トップ «前の日記(2017-09-25) 最新 次の日記(2017-09-29)» 編集
1941|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1942|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
1943|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|
2005|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|10|11|12|
2007|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2015|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2016|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2024|01|02|03|04|

旧道倶樂部録"

nagajis不定記。
本日のアクセス数:0|昨日のアクセス数:0
ad

独言 | bdb | C60 | D | KINIAS | NDL | OFF-uploader | ORJ | pdb | pdf | ph | ph. | tdb | ToDo | ToRead | Web | web | きたく | | なぞ | ふむ | アジ歴 | キノコ | コアダンプ | | ネタ | ハチ | バックナンバーCD | メモ | 乞御教示 | 企画 | 偽補完 | 力尽きた | 南天 | 危機 | 原稿 | 古レール | 土木デジタルアーカイブス | 土木構造物 | 大日本窯業協会雑誌 | 奇妙なポテンシャル | 奈良近遺調 | 宣伝 | 帰宅 | 廃道とは | 廃道巡 | 廃道本 | 懐古 | 戦前特許 | 挾物 | 文芸 | 料理 | 新聞読 | 既出 | 未消化 | 標識 | 橋梁 | | 滋賀県道元標 | 煉瓦 | 煉瓦刻印 | 煉瓦展 | 煉瓦工場 | 物欲 | 独言 | 現代本邦築城史 | 産業遺産 | 由良要塞 | 発行 | 看板 | 石垣 | | 竹筋 | 納得がいかない | 索道 | 絵葉書 | | | 資料 | 近世以前土木 | 近代デジタルライブラリー | 近代化遺産 | 近遺調 | 道路元標 | 道路考古学 | 道路遺産 | 都計 | 醤油 | 陸幼日記 | | | 鯖復旧 | 鳴門要塞

2017-09-28 [長年日記]

[独言] 私跡

画像の説明

敦賀市国広町の公園。記憶が正しければこの公園で二度野宿をしている。一回目は1999年の北海道旅行の帰り。二回目は2003年の長旅から帰ってきた時だ。

新日本海フェリーの上り便は嫌がらせかと思うような真夜中に敦賀港に着く。そうして土地勘のない旅人を真っ暗闇に放り出す。哀れな他所者たる私は、蛾が灯し火に引き寄せられるようにして駅へ向かった。そうしてそこから駅前ロータリー向かって右のアーケードをとぼとぼと押していって、そう離れていないところの小路に右して入り込んだ。その先にあった公園で野宿をした。小さな公園で民家も間近だったからテントは建てずにロールマットとシュラフだけで寝たと思う。蚊が多くてちっとも眠れなかったのを覚えている。

4年後に同じようにして敦賀の夜に放り出され、記憶を頼りに同じ公園を探し当てて泊まった。敦賀で知っている場所はそこしかなかったからだ。

1999年は翌朝日が明けやらぬうちから脱出して敦賀駅に向かい、始発の電車で帰阪した。2003年の時も早々と退却して馬背峠経由アゴウオ越ピストンを実施している。故に公園以外の記憶はない。

今回改めてその公園を訪れてみたのだが、正直なところ、ここだったっけ?という思いのほうが強い。周囲は潔癖な新興住宅街で、こんなに新しかったような気がしなかった。ここ十数年の間に区画整備されたのだとしたらなおさらこの公園でない可能性が高くなる。公園だけ残して周りを整備することはないだろう。

左手にあるシーソーは若干記憶に反応があった。こういうのがあったような気がする。そして何よりこの公園には水道がある。実はこの手前にもう一つ公園があるのだが、そちらには水道がなく、当時の私ならまず利用しないだろうと思われた。水道があるからここに泊まったという微かな記憶がある。

それにしても、人の記憶、思い出なんて、突き詰めて明らかにしたところで何にもならないものだと思い知らされたことだった。いまの私には何の由縁もない感情移入すら拒まれる見ず知らずの日常がそこにはあったというだけだ。


トップ «前の日記(2017-09-25) 最新 次の日記(2017-09-29)» 編集