nagajisの日不定記。
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午前中前日に同じ。体操終了後体寒くなる。映画をもなさずに特別診断をうく。あにはからんや九度三分ありて入室をなす。
正后を以て寝室取締を終了し、取締となる。元気は依然として前日に同じ。午後は剣術を見学、次の銃の手入法も充分ならず遂に右手をもきかなくなりぬ。夕食後集会所に於て四と共に運動班会あり。
昨夜の点呼後の切磋会は特に予が一生忘れ得ぬ切磋会となりたり。神社を参拝し社前に於て行い一同誠意籠りて人の心を貫くが如き米英撃滅に燃えいたり。
三時より眠れず。四時起床、二・三年を指揮し藤崎宮に交換駈歩行い六時半帰校。一年は別なりき。和親に目的あるも一年に無理との故目的を鍛錬に変え駈歩をなしたるなり。夏の朝程爽快なる時はなし。偕行社に多田大尉殿・久保少佐殿(四六)と落ち合い約十五時まで佐倉当時の昔話し等々、色々と父に関しても語りたり。此の御二人の誠心には報いざるべからざる感に打たる。之も父の御蔭と思うと感謝に堪えざるなり。先ず体格を作ること。
十七時より下川生徒監殿の米軍の戦闘作戦につき話あり。それは飽くまで命を惜しみ其の結果科学が発達して物質的威力大なり。夜は早くよし眠し。良好
小学校の頃に流行っていた口合いが、数十年ぶりに口を突いて出た。「太陽にほえろ」のテーマミュージックに乗せてこう歌う。
タラちゃん イクラちゃん ワカメ そして波平さん
子供であった時分は何かにつけてこの歌を歌っていたように思う※。今から遊びに行くぜ! という状況に臨んで「ターッラちゃーん♪」。教室をゆるがす大事件−−−例えば裏山に犬の死骸があったとか、便器から大便が溢れていたとか−−−が報じられた時、その場に駆け付けつつ「イクラちゃーん♪」。ようは「チャーラッチャー♪」が口ずさめればよかっただけであって、「ワーカメー」まで歌った記憶はあまりなく、特に波平氏の出番は殆どなかったようにこ記憶する。歌詞として記憶されながら歌われることの稀であった波平氏の立場。やや哀れである。
あの頃の自分に戻りたいとは思わないし、戻れるとも思ってはいないが、いざ事を起こさんとする時に口ずさみ、気分を高揚させることのできるテーマソングがあったことだけは羨ましく感じられる。今そんなことをすれば単なる変なひとである。そしてそんな口合いを口ずさんでしまった今の自分は変なひとであり、よほど疲れているものと見た。
(※ ちょっとググってみた感じではそれなりに普遍的なものであったようだ。奇妙なポテンシャルとしてはやや低い部類に分類せねばなるまい)
微妙に収穫がない。九尾堰堤絡み、その増設に伴う第一隧道の増強はわかった。九尾谷からも取水してたのな。どんだけかき集めてるんだという感じ。あと竣工写真が13枚保存されている。これは使えると思う。
大正水電の十津川発電所×2はその流路を確認した。作られなかったのだから一生懸命解読しても仕方ないのかも知れないが、十津川インクラインェ・・・。あれはあの堰堤の前に貯水池をつくって、そこまで引き上げて後は自分で水路に入ってねということであるらしい。考えてみたら下り一方向しか使えないじゃんか、と思ったが当時はそれで十分だな。吉野・樫尾だって筏を下す一方だ。
「十津川第三発電所」には雑多な資料がこれでもかという位に突っ込まれていて解読し切ることができなかった。長殿発電所の直系の祖先計画である天川水電 by 大和水電(これが大正水電の出願図面となっている)、その競願になっていた天川[疎]水の図面。天川水電が大正水電に吸い取られる過程(阪本仙次)。十津川発電所の最初の計画と「第三」発電所の設計図面とそれらと競願の和歌山水田、高野電鉄、あと一つの発電計画の図面(内務省宛図が一番わかりやすい。西吉野の丹生川沿いに大正水力の旧出願水路なるものも記されている)。大正水電に対して猛反発した地元の人々の陳情書は、どれも会社創立前のものなので、電力事業者として正式に創立する前の調整段階から猛反発していたことがわかる。この中で最も印象に残ったのは「最初は納得したが、各地の水電地を視察した結果、その惨憺たる状況を知り反対する(だったかより大きな補償を求めるだったか)」というもの。その最たる惨憺地として挙げられていたのが玖珠郡日田郡であり女子畑発電所であった。だから駒田晋明が視察に行っていたのだ。嗚呼この繋がりを烏賊にせん。
あとは軌道の縦断図を全写。これで路線の全ての桟橋の桟橋と土橋の位置が確定する。といってもほげふががぴげなみょんだからあまり意味がない。もやもやしたときに見て納得するためのものだ。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00060448&TYPE=HTML_FILE&POS=1 。大正14年の記事。
山陽窯業>印南郡伊保村中筋・中筋煉瓦株式会社(山本)+飾磨郡四郷村見野・東山工業所(赤藤)とあるが中筋煉瓦ってのは存在しない。=山本窯業所。和田煉瓦は別にあるので中筋工場=山本窯業所=播州煉瓦合同になったはず。
その前に棲森煉瓦が挟まっている(S3)。棲森煉瓦の社長は播州煉瓦合同の所有者と同じ(S4以降)。しかし本工場は曽根。もと中播煉瓦曽根工場。やっぱり全部追わないと無理だな。うんこたっぷりのぱずるだ。
山陽窯業の中筋の工場は中播煉瓦に発祥か。明治28年創業。のちに西神吉村に移る? 印南郡誌 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880087/208 は煉瓦工場パンデミックの前(T2)であまり役に立たず。
発祥だとしたら結局中播から分かれた山陽窯業が元のさやに収まったことになる。東山工業所だけ別になって。しかし「ヲ」ってなんやねん。Amida Brick Company でABCなのはよくわかるが。
曽根町勢要覧 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875475/14 番地が解ってもこまるのである。
兵庫県会社一覧は昭和15年まである。印南郡で検索。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956901/1225
三重県は軒並みわかるのだなあ。悔しいなあ(何が
○全国工場通覧. 昭和7年7月版
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212137/281
中川煉瓦製造所
滋賀県蒲生郡岡山村
明治16年4月
煉瓦
中川市三郎
江州煉瓦株式会社山田工場
滋賀県栗太郡山田村
明治44年6月
煉瓦耐火物
上田元治郎
江州煉瓦株式会社
滋賀県栗太郡物部村
大正7年10月
煉瓦
和歌山煉瓦製造所
和歌山県和歌山市太田
大正5年5月
東京型煉瓦
吉村吉太郎
西村瓦工場
奈良県添上郡帯解町
明治44年2月
煉瓦
西村ハナ
大和煉瓦稲田工場
奈良県添上郡帯解村
大正10年5月
煉瓦
稲田修二
○滋賀県統計全書. 明治19−21年度
湖東組
蒲生郡船木村
明治19年6月
職工3000人、雇人300人(明治21)
収入9800、支出8640
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807255/84
○滋賀県統計全書. 明治22年度
湖東組
煉化石製造
蒲生郡八幡町
明治19年6月
資本金10000、払5900、職13
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807256/123
○滋賀県統計全書. 明治23年度
湖東組
煉化石製造
甲賀郡岡山村大字舟木
明治19年6月
資本金3150、払3150、職115
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807257/126
○滋賀県統計全書. 明治24年度
湖東組
煉化石製造
蒲生郡岡山村大字船木
明治19年6月
資本金5000、払5000、職22
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807258/142
○滋賀県統計全書. 明治25,26年度
湖東組
煉化製造
蒲生郡岡山村大字船木
明治19年6月
資本金4000、払3500、職20
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807259/163
○滋賀県統計全書. 明治30年度
杉本煉瓦製造場
煉化石
甲賀郡寺庄村大字葛木
杉本喜三郎
明治21年1月
職26/10
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807260/112
31年度なし
○滋賀県統計全書. 明治32年度
田中煉瓦製造場
煉化
栗太郡瀬田村大字南大萱
田中宇兵衛
明治17年7月
職15/5
33年度なし
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807263/1
34年度読めず
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807264/92
37年なし
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807267/1
○滋賀県統計全書. 明治38年度
田中煉瓦製造所
職13/3
明治14年7月
栗太郡瀬田村
田中治三郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807268/117
栗太郡3、甲賀郡1,蒲生郡3
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807268/124
○滋賀県統計全書. 明治39年度
田中煉瓦製造所
職10/2、
明治14年7月
栗太郡瀬田村
田中治三郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807269/211
○滋賀県統計全書. 明治40年度
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807270/219
近江煉瓦製造所
職8/6
明治40年8月
栗太郡老上村
堀井半次郎
田中煉瓦製造所
職8/2
明治14年7月
栗太郡瀬田村
田中治三郎
黒川煉瓦工場
職22/-
明治35年5月
栗太郡山田村
黒川梶次郎
○滋賀県統計全書. 明治41年度
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/807271/214
田中煉瓦製造所
職9/2
明治14年7月
栗太郡瀬田村
田中治三郎
黒川製瓦場
職22
明治35年5月
栗太郡山田村
黒川梶次郎
近江煉瓦製造所
職6/7
明治40年9月
栗太郡老上村
堀井半次郎
○工場通覧. 1冊 明治40年12月末日現在
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802717/210
黒川製瓦場
煉瓦
栗太郡山田村
黒川梶次郎
明治35年5月
職22
近江煉瓦製造所
煉瓦石
栗太郡老上村
堀井半次郎
明治40年8月
職8/6
田中煉化製造所
煉化
栗太郡瀬田村
田中治三郎
明治14年7月
職8/2
○工場通覧. 2冊 明治42年12月末日現在
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802718/519
大和煉瓦土管稲田製造本店
煉瓦
添上郡帯解村今市
稲田修治
明治40年8月
職4/3
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/802718/530
市村煉瓦工場
煉瓦
滋賀郡石山村
市村弥兵衛
職10/3
大萱田中煉瓦工場
煉瓦
栗太郡瀬田村字南大萱
田中卯兵衛
明治17年5月
職12/3
中川煉瓦製造工場
煉瓦、耐火煉瓦
蒲生郡岡山村大字船木
中川長九郎
明治18年6月
職18/12
中川工場
煉瓦、耐火煉瓦
甲賀郡水口村字水口
中川喜代松
明治39年7月
職5/2
黒川煉瓦製造所
煉瓦、耐火煉瓦
栗太郡山田村南山田
黒川梶次郎
明治35年5月
職5/2
○大日本商工録 : 公認. 第1輯
稲田修治
添上郡帯解村今市
煉瓦
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956898/510
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956898/529
中川市三郎
蒲生郡岡山村舟木38
煉瓦
黒川梶次郎
滋賀郡膳所町錦?
煉瓦
○工場通覧. 大正8年10月
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931903/386
大和白煉瓦合資会社
耐火煉瓦
北葛飾郡王寺町
代表者 大西馬造
大正5年5月
職13/-
大和煉瓦製造所
煉瓦
添上郡帯解村
稲田修治
明治40年6月
職8/6
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931903/392
大阪窯業株式会社近江工場
煉瓦
栗太郡山田村
大阪窯業株式会社
明治43年12月
職63/14、他1/70馬力
中川煉瓦製造所
煉瓦
蒲生郡岡山村
中川市三郎
明治18年6月
職38/6 他2/52馬力
黒川煉瓦製造所
煉瓦
滋賀郡膳所町
黒川梶次郎
明治42年4月
職19/8,他1/3馬力
楠江煉瓦製造工場
煉瓦
滋賀郡滋賀村
楠江正治郎
大正6年12月
○工場通覧. 大正10年11月
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/931905/445
大阪窯業株式会社近江工場
東京形赤煉瓦
栗太郡山田村
大阪窯業株式会社
明治43年12月
職48/34、他3/73馬力
中川煉瓦製造工場
赤煉瓦
蒲生郡岡本村舟木
中川市三郎
明治18年4月
職33/6、他2/50
江州煉瓦株式会社膳所工場
煉瓦
滋賀郡膳所町
江州煉瓦株式会社
明治42年4月
職28/7、他1/3馬力
江州煉瓦株式会社守山工場
煉瓦
栗太郡物部村
江州煉瓦株式会社
大正7年10月
職33/16、他1/5馬力
○全国工場通覧. 昭和4年末現在
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1027282/348
中川煉瓦製造所
滋賀県蒲生郡岡山村
明治16年4月
普通煉瓦
中川市三郎
江州煉瓦株式会社山田工場
栗太郡山田村
明治44年6月
普通煉瓦
上田元次郎
江州煉瓦株式会社山田工場
栗太郡物部村
大正7年10月
普通煉瓦
上田元次郎
和歌山煉瓦製造所
和歌山県和歌山市太田
大正5年5月
並型煉瓦
吉村吉太郎
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107975/1557
○西村瓦煉瓦製造所
添上郡帯解町中今市
瓦、煉瓦製造
明治44年
西村ハナ
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107975/1536
吉村吉太郎
和歌山太田
紀泉煉瓦株式会社
和歌山橋町4
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1107975/1574
江崎煉瓦株式会社(江州煉瓦)
栗太郡物部村
資本金250000、払全
上田元治郎
中川市三郎
蒲生郡岡山村船木
○全国工場通覧. 昭和9年9月版
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212170/379
和歌山煉瓦製造所
和歌山県和歌山市太田61
大正5年5月
東京形煉瓦
大和煉瓦稲田工場
奈良県添上郡帯解町今市
大正10年5月
煉瓦
稲田修治
中川煉瓦製造業
滋賀県蒲生郡岡山村5
明治16年4月
煉瓦
中川市三郎
江州煉瓦株式会社
栗太郡物部村319
大正7年10月
煉瓦
上田元治郎
江州煉瓦株式会社山田工場
栗太郡山田村
明治44年6月
煉瓦
上田元治郎
○全国工場通覧. 昭和10年版 窯業・印刷製本篇
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1036811/20
和歌山煉瓦製造所
和歌山県和歌山市太田61
大正5年5月
煉瓦
吉村義千代
西村瓦及煉瓦工場
奈良県添上郡帯解町今市
明治44年2月
煉瓦
西村ハナ
大和煉瓦稲田工場
奈良県添上郡帯解町今市
大正10年5月
煉瓦
稲田修治
小島煉瓦工場
奈良県南葛飾郡掖上村柏原
大正3年4月
煉瓦
小島安次郎
中川煉瓦製造所
滋賀県蒲生郡岡山村字船木5
明治16年4月
煉瓦
中川市三郎
江州煉瓦株式会社
栗太郡物部村大字浮気319
大正7年10月
煉瓦
山田元治郎
○全国工場鉱山事業場名簿. 昭和22年
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124365/246
江州煉瓦株式会社
煉瓦製造業
野洲郡守山町大字浮気
山本辰次郎
職84/42
○滋賀県蒲生郡統計撮要. 明治44
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913843/36
中川煉瓦製造場
赤煉瓦
蒲生郡岡山村大字船木
明治18年6月
職7/4 一ヶ年250日、14時間
○近江栗太郡志. 卷參
大正15年刊行
守山煉瓦株式会社
物部村大字浮気、大正7年10月創業、資本金50万円、年生産額1000万個
大阪窯業株式会社近江工場
明治44年3月栗太郡山田村大字南山田の湖畔に工場を設置し煉瓦を製し近江工場と称す、年産額500万個
○窯業銘観大正14年
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1016563/359
煉瓦製造業
中川市三郎
蒲生郡岡山村大字船木
江州煉瓦株式会社
滋賀郡膳所町平田
設立大正7年10月
資本金15万円、払42000円
取締役岡田八十司、同黒川梶次郎、馬杉庄平、薮田勘兵衛、監査役鵜飼重教、同池岡又吉、森勘治
馬川梶次郎
滋賀郡膳所町錦
煉瓦製造業
煉瓦製造業
稲田修治
添上郡帯解町今市
煉瓦製造業
吉野煉瓦株式会社
吉野郡大淀町字下淵
大和窯業株式会社
添上郡帯解村
設立大正8年12月
資本金50万円
払205000円
取締役稲田修治
同稲田幸治、同保田友右衛門、同石黒宇宙、同水戸為美、監査役近江「金+寮」一、同森田四郎兵衛
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1016563/433
煉瓦製造販売
小島保太郎
湊本町□丁目
煉瓦製造業
和歌山窯業株式会社
資本金50万円
海草郡和佐村字岩橋
取締役西本健次郎
各種煉瓦製造
○合資会社川口煉瓦製造所
有田郡湯浅町
○大日本商工録 : 公認. 大正14年版
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956901/1136
播磨煉瓦株式会社
印南郡阿弥陀村
資10万、払五万
西播煉瓦株式会社
神崎郡香呂村
資10万
日本耐火煉瓦株式会社
神戸市栄町2
資100万
加藤耐火煉瓦株式会社
飾磨郡飾磨町細江
資10万
長田煉瓦株式会社
神戸市湊町1
資10万
浪速窯業株式会社
尼崎市大洲村
資15万円
○明石窯業株式会社
明石郡魚住村中尾
機械製土管煉製造
大正6年
資25万円
尼崎窯業株式会社
尼崎市大洲村
資本金14万50円
山陽窯業株式会社
印南郡伊保村
資25万円
関野与平
印南郡曽根町
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956901/1192
和歌山窯業株式会社
海草郡西分佐村
資本金50万円
川口煉瓦製作所(合資)
有田郡湯浅町湯字
資本金10万円
安原煉瓦株式会社
海草郡安原村江南
資本金5万円
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956901/1205
大和窯業株式会社
添上郡帯解村今市
資本金12万5000円
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/956901/1241
江際煉瓦株式会社(江州煉瓦)
滋賀郡膳所町錦
資本金45万円
中川市三郎
蒲生郡岡山村船木
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780109/161
日本全国諸会社役員録. 明治27年 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780112/170
よほど慎重に、おそらくほぼ生状態のオナマに「ぽそっ」と押したのだろうと思う。 すばらすく繊細で明瞭な刻印である。結構適当に拓ったのだが、一発目でこんだけ出るのなら練習のしがいがあるというものだ。
府庁発掘調査報告書では書体に微妙なバリエーションがあると書かれてあった。そりゃそうだ、複数人でやらないと(=複数ハンコを用意しとかないと)おっつかないだろ。
胸糞悪い思いをしてふと思ったのだが「胸糞悪い」は何故「糞」まで悪い物扱いしているのだろう。腹立ち紛れないやり場のない怒り憤りを胸に感じた時に「胸糞悪い」とはいうけれども別に「糞」が悪さをしているわけでもなく便は常に下腹部にある。歯垢を歯糞耳垢を耳糞というが如くに胸に支えたモヤモヤしたものを糞に見立てているのやも知れぬがやはりそれを「悪い」とはいうまい。耳垢目脂が溜まった状態を「耳糞悪い」「目糞悪い」とはさらに言わない。
これは糞に対する熱い風評被害である。金輪際使ってはならない。
とはいえそういう感情を抱いてしまった場合の代替表現がなければ困るだろう。すぐに思いついたのは「けったくそ悪い」だが結局これも糞を蔑ろにするものであるので却下。糞のかわりにnagajisでもよいとは思うが如何せん語呂が悪い。「けったnagajis悪い」などとした日にはnagajisが蹴ったことへの非難に掏り替えられてしまいかねないので(事象を正しく表現するという目的においては)相応しくなかろう。何にせよ名詞を持ってくれば同様の悲劇が起こり得るので慎重に検討せねばならない。
いっそのこと記号にしてはどうか。「胸⊿悪い」とか「ケッタ○悪い」とか。できれば普段使わぬ記号意味を持たない記号が良いな、でないとなんだか伏せ字のように見えてしまう。「胸┴悪い」とか「胸㊨悪い」とか。後者は心臓疾患ぽくていかんか。
何とはなしに読み始め、31連隊出立以降を読み終えてしまった。あれ、どこかでもっと詳細なのを読んだ気もするのだが……。もっと凄惨な描写で読んだ気がするんだが新田次郎のこれではなかったのか?
その足でndlで遭難始末を読むことのできる現代は有り難い時代であるなあ(詠嘆
当たり前のことなのだろうが、遭難始末は遭難後の救助活動のことに大半が割かれていて「どれだけ頑張ったか」のアピール色が濃い。美談を連ねてみたり。たしかにこれでは事件の背景がわからない。
始末 セントバーナード犬導入 役に立たず・・・http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466491/62
北辰日報版 青森実業家の柿崎氏の猟犬大活躍
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083845/49
これは陸軍版には書かれてない。
始末 アイヌ部隊大活躍という感じ。「吾人の今日あるは誠に(闕字)皇恩に之れよる(略)鴻恩の万一に報ぜざらんやと」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466491/68
北辰日報版 ほどほど 4名発見は結構淡々「報国の万分の一を尽くしたし」
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083845/55
言っている内容はそれほど変わらないがやはり皇国思想を前面にだしてくる>陸軍版
陸軍版は皇威皇恩を強調して書いてあるのがとても目につく。新田次郎が書いているとおり。まあこれも皇軍側の記録なんだから仕方ないちゃあ仕方ない。
「剱岳」もそうなのだけどどこまでが史実でどこからが創作なのかわかりづらいのが困る。全部を信じると「竜馬がゆく」みたいなことになりそうだ。
自分は雪国の生まれでないので吹雪の怖さを体験したことがないが、子どもの頃に雪の積もった中を新聞配達するくらいのことはやっていて、雪の冷たさ歩く難儀さを感じたことはある。そんなのとは比べ物にならない寒さと風の中に数日も閉じ込められて10数人生還したというのが信じられないな。指が冷えてきて小指から順に感覚がなくなっていって、まるで指がなくなったかのような感触、あれは怖いものだ。そんなの序の口でもないのだろうな。
付図は何度見ても怖い。大勢の死は統計的だとはいうけれども、そういう視線で見てしまっている自分に気づいて愕然としたりする。
そうなんだよなあ。隊員として長年鍛えられた自衛隊員とはちがって、ひょいと招集されてきた人々が士卒となり軍隊を構成していたわけで、別段特に体力腕力があったわけではないのだ。それからしたら要塞兵はまだ楽であったのかも知れない。雪の降らない南のほうなんかは特に。
coreserverの増強に名を借りた切り捨てで八方塞がりである。
tDiaryのデータをWordpressに持っていく→squeeze.rbがエラーを吐いて動かないのでhtmlにできない。wgetかなんかで持ってくるしかない。wgetは使いこなせない。
td2データを解析してRDBに突っ込んで検索システムをでっち上げる→解析が面倒くさい。
上ができればPDFの全文検索もできないことはないなとは思うがpdftotextが使えなくなっていたのでそもそも全文テキストを抽出できない。
hyperesstraierを再ビルドしたらhtmlテキストを読むフラグを付けるとsegment violationが起こってインデクスを作れない。
いっそのことlinuxサーバを一つ構築してpdftotextするのとかをそこでやったほうがいいのかもしれない→SSDが高騰していて買う気を無くす。
探索で気晴らしをしようと思ったら帽子が行方不明で萎える。
動いているものが動いている間は何も苦労しないんだがそれで楽した分急に動かなくなった時に苦労させられる。これまで何度あったか知れないが今回はかなり根本的に駄目である。いろんなことが嫌になる。
検索がまともに機能してくれないのならここに書いても仕方ないのだ。
大阪駅で新快速を待っている間に外人さんに話しかけられた。有線イヤホンでBUT NOT FOR MEを聞いていたので第一声が聞こえず。慌てて外して耳を傾けると“KIOTO?”と聞こえた。ふむこの電車は京都に止まるかということか。確かに止まる。これに乗ればよい。という返答に“OK”とサインまでつけてしまったのは大変いただけなかった。あのマークは国によっては卑猥な意味になると聞いたことがある。そもそも“OK”じゃ意味をなさないのではないか。シンプルに“Yes, you should transit on the next train"とか"Yes, the next train arrives at KIOTO"とか言えばよかった。ということを一日中後悔していた小心者のnagajisである。
公文書には地所代価の受取証もあって、そこにちゃんと番地が書かれているのを思い出した。その地番で突き合わせれば工場の場所わかるじゃん。そう思って大津市立図書館本館へ行きブルーマップで確認すれば、やはり大体推定の場所で合っているようだった。ただしちょっと南寄り、雄琴4丁目の北端から幸福の科学を経て自動車輸入会社の辺りまで、&その道路の向かい側雄琴三丁目はラーメン屋付近を含め南のへんまで。ただし全部の地番が今も残っているわけではないようだ。そうしてその周辺で煉瓦は見られず。ひとつだけあったが民家の詰め物に使われていたので触れるのは止しておいた。胎土も明らかに違ったしな。
あとで裏から回ってみようと思ったが、あてにしていた水田でちょうど田植えをしていたので諦めた。不運。どのみちそのへんは民家の裏庭になるし入れはせんかったと思う。
その後大津の旧線を辿って、最後に蟹川暗渠の煉瓦を測りに行った。敦賀線以前の煉瓦の寸法を知りたかったので。たぶん2-1/4と思うがアーチの上のほうには薄いやつとか短いやつとかが混じっていたのはたぶん東川暗渠と同じような状況と思う。蟹川暗渠は下り線方がオリジナル。書き間違えとったな。
京阪線になっている旧線の暗渠の場所にはちゃんと暗渠位置を示す標識があって面白かった。しかし暗渠自体はその欠片すら見えず、潜っていた溝川も見られなくなっている。埋殺しになっているか、大津市の下水路として使われているかである。
京阪線の琵琶湖方は石積み路肩が続く。天辺の石だけ起こしてそれ以下は45度以下の緩い勾配で積んであるらしい。そうなんよね、開業当初はこれより北には陸地がなかった。
こないだ出てきた高輪の築堤もこんなんだったんじゃないかと思ったが、あっちは天辺が残っていないのだな。
Before...
_ nagajis [なんだか民俗学っぽくなってきましたね。他地域情報plz]
_ imola [東京では「インドの山奥でんでんでん六豆うまいまめ〜だ〜か〜の学校は川のなかえってきたぞ〜帰って来たぞーさんぞーさんお鼻がながいのね〜ムーミンこっちむいてるてるぼうず〜てるぼうず〜明日天気にしておく..]
_ とおりすがり [あ、地域書き忘れてました。大阪です。 思い出したんですけど、太陽にほえろ&サザエさんコラボは、 ♪ タラちゃ〜ん イクラちゃ〜ん サザエさ〜ん そして隣の浜さーん でした。 地域に..]