nagajisの日不定記。
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例によって唐突だが“三谷事””目黒事”“梅原事”等の言葉をご存知な方、どこかで見聞きされた方、おられまいか。明治から大正頃にかけて、横浜の土木請負業のなかで使われていた、なんらかのグループを指す言葉あるいは役職名のようなもの、らしいのだが。
事の発端は奥山田隧道群。京都府宇治田原町に明治45年に作られたこの隧道群は、建設にあたって横浜から青木市太郎という人物が招かれ、隧道の設計や工事監督をしたのだという。現存する第三隧道のポータルに次のような銘板がはめられている。
横浜市浅間町
三谷事 青木市太郎
この“三谷事”というのが何をさすものなのかがわからない。知りたい。
廃道本を書く時に、横浜市教育委員会さんにお尋ねした。その質問が横浜市中央図書館へ回って、そこでかなり詳しく調べて下さったのだが、それでもはっきりしたことがわからずじまいだった。
・『横浜土木業組合規約 大正14年』 『横浜土木業組合規約 大正15年』 『組合規約及び組合員名簿 大正15年』、などに記載されている会員名簿に“三谷事””目黒事”“梅原事”等の肩書き?がついた名前が載っている
・屋号や社名のようなものではない(そういう会社はない)
ということらしい。今日も横浜の2、3の博物館に問い合わせてみたがわからずじまい。何なのかこれ。すごく気になる。
ひょっとしたら請負業の孫受け以下のグループか何かなのだろうか。土木請負といった時、当時は藤田組だとか鹿島組だとか間組だとかの大手請負業者がいて、そのへんまでは辿りやすいのだけれども、その請負業者に雇われた者々の消息となると、掴みどころがない。日本鉄道請負業史とかパラパラ読んでみたが該当しそうなものがない。そもそもそういう体系だった本じゃなかった>請負業史。時間をかけてじっくり読んで、ようやく断片が拾えるタイプの本だ(自分の今の疑問を解くにあたっては特に)
で、以降どこかでこの質問をするとココがヒットしてしまうハズ。いま時点でこのワードがワードの文脈で使われているページは(googlableな範囲においては)存在しない。この間も市立図書館で大正4年の土木疑獄@大阪のことを尋ねたらココがあがってきて苦笑した。全日本的興味の範囲の外にばかり志向が指向しているnagajisは哀れである。
日本鉄道請負業史を読んでいて面白い事を知った。高島易断の創始者・高島嘉右衛門は横浜−新橋間の鉄道建設を請負ってる。
とさも新発見のごとくに書いてしまったがきっと有名な話に違いないぞ。そうに違いないぞ。どこかで「そんなこともシランのかnagajisプギャーAA略」とかなんとか言う会話がなされてるに違いないぞ。なにしろ鉄道の話だからな。
↑↑検索するとorjドメインのページが表示されることはよくありますよ。<br>↑鉄道業界の感覚などわからなくても、内容がしっかりしてれば受け売れてもらえます。でも「興味ない」という態度では受け入れてもらえません。というのがここ1ヶ月ほどに出た私の結論です。<br><br>高島の件、普通のヲタは知らないんじゃないですかね。知ってて貨物駅の名前として、くらいだと思います。希に横浜の貨物線変遷みたいな記事があっても、嘉右衛門については周辺を開発した、みたいにさらりと触れておしまい、程度の存在です。残念(?)ながら。
>木材の買占めや不正取引きで入牢。<br>>事業を易で占ううち本業以上に占いが大当り<br>>財界から退いて呑象と号して高島易断の開祖となる。<br>う〜む。なかなかどうして www<br><br>他のも書き出してみた。<br>目黒事、安波伊三郎事、大野事、平塚事、清水事、辻川事、久保田事、今村事、六間堀事、梅原事、南畑事、安波事、友沼事、高摩事、丑島事、石原事、立林事、長野事、小林事、三谷事<br><br>住所でプロットするとある程度の固まりになりそうだったが、だからなんだって感じでもある。特定の棟梁とかに属する請負親方集団を示す「号」なのか?<br>一つだけある「安波伊三郎事」からすると、人名からくる物と考えるのがマトモ?
おお!ありがとうございます>Bee様。これってどの資料からですか?
横浜市中央図書館>都市横浜の記憶>歴史の森へ<br>横浜土木業組合規約 大正15年2月 <br>ttp://memories.lib.city.yokohama.jp/cats/doc/01/9710005383_web.pdf<br>たぶんお持ちの資料じゃないかな?って思います。<br><br>だけど、、、事って、、、なんだろ?
当方の母の実父(私の祖父)が梅原組の親方で、現在はその孫(私の従兄弟)が横浜市内で土木工事会社を営んでいますよ。ただ祖父は母が18.,9歳の時に亡くなったと聞きましたから、私自身は顔も声も知りませんがね。
横浜土木業組合規約の中の梅原事に祖父の名があります。<br>ちなみに祖父が亡くなったのは昭和15,6年頃です。
訂正 亡くなったのは終戦後 昭和23,4年頃でした。
情報ありがとうございます。ということはやはり「事」=「組」と考えてよいのでしょうね。<br>もし当時のこと(梅原事がどんな仕事をしたのか)などご存じでしたらお教えいただけると助かります。本当は三谷事のことを調べなければならないんですが、手がかりなしの状態です。
亡き母や伯父からなど話によると、梅原組は今の高島交差点辺りの工事を受けていたと聞きました。作業される方は全員ではありませんが無宿人などの方で、飯や小遣い欲しさに訪ねてきては土木作業をやり、しばらくすると組から出て行くなどそうゆう方達が多くいたといいます。祖父が留守の時は祖母が訪ねてきた人を相手にし仁義をきったといいます。現在もその本家の墓の隣には、作業などで亡くなられた彼らのお墓があります。母が幼い頃に祖母が亡くなり祖母の姉の所に養女として出され18歳頃まで祖父を実の親と思っておらず、休みの度に実家へ帰ると使っている人や近所回りから「◯◯お嬢様、お帰りなさい」と言われ、いつも不思議な思いをしていたそうです。ですから母は日常的に一緒には生活しておらず、まだ子どもでしたから組自体の事は深く知らなかったと思いますよ。ただ当時養育費として祖母の姉の所(現在横浜市内の某高級住宅地)に里山ひとつと田畑を買って渡したと聞きましたし、本家の周囲の土地はほとんど買占めたといいますから、結構土木関係の仕事で稼いでいたのではないですかね。
なるほど! 貴重なお話ありがとうございます。大変参考になります。感謝ですー!