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旧道倶樂部録"

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2011-02-19 [長年日記]

[廃道とは] 3

とりとめもなく続ける。廃道はtyafficさんが仰るように過程が楽しめるのが他廃と違うのだろう。両者不可分というべきか、2度おいしいというべきか。うまい例えでないけれどもテレビと似ているところがあると思う。テレビが好きな人は多いだろうが、誰もがテレビの映る仕組みを理解して観ているわけではない。なぜ電波が目に見える形になるのか。ブラウン管やLEDはどうして色がついて見えるのか。番組制作の裏側の苦労は。そういう所に目が行く人は廃道も楽しめるんじゃないか。

歴史を掘り下げるという点では「ロマン」ということばが似つかわしいけれども、そればかりでは飽きてしまう。何も廃道でなければならないわけではない。「北山の峠」に代表されるような(と勝手に代表扱いすると東国の人が怒るだろうが)峠の盛衰を描いた本は数多くある。そこでは徒歩で峠を越えていた時代への憧憬、モータリゼーションの影で失われていく旧文化、自然回帰、みたいなことがよく語られる。というよりもそれしかないように感じられて、かえって食傷を感じる。「日本百名峠」は確かに名著ではあるのだけれども、あなたの憎むその現代社会に、あなたは住んでいるんじゃないですか? と問いかけてしまいたくなる極端な論が多い。嫌ならばどうするか、皮肉る以外に途はないのか。峠本ばかり買い集めて読んでいた頃につくづくそう思った。

「ロマン」の追求は結構だが、度が過ぎると過去に囚われてしまうおそれがある。廃道を楽しむということは、過去を現在に引き寄せて、現在視点で過去を見る、過去と現在がどうつながっているかを考えることに、趣味としての滋味があるのではないか。いや、自然と考えてしまわざるを得ないといったほうがいいか。打ち捨てられた隧道を見ればかつて人や車が通っていたことを思い浮かべるだろう。廃止されてからこの方の経過時間を想像したりもするだろう。廃れてこうなったという「現在」を目の当たりにして、同時並行的に「過去」を見ているということだ。両者がそう遠く離れていない−−−縄文時代の遺跡だとか古墳時代の埴輪だとかに比べれば−−−ところも、彼我の距離を測りやすく、身近なこととして捉えやすい。今に直結する過去だからこそ興味を持てる。

感覚的になってしまったので書きなおす。廃道探索は古きよき時代を懐かしむ趣味ではなく、過去から現在までの経緯を知る趣味なんじゃないか、ということが言いたい。現在の姿を肯定するところから始まって、順に過去へ降りていく結果、今の世の中や、時には自分の来し方を知ることになる。そういう趣味だと。

「峠本」には近代以降今日までの過去が欠けている(ように感じる)。身近すぎて興味の対象にならなかったのか。「わかりきったこと」として省略されたのか。しかしながら、近代以降の歴史のほうがかえってわからないことが多い。整理されていない。技術史なんかは特にそう。どのような構造物がどこに存在しどのような技術で作られたのか、全容解明されたわけでは決してない。今だにねじりまんぽ橋梁が発見されるくらいだ。道路の改修史も個別に当たって資料を付きあわせてようやくおぼろげに見えてくるありさまだ。整理されずに眠ったままの一次資料が数多くあって、誰もそれに手をつけていない。

そんな近現代史を抜きにして道を知ることはできないだろう。鎖の一つが外れているようなものだ。その失われた一こまを探してきて、歴史を繋いで見せる趣味。それが廃道探索。きっとそれは、単に自分が楽しいだけの趣味ではなく、も少し大きな意味のある活動になり得るポテンシャルを持っている。

[廃道とは] 4

廃道は、役目を終えたものだから心安く楽しめるのだと思う。仕事を終えて眠っているターンだから気安く近づけるのだと思う。より便利な道ができて退役した道のほうが後腐れなく楽しめていい。古老の昔語りに耳を傾けるような安心感でもって散策ができる。代替道路もないまま廃れてしまった道、未成道路のような「夢の跡」は見ても歩いても切ない。

本来、より便利に暮らすために作られたものだ。不便なまま使い続けられる道は不幸だし、二所を結ぶ機能からして廃止されたような廃道はもっと不幸だ。そういう不幸を不幸のままで置き去りにしないために、調べて書いて残すことは必要だけれども、微妙に書きづらいところがある。その道を利用した(利用しようとした)人が望んだ結果そうなったのかも知れないし、社会の趨勢上致し方ないこと、必然だとか予定調和だとか書くべき事象であるかも知れない。自分の場合は特にだが、そういう道を書くと単に廃道になったことを惜しむだけになりがちだ。本当にそうなのか? それは現象の一側面を見ているだけに過ぎないのではないか?

林鉄の探索なんかは特にそんなことを思う。林鉄の廃止を惜しむことは簡単なのだけれど、ではトラックよりも不便な軌道を使い続けたほうが良かったのかというと、そうでもないだろう。(たぶんつづく)

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]
_ 渡辺 (2011-02-19 23:55)

永冨さんの廃道に対する捉え方・感性につくづく同感です。「自分の来し方を知ることになる」など正にそうですよ。

_ nagajis (2011-02-21 20:20)

渡辺さんに教えられたようなものですよ・・・

_ 渡辺 (2011-02-21 22:19)

今のところ自分一人で楽しんでいるだけですが、「単に自分が楽しいだけの趣味ではなく、も少し大きな意味のある活動になり得るポテンシャルを持っている」ここまで持っていきたいですね。


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