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旧道倶樂部録"

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1944-01-06 [長年日記] この日を編集

自 十二月二十六日 至一月五日 冬季休暇

十一巻眼の日記帳に記す。

[陸幼日記] 一月六日 木曜日 雪曇

低冷えのする日。数時間雪ちらつけり。一〇・二〇下川生徒監殿の下検査あり。一一・三〇新任生徒監陸軍大尉中西・鈴木・林殿の命課布達式及紹介・帰校申告あり。町田生徒監殿後任として林泰〔朱訂正 康〕彦大尉殿(五十二期・東幼)が我等の生徒監となれり。先ず曰わく「最後の一ヶ月を引きしめてやる」と。此の元気の下我等もその懐に飛込まんと決心す。誕生日会。一五・〇〇校長内務検査。校長閣下公〔朱訂正 講〕評
1.大体良し
2.申しわけ・弁解・不平・不満・批判的態度は厳につゝしめ
3.責任観念旺盛たれ→官物尊重
4.日本軍は勝利然らずんば死。
林生徒監殿評
1.元気がない。元気が、静かなる校内に充ち溢れよ。
2.検査の目的・心得につき。
3.毛布のとり方で敷布に入らざる如く、初より計画してとるは不可。
予科に行く下準備のつもりにてしっかりやらん。腹工合良好となりぬ。⇒八分目。


1944-01-07 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月七日 金 曇

どんよりした天候にて北風強し。
勅諭奉読式〇七・三〇より後期の先ず初に当り行われたり。教授部授業開始、代数は再び萬田教官殿となり安心したり。午後の術科は極めて張切って行えり。体操→もといを言うな。訓話→勇断
運動班運動は剣術。十日間の中に半ば忘れかけたり。素振りを励行せよ。何も彼も若き生徒監殿に負けざる如き元気にて行いし故相当暖かりき。卒業まで一ヶ月を十分鍛えると言わる。心構え十分なり。勉強手につかず。飯食えず。〔勉強以降朱傍線、欄外に「如何にせんや」〕


1944-01-08 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月八日 土 曇

〇五・三〇起床、 大詔奉戴日行事行われ陸軍始の在熊部隊観兵式陪観の為帯山へ。東京に於ても代々木練兵場にて行わる。諸兵指揮官は土肥原賢二大将なり。予は昨日よりの頭痛の為前途を考慮して残留せり。一三・三〇帰校、昼食後一四・三〇より剣術・教練行わる。一・二年は愛校作業なり。林生徒監殿週番になられ夕食時作法に関連して武田信玄の事を話さる。生徒監殿は武田信玄と上杉謙信に私淑して居らるゝものと一同噂したり。漸く充実して来り。されど帰校後より玄米の為の下痢〔朱線、欄外「よく噛んで食事せよ」〕と風邪との為尚精神的に不備の点あり。健康第一〔朱線、「然り」〕とつく〱感じさせられたり。


1944-01-09 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月九日 日 曇 雨

午前は木曜日の授業。午後は剣術考査にて面の斬撃・突 及試合教習・試合あり。約一時間にて一五・三〇より酒保へ行き、しばらく後に自習に移る。一・二年は午後外出せり。日曜を潰さるゝ事を快とする様に心が自と変る。不平もなく、今日など日曜なりとの観念は念頭に非ず〔朱線、欄外「前線に於ては休日も休暇もなし 此の気持を忘るる勿れ」〕一向に行えり。むしろ進んでやって貰い度し。明日の授業の五時間目を行わざるは不解なり。愈〃考査の週なり。頑張らん。良好。


1944-01-10 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十日 月 曇

二年生は二時間宛授業を行わずに午前中作業あり。人夫不足の故ならんも、又不解。午後先ず教練考査、不動姿勢・伏射・速歩行進なるも大部緊張しすぎて失敗。随運時に月例身体検査。腹こわしたるに一・五瓩増加とは以外。写真撮影。遂に明日の予行出来ず。残念なり。実力によるのみ。予科へ行きても実力が大切なりと言われたり。考査も近く準備万端すべく懸命なり。良好。我の心に余裕あり。


1944-01-11 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十一日 火 快晴

午後は体育考査にして横跳・振上り・振跳び・前跳下十二段行わる。直前の練習には立派に出来たるもいずれも失敗す。実力の養成を感ず。練習不足なりき。火曜と金曜に運動班運動が行わるゝこととなれり。日記に関し次項の如き御注意を受けたり。
1.正月には努力につき覚悟したるも七日には既に学習手につかずとはどうしたわけなるや。
2.弱音をはくな。玄米で腹こわしたのではない。噛まんからだ。軍人は腐った物を食っても大丈夫な腹を作れ。
3.日曜をつぶしてくれという気持でやれ
予は少々意志薄弱なりと感ず。良好。


1944-01-12 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十二日 水 曇

愈〃明日より三年のみ期末考査となれり。成るべく物事を早く僅かでもとしらべたり。勝算胸にあり。昨日の失敗を繰返さゞる如く落ちつきて行わん。作業は断面図調製なり。銃剣術。随意運動は自習なり。下川生徒監殿の第三男の赤ちゃん(今年一月一日生)がなくなられ生徒監殿は帰られたり。良好。


1944-01-13 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十三日 木 曇

愈〃期末考査となれり。国漢甲・国史・鉱物行わる。正味一時間なり。人事を尽くして天命を待てと。今日のは国漢甲やゝ不十分なり。午後は自習・柔道・自習にて愉快なりき。昼間時間余る故のんきに構えた所遂に時間不足。加之雑念多し。真剣に打ち込めざるを示すものなり。切ぱつまりてより行うは不可なり。十分なる準備をした後は自若たれ。良好。


1944-01-14 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十四日 金 晴

地理・幾何・物理、物理は潔よく玉砕。準備の要領悪し。午後は訓学にて大隊戦斗の遭遇戦及防禦についてあり。十分理解す。剣術は野外剣術なるも段を受けし者のみ道場にて鶴田先生より学ぶ。今後も度々なるべし。自習を行い運動なし。頭の痛くなる程精根をつくし勉励中なり。佐牟田(学友)は剣術の最中に高所より後向に転倒し以後脳震蕩の如く蒼白となりえん下し就寝せり。危き事なりき。良好。


1944-01-15 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十五日 土 曇

一時間目は自習。国漢乙・化学あり。未だ〱不足なり。平生の学習の要領悪し。要点把握。午後は滑空訓練にて二回操縦せり。林週番士官殿御注意
一、号令調声・うがい不十分
二、姿勢態度で朝寒そうにする者あり。
三、勅諭奉読が早過ぎる。
四、教室で教官殿を待つ態度悪し。
五、元気はある。
六、欠礼する者多し。注意散漫なり。
等なるも元気は未だ充溢し居らずと思う。もっと〱出さん。良好。


1944-01-16 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十六日 日 晴

父の命日でもあり、又最後の日でもあるので慎重に力一ぱい代数・独逸語を行えり。代数は九〇分間行われ大卒〔おおむね?〕可。一一・二〇終了せり。一・二年は二時間のみ行わる。一二・〇〇昼食し、今日は改正の服装にて外出。二訓は一三・〇〇より一五・〇〇まで生徒監殿・下士官殿をお呼びして愉快に行えり。実に気易くなれり。
森田栄中佐殿(前訓育部長)は孫呉にて負傷陣没されり。御不幸なる部長殿は一昨年の火事以来その責任観念の為になやまれ遂にかくの如き結果となれるものにて、又我等も須くかくあるべしと思えり。嗚乎前部長殿は亦お傷わしきことなりき。そして亦御英霊も草葉の隠にてさぞ御満足の事と拝察す。ご立派なる部長殿なりき。一生忘れず。良好。


1944-01-17 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十七日 月 曇後晴

昨日の如き寒さもせず、午後より霽れ冬らしき感のする日なりき。幾何・代数の成績は古今未曽有の悪き成績なり。勉強不足といわれたり。訓話は運命と死生観、具体的方法として全力傾注・責任完遂にして 勅諭に帰一し奉ることなり。教練は中隊密集なり。卒業に関し噂頻々と立ち人心をまどわしつゝあり。我は早く予科へ行き度し。良好なり。


1944-01-18 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十八日 火 曇

教練、地形地物を利用しての突撃との連繋。気魄が不足と言わる。音楽。剣術は全く不振意気不足なりき。良好。


1944-01-19 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月十九日 水 晴

松浦の命日にして満十ヶ月の今日高千穂丸殉難者川原邦人・松浦伸輔・松尾修の三君の慰霊祭が一四・〇〇より教育総監・参謀総長陸軍大臣の代理の方々の参列を見又御遺族(松浦を除く、いづれも叔父さんと兄さん)の方々の参列の下生集にて厳粛に行われ、ついで殉難者追悼碑除幕式あり。其の後三年のみ生集にて御父兄等と懇談し一七・〇〇終了。三人のありし日を追憶し愈〃米英撃滅の覚悟を新にす。米英撃滅の誓約日なりき。之が誰もの御願なりき。二一・〇〇消灯。愈〃明日より寒稽古なり。良好。


1944-01-20 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十日 木 快晴

〇五・一〇起床。寒稽古。後段柔道なるも左踵の腫物の為見学せり。折も折、いざこれからという時に斯様なことになり残念なり。練兵休となる。午後は映画「海軍」「文化映画」「ニュース」にて一三・三〇―一六・一五なりき。予は閉め切れる中のきたない空気を吸うと頭痛するを癖とす。今日も痛くなりたれば約一時間外に出でたり。宣伝なり。何も感ずる所なし。足の下に丁度出来て運動不自由にて面白からず。


1944-01-21 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十一日 金 曇

前段剣術。前段は暖し。踵切開す。ちくりとしたくらいなりき。児玉司令殿曰く「幼年学校生徒は責任におののかざるべからず」と。良好。


1944-01-22 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十二日 土 雨

朝よりむし暑く、寒稽古の価値低下。午後は路上測図に関して学科。診断の為中途にて出で残念なり。一六・〇〇より杉野舟艇突入隊奮戦の概要を下川生徒監殿より承わりぬ。英気溌剌たる五十三期の中尉の中隊長の奮戦にて攻撃精神・責任完遂の点に於て以て範となすに足る。夕食後学年切磋会にて林生徒監殿より予科の状況を承りて修養の目標となると共に 〔以下空白〕


1944-01-23 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十三日 日 快晴

春の日の如し。後段の剣術。さも心地良げになすを見て予の不幸を慨ぐ。神様へも特に此の事に関し一刻も癒らんことを祈る。已むに已まれず外出、聖戦美術傑作展を見学に行幸坂前へ。何と。写真の如き。兵士の眼光が生きているを先ず感ず。前線を偲ぶと共に画家のうまきに感じ入る。途中足の傷を感ず。正午帰校せり。午後は集会所日曜の一日は実に早し。残すは休日あと二日なり。


1944-01-24 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十四日 月 晴

午後は路上測図にして二時間。裏門より南に向い行く。案外むづかしきものなり。診断にて入室となる。天罰ならん。絶対安静を命ぜらる。休養室はさわがし。然し是も病は気からの原理に基づくものなるべし。
〔この頃から文字やや乱れ気味〕


1944-01-25 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十五日 火 曇

学科不出場。此の時とばがり〔原文ママ〕睡眠を多分に取る。


1944-01-26 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十六日 水 快晴

まつば杖にて学科出場。午後は教練なり。校長閣下の命に依り医務室より集会所の図書を返納す。別に所感なし。午後は田村・二宮と談話。


1944-01-27 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十七日 木 快晴

今日未だ預りなり。嘗て入室中の失野(同寝室)は チブス の疑にて入院せり。踵は相当良く血も出ず。あとは切口のふさがるのみなり。午後は訓育学科及教頭殿の学科が第一自習に行なわる。早く癒らんことをのみ祈る。


1944-01-28 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十八日 金 曇

足も自由になりたれば人並の事をなす。不痛。為に出血多量にて又も医務室預りなり。腕がむずむずする。一刻も早く癒らんことをのみ思うが今日修身は「武士の尚風」にして剛勇の反面に情操・茶精神が巧みに隠みいる。是が今人の武人即ち将校によりうけつがれつゝあるは愉快なり。我亦かくの如き武将を目さん。


1944-01-29 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月二十九日 土 晴

寒稽古も五十五分間の剣術を以て終了。午後は納会で三学班は剣術にては一学班に四名を残して破れ柔道は半分は二学班半分は六学班と行って共に最後にて破れたり。嗚呼無念なり予は出場するを得ず残念。遂に幼年学校最後の寒稽古に全部休み恥ず
運動班会、三年十二寝室にて行わる。三年の奮斗多し、愉快なりき。思えばあと旬日にして熊幼を去る身なり。


1944-01-30 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月三十日 日 晴

午前中は寄書・手紙書に費し、午後は集会所に「あゝ無情」を読む。予は全く書中の人となれり。人生とはかゝるものなりとつく〱感じたり。あらゆる所より振りかゝる難局を打開し情而して愛に一生を捧げてこそ真の人間なりと。我は此の小説に生を感じたり。
〔この当りまで乱れ〕


1944-01-31 [長年日記] この日を編集

[陸幼日記] 一月三十一日 月 晴

独乙語は修身に変更実施されたり。午後は剣術にて軍刀操法・帝国剣道型を修む、予は今日退出し練兵休となれり。予の望む所、之からもり〱やらんと決心す。あと十七日立派な伝統を残すべく
甲体力章を授与せられたり。
矢野は〝パラチブス〟と決定入院す。


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