nagajisの日不定記。
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三十二度湿度八十七%なりき。
期末考査終了。物理・代数・地理なりき。午後は午睡後白川学園の下の田植えをなす。約一時間半にして終了。後三十分坪井川に入りて遊泳を楽しむ。考査終了といい田植えといい楽しきやら意気深き事やら心は共に浮きいるなり。今からの努力が大切なり。
月曜の日課に準じ七時より始れり。四十分授業にして早く終了す。十一時 李王坤〔垠〕殿下を菊池本道上に奉迎す。唯厳粛なるものあるのみなりき。乗務員養成所御視察の帰路なりと承る。
今日初めて午睡に眠れたり。続いて暑中稽古にて柔道なりき。目的は技よりも心を練るにあり。以後手入。集会所委員生徒に当り勤務す。夏に鍛える為必死目的に邁進中なり。良好。
今回の探索のためにマジカルフォレスターを購入した店から宣伝メールが届く。マジカルフォレスターとは何かを先に解説するのが道理だろうがここは道理のない世界である。続ける。
その届くメールによると、webショッピングモール加盟店群共通のキャンペーンを実施中らしい。「お買い上げショップ数に応じて、最大10ショップ以上でのお買い上げでポイント10倍プレゼント!」だそうだ。ポイントがどこにどう溜って何にどれだけ使えるのか知らないnagajisなので、10倍になろうとなるまいとどうでもいいというのが正直なところだ。それよりもこまめにメールの文面を変えて送ってくれる手間暇を思って頭が下がる思いがする。
そして唐突に
ショップ数とチャップスイって似てるよね
と思った。
口に出して確認しようとしたら、両者が混じって
チョップ数
になった。チョップをすればするほどポイントが溜まる。にわかに嬉しくなった。
ついに・・・やってしまった・・・。今ごろ気づくなよ・・・。
今のところこれといった被害は見られない。様子を見てみる。ネタ的にも廃道絡みであって、非常に書きたいのではあるが、こう見えても一応nagajisにも尊厳というものがあって、ためらう。少し考えさせてくれ。
堺市の廃屋の前に転がっていた断片。瓦だとこのような引っ掻き傷をつけることがよくあるが、煉瓦では稀だ。神戸市の旧居留地発掘現場だとか、西九条のB.C.△H.J.煉瓦の壁とかに使われているのが見つかっている程度。案外古いものなのかも知れない。
先日拾った煉瓦の刻印。こんな感じの見たことのない刻印が押されていたので「あーまた謎刻印が増えた……」とか何とか考えつつ回収した。
持ち帰り、泥に塗れていた側を洗ったところ、そこにも刻印があることを発見。しかも表とは違う印だ。あれー?
答えがすぐにわかったら、残念、あなたはnagajisです。
答えはきっとこういうこと。丹治煉瓦の印が重ねて押されてあるはずだ。単純作業の繰り返しに飽きたのか、よほど暇であったのか知らんが……刻印で遊ぶな!
近代デジタルライブラリー「大日本商工録」大正7年版より引用。合資会社時代の丹治煉瓦(大正元年〜)はこの社章を使っていた。大正初期には津守煉瓦より多く堺・日本煉瓦よりは少ない生産数。その比と丸丹刻印の分布比が合わないなあと思っていたのだが、少なくとも大正以降はこんな刻印を使っていたらしく、それを考えると「なるほどな」と納得される程度には普遍的である。煉瓦の皺や傷に埋もれていることも多く、見過ごしやすい刻印だ。
イメージとしてはプロジェクトXのオープニングムービ。とある市の水道局がテーマらしく、いまは廃墟と化した旧庁舎の俯瞰映像から始まる。ポーチの柱の根元や1階の壁が集中的に劣化していて、まるで長時間水にさらされていたかのようだ。しかし庁舎の周囲にはトラバーとかトラフェンスとかが建っており、常時水に洗われる環境でもないらしく、どうしてそうなったのか説明がないままで進行する。
その庁舎のなかでの再現映像にかわる。太ましい女性職員が登場。どうやら彼女が主人公であるような雰囲気なのだが、何をしてくれるのか、どんな物語が始まるのかわかるようなわからないようなナレーションでじらされる(声はトモロオ氏でなかった)。
そこへプロ市民からなる陳情団登場。庁舎の中でシュプレヒコールを始めるなどして業務を妨害し始める。ああやなやつだなあと思う間もなく先ほどの太ましい女性が登場する。女性は陳情団の首領と思しき人物の手首を掴むがいなやぐいぐい握りしめ捻りあげてしまう。親指で手首の裏(男性が腕時計の盤面を載せる辺り)を、残りの指で手首の腹を掴んでいた。骨法か何かだろうか。
ここで再びナレーションが入るが、覚えているのは彼女の技を「仙骨移動」と言っていたことだけだ。そうして夢の記憶もこの辺りで途切れる。
庁舎が京都市上下水道課からきていることは疑われない(建物は全然関係のないものだった) が、仙骨がどこからでてきたのかわからない。しかも仙骨といえば尾てい骨のことだ。手首にある骨じゃないじゃないか。と検索して認識した。そもそも「移動」てなんだ。
この間書いていた、イギリス積みとフランス積みで数が違うという話。
確かに数が違う。フランス積みはイギリス積みに比べて壁の表に現れる煉瓦の数が少なくて済む。長手5個・2段分で比較すると1個しか違わないけれども、一坪あたりなら約40本違うことになる(と『建築工事設計便覧』(大泉竜之輔編、建築書院、1897) には書いてある)。
表に見える煉瓦の数が少なくて済むということは、表積み用の良質な煉瓦が少なくて済むということだ。それだけでも経費削減になるし、色目を揃えやすくもあるだろう。また煉瓦は輸送する時に角を欠いてしまいやすかった。角の欠けていない良質な煉瓦、というとますます限られてしまうのではないか。
初期の煉瓦建築にフランス積みが採用されることが多かったというのは、実はこのへんに起因してたんじゃないか、とか思ったりしてみた。焼成技術が未熟で良質の煉瓦を多数揃えることが難しかったので、表張り用の良質の煉瓦の数を抑えるためにフランス積みを採用したという事例が皆無でもなかったのではないか。
M21中村達太郎『建築学階梯 巻之上』では見た目の良さでフランス積みが採用される的なことを書いている。そのかわり芋目地が出来ルので強度が云々。ほぼ同じ頃の滝大吉の『建築学講義録』ではもっともっと詳しく説いてくれているが枚数節約のことはない(半枡に安い煉瓦を使う輩がいるのでしっかり監督せなあかんとは書いてあるが)。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945255/81
結構いい洞察じゃね?と思ったりしたのだが、一坪で高々40個しか変わらないのであればそれほど影響しないかもしれない。桁行30尺、梁行20尺の平屋建なら4辺100尺=16.6間、まあ1間高としておいて16.6*40=664個。千個も変わるまい。M30で千個10円内外。
いずれにしても数節約して得するのは請負の側であるだろうから(本来なら高価な煉瓦を使わなければならないところの数を節約できるわけで浮いた分は請負側の儲けになる)、仕方書に指定されていなければ請負の都合で勝手にフランス積みにしちゃったなんてこともあったんじゃないかと想像する。『建築学講義録』を読んでいるとそういう詐術が罷り通っていた時代があったように見えて仕方ない。
_ TUKA [兄貴を回すんだ]