nagajisの日不定記。
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訪問者の迷惑など考えずに貼っつける(つーか自分も見れない。ブラウザの表示倍率を変えて何とか全貌が分かる程度)。どうしてもこうなるよな。長尾山第二隧道前柵なんかこの三倍幅が要る。
何とも馬鹿なことを始めたものである。そして馬鹿にのめり込んでいる。せんだってなどは仕事上がりの足で夜の武田尾第2柵へ向かった。雨のそぼ降る真っ暗闇の中、レールの数を数え、銘を読み、§切りをやり直して、都合三度目の訪問にしてやっと銘整理が完了した。終わったのは夜中の十時半であった。手ぬぐいを失くすという代償まで払った。全く馬鹿な仕業である。
そこまで頑張ってみたところで誰も褒めちゃあくれないのである。世が求めている仕事でもないのである。そうじゃない。褒められも役立ちもしないことだとわかっているからこそ、なのだ。自分自身がこの柵を完全把握したいのだ。単にDARLINGTON 70見つけたと言いたいだけならそうすれば済む。どの柵にあれとこれとそれがあると言えば済む。しかしそれじゃあそれだけでお終いになる気がする。ふーん、あそこにあるんかい、で終わってしまう気がする。異国の地でチビるまでこき使われたうえに本来用途でない用途に回されその格好で百年以上放置されてきた彼らなのだ、もうちょっと注目してあげないと可哀想じゃないか。少なくともその存在に気づいてしまった本人くらいは。
先日福知山線へ行った時、探索中に缶コーヒーを飲んで、あとで回収して帰るつもりでガードレールの上に置いていった。30分ほどして戻ってきたら、その上にデカビタCの空き缶が載せてあった。誰か別の人間が捨てていった缶だ。全くもって典型的な割れ窓理論の発現で心底呆れたことだった。ゴミが捨ててある場所ならゴミを捨ててもいいと考える幼稚で浅墓な思想は唾棄すべきである。実行者は恥じて顔を洗って出直してきて右斜め後ろの隠しカメラに向かって尻振り百回してもらいたい。その上で同じことを繰り返してもらいたい。
2003年の長旅で茨川の我がテントの前にゴミを置いて去っていったRVを思い出さずにはいられない(言っておくが未だに根に持っている)。まあ最初に置いたのは自分だし、別にそれに「あとで回収するから一寸置かせてチョーダイ」と張り紙をしていたわけでもないからな。同罪だ。
7の次がはっきりしなくて撮ってあったものだが、あとで見なおした時にCO LIMDでもCO LIMTDでもないことに気づいた。どう読んでもCO LD。そうして7の次は「7」っぽい。即ち1877製。同じレールの別部位にも77に見える痕跡があった。
Tさんにいただいた資料を見ていたら、三越からもCO LD 77 が見つかっているとのことだった。superscriptなのも一緒。鮮明な先行事例があることの有り難さを噛みしめる今日このごろである。
年代だけで判断すると京都~大津間あたりに使われたということになるのだが、だとすると1890のCAMMELLはなんなんだということになる。構内側線を追加するとか傷んだ個所を補修するためとかで追加で買ったのがあったのかも知れない。魚梁瀬林鉄だって久木越えの最急勾配区間に使われていたレールは数ヶ月でダメになったと聞いている。大阪~大津間にそこまで急な区間はなかったはずだしひっくり返すという手もあるのだけれども柔らかい錬鉄製だとどうだったろうかだし曲げちゃったやつはひっくり返すの大変だろうし。うん、わからんことだらけである。