〃来たり。やるぞとの念湧く。然し余り感ぜず。之一に日本人の欠点なり。早く敵愾心に燃え以て撃滅すべし。明日を以て開戦二周年なり。あの緊張、あの敵愾心を呼び起し頑張らん。夕食時教頭殿・香川教官殿・田代週番士官殿より其に関し御話あり。予別に日本人の長所にして欠点を見るに廉ある日を以て心を入換え新しき一歩を踏み出さんとする所あるを感ず。唯その気持心構えの続かざるを遺憾とす。運搬九秒五にして総計四十一点になりぬ。菊池純忠の歌を習えり。
◎マーシャル諸島沖航空戦
 轟沈 中型航母  一隻
    大巡洋艦  一隻
 撃破 大型航母  一隻(沈概確実)
    大型巡艦  一隻(沈没)
 撃墜 二十機
 我方未帰還 六機


1943-12-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月八日 水 曇

大東亜戦争二週年記念日にあたり、朝は〇五・二〇校長閣下の非常呼集ありて一・二訓は剣術、三訓は柔道実施す。何故か今日は全般の空気が殺気無く予としても余り力出でざりき。 詔書奉読式。
終日学術錬磨会にして午前は例年の如く生徒の発表。午後は映画・運動場に於ける棒倒し・滑空訓練・オートバイ・発動機付附模型飛行機等行われ終了す。目的が米英撃滅にありいやが上にも敵愾心に燃え戦意は昂揚せり。昨年より慥かに上手に出来たり。尚御注意として話の結論を云わんが為に長過ぐ。要点を簡明に云うべし。酒保はなく進で絵ハガキ買う。米英打たずば止まずと固く〱決す。良好。


1943-12-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月九日 水 晴

今日は最も風も加わりて寒く三糎の霜柱を見る。月[白+交]と輝き木枯嘯く昨夕の状態彼の底冷流石に冬を感ず。又兜山は一面黄色に被われ緑の〔二字空き〕を敷ける校庭も何時しか衰え行く自然を思わせらる。月日は早きもの。幼年学校生活も三度春秋を過ぎ卒業まで六十余日を余すのみなり。仕上げは之からなり。やるべしと痛感す。寒さに負くるなかりしや。決して負けざるものなり。柔道。随意運動は校長閣下の御指導にて連続斬撃行わる。反省録に関し校長閣下の個人指導あり。良好なり。


1943-12-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十日 金 曇

昨九日畏くも 天皇陛下に於かせられては陸軍予科士官学校に 行幸あらせられ御親閲を賜わり術科其の他親しく 天覧あらせられた。此の光栄何に譬うべき。実に亦後輩たる我等の光栄にてもあるなり。
校長閣下の訓話あり。淡白その他五項目にして校長閣下の尊き経験より我々の欠点を戒〔原文言偏+戒〕められたるなり。銃剣術は第一教習試合なりき。久し振りに明るき灯の下に運動班の集会を行いほがらかなりき。良好。


1943-12-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十一日 土 晴

今朝最も寒し。以て之を克服せり。午後内務検査にして予科へ行く準備を以て目的となす。旧十四日にして月殆ど丸し。夜寂謬〔原文言偏なし〕たる中に皎々たる月光を浴び森々と降りる霜、流石に冬を思わしむ。別に所感無し。月日の経つのが早過ぎる。校内は生徒舎・大講堂・講堂・食堂・浴場等の増築、剣柔道場の移転の為木材頗る多く広い場所を占む。輝かしき発展なり。


1943-12-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十二日 日 晴

午前中平常通り服務し水曜の授業行なわれたり。午後休養にて全く集会所に過したり。今日暖し。良好なり。


1943-12-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十三日 月 晴

朝の素振は銃剣術の刺突を実施することに変更。校長閣下より授業時間の姿勢態度・歩き方につき又教頭殿より二十分休憩の利用・歩き方につき御注意あり。将校生徒らしく寒さに負けるなとの事なりき。午後は滑空訓練にて、二回搭乗したり。漸く落ち着き生じたり。随意運動に「トンボ返し」独りで成る。決断力の問題ならん。我等としても愈〃実力をつける時なり。良好なり。
〔以下大字で〕町田・柚木崎・濱崎生徒監殿は陸大専科に、入江生徒監殿は陸大本科に合格せられたり。
誠に我等としても悦の至にて入校以来御指導を拝ぎし生徒監殿とも此に別れる時来り。飽くまで生徒監殿の御武運を祈り、我等としても過去二年八ヶ月おやぢとしたいし生徒監殿の御期待に副うべく勉めんと思う。
点呼後此の事に関し校長閣下より御話あり。
昭和十二年の本日未明南京城を攻略す。


1943-12-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十四日 木 曇

四温なるか誠に暖き日なりき。午後は作業にて軽機関銃の掩体を寝室毎にて構築す。随意運動時には五名のみ用務として八戸教官殿の下に作業を行えり。夕食後学年切磋会行わる。(一)上官に対する態度につき。(二)有言必行(三)下級生を切磋せよ等の如く大きく別る。残る六十日を十分に活かすのみ。良好なり。
昨日陸予士五十八期生卒業式行われ恩賜品拝受者十名の中二名熊幼なり。就中磯部さん(一学班、熊幼卒業に当り恩賜、下関市豊浦中学出身、一年より 今十八才)栗林さん(三学班、松山中学二年出身)なり。


1943-12-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十五日 金 晴

朝雨にして猛烈暑く、為に寝汗をかき裸体にての体操・剣術は汗だくにて真に五月末を思わせる気候なりき。毎日続かん事を望む。能率が相当上るなり。小田さん(校長閣下御長男)は岡山歩兵に配属せられ今日熊本に来られ校長閣下は家に会いに行かれたり。剣術練磨の必要を感ず。良好なり。


1943-12-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十六日 木 曇

父の命日なり。昨日に似たる気候にて午前中雨の為温かなりしなり。いづれ一雨毎に寒くならん。幾何の代りに地理が行われたり。銃剣術・柔道・剣術不振なり。良好なり。


1943-12-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十七日 金 晴

修身は武士道。作文は祭文を記す。午後は校長閣下訓話にて「軍人と政治」につき、及び反省実施法につきありたり。体操にては初めて梁木の上から前跳下と直跳下とを行えり。何事も経験が必要と思い行いたり。落下傘はかような事ばかり実施するものならん。交換駈歩。昨日の柔道と今日の体操に疲れとして脚重く走り難し。夕食後は帰省先同地方のみ固まりて其の引率者が時刻等定めたり。思えば近し一週間
卒業が尚若干早められ、依って期末考査は来月十三・四・五に実施せらるゝ事など伝えられ益〃決意を新にしたり。近日学科方面に於て何物をも解したる気持して勉強に熱入らず之も休暇の近づける故なるべし。良好


1943-12-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十八日 土 晴

午後八景水谷にて教練あり。課目は分隊の攻撃、門松が止金(駐筍)を紛失し約一時間探せり。鬼狩り編成。二年がしゅさいで運動班会行う。愉快なる中に終れり。二十時三十分消灯。良好なり。


1943-12-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月十九日 日 晴

鬼狩り。〇五・〇〇起床、〇六・〇〇体操衣袴にて集合。五回行われ戦果は略々大なる野兎一羽のみ。毎年減り行けり。一一・三〇会食す。午後休養にて内務をやり次に集会所にて兵制を研究せり。実にあっけなき一日なりき。積極的に行うを以て予の座右銘とす。今日十九日松浦の命日なり。切磋会ありて松元の歌に気に入り、それにみて己を切磋し米英に対する敵愾心を益す。良好なり。


1943-12-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月二十日 月 晴

再び寒くなれり。今日より又素振りとなりぬ。代数考査あるも不出来。午後は一四・〇〇より松村報道部長殿(本校十七期)講話あり。要旨……(一)体を大切にせよ (二)必勝の信念 (三)努力 以上三項目にして東條大将の事共を多く例にとられたり。大きな頑丈な体に似ず小さな声を出されやさしき方なりき。一五・三〇より各訓より七名選ばれて剣術の段級審査を受く。些か固くなり過ぎたり。未だ修養不足、確固たる信念の無きを物語るものなり。軍歌演習於十八教室。歌詞を覚ゆるを目的とす。良好。
○○中将閣下の講評「攻撃精神は旺盛にて可なるも技術に於て劣る」と。


1943-12-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月二十一日 火 晴

又暖かき日。幾何考査あり。半分。剣術自習・運動・修身あり。柔道の段級審査あり。マキン島・タワラ島玉砕す。


1943-12-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月二十二日 水 晴

国漢乙書取考査あり。代数の時間は一時間に亘り萬田教官殿の御注意あり。即ち昨・一昨日の考査が余りに悪く、又字がきたなく将校になる資格なしと。実に激烈なる御言葉を以て受けたり。大部の者は涙を出だし前方に反省し今度面目を一新せんことを心に誓いたり。図書に於ても頗る見劣りがする。理由はわからないが頑張れとの御注意あり。是を要するに三学班の気風を乱す者あるべし。然して以て特意となす者あり。切磋をなすも反対にやりこめられ、何となく自然と三学班は意意消沈し次第に悪くなれるものと察す。はたして彼の反省有りや。否や。剣術大会も第六位なり。高橋・森本・前田・手塚の事故ありて最も人員少く二十人なり。予僅かに二本のみ。三年の計四五にて五位二年三七本にて六位遂に六位入に本となれり。一位は一二七本の二運動班なり。今日は初一本に特に注意あれ正味一時間半にて終了。胴は全くとらず。幼年学校の剣術は実戦的なりと。攻勢又攻勢にて出るは可。三年生は固癖が多分なり。良好なり。


1943-12-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 〔赤鉛筆で日の丸〕十二月二十三日 木 晴後曇

皇太子殿下第十回御誕辰の日なり。十年前佐倉幼稚園で「日が出た日が出た鳴った鳴った拍手……」の歌を盛に歌った事を思い懐かしかりき。訓話・体操・防空演習あり。予は戦傷命ぜられ些かあわて恥づかしかりき。休暇も近づけり。あと三日 。別に所感無し。真面目は勝つ。良好なり。ラバウル〔傍線〕のあるニューブリテン〔傍線〕に敵来る。巡艦に輸送船十数隻撃沈す。


1943-12-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 十二月二十四日 金 曇

午後より風を増す。数学は唐沢中尉殿が来られたり。萬田教官殿が我等に哀訴をつかして我等の担任をやめられるかと思う時残念なり。もう一度彼の熱を呼び起し共に学びたきものなり。教練は中隊密集にて久し振りに厳々したる動作をなし精神も頗る緊張し嬉しかりき。之が今年最後の術科なり。部長殿訓話(一)宣戦大詔に徹しよ (二)意気(蒙古来の事共) 運動班運動→継走・騎馬戦 愈〃緊張の中に実施中なり。良好なり。


1943-12-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 〔赤鉛筆で日の丸〕十二月二十五日 土 曇

三年のみ授業あり。一・二年は午前中移転あり。三年は午後行われ二年が援助に来る。一刻も三年を勉強させんとする校長閣下の思いやりならん。第十二寝室学友は志摩と佐牟田、自習室は高橋と手島なり。午後より底冷えなす。菓子販売あり。愈〃休暇を明日にひかえ心落ちつきて昔の如き感もせず、嬉しくもなし。たゞ休暇か程度なり。良好なり。
大正天皇祭なり。


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