nagajisの日不定記。
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微妙に収穫がない。九尾堰堤絡み、その増設に伴う第一隧道の増強はわかった。九尾谷からも取水してたのな。どんだけかき集めてるんだという感じ。あと竣工写真が13枚保存されている。これは使えると思う。
大正水電の十津川発電所×2はその流路を確認した。作られなかったのだから一生懸命解読しても仕方ないのかも知れないが、十津川インクラインェ・・・。あれはあの堰堤の前に貯水池をつくって、そこまで引き上げて後は自分で水路に入ってねということであるらしい。考えてみたら下り一方向しか使えないじゃんか、と思ったが当時はそれで十分だな。吉野・樫尾だって筏を下す一方だ。
「十津川第三発電所」には雑多な資料がこれでもかという位に突っ込まれていて解読し切ることができなかった。長殿発電所の直系の祖先計画である天川水電 by 大和水電(これが大正水電の出願図面となっている)、その競願になっていた天川[疎]水の図面。天川水電が大正水電に吸い取られる過程(阪本仙次)。十津川発電所の最初の計画と「第三」発電所の設計図面とそれらと競願の和歌山水田、高野電鉄、あと一つの発電計画の図面(内務省宛図が一番わかりやすい。西吉野の丹生川沿いに大正水力の旧出願水路なるものも記されている)。大正水電に対して猛反発した地元の人々の陳情書は、どれも会社創立前のものなので、電力事業者として正式に創立する前の調整段階から猛反発していたことがわかる。この中で最も印象に残ったのは「最初は納得したが、各地の水電地を視察した結果、その惨憺たる状況を知り反対する(だったかより大きな補償を求めるだったか)」というもの。その最たる惨憺地として挙げられていたのが玖珠郡日田郡であり女子畑発電所であった。だから駒田晋明が視察に行っていたのだ。嗚呼この繋がりを烏賊にせん。
あとは軌道の縦断図を全写。これで路線の全ての桟橋の桟橋と土橋の位置が確定する。といってもほげふががぴげなみょんだからあまり意味がない。もやもやしたときに見て納得するためのものだ。