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2011-09-10 [長年日記]

[独言] 台風12号禍

9/4から出るか9/7からにするかで悩んでいたが,9/3の台風禍で影響がありそうだったので止めておいたのは正解だったと思う.出ていれば電車の遅れがあって予定通りに行かなかったはず.

それはともかく,逃避中に徐々に状況が明らかになってきて,いろいろと思わされるところがあった.H16の台風禍で大台周辺がずたずたになり,その爪痕を見て戦慄することしばしな私だったわけだが,今回の台風でまた紀伊半島がずたずたになって,明治23年水害を彷彿とさせる状況になっている.そういう厳しい土地に人が住むということはとても大変なことだ.ひとたび道路が寸断されると数千人が孤立状態になるという紀伊半島の山奥に,それでも人が住んでいるという現実がある.数億年・数千万年のスパンで考えてみれば,今回のような大雨で何度も何度も崩れて今のような険しい地形になった.道が流されるなんて日常のことだっただろうし,人知れず土砂ダムができて決壊しただろう.そこに恒久的な道をつけても,いつかは必ず流されてしまい,恒久物ではなくなってしまう.土砂ダムができて暮らしが脅かされてしまう.そういう場所に住み続けるということはある種の覚悟がなくてはならないのだろう.三陸海岸,福島沿岸の津波の時もそう思った.

橋が落ちて不通になった国道168号が約1週間で復旧したというのはすごいことだと思う.そう思う一方で報われない作業だなとも思う.崩れることを前提にして作るわけにもいかないし,絶対に崩れない道を作ることも不可能だ.そういう場当たり的な?スクラップ&ビルドの繰り返しが,道の歴史というよりも人の生き様,生活史,生態とでもいうべきものなのかと思う.これを機に紀伊半島はどう変わるだろうか.

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]
_ nyo (2011-09-11 08:08)

お帰りなさい♪<br>私見を。本当は日本という土地に住んでる以上、何処であっても、大なり小なり自然災害と無縁ではいられなかったはずなんですよね、江戸時代頃…いえ、昭和中頃までは。本当は今でもそうなのかも知れません。ただ、昔より土木や情報で守られているので、そのことを忘れがちなだけなんだと思います。<br>逆に三陸…は、度々津波に見舞われる土地柄ではありますが津波の間隔は明治・昭和・今回と一世代程度開いています。福島沿岸に至っては江戸時代の初めまで遡らなければ津波の記録は皆無です。そういうスパンの出来事で、いつ津波に遭って全てを失うか判らない、という覚悟は育つものなのかどうか。持たねばならないものなのかも知れませんが…<br>大雨、あまりの被害の大きさに戦慄しました。被災者の方が早く落ち着いた生活を取り戻されることをお祈りしています。<br>揚げ足を取るようですが、道を取り戻すのは決して「報われない」作業ではないと思います。必要とされているからその速さで復旧したわけですので。<br>平成16年から今回…被害の間隔が短いですよね。いざというときの逃げ場が無い場所に人が住み続けるには、短すぎるように思います。気候変動の影響もあったりするのだろうか、などと思ったりしていました。日本に襲来する台風の個数は減少し、規模は大きくなる…という研究結果もあるようですね。<br>長々失礼致しました。絡んでしまってすみません。

_ nagajis (2011-09-12 08:18)

すみませんね,あんまり深く考えずに書いちゃったのにがっつりツッコミくださって.報われないからやっても意味が無いと思ってるわけではありませんですー.ただ人の暮らしや道なんかが思っていたより儚いものだなあと思った次第です.そういうふうになり得る国に住んでいることを忘れがちだというご指摘は確かにその通りだと思いまする.


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