nagajisの日不定記。
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こういうことをやっている割には書くのが遅いという自負がある。ちゃっちゃと書いているように見えるのは幻影だ。0.5mmの誤差で煉瓦を積もうとしているような、無駄な苦労をしながら書いていることが多い。何とか形になっているのは単に時間をかけたせいだろうと思う。
しばらく書かずにいて、わしわし書いてみる気分になった時、書かなかった分だけ書けるかといえば、そんなこともない。休む以前と同様、だらだら書いてはそこここを入れ替え、うまくいったのいかないの、体裁ばかり気にしてちっとも進まない。最初にざっくり書き上げ(例えば言い回しが思いつかない時なんかは空欄にして)、あとでゴテゴテつけていくやり方は、よくないと思うがそういう書き方しかできない。無い頭捻っても仕方がないのだよ>nagajis
書かなければならないことが「しなければならないこと」の1つである以上、常に「しなければならないこと」に追われているようで、気が休まらない。書き終えるまでの時間が読めないからますます先行きが見えない。行き当たりばったりで書いているnagajisは生き方も行き当たりばったりだ。
今日はKINIAS関係の仕事を2つ片付け。未だ1つ大事なことが残ってる。その後CDを発送して、原稿を書いて。先に大台ヶ原にかかるべきだったかも知れない。伯母谷の南を書き始めてずるずる時間が経ってしまった。
伯母谷峠の南の回は都合4度の訪問を● ● ●使わずにごたまぜにして書いてみようかと思っている。特に意味や狙いがあるわけではない。いつも時系列を意識して書いているから、そうでない場合にどんなになるか見てみたいと思うだけだ(が現状ではやはり別れてるな。もっとぐっちゃぐちゃにしてみたいぞ)。最初だけはっきりさせておけば、あとは写真でいつのことかわかるんじゃまいか。そのかわり後半は前回と同じ4/2の出来事がメインになる。
大台OFFは追加資料が届いてからに。これによって結論や方向性が変わるかも知れず。建設側の資料がきっちり残っている(がアクセスしづらいところにある)というのがちとヤキモキする。適当なこと書いて後で大間違いだった、てなこともあるだろうしな。
尾鷲地方は昔から索道の利用が盛んで、例えば又口の辺りだと明治末には既に索道が入っていて、ここで製板された材が尾鷲の港に運び出されていた。中には稜線軌道−索道−稜線軌道−インクラ−平地軌道なんていう複雑極まりない搬出ルートもあったそうだ。そういうのが入ってきていない保証はない。
明日はORJ BEST!(仮)方面を進める。前回せっかく増えたのに続く企画を立てられなかったせいで購読数が元に戻ってしまった。その対策の意味も込めて今年中には出したい。できればカレンダーも作りたいところだが、これはやっぱり取りかかりが遅かったのが致命的だな。今さら作って捌けるのかという危惧がないでもない。
1本200円/3本セットで500円という中巻きが半額になっていたので喜んで買ったら、250円ではなく300円が正しい値段であったらしい。通過したレジの2人がそんなことを言っていた。しかし「まあいいや」はないだろう>レジの人、といってもわざわざ50円払いに行くような律儀な生き物でもないがな、nagajisは。そんな金があったら見切り野菜をも1つ買ってる。
先日出会った茨は強力だった。枝の伸びる方向とは逆向きに2本の鈎、その対面に枝方向へ伸びる鈎がついていて、進めば2本に引っ掛かるし、戻ればもう1本に引っ掛かって、見事に絡め取られてしまう。葉が少ないのもわざとなのだろう。タオルなんかが巻き付いてしまうと二進も三進もいかなくなる。よくできた植物だと思う。そういう棘がある割に、種はエンドウみたいな鞘に入っていて、例えばヌスビトハギやバカチン(と呼んでいたが正式名称は何だろう?)のように絡み付き運ばれることで生育範囲を広げるようなものでもない。無闇に絡まるだけの枝だ。案外いまの自分に似ているような気もする。捉まえてどうするのだ、という。
思ったこと・感じたことを余さず書ける能力がほしい。こうあってほしいというイメージはあっても、到底それに至っていない。いつもどこか足りないような、それでいて一部だけ突出していて人を引っ掻くような、そういうものしか書けていない。気がするではなくそうだと思う。(多分)人のために書いているのではない現状/かといって媚びるものは書きたくない現状、残された目標は「いかに自分の思ったことを文字にするか」だけだ。そういうものが喜んで読んでもらえる筈はなく、自慰的な何かでしかなく、売り上げ減もむべなるかなと思う。以前はもう少し尖ることができた。苦しい暮らしに耐えて書くことに専念できた。今はどうだろうか。ここ数カ月で急激に年を取ったと思うと書いたのは畢竟その辺りの気力の衰えに起因するものだと思う(目標に到達したからでは決して無い)。いずれ行き詰まることは自明の道を無理繰り切り開いて進んできた、その反動だ。
こういう時は無理してでも苦労したほうが良いのかも知れない。次に現れるかも知れない些細な喜びを期待しつつ、苦労を重ねていくしかない。喜びが些細であればあるほど苦労を重くする必要がある。ヒモを引っ張れば明りが灯るような、そんな劇的な変化など人生にあるはずがなく、峠道を登り詰めるのと同じで、一歩一歩を確かに歩んでいかねばならないのだろう。人生の曲り角を曲れば相も変わらずの廃道。出会う切取工や石垣に心を震わせ、お地蔵様の笑顔に癒され、ふいに開けた展望に驚き、道端の空き缶に刻を想い。そういう些細な出会いに一喜一憂しながら歩む人生。そこにまで同行の志を求める必要はあるまい。
積んでは崩し、崩しては積みの賽の河原石としての奇妙なポテンシャル。
とあるガソリンスタンドにて。物に値段を付けるという行為、およびその物品を売込もうとすることの難しさを見事に体現している看板。あまりに没日常な体裁をしているが故に気になってしまった時の揺り戻しは大きい。
言葉を読む限りではなるほどと思い、細分化されたモデルケースとそれ相応の商品名に自分のあてはまるものを考えてしまいがちだと思うが、車を持たないわが身はかえって冷静に分析することができる。下に行くほど高級になる割には脈絡のない粘度表示(ずっと型番みたようなものだと思っていた)がconfuseを加速する。適当に混ぜてみたら燃費のよさげなものができとりあえず高値で売ろうということになってそれっぽい名前を付けただけのようにも思えてくる。何より解せないのは同じ粘度表記の10W-30に2倍近い価格差があることだ。流体としての特性が一緒ならばどれも同じなのではないのか。
そうこうしているうちに、本来ならばケチをつけるべきではないモデルケース表記にも目くじらが立ってきた。「燃費をよくしたい方へ」「もっともっと燃費をよくしたい方へ」という表現には、実は根拠のある差異を見出せない。あまりにも主観に過ぎるというものだ。そもそも「ロープライスを第一に考える」=「経済性を大切にしている」ではないのか。大切にしている、というところで差をつけたつもりなのだろうが、この何とでも取れる嫌らしい言い回しは大嫌いだ。最高級品の2,415円/Lオイルに至ってはちょっとそれは投げやりではないかとイチャモンをつけたくなる。輸入車やスポーティーカーに乗っていてめちゃめちゃ走りが好きで無い人って、いるんだろうか。それともあれか、暴走族みたいな人間をターゲットにしているというのか。
つらつら眺めているうちに、決定的な「尻尾」を捉まえた。上から2番目のSLと下から2番目のゼブロCEは全く同じものだ。ただ単に商品名が違うだけで、粘度も効能も全く同じじゃないか。きっと缶が違うだけで中身は一緒に違い無いぞ。色も匂いも、味だって一緒に違いないぞ。
そうこうしているうちに1つだけ「SM」であることにまで気になり出した。「ツーリングSL」「ユーロプラスSL」「レーシングSL」のなかにあって唯一のSMたる「マイルステージSM」。購買ターゲットは「燃費をよくしたい方」。ぞんざいな書き方がいかにも手抜きだが、このラインナップのなかにあってはかえって素直なものにも思えた。
買うならこれだ! 俺に相応しいオイルはマイルステージSMだ! と思った所で車を持たない現実に返った。給油を終えたFさんの車がガソリンスタンドを離れてゆく。Fさん曰く「オイルℓ数百円の差やったら燃費で吸収できるんちゃうん?」。ごもっとも。
暇だから書いてるんじゃないからな。することが他にないだけだ。
>暇だから書いてるんじゃないからな。することが他にないだけだ。 <br><br>そんなトコロに共通点めいたものを感じたりする(笑