nagajisの日不定記。
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敦賀市国広町の公園。記憶が正しければこの公園で二度野宿をしている。一回目は1999年の北海道旅行の帰り。二回目は2003年の長旅から帰ってきた時だ。
新日本海フェリーの上り便は嫌がらせかと思うような真夜中に敦賀港に着く。そうして土地勘のない旅人を真っ暗闇に放り出す。哀れな他所者たる私は、蛾が灯し火に引き寄せられるようにして駅へ向かった。そうしてそこから駅前ロータリー向かって右のアーケードをとぼとぼと押していって、そう離れていないところの小路に右して入り込んだ。その先にあった公園で野宿をした。小さな公園で民家も間近だったからテントは建てずにロールマットとシュラフだけで寝たと思う。蚊が多くてちっとも眠れなかったのを覚えている。
4年後に同じようにして敦賀の夜に放り出され、記憶を頼りに同じ公園を探し当てて泊まった。敦賀で知っている場所はそこしかなかったからだ。
1999年は翌朝日が明けやらぬうちから脱出して敦賀駅に向かい、始発の電車で帰阪した。2003年の時も早々と退却して馬背峠経由アゴウオ越ピストンを実施している。故に公園以外の記憶はない。
今回改めてその公園を訪れてみたのだが、正直なところ、ここだったっけ?という思いのほうが強い。周囲は潔癖な新興住宅街で、こんなに新しかったような気がしなかった。ここ十数年の間に区画整備されたのだとしたらなおさらこの公園でない可能性が高くなる。公園だけ残して周りを整備することはないだろう。
左手にあるシーソーは若干記憶に反応があった。こういうのがあったような気がする。そして何よりこの公園には水道がある。実はこの手前にもう一つ公園があるのだが、そちらには水道がなく、当時の私ならまず利用しないだろうと思われた。水道があるからここに泊まったという微かな記憶がある。
それにしても、人の記憶、思い出なんて、突き詰めて明らかにしたところで何にもならないものだと思い知らされたことだった。いまの私には何の由縁もない感情移入すら拒まれる見ず知らずの日常がそこにはあったというだけだ。