nagajisの日不定記。
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堺市の廃屋の前に転がっていた断片。瓦だとこのような引っ掻き傷をつけることがよくあるが、煉瓦では稀だ。神戸市の旧居留地発掘現場だとか、西九条のB.C.△H.J.煉瓦の壁とかに使われているのが見つかっている程度。案外古いものなのかも知れない。
先日拾った煉瓦の刻印。こんな感じの見たことのない刻印が押されていたので「あーまた謎刻印が増えた……」とか何とか考えつつ回収した。
持ち帰り、泥に塗れていた側を洗ったところ、そこにも刻印があることを発見。しかも表とは違う印だ。あれー?
答えがすぐにわかったら、残念、あなたはnagajisです。
答えはきっとこういうこと。丹治煉瓦の印が重ねて押されてあるはずだ。単純作業の繰り返しに飽きたのか、よほど暇であったのか知らんが……刻印で遊ぶな!
近代デジタルライブラリー「大日本商工録」大正7年版より引用。合資会社時代の丹治煉瓦(大正元年〜)はこの社章を使っていた。大正初期には津守煉瓦より多く堺・日本煉瓦よりは少ない生産数。その比と丸丹刻印の分布比が合わないなあと思っていたのだが、少なくとも大正以降はこんな刻印を使っていたらしく、それを考えると「なるほどな」と納得される程度には普遍的である。煉瓦の皺や傷に埋もれていることも多く、見過ごしやすい刻印だ。