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1942-10-12 侍従武官御差遣 [長年日記]

[陸幼日記]十月十二日 月 曇

今日こそ誠に光栄の日 意義深き日なりき。何となれば 天皇陛下には我が熊幼に侍従武官を御差遣になられ本校の教育を実視あらせられたるなり。
聖旨

天皇陛下に於かせられては将来国軍の根幹たるべき将校生徒の上に深く大御心を注がせ給い侍従武官を陸軍幼年学校に差遣わし其教育状況を実視せしめらるゝ旨御沙汰あらせらる

之は侍従武官九時半着校の後伝達されたるものにして我々は此の旨を慎んで受け、益〃意を体して本務に邁進せざるべからず。
先ず点呼後大掃除をなし、後冷水にて身も心も清め、晴々しく何時になき心持にて遥拝・奉読をなす。思うに元旦の朝の如き清々しき感にうたれたり。被服其の他すべて皆真新しき物を着用す。術科として二年は鉄棒をなす。それに予は光栄なる哉訓育班十五名の代表として肘掛け上りをなす。嗚呼彼の緊張振りは実に初めてなりき。之というも小学生時代よりなしたる賜と思えば恩師に対し一層感謝の念を忘れざるべからず。引続き本校伝統の精神の発露たるべき棒倒しをなす。会食、十三時御離校になられたり。嗚呼此の日 曩に、李王殿下 梨本宮殿下の御台臨をかたじけのうした以上に我等にとりては光栄の日なりき。明治四十年来の行事とて吾々は一層感激したる次第なり。
結びとして今日は正月の如き、否其以上に清々しさを感じたる日なりき。
御此の日を記念すべく樹を雄健台上に植う。木が益〃繁るが如く。
雨の中を運動会の準備として基本体操・青年体操をなす。
今日より一般に冬袴着用し、今日は随意自習なり。
記念すべき光栄の日一生涯忘れざるべからず。

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