nagajisの日不定記。
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先々週に終日郊外訓育ありたるため、今日は水曜日の授業ありたり。午後体操の際「肘カケ上リ」上り嬉し。此に於て訓育の際には、平常ならぬ物も出来る事をおぼえたり。剣術は第一試合教修〔習〕あり。又随意運動時も道場をあばれまわり鍛う。明日をひかえて二十時三十分消灯
朝の南風は何時となく西に変り、剰え雨を増し刻々と寒くなりぬ。
午後は消防演習にして、その後物理授業・運動班運動として、球戦あり。平凡なる日。酒保販売の状況は下劣の下劣なり。特に己人的にならざること等注意あり。高潔なる品性を必要とする我等にとり、これ程恥ずることなし。特に上級生の立場として切磋すべし。
穴が鼻が詰まる。咳が出る。しんどい。麓まで降り安堵したところで緊張が切れたのか。でも熱はないようだ。煙草の吸い杉という説もある。
過般の修正が一時しのぎに過ぎなかったのと今後の対応を容易にするために抜本的に修正した。個々のプログラムでmb_send_mailしていたのを止め共通ライブラリにphpmailerによるメール送信+アドレス判定してSMTPを切り替える関数を入れて一元管理することに。
Subjectが文字化けするバグに悩まされたが誰もが通る道だったらしい。問題はmb_encode_mimeheaderかmb_convert_encodingにあるようで、その前後でmb_internal_encodingをISO-2022-JP指定しておけばOK。送信元によってnagajis/受付を切り替えたりなどしていたら以前よりも肥大化してしまったような気がする。まあいいか。不要になった$headerは頃合をみて削除するの助。
こういうことをやっている割には書くのが遅いという自負がある。ちゃっちゃと書いているように見えるのは幻影だ。0.5mmの誤差で煉瓦を積もうとしているような、無駄な苦労をしながら書いていることが多い。何とか形になっているのは単に時間をかけたせいだろうと思う。
しばらく書かずにいて、わしわし書いてみる気分になった時、書かなかった分だけ書けるかといえば、そんなこともない。休む以前と同様、だらだら書いてはそこここを入れ替え、うまくいったのいかないの、体裁ばかり気にしてちっとも進まない。最初にざっくり書き上げ(例えば言い回しが思いつかない時なんかは空欄にして)、あとでゴテゴテつけていくやり方は、よくないと思うがそういう書き方しかできない。無い頭捻っても仕方がないのだよ>nagajis
書かなければならないことが「しなければならないこと」の1つである以上、常に「しなければならないこと」に追われているようで、気が休まらない。書き終えるまでの時間が読めないからますます先行きが見えない。行き当たりばったりで書いているnagajisは生き方も行き当たりばったりだ。
今日はKINIAS関係の仕事を2つ片付け。未だ1つ大事なことが残ってる。その後CDを発送して、原稿を書いて。先に大台ヶ原にかかるべきだったかも知れない。伯母谷の南を書き始めてずるずる時間が経ってしまった。
伯母谷峠の南の回は都合4度の訪問を● ● ●使わずにごたまぜにして書いてみようかと思っている。特に意味や狙いがあるわけではない。いつも時系列を意識して書いているから、そうでない場合にどんなになるか見てみたいと思うだけだ(が現状ではやはり別れてるな。もっとぐっちゃぐちゃにしてみたいぞ)。最初だけはっきりさせておけば、あとは写真でいつのことかわかるんじゃまいか。そのかわり後半は前回と同じ4/2の出来事がメインになる。
大台OFFは追加資料が届いてからに。これによって結論や方向性が変わるかも知れず。建設側の資料がきっちり残っている(がアクセスしづらいところにある)というのがちとヤキモキする。適当なこと書いて後で大間違いだった、てなこともあるだろうしな。
尾鷲地方は昔から索道の利用が盛んで、例えば又口の辺りだと明治末には既に索道が入っていて、ここで製板された材が尾鷲の港に運び出されていた。中には稜線軌道−索道−稜線軌道−インクラ−平地軌道なんていう複雑極まりない搬出ルートもあったそうだ。そういうのが入ってきていない保証はない。
明日はORJ BEST!(仮)方面を進める。前回せっかく増えたのに続く企画を立てられなかったせいで購読数が元に戻ってしまった。その対策の意味も込めて今年中には出したい。できればカレンダーも作りたいところだが、これはやっぱり取りかかりが遅かったのが致命的だな。今さら作って捌けるのかという危惧がないでもない。
1本200円/3本セットで500円という中巻きが半額になっていたので喜んで買ったら、250円ではなく300円が正しい値段であったらしい。通過したレジの2人がそんなことを言っていた。しかし「まあいいや」はないだろう>レジの人、といってもわざわざ50円払いに行くような律儀な生き物でもないがな、nagajisは。そんな金があったら見切り野菜をも1つ買ってる。
先日出会った茨は強力だった。枝の伸びる方向とは逆向きに2本の鈎、その対面に枝方向へ伸びる鈎がついていて、進めば2本に引っ掛かるし、戻ればもう1本に引っ掛かって、見事に絡め取られてしまう。葉が少ないのもわざとなのだろう。タオルなんかが巻き付いてしまうと二進も三進もいかなくなる。よくできた植物だと思う。そういう棘がある割に、種はエンドウみたいな鞘に入っていて、例えばヌスビトハギやバカチン(と呼んでいたが正式名称は何だろう?)のように絡み付き運ばれることで生育範囲を広げるようなものでもない。無闇に絡まるだけの枝だ。案外いまの自分に似ているような気もする。捉まえてどうするのだ、という。
思ったこと・感じたことを余さず書ける能力がほしい。こうあってほしいというイメージはあっても、到底それに至っていない。いつもどこか足りないような、それでいて一部だけ突出していて人を引っ掻くような、そういうものしか書けていない。気がするではなくそうだと思う。(多分)人のために書いているのではない現状/かといって媚びるものは書きたくない現状、残された目標は「いかに自分の思ったことを文字にするか」だけだ。そういうものが喜んで読んでもらえる筈はなく、自慰的な何かでしかなく、売り上げ減もむべなるかなと思う。以前はもう少し尖ることができた。苦しい暮らしに耐えて書くことに専念できた。今はどうだろうか。ここ数カ月で急激に年を取ったと思うと書いたのは畢竟その辺りの気力の衰えに起因するものだと思う(目標に到達したからでは決して無い)。いずれ行き詰まることは自明の道を無理繰り切り開いて進んできた、その反動だ。
こういう時は無理してでも苦労したほうが良いのかも知れない。次に現れるかも知れない些細な喜びを期待しつつ、苦労を重ねていくしかない。喜びが些細であればあるほど苦労を重くする必要がある。ヒモを引っ張れば明りが灯るような、そんな劇的な変化など人生にあるはずがなく、峠道を登り詰めるのと同じで、一歩一歩を確かに歩んでいかねばならないのだろう。人生の曲り角を曲れば相も変わらずの廃道。出会う切取工や石垣に心を震わせ、お地蔵様の笑顔に癒され、ふいに開けた展望に驚き、道端の空き缶に刻を想い。そういう些細な出会いに一喜一憂しながら歩む人生。そこにまで同行の志を求める必要はあるまい。
積んでは崩し、崩しては積みの賽の河原石としての奇妙なポテンシャル。
とあるガソリンスタンドにて。物に値段を付けるという行為、およびその物品を売込もうとすることの難しさを見事に体現している看板。あまりに没日常な体裁をしているが故に気になってしまった時の揺り戻しは大きい。
言葉を読む限りではなるほどと思い、細分化されたモデルケースとそれ相応の商品名に自分のあてはまるものを考えてしまいがちだと思うが、車を持たないわが身はかえって冷静に分析することができる。下に行くほど高級になる割には脈絡のない粘度表示(ずっと型番みたようなものだと思っていた)がconfuseを加速する。適当に混ぜてみたら燃費のよさげなものができとりあえず高値で売ろうということになってそれっぽい名前を付けただけのようにも思えてくる。何より解せないのは同じ粘度表記の10W-30に2倍近い価格差があることだ。流体としての特性が一緒ならばどれも同じなのではないのか。
そうこうしているうちに、本来ならばケチをつけるべきではないモデルケース表記にも目くじらが立ってきた。「燃費をよくしたい方へ」「もっともっと燃費をよくしたい方へ」という表現には、実は根拠のある差異を見出せない。あまりにも主観に過ぎるというものだ。そもそも「ロープライスを第一に考える」=「経済性を大切にしている」ではないのか。大切にしている、というところで差をつけたつもりなのだろうが、この何とでも取れる嫌らしい言い回しは大嫌いだ。最高級品の2,415円/Lオイルに至ってはちょっとそれは投げやりではないかとイチャモンをつけたくなる。輸入車やスポーティーカーに乗っていてめちゃめちゃ走りが好きで無い人って、いるんだろうか。それともあれか、暴走族みたいな人間をターゲットにしているというのか。
つらつら眺めているうちに、決定的な「尻尾」を捉まえた。上から2番目のSLと下から2番目のゼブロCEは全く同じものだ。ただ単に商品名が違うだけで、粘度も効能も全く同じじゃないか。きっと缶が違うだけで中身は一緒に違い無いぞ。色も匂いも、味だって一緒に違いないぞ。
そうこうしているうちに1つだけ「SM」であることにまで気になり出した。「ツーリングSL」「ユーロプラスSL」「レーシングSL」のなかにあって唯一のSMたる「マイルステージSM」。購買ターゲットは「燃費をよくしたい方」。ぞんざいな書き方がいかにも手抜きだが、このラインナップのなかにあってはかえって素直なものにも思えた。
買うならこれだ! 俺に相応しいオイルはマイルステージSMだ! と思った所で車を持たない現実に返った。給油を終えたFさんの車がガソリンスタンドを離れてゆく。Fさん曰く「オイルℓ数百円の差やったら燃費で吸収できるんちゃうん?」。ごもっとも。
暇だから書いてるんじゃないからな。することが他にないだけだ。
なんだか胃の調子が悪い。間欠泉のごとくに思い出したようにムグッと来る。そのせいで食欲も沸かない。うんこして直すしかないのか。
この気持ち悪さは胃ではないのかも知れぬ。大腸がぐりゅぐりゅ鳴ったら少しはマシになった気がする。
自分だけに通用する特異な自照を得意気に語る、いわゆる「俺って異端?( フフッ」な発言は嫌われる。それがよくわかっているからよく使うのである。普通であることがどんなに幸せで大変なことかわかってないだろ、なあnagajis。
しかし胃腸炎だとわかったところで飲む薬もないしなあ。葛根湯でも飲んでおくか。
似たようなアレで「世の中についていけない」という愚痴がある。「ブームが嫌い」とか。振り返ってみると、生まれてこのかた乗ったビックウェーブといえばファミコンとネットくらいじゃないだろうか。服装も趣味もマンガも2chも携帯も、剰え社会通念道徳観さえ無関心で通してきた。そういう人間が社会に対して物申すなどちゃんちゃら可笑しいではないか。新しいmovementなんて起こせるわけがないし、仮にそうなったとして、さてそこからどうしようというのか。お山の大将にでもなってみるかい?>nagajis
そうわかっているから、社会の最低辺の隅っこで誰にも理解されない言語でガアガアがなっているだけの現況が、自分には相応しいと思う。そうして誰にも相手にされないまま、綺羅星の燃え残りカスから主星の元素構成を導出したり、祭りの跡に漂う香の薫とか踏み潰されたスイカの皮の数を書き留めて賑わいぶりを想像するような役回りが似合っている。粗大ゴミの日に捨てられたガラクタを拾い集めて再構築して使える何かを作ってみるほうが楽しい。例えそれが自分にしか通用しない面白さであってもだ。
うーむ。発行直前はやめてぇと言いたいところだが、天川村は外せないのだよな。しかも1日で終わるわけがないという。このタイミングで参加募集・泊まり込み調査をするつもりだったのだが、果たしてどうなるか。果たしてどうするか。
つか13日は木曜日じゃん。絡めるの不可能じゃん。といま気づいた。
多分iOSも同様。画像やwebを見ながらその内容をメモすることができない。ビューア・ブラウザとエディタもしくはメモアプリが同じ画面に出せたらどれだけ捗ることか。仕組み的に不可能なんだろうけど。。。
奈良県立図書情報館蔵公文書「架空鉄索道台帳」(http://opacsvr02.library.pref.nara.jp/mylimedio/dl/page.do?bookid=100289410&tocid=0&page=4&pageseq=4)より。
名称
- 洞川電気索道株式会社
- 願人住所・氏名
- 奈良県下市町 発起人 永田藤兵衛外廿四名
- (現)洞川電気索道株式会社 社長 永田藤兵衛
- 起終点及経過地
- 本 起点 吉野郡天川村大字洞川 終点 吉野郡下市町大字下市
- (廃止)支線 起点 現道停車場 黒滝村笠木駅 終点 吉野郡宗桧村大字西日裏
- 延長線 起点 現道終点 下市町ヨリ 終点 吉野鉄道下市口駅迄
- 経過地 天川村中越、川合、宗桧村勢井、黒滝村笠木、桂原、丹生、長瀬、秋野村□□,□,下市町善城
- 出願年月日
- 本 大正元年十月四日
- 支 大正五年六月十二日
- 延 大正六年三月二十九日
- 資本金
- 弐拾壱万五千円
- (現)弐拾五万円
- 事業目的
- 一般貨物運搬
- 原動力
- 電気
- 延長
- 本 十二哩十三鎖
- 延 七千七百七尺
- 支 二哩八二
- 幅員
- 一分間速力三〇〇尺(本延)一分間二〇〇尺(支)
- □□索條 四分ノ三吋(本延) 二吋八分ノ三(支)
- 許可又は処分年月日
- (本)大正元年十二月二十一日許可
- (支)大正五年七月二十八日許可
- (延)大正六年四月十三日許可
- 備考
- 本 大正三年一月二十五日 工事着手
- 〃 四年二月十一日 検査申請
- 〃 四年二月十一日 全線竣成
- 〃 四年二月十二日 事業開始
- 支 大正五年十月一日 工事着手
- 〃 六年二月十八日 検査申請
- 〃 〃 三月二十日 竣成
- 〃 〃 三月二十二日 開始
- 延 大正六年七月三日 工事着手
- 〃 〃 十一月二十八日 検査申請
- 〃 〃 十二月二十二日 竣成
- 〃 〃 〃 開始許可
- 会社存(立期限?) 三十ヶ年
- 大正元年十月四日
- 架空鉄索道□□(申請?)書提出
- 大正元年十二月十九日
- 発起人追加
- 大正元年十二月二十一日
- 索道架設許可
- 大正弐年一月八日
- 会社成立届出
- 大正弐年四月五日
- 工事着手延期願書提出
- 大正弐年六月十八日
- 索道工事着手認可
- 大正弐年十二月二十七日
- 工事着手認可
- 大正三年十一月十四日
- 認可申請書一部変更許可申請
- 大正四年二月十一日
- 検査申請
- 大正四年二月十二日
- 完成、事業開始
- 支 大正五年六月十二日
- 索道支線架設出願
- 大正五年七月二十八日
- 許可
- 大正六年二月十八日
- 竣成検査申請
- 大正六年三月二十二日
- 事業開始許可
- 延 大正六年三月二十九日
- 延長線架設出願
- 大正四年四月十七日
- 工事認可申請
- 大正四年六月十六日
- 認可
- 大正六年七月五日
- 工事着手
- 大正六年十一月二十八日
- 検査申請
- 大正六年十二月二十一日
- 許可
- 大正八年二月五日
- 軌道敷設出願 起点 吉野郡天川村川合、宗桧村、黒滝村、秋野村ヲ経テ下市町ニ至ル
- 大正八年七月十二日
- 申請書通達
- 大正八年十一月二十一日
- 支線(川股線)廃止
※軌道は大正十年に認可が降りたが一度失効し再提出された。下市〜洞川間は大峯登山電気鉄道と共願になり、同社が成立すれば峯鉄が電索を買収したうえで軌道敷設する計画だった?(天川村史p.283、公文書『大峯電気鉄道一件』を要確認。電索の再申請が通ればそこから買い取る計画だったか。しかし免許が不許可となったため立ち消え)。天川丹生街道の全通は大正3年。索道の優位性は当初から揺らいでいて、早くから軌道への転換を狙っていたようだ。
※虻峠の開通は昭和6年。昭和9年に撤去。
※支線は川股鉱山への連絡線。工事申請は延長線のほうが早いが、それよりも先に川股線のほうが開通している。
吉野郡史料も参照のこと。永田藤兵衛は吉野銀行頭取。
※1/4t積みの玉村式単線索道(玉村工務所架設)。次いで坂下索道(尾鷲索道)、北山索道。
目が回る。こなす自信が那須。
とかいいながらそれ以外のことに手を出すのは逃避行動と呼ばれる減少である。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801849/15
出典「明治十年内国勧業博覧会出品目録. 2」。第一回内国勧業云々で検索しても引っかからない罠。
煉瓦は第二区第二類に出品されている。大阪府は府庁出品で「(一)土、並型、大坂難波新地六番町勧業場田中平七石本力松高松種次郎(二)扇子地紙形(三)撥形」とある。並型、異形扇形、異形くさび形。
公評もはっけん。褒状授与。龍紋、鳳紋、花紋の賞牌ではなかったようだが一応褒められておるぞ。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801856/9
東京府はこちら http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801848/52
公評 みな褒状 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801856/74
内務省警視局・懲役人三人も褒状 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801856/8
「体系」にあった詳細な記述はどこへいったのか。見当たらない。
25日:午前中は煉瓦を探して市街をうろうろ。東京という街に対して抱いていた先入観を払拭できる程度には煉瓦を見つけられた。午後はガクシカイカンで他人様の迷惑を顧みずきっかり1:30しゃべり続け。まったく迷惑な存在である。そうして上の写真を取りつつ御茶ノ水のホテルに向かって、何故か本郷の上水道施設まで行ってしまったがまあ引き返して御茶ノ水北に泊まった。あれ絶対エアコンのリモコン用意し忘れてるぜ。暖房が入れられなくて寒い寒い思いをした。
26日:午後からMさんが新永間高架や荒川区の煉瓦建造物などを案内して下さった。新橋待ち合わせだというのに新宿ヘ行ってしまい(だいいち新永間高架なんだから新橋に決まっておるだろうが馬鹿nagajis)Mさんの貴重な時間をムダにするという悪行を働いてしまう。そんなやつは業火に投げ込まれ焼かれるべきである。
東京は以前よりも数段きれいになっている印象。どんな細い路地でも吸い殻一つ落ちてねえ。公共の場での喫煙が禁止されたのが大きいんだろうが、そのことよりもむしろ住民がそれを律儀に守っているらしいのに驚く。大阪で同じ事やっても絶対そうはならない。その辺りはさすが日本の首都の住民、と敬服する。上野のお花見とか渋谷の騒ぎのあとのゴミの山が事あるごとに出回るのも自然とうなづかれたことだ。普段はゴミひとつ落ちてないのだから、ゴミの放置ということ自体が珍しい事象であるから人々は撮るのだ。
福知山線武田尾駅なんか、土日祝の夜はこれがデフォルトなのだ。当たり前すぎて誰も撮ろうと思わないだけで、同じかそれ以上の惨状はここにもある。(別に東京の肩を持つわけではない。多少なりとも偏見を持っていたことに気付かされたのでその反省のつもりで書いておる)
山手線の沿線でも大正昭和初期の煉瓦をみつけられることを確認した。聞かされていたごとく大変均一な断面をしている。機械成形のささくれの入った煉瓦で歪みも大きかったから戦前戦後くらいのふるさのものだろうと思うがまこと砂粒一つも見当たらない(それは言い過ぎか。大阪は風化花崗岩の成れの果ての赤土を使うので石英質の石粒が入る。関東は所謂関東ローム層だからまこと均質な土である)。でも強度は関西の煉瓦のほうが上だったというから不思議なものだ。金町製瓦の煉瓦はヒビ入ってから割れるまでが一瞬。大阪煉瓦は若干粘ってから割れる。
小判型に「T.B」は東京煉瓦株式会社のものらしい、と「煉瓦のある風景—あらかわの近代建築と煉瓦産業—」には書かれてあった。途中で他工場を買収して移っているのでいつの時期のものとはいいづらいが最初の工場はM36に鳥井庄右衛門が始めている。鳥井はのちにタイル製造のほうで有名になってたはずの人。他工場買収はT6だったかT8だったか。そうして昭和初期の通覧ではもう出てこなかったはずあ、嘘書いた、S14までは少なくとも居る。S22版で消えてるんだ。とうろ覚えを立て続ける。
日本煉瓦製造の「日本」刻印。歩いた範囲でよく見られた古い煉瓦は古くても機械成形で、なにしろ日本煉瓦製造はM21創業時から機械成形だったし、その影響で各工場とも早い段階から機械を導入している。日本煉瓦製造のは特に小口長手の仕上げが丁寧で、そこだけ見ると近年の製品かと見紛うばかり。ぬめーっとした質感。しかし平には特徴的なささくれ立ちがあって、そういうささくれ平に「日本」刻印が押されてあるものをいくつか検出した。金町製瓦のもささくれ立っていたが小口長手の平滑さが及ばないカンジ。ああしまった! 佐藤病院の金町の壁撮ってねえ!
歩きながら、街の雰囲気と煉瓦の量とを積分して、大阪だったらどこと似ているだろうと考えた。神保町の辺りは堀江が一番近いだろうか。雑居ビルが連なっていて、その間に時おり住宅が挟まっていて、なおかつ稀に古煉瓦を見る。検出頻度的には随分近い。ただ堀江のほうが明らかに古い。堀江の更改をもう20年遅らせたら神保町の駅北の辺りか。中崎町ほどの古さで煉瓦も多いような場所はなさげ。住宅街に不意に紛れ込んでいる2,3個を発見するというパターンは、どっかで経験しているはずなのだけれど。
むしろ微分、gradで考えるべきか。発達した市街地の中にぽつんと残された古い建物、古いブロックに向かって、古煉瓦が寄せ集められていく。わずかでもそういう古区画がありさえすれば。荒川区とか足立区なんかはフィールドワークに最適だと思うのだけれど。あるいはMさんが勧めてくださった樋口一葉旧家の辺りなどどうだろう。明治まで遡ると&保存が進んでいるとかえって瓦礫たる煉瓦は排除されてしまっているかも知れぬ。要するに探してみようという発想としつこく探す根気さえあれば見つけられぬことはあるまい。そうして都心がそうなのだから名古屋辺りでも十分に可能性はあるような気がする。西尾市などは格好の渉猟区ではなかろうか。
情報のUIとしてはあまり宜しくない例である。縦に読んでしまうと「シャラキ・・・?」となるし(あるいは今風に間違えて「夏ツ」から読み始めてしまうやも知れぬ)、横に読めば夏の別名がシャラになってしまう。伝えたいことをたくさん抱え込んでいて、なんとかしてそれを伝えたいのだ、という思いは伝わってくるけれどもしかし、その試みは残念がら失敗に終わっていると言わざるを得ぬ。頭が俐いひとが陥りがちな陥穽である。と陥穽覚えたての人がそういうのだから間違いない。
そういうケチをつけるのは簡単で、そこで終わるようではPs求道者を名乗ることができぬ。というわけでいろいろ考えてみたのだがやはり上手い解決方法がない。3つの枠に「夏ツバキ」という4文字、あるいは「別名シャラ」という5文字を無理なく収めようとするのがそもそも間違なのかも知れぬ。例えば「夏」「ツバ」「キ」と区切ってしまえば「ツバ」が「唾」を連想させて街路にはふさわしくない。「夏」「ツ」「バキ」としてしまえば格闘漫画か真空魔法になってしまう。そうなると「夏ツ」「バ」「キ」とするほかないが、何だ最初と変わらないではないか、ということになる。
だから結論としては「3枚パネル」であることに元凶があるのであって「4枚パネル」もしくは「2枚パネル」で設計すべきであっただろうということになる。そう2枚パネルなら「夏ツ」「バキ」/「別名」「シャラ」となって、前者は多少余計を連想させるが後者などいい収まりではないだろうか。
以上のようなことを考えたあと坂道を下って行ったら、次に出てきた3枚パネルが
これだったことにむしろ奇妙なポテンシャルを感じたのだった。マガン。マガン。マガン。マガンのリフレイン。何故そこまでマガン推しなのだろう。(それは後ほど不忍池を通った時に理解された)
さらにその次にあった3枚にも追い打ちをかけられたのだが残念ながら写真を撮っていない。人通りの多い狭い舗道で立ち止まって物珍しそうに写真を撮っている姿が我ながら田舎者臭く邪魔臭く思われたからである。そうして多分それは写真で見せないと伝わらない。ここで言葉で解説するにはnagajisの文章力が役足らずである。
そういやそもそもこのパネル、なんで三枚綴りなんだろうな。歩道脇の樹木のところにあったから、成長して根が上がってきた時に外せるよう用心しているのかも知れぬが、だったらなおさら3枚に拘る必要はあるまい。まあそのお陰で奇妙なポテンシャルを感じさせられたわけだけれどもさ。
_ あきら@大阪 [>暇だから書いてるんじゃないからな。することが他にないだけだ。 そんなトコロに共通点めいたものを感じたりする(笑]